山ダイアリー
 2001年6月 


■ 携帯電話を準備した
6月はまったく山に向かうことができなかった。体調もようやく元に戻ったことだから週末に期待してみよう。まったくひどい目に遭った。止めは「発熱」、追い打ちをかけるように「iMac」がドック入り。 無理は禁物だ。徐々に、しかし確実にやっていこう。まず「鎌倉アルプス」から始めることにしようか。 高尾山山行は、木蓮が担当するという。遅々として原稿進まず。これも徐々に、確実に、だ。 川柳一句「山男、短い足でよく登る」なあんてね。あはは。
今年の夏休みは近郊で済ませることになっている。とはいえ下界の暑さも相当なものだろう。せめて高原でキャンプを張り、ひとつふたつの山に遊んで読書に耽溺する生活を送りたいもの。そろそろ企画しなくては間に合わないなあ。
いざという時の為に「携帯電話」を準備した。雑誌「山と渓谷」7月号で「携帯電話」の特集をやっていた。危機管理のひとつの手段として揃えた。分厚いマニュアルと、しばらくの間、格闘しなくてはならないようだ。
2001/06/27


■ 発熱7度8分
17日午睡を取って起きたら頭が痛かった。どうやら風邪を引いたらしい。平熱6度3分だから相当に苦しい。昔から熱にはからきし弱い。午後から医者に赴き薬を貰う。医者自ら薬の処方を行い、ひとつひとつの薬について能書きを講議してくれる。抗生物質と解熱剤(バファリン)。
自宅に戻って布団を三枚ほど重ね、熱いお茶をガバガバ飲んで眠る。布団サウナである。汗がどっと吹き出す。度ごとにシャツを替える。それを3回ほど夜中の1時までくり返したら熱が下がった。冷たいお茶が実においしい。リンゴジュースも飲んだ。おふくろがリンゴを摺って飲ましてくれたことを想いだした。 解熱剤は「緊急」に備えてストックしておこう。 5月下旬に腰を痛めてから体調のリズムが狂ってしまった。早く、元のリズムに戻さなくてはダメだなあ。
2001/06/18


■ 花金
梅雨の晴れ間を利用して「鎌倉アルプス」を企画していたら、木蓮の都合が悪くなって没となる。 ひとり見捨てて行くと「四ッ谷怪談」の世界が展開する。桑原桑原。明日は山行記録をひとつ書き上げることにしよう。
会社の帰路、ひさしぶりに登山店に寄って「道具」を補充してきた。蒸着シート、細引、予熱材、熊避け鈴(大)、小型ペンチ類。いずれも緊急対策用具。しめて7000円の出費となった。
2001/06/15


■ きんぴか
浅田次郎の「きんぴか」第一巻を読み耽る。なんという面白さだろう。名作「鉄道員」を描いた資質が砂金のように吹きこぼれている。
腰の痛み、9割方快癒。大事をとって無理はしない。 早寝早起きに徹した3日間だった。早ければ、今週末にでもお散歩登山をしてこよう。どうやら明日から猛烈な雨模様。 心の中に黴を生やさないようにしなくっちゃ。
2001/06/13


■ バーチャル登山
図書館から借りてきた百名山ビデオでバーチャル登山。日曜日、大河ドラマが終わった後は木蓮と二人でこれを眺める習慣になっている。ようやく14巻まで見た。黙って見ていると睡魔に襲われる。目蓋が下がってくるとお休みタイムとなり、安らかに布団に移動する図。かくして今日も終わった。
2001/06/10


■ 梅雨の晴れ間
快晴。ぎっくり腰の余韻覚めやらず。当分、山は無理だろう。まず歩くことから始めなくてはいけないようだ。 基礎トレーニングをしっかりやろうと思います。23才でエベレスト登頂を果たした日本人がいる。23才!ですとお。 やるもんだね。北極で亡くなった冒険家は49才!家族がその遺志を継ぐらしい。重い十字架だなあ。ほんとにそれでいいんだろうか。で、私はもうすぐ50才になるのだが、、これでいいのだろうかと自問してしまった。笑。
井上陽水のCDが売れているらしい。おれも欲しいけど、3000円はちょっと高い。もっと安くならんかいな。
2001/06/09


■ 凄惨な事件に胸が塞いだ
池田小学校の惨劇を知ったのは、夕方のことだった。あまりのことに、しばらく口が利けなかった。 8人もの児童が包丁で刺されて死んだ!刺したのは「精神分裂病」の男だという。安定剤を大量に飲んでの犯行。 実の父親は20年前に「勘当」したと言っていた。四面楚歌の20年が、彼をそこまで追い詰めた原因の一端だろう。 それにしても、最近のニュースには「殺人」の語彙が溢れすぎている。殺人列島、日本だ。 こうしてみると山の熊の方が、よほど安全なのではないか。痛ましいことだ。黙祷。
2001/06/08


