山ダイアリー
 2001年8月 


■ 晩夏
秋を告げる雨、瀟々と降る午後。全山紅葉、錦繍の季節の始まりだ。お約束のケーキを買ってきた。ロウソク3x本を並べて記念撮影。出会って6年、籍を入れて3度目の秋を迎えた。映画「タイタニック」前編を観ることになっている。お、始まり始まり。
2001/08/31


■ 木蓮の誕生日
誕生日のプレゼントはwashlet。昔に比べれば随分と安くなった。取り付け料込みで50400円だった。これで冬でも暖かい便器で用が足せるというものだ。プレゼントが文化的便器ではあんまり!という表情を浮かべる。それはそうだなあ。また別のモノを考えなくてはならないか。あは。
明日一日辛抱すれば包帯を取ることができる。露出した部分が衣服に擦れて擦過傷みたいになって腫れている。庇うような歩き方をするので職員が怪訝な表情で見る。やばい!笑。これが実に痛いのだ。薬はもう飲まなくてよくなった。ちょっとした動作が脳天に響く痛さを伴う。小さな痛みが何度も続くというのも拷問だなと思う。明日一日の辛抱だ。我慢我慢。 山行記録は半分完成した。いよいよ核心に入る。この作業が終わらないかぎり山登りは依然として続いていることになる。まあ、これが楽しみということもあるのだが。
2001/08/30


■ 術後の顛末
抗生物質と痛み止めと、その他わけの判らない薬を飲んで4日目。ようやく沈静化してきたようす。来月7日は抜糸。ようやく石鹸で頭と身体を洗うことができた。患部をビニールで二重に覆い、それはそれは情けない姿であったのだが。昨日、今日と会社を休んで対処した。明日からはさすがに出ることにした。
失業率5%のラインを越えた。データにごまかされてはならない。「率」は仕事を求めている人たちを対象だけに絞って算出している。実質の数字は、はるかにこれより上にある。小泉総理の見据える臨界点はまだまだ先だ。IT不況という予期せぬ事態に遭遇して、政府部内では、相当シビアな計算をしているはずだ。まず隗より始めよ!政府自ら率先して範を示さねばなるまい。NTTと郵政事業、その他の天下り法人の粛正ができるかどうかにかかっている。でないと、自民党を支援した人達の怨嗟の声がやがて澎湃と挙ってくるだろう。我々、団塊の世代は腹を括らねば対処できない。
2001/08/28


■ 鈴虫さんざめく
急速に秋が近付いてきているようだ。25日を過ぎた途端に虫が鳴き始めた。山は秋の支度を整え始めていることだろう。自然のリズムは実に精緻にできているなあと感心する。おそらく光量の変化がスイッチになっているのだろう。ベランダに差し込む日射しの違いは地球公転の角度の変化を意味している。スイッチが自動的に入るという仕組みは、何億何万年という気の遠くなるような時間が育んだ生命のリズムだ。人間だけが別ということはありえない。明日一日安静に過ごさなくてはならない。なによりお風呂に入れないことが辛い。一日一日薄皮を剥ぐようにしかよくならない。
2001/08/26


■ ようやく山行記録に着手
休み惚けもそろそろ払拭しなくては、、。山行記録に着手した。定型の記録というよりは旅の記録に近いからものものしくなってしまうのは仕方がない。出発前夜から初日の顛末までを書き終えた。早く脱稿してしまおうと思う。北海道の旅の記録も全編完了した。思えば一年という時間をかけて旅をしていたようなものだ。原稿用紙に換算して、おおよそ80枚ほどになった。今年は予算の関係で「山」に向かったが、来年はしっかり予算を計上して、再び「北海道」に向かおう。
今日は病院に赴いて、簡単な手術をしてきた。麻酔を二本打たれて、実に情けない姿になって帰ってきた。完治するまでに1ヶ月ほどかかる由。2週間ほどは運動を控えなくてはならないとのお達し。まあ仕方ないか。(泣)
2001/08/25


■ 仕事再開
関東、ここ数日、すっかり秋模様。台風襲来の後は一気に秋?まさか、このまま秋ということはないだろうなあ。油断大敵。
明日から仕事と思うと、憂鬱になる。午後から図書館に赴き「山と渓谷」4.5.6月号と昨年12月号を借り出し。食事メニューの特集が掲載してある。今回の山行で「食事メニュー」の貧弱さが露呈してしまった。食も楽しみの一つなのだから、もっと丁寧に考えなくてはいけないと思ったことが発端だ。同行メンバーが「飲まず食わず」というタイプだったことも原因の一つだったと思う。人、それぞれに違いがあるのだから致し方ない。今回のケースは特殊中の特殊なのだと思うが、それにしても「食」への関心が希薄すぎるのは考えものだ。インターネットを探索して「山の食事」に関することを調べた。やはり、いろんな人が食事について書き込んでいる。参考にして次回に備えたいものだ。
夕方、スーパーに立ち寄って、時間をかけて「食」コーナーを見て回った。乾燥食材も探せばいろんなものが出ていたし、分割して持参すればかなりのメニューが構成できることが判った。一食あたりの単価も安くあげることができそうだ。コッヘルもいろいろ調べてみた。テント山行は重さとの戦いになる。無駄なモノは何ひとつ持ってはならない、必要なモノは外してはならない。この見極めが、まだまだ甘い。
季節は「秋」に向かう。やはりテント山行が楽しい。山小屋の横柄な態度には、いつもながら頭に来ることが多いし、値段もばか高い。思いやりというものが、まるで感じられないし、許せないと思うことが多い。眠る場所を提供してやっているんだという態度は理解しがたいものがある。
2001/08/19


