山ダイアリー
 2001年9月 


■  金木犀の町
高橋尚子、世界最高記録で優勝。凄いやっちゃなあ。おめでとう!長島監督最後の試合。どうやら負試合。御苦労さんでした。木蓮実家往来。お母さんのにっころがし美味しかったです。栗ごはん、懐かしかった。12月になったら、北海道、厚岸から蟹と牡蠣を取り寄せて鍋を囲みましょう。
金木犀の甘い香りが風に運ばれてくる季節になった。午後から生憎の雨となった。一雨降るごとに秋が深まっていく。来週6日〜8日までのプランを考えなくてはいけないなあ。マラソンの練習もしなくちゃいけないし、10月もまた忙しい日々となる予感がする。まずイメージありきだ。HPの企画も考えなくては。
2001/09/30


■ 尾瀬の記録を脱稿する
書きかけのままになっていた尾瀬逍遥の記録を、ようやく脱稿した。ようやく尾瀬の旅が終わった。あとの編集は木蓮に任せよう。書きながら尾瀬を歩いた感覚が蘇ってくる。計画の愉しさ、実行するうれしさ、記録する愉しさと苦しみ?、一粒で3度おいしいアウトドア生活という訳だ。

2週間ぶりに図書館に赴く。「親分はイエス様」という本を借り出してきた。映画もぜひ見たい。NHK教育「キリストの生涯」を見はぐねた恨みもあるしなあ。凄腕ヤクザに「牧師になる」というコペルニクス的転回をさせるキリストという存在は、相当に凄いのではないか。尚、入れ墨の伝道師は新宿の、あの歌舞伎町に現存するという。一度その伝導ぶりをこの目で確かめてみたいものだ。人はパンのみてに生きるにあらずという言葉が胸を打つ。oracionのハンドル名は伊達ではないのだよ。あはは、、威張ってどうする。
2001/09/29


■ 勤務地移動
明日から管内移動で川口へ。といっても自宅とは指呼の距離。来年3月までのピンチヒッターという訳だ。同僚のひとりは遠く金沢に旅立った。午後からの会議は白熱したものの、おおよその内容は既に把握していた。したがって午睡時間を貪ることになる。緊張感のないことだ。
先週末に絵画コンクールと写真の審査員を勤めたのだが、その展示会の準備を、明日行わねばならない。全スタッフ、ねじり鉢巻きで支度にかかる。日曜日の開催だが、何人が来訪するのだろうか。応募数は年々衰退の一途。写真に至っては子供の数が圧倒的に多い。いつもながら微笑ましい写真ばかりだ。絵画に至っては、こちらで佳作入賞とした作品が、全国展開という段になり、ついには文部大臣賞に該当したことがあった。いかに我々の目が杜撰であったかという証明。(笑)今でも語り草のお話。

月末から月始めにかけて、ちょっと忙しい。今週末はおとなしくしていよう。10月初旬の連休の計画を立てなくてはならないなあ。 「ホエーブス625」が火だるま事件を起こした。メーカーに問い合わせて対処を依頼した。初期不良品ということで新品と交換ということになる。なにせガソリンが燃料だから恐ろしい。使い始めて2年経過しているのだが、メーカーの良心ということになるのだろう。製造責任という問題もあり、出るところに出られたら困るという判断もあるのだろう。明日、早速着払いで送ることにした。遅くとも来月6日には新しい品が届くということだ。
2001/09/27


■ 深まる秋に
とうとう秋が来たようだ。
道具のメンテナンスはすべて木蓮がやってくれた。私も手伝うつもりでいたのになぁ。丁寧な手仕事を厭わずにする類い稀な資質は父親譲りらしい。キャンプと山の道具が重なっているから支度が大変なのだと言う。いやごもっとも。
キャンプでは「ポトフ」に挑戦した。何のことはない「西洋おでん」なのだと言う。翌日は焼き鳥BBQと卵スープという至極簡単なもの。それでも外で食べる食事はおいしいものだった。キャンプはいいなあ。帰宅すると、娘や知人から誕生日のメッセージが届いていた。ありがたいことだ。
2001/09/25


■ 一句出来
上弦の月が湖畔の山陰に姿を消した。同時に、幾千幾万の夥しい星々たちが漆黒の空にひそやかに光を放ち始めた。 湖畔に吹きわたる冷たい秋の風に身を震わせながら、目を凝らし夜空を眺める僕がいた。人は、如何なる星の下に、それぞれの生を刻むというのだろうか。
一句詠む。
「富士山に背中(せな)を押されて竜ヶ岳」
2001/09/24


■ 墓参りキャンプへ
蕭々と雨が降り続いた一日。明日は快晴との予報が出た。こうなれば行くしかない。木蓮が丹念に準備を整えていた。整然と並んだキャンプ道具が出番を待っている。明日、早朝に起きて東名高速に乗り、静岡に行く。おふくろの墓参りを済ませてから本栖湖湖畔でキャンプを張る。のんびり釣り糸を垂れ、午睡を楽しみ、料理に凝ってみようと思う。ちょっとこむずかしい本なども抱えて、のんびり過ごしたい。翌日は、近郊の山に遊んで温泉などにも浸かりたい。
2001/09/21