■ 雨の一日
激しい雨が降った。沛然と降る雨をビルの窓から眺めていた。私の勤務する会社の窓から丹沢山系を下に従えた「富士山」が見える。秋、冬の季節には、くっきり秀麗な富士が見える。夕方になれば逆富士のシルエットが西の空に浮かびあがる。今日はまったく見えなかった。
2001/06/07


■ 一日中、雨が降り続いた
お昼休みを利用して「丹沢山行」の記録のインデックスをメモる。おおよその全貌は把握できた。この基本設計図に基づいて原稿を起こす。 風の匂いとか、路傍に鎮座していた地蔵さんの頭にあった毛糸の帽子のこととか、、思い起こせばいろんなシーンがある。そういうこまかなことを、よく覚えているのは、「登った下山した」式の山ではなく「見よう、感じよう」とした山登りをしていたからだろう。刻む思いで一日一日を暮らしていたからだろう。あの時代を忘れることはないだろうなあ。印画紙にセピア色の記憶を焼きつける作業は楽しいものだ。
2001/06/06


■ 一日で元のテンションに戻すこと
会社に行った。わずか一日で仕事のテンションを元に戻す作業に集中した。夕方には元に戻っていた。 どうやら明日あたりから梅雨模様。ながいながい雨の季節がやってくる。
2001/06/05


■ 月曜日の憂鬱
会社に行こうと思ったが、まだ腰が痛みが治まらない。そこに月曜日の憂鬱という怠け病が加わり、更に一日休暇延長してしまった。 奥多摩の山行記録を書き上げた。1997年当時のことを、こうして書き上げることができるのは、残されたわずかなメモと木蓮がつけている家計簿のおかげ。 家計簿こそは優れた日誌とはいえまいか。コンビニで何々を何時に買ったのデータが正確に保存されている。時系列に領収証を添付してあるだけでも、記憶を呼び覚ますことができる。いずれ「九州大旅行」も書く予定、その時にこの膨大なデータがきっと役に立つだろう。
2001/06/04


■ 図書館へ行った
車を運転して近くの図書館まで行った。どうやら明日は出社できそうだ。しばらくは後遺症が残るだろうけど基本的生活は大丈夫のようだ。回復までには後1週間はかかるだろう。そうしたら基礎からトレーニングをやり直しだ。水泳もやってみようかと思う。 「百名山ビデオ」を2本借りてきた。
「返却忘れの本があるでしょう」と係りの人。画面を見て「ああそうですね」と言うと、「期限が昨日で切れていますから、次回持ってきて下さいね」と優しくやわらかく怒られた。様子を見ていた木蓮がニコニコと笑っていた。木蓮は植物の本を借りただけだった。HP編集の分担で忙殺されているからだろう。(笑)
MLは参加するのが大変だ。既に出来上がった世界に入り込むのは難しいものがある。自分で立ち上げることも視野に入れてみようか、、。
2001/06/03


■ 基礎トレーニングをしなくちゃ
04:00目が覚める。白々と朝の光が満ちて行く。新聞配達のバイクの響き。鳥たちが盛んにさんざめく。 とうとう土曜日になった。本来なら山に遊んでいるはずなのに。痛みは徐々に弛んで行く。まだ腰に鈍痛を感じる。 いきなり無理をしたらまたやってしまう。基礎トレをしなくちゃダメだろ、ズバリ! 筋肉と頭は使わねば退化していくばかりだ。近くのパン屋まで歩いて様子を見た。まあまあの回復ぶりだ。 やはり薄皮を剥ぐようにしか治らないようだ。焦ってはいかんなあ。
2001/06/02


■ 約束を果たそうと思う
休暇4日目となる。会社に電話をして更に休暇申請を延長する。依然として腰が痛む。日に日に緩解していることは判る。 木蓮につれられて近くを散歩してみた。クロマニヨンスタイルでぎこちなく歩く、、原人の所以というべきだろう。痛い。腰が伸びないし、運動不足もあって筋力が著しく退化している気配。やはり使わないとダメになる。頭もまたそうだろう。金沢のS から電話ある。HPへの意見を語っていた。言うことは簡単だよ。やってごらんなはれ。掲示板への書き込みも、どうやらおっかなびっくりでやっているらしい気配だ。
2001/06/01


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