■ 余韻
目覚めたら脚の痛みが増していた。両腕の日焼けと首筋の焼けが痛い。ちょっと触るだけでひりひりと痛い。テントのメンテナンスを丁寧に行った。ひとつひとつの道具を点検して、次回に備える。今回の登山ではS に教えられることが一杯あった。その経験をおろそかにはすまい。
山行記録のスケッチを書き付けた。目蓋に焼きつけた事象を文章に表すまでには、発酵時間が必要だ。 午後からスタミナを付けに焼肉屋に赴いた。書店に寄って「山と渓谷9月号」を購入する。季節は、一挙に秋に向かっている気配だ。そういえば妙高高原、すすきが穂を開き始めていたっけ。りんどうは秋の花なんだなあ。
2001/08/17


■ 関山駅1702長野行
新潟県、関山駅発1701直江津行と1702発長野行にそれぞれが乗車して解散となった。長野発1828あさひ530号、6号1番D席。笹寿司弁当とペットボトル茶を携えて乗り込む。靴紐を解いてザックを置くまでが登山なのだ。2100自宅に無事帰宅する。
快晴に恵まれて愉しい山遊びができた。緑なす火打山麓逍遥と焼山火口から音を響てて吹き出すガス、その向こうには端正な形をした雨飾山が見えた。妙高山(2445.9m)からは四隣遮るものないという視界が広がり、北に佐渡島、西には北アルプスを望むことができた。雲は眼下にあって、次々と生々流転を繰り返していた。雲間かすかに野尻湖が見えたりもした。それぞれの頂上では、おおよそ1時間ほどゆっくりと過ごし展望を楽しんだ。 明日は道具のメンテナンス日とし、山行記録などをつけて一日を過ごすことにしよう。
2001/08/16


■ 上信越高原国立公園
一旦リセットした計画が復活した。こうなれば一人でも北アルプスに向かうつもりでザックを解いていたところに電話が入った。やはりS も山に行きたいのだ。「指切りげんまん」をして、またザックを詰め直す作業を行う。出発前の儀式、地図を広げてコースの読み込み作業を行った。おおよその概要を頭に入れた。同じ山系に「雨飾山」がある。すぐ近くに、上信越唯一の活火山「焼山」があった。火打山からの延長線にあって縦走できる距離。登山禁止になっているけれど、行けないことはないようだ。事実、山行記録を載せているHPもあったくらいだ。 どうやら今回の企画は「のんびり」できそうだ。木蓮は、私が不在の間は実家に戻るとのことだ。今回の登山計画のデータを木蓮に頼んでホームページに掲載して貰った。妙高山、、電車の窓から幾度となく眺めた山に、ようやく歩を進めることができる。
2001/08/12


■ 計画中止の決定
居座る前線の行方を解析して一日を過ごした。どうにも手持ち無沙汰だった。最終決定の電話を2000に入れる。開口一番「どうやら中止やね」「せっかく準備したのになあ、とりあえず計画はリセットということにしようか」「お湯で10分ほど湧かすだけで食べれるご飯買ってきたんだけど、うちで食べてみるわ」「まあ計画練り直してみるけど、取りあえずリセットしないとダメやなあ」と未練たっぷり。
こうなりゃ明日から一人でも北アルプスに向かうことも頭をよぎる。上高地から徳沢まで入ってテントを設置して、そこを基点にして、あちこち徘徊するのもいい。それとも穂高町から燕岳を越えて表銀座コースを行ってもいいなあ。木蓮を誘うが、まったく登山モードに入っていない。冷蔵庫は私の不在を想定して買い出しをしていない。実家に戻る計画なのだ。つまり「亭主元気で留守がいい」という訳だ。一向に出発しない私は、もはやお邪魔虫ということになっているのだ。それもこれも天候のせいである。
2001/08/11


