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船橋〜市川の旅

船橋〜市川 日帰り

2009.11.03(水)
コース
文化の日
街っぷる「首都圏」1:30000をお供に街歩き旅

関東に木枯らし一号吹き荒れる。空はどこまでも蒼く、冷たい木枯らしに身を晒しながら船橋駅から市川駅まで凡そ10キロを歩いた。点景をカメラで切り取り地図と照合させながら歩いた。歩く視線で街を眺めるといろいろな肖像が見えておもしろいものだと思った。道に迷うことはあっても遭難死することはない。あえて迷子になってみるのもいい。点と点をつなぎ、やがて線と線を繋いで行く。成田、千葉街道を経て大江戸八百八町を縦横に巡る旅ができればおもしろい。藤沢周平が描いた江戸の町を歩いてみたい。
船橋駅南口から京成船橋駅を越える。14号幹線道を避け本町交差点を右折し線路沿いに西方向へ歩き始めた。ビル街を抜けたら住宅街となる。ソープランドの黄色い看板が堂々と掲げてあったのに笑った。

ここで話は脱線する。
船橋はどうやら猥雑な町であったらしい。駅南口商店町は狭く細い隘路がそこかしこに枝を伸ばしている。流行らない埃をかぶった品が並ぶ骨董屋、蒲焼きの匂いが漂う店、小さな商店がポツリポツリと往時を偲ばせている。線路沿いに大人用ご休息場所もあったりする。船橋界隈は元を辿れば漁師町だったし今も船を浮かべて漁を生業にしている人がいる。私の住む町にも風向き次第で潮風が臭ってくることがあるのだ。船橋で暮らし始めてもう7年になるが行動範囲が年々狭くなるせいもあって千葉県全域の広さ、距離感がいまいち掴めていない。地図上では船橋駅〜都内までわずか20キロ前後の距離しかないのだけれど実感としてイメージできない。地方の広さは車で判るが都会は自分の足で歩いてみなければわからないようだ。縦横に走る地下鉄の網とJR中央線があれば車なんて無用の長物だと思う。維持費だって馬鹿にならないのだし車を廃車するという考え方もありだよね。
数年前に家から幕張まで歩いたことがある。わずか2時間半で海に辿り着いた。呆気ないものだった。こうして視ると関東は広いようでいて意外と狭いのかも知れないなあ。昔の人はよく歩いた。東海道、中山道を始めとして全国津々浦々まで街道が網羅されている。移動距離の長さと時間のことを想う。昔の人は、粗末な草鞋でよく歩いたものだと我が身に照らし合わせてみて感心する。

線路沿いに歩き西船橋に着いた。茶店で珈琲を飲み一服した。そこから下総中山駅まで行きホームを渡って千葉街道14号線に合流した。幹線道路だから車の往来は激しい。気になるものをスケッチショットしながら歩いた。真間川に架かる境橋を越えさらに進むと中山寺の標識が見えた。右折し境内に向かった。今が盛りの紅葉の参道を歩いた。菊の展示場があった。丹精し愛情込めて育てた菊がすくっと奇麗に咲いていた。菊衣を纏った人形たちが品よく並んでいた。七五三の祝いで神社に詣でる家族がいた。さんざめく人の声と笑顔が境内に溢れていた。残念なことに境内の水場は枯れていて飲めなかった。新田胡録神社でランチを取った。テルモスに詰めた珈琲を飲んだ。七五三詣でのファミリーが正装して目の前を通り過ぎて行った。今日の最終地点市川駅はどこにでもある駅の点景だった。電車に乗ってとっとこ帰った。衣替えの支度で木蓮が朝からねじり鉢巻していた。布団は翻り洗濯機は踊り掃除機が唸っていた。極楽とんぼは只今帰りました。

いつもは車、電車で往還する道も徒歩の視線で眺めればいろいろなことが判ってくる。いろんな暮らし模様が見えてくる。2008年5月に加古川を二週間にわたって隅から隅まで歩いた経験が役に立つ。


小さなサブザックに入れたものは次の通り
  1. 珈琲を詰めたテルモス
  2. moleskine note
  3. 水性ペンと水性色鉛筆三本(スケッチ)
  4. デジカメ(CanonG9)
  5. 昼食:プロテイン一袋(攪拌用のケース)
    (断糖の為に医者から処方されているもの)
  6. コンパスと地図(訓練)
  7. タバコ、ライター
  8. 携帯電話
  9. カメラ用予備電池
服装
付記:昨年市川駅まで歩いてから今日まで、これといった歩きができていないことを反省。あれから一年、月日の経つのは早いものだと実感するばかり。

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