■ ザック支度完了
午後からザック支度にかかった。部品をひとつひとつ並べて、必要なものだけを選びだす。それらをギュウギュウ詰めて計ったら16Kg近くあった。 腰痛を患った身には随分応える重さではないか。水と現地調達の食糧などを入れると18Kgを越えそうだ。うーん自信ないなあ。油汗を浮かべて登ることになりそうだ。せめて丹沢の山を3つほどやってから臨みたかった。Sと連絡を取りあう。
「そっちの食糧までは運べんからなあ」「米3合くらいなら何とか入るけど、どうする」「万一に備えて無線機持って行こうか」「携帯電話ではダメ」「そんなもの通じないよ」「じゃ頼む」Sはハムをやっていて、どうやら頂上であちこちと話をしたいらしい。「どうも天候がよくないようだ」「そうやね」「一日出発を伸ばすか?」「そうしよう、そうしよう」
天候には泣かされる。明らかに雨と判っていて登るのもしんどいと意見が一致。きっぱり諦めるしかないだろう。休み後半は、どうやら天気がいいようだ。まあ、人間様の思うようにはならないということだ。
2001/08/10


■ 計画立案作業
ようやく計画立案作業が完了した。佐渡島に渡って佐渡の山を歩くか、それとも新潟県中頸城山塊に聳える「火打山」と「妙高山」を目指すか、ふたつのコースの計画を立てた。予算の絡みもあるので全行程幕営となる。重さが気にかかるので、本当に必要なものだけを持参するというスタンスで、ザック梱包を、明日一日かかって行う。日本海に前線が横たわっている。天候次第で計画が絵に描いた餅になるかが決まる。意外と雨男なのかも。
2001/08/09


■ 槍ヶ岳か鹿島槍ヶ岳か
Sと話していて、ひょんなことから登山計画のことが持ち上がった。一緒に行こうと言うことになり、夏休みの計画を修正しなくてはならなくなった。 そのことを考えていたら寝付かれなくなってしまった。まるで遠足前夜の興奮である。今の時刻は深夜の2時を回っている。これははなはだ危険なことだ。このまま夜鷹になっては明日の仕事に差し支えると判断したので、急遽、アルコールを身体に流し込んだ。アルコールで神経を拡散しないと眠れなくなる。
次から次へのイメージが湧いてくる。あそこにも行きたいし、ここにも行きたい。まあ最初の計画は漠然としたもの。霧の中を彷徨うに似ている。次第に輪郭が見えてくるのに時間がかかる。しかも夏休みは刻々と迫って来る。ついにはタイムアウトということになってしまうことが多い。 懐かしい白山もいいなあ。19才の時に初めて登った山だ。9日までに計画がまとまらないと御破算だ。 さて困ったなあ。
2001/08/07


■ 少年の眼差し
会社の若いもんが私に問いかけた。
 「こんどキャンプをしようと思っているんですが」
 「ふむふむ、そりゃいいなあ。こどもさん喜ぶだろう」
 「で、どこに行くの」
 「バンガローとかキャビンとかがある処にしようかと」
彼の所有する車はレガシーの最高級車である。せっかくアウトドア専用の車があるんだから使わなくては勿体無いと、 つねづね彼は言っていた。さっそくマニュアル本「オートキャンプ入門」を提供したところ、目を輝かせていた。 少年の眼差しだ。
 「最初はレンタルでいいけど、これだけ絶対忘れてはいけない」
 「何ですか」
 「蚊取り線香と虫避け!」
 「料理は何にしたらいいんでしょう」
 「ははあ、食べたいものを作ればいいんじゃないの。定番は「BBQ」と言われているよ。カレーライスもいいぜ」

同じく会社の若い娘が言った。(結婚しているから娘とはいわないかな)
 「私、夏休みに家族キャンプに行くんです」
 「ふーん、何処に行くの」
 「軽井沢!」と嬉しそうに顔を綻ばせる。
 「軽井沢かい、そりゃ涼しいところだ」
 「その為にスクリーンテントを昨年、買ったの」
 「そりゃ凄いなあ、あれあると便利だよね」
 「そうなんですう」
この若い夫婦は既にキャンプの楽しみを経験している。軽井沢でキャンプかあ、、いいなあ。 浅間山山麓のたおやかな稜線が、一瞬頭をよぎったことだった。 「今度は、わたしたちを誘ってくださいね」と頼んでおいた。むろん、スクリーンテントがお目当て であることは言うまでもない。(あは)

同じく会社の新婚Aが私に慫慂する。
 「○○さん、早くキャンプの企画をして下さいよ」
彼もキャンプを経験したことがない。彼もまた大きな車を所有している。 会社の連中と呉越同舟するのは気がすすまないのだが、こうもキャンプをしたいと言う人間が現れるのも、 何かの縁だろうと諦めた。
 「了解した。夏休みが終わったら企画しよう」
まず企画ありきというところ。さてどうしたものか。
そういえばこのAと、この2月に赤城山山頂で「わかさぎ釣り」を経験した。マイナス15度の氷上で、 穴を掘って寒さに震えながら釣り糸を垂れた。一匹も釣れなかった。どうやら才能がないようだ(笑)

その夏休みは8月10日から始まる。もうすぐだ。 少年の眼差しをいつまでも持ち続けたいものだ。
2001/08/01


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