■ ぐったりした
連日のテロ報道を見るたびに「不安」が増幅されてぐったりしてしまった。本来なら週末からの3連休の支度に余念のないことだが、まったく心が動かない。 仕事も忙しかった。outdoorルームには(大袈裟なことだが/笑)道具がズラリ並んでいる。こういう時は無理矢理にでも出かけて山に遊ぶのがいいのだろう。 金曜日になればいやでも蠢動するかもしれないと期待しよう。今日から彼岸の入りとなった。恒例の墓参に行かなくてはならない。うーん、腰が重いなあ。

「青島原人の娘」から掲示板に書き込みがあった。娘からのメールはなにやら面妖な感じがします。痩せることなんかないさ。まるまる太った娘でいっこうに構わないよ。

従兄弟から中学のこどもの「登校拒否児童」の件で相談メールが届く。何通かの往来をしたのだが、親自身の神経が相当に参っているようすだ。子供より先に滅入ってしまっているのでは勝負にならない。「登校したくない病気」にかかっている子供に「学校」に行けという治療が、そもそも無理なことだ。原因はコンプレックスにあることは明白。そのコンプレックスの対象が「できすぎた妹」にあることも判っているようだ。自信を持たせることが一番の解決策なのだが。親の愛情を求める信号を見落としたことが原因だ。親子といえども、そういうことはあるだろう。「学校なんかいかなくていい」と構える余裕があればいいのだが。「妹抜き」で一緒に過ごす時間をたくさん作ってやればいいのだ。キャンプなんか最高なんだけどなあ。

親が、そもそも遊びを知らないから始末に困る。世間体を気にするあまり「登校拒否」を隠そうと画策するからおかしくなる。鋭敏な子供の感受性はごまかせないのになあ。私にも「登校拒否の時代」があった。学校に行くとみせかけて、ひがな一日海辺で遊び、林の下で寝転んで意味不明の文字が並ぶ文庫本に読みふけった。午睡をして目覚めたら、すでにとっぷりと日暮れていた。そういう日を幾日も過ごした。思春期の盛りであった。おかげで出席日数が不足し、あやうく落第しかけたこともあったのだ。追試を受けて無罪放免にして貰った。むろん、親はそういうことをしているとは露知らない。先生も「告げ口」したりはしなかった。ある日、先生から電話があり、「そろそろ出てきてもいいよ」と言うので、翌日から再び「登校」した。そのこどもなりの成長をしていることを信じて待つしかないのだ。
2001/09/20


■ 誕生日のお祝が届く
木蓮の母親から誕生日のお祝が届いていた。決して端正な字ではないのだが「ふたりでおいしいものでも食べて下さい」とあった。私の誕生日を気にしての配慮だ。ちなみに木蓮は8月30日、私は9月22日だ。私の好物を選んでくれて箱詰め。「娘を大事にしてください」という気持ちが伝わってくる。母親はいつまでも母親なのだ。こどもにとっての母親は何人にも替えがたい至上の存在である。その点、父親なんてのは実につまらないものだと、内心、忸怩たるものがる。(笑)親の威厳などというものは無用だ。そういうものはいらない。息子は既に私を超えてくれているだろうか。(まだダメか?笑)娘は情感溢れる優しい娘に育ってくれているだろうか。(単身渡米するほど度胸のある、お前は心配ないなあ)全ては母親の為にあれかしと願うばかりだ。頼むぜ、息子!頼んだよ娘!お母さんを大事にしてあげてください!
ニューヨーク市況、予想通りの下げになっている。売り一辺倒ではアメリカのプライドが失墜するという判断もあるだろう。どういう進展を見せるか、目が離せない。テロの影響は人命だけではないのだ。
2001/09/17


■ 娘との会話
ハイジャックされた飛行機の乗客は西海岸に住んでいる人が多かったらしい。その影響がいろんな形で出ているようだ。 娘のクラスメートの親が、その飛行機に乗っていた。昨日、その葬儀に出席したとのことだ。もちろん、遺体は見つかっていない。 学校の授業にも影響があり、休講、閉鎖という事態になっているとのこと。予定されていた試験もなくなって、先の見込みが立たないとのこと。 町行く車には星条旗が掲げられ、国を揚げて「戦争」に臨む態勢がちゃくちゃくとできつつあるよう。それを見て「娘」は怖いと言っていた。 平和を願う大きな宗教イベントが企画されていたのだが(キリスト、仏教その他)、それも中止になったとか。(何が起きるか判らないという警察の指導に従って)ターバンを巻いたクラスメートは恐ろしくて学校に出て来れないので困っているらしい。
遠く離れた西海岸で、このような動きをしていることを考え合わせてみても、今回のテロ事件の衝撃の大きさが判る。まさに非常事態ということですね。それにしても大統領の周辺には優秀な人材がキラ星のごとく揃っていることを感じさせられる。コメントひとつとってみても、緻密な計算と展望が垣間見える。いろんなプロジェクトが、単一の目的に向かって迅速果敢に動いていることを感じる。なんという国なんだろう、アメリカってのは。

ジャスコで山道具を揃えた。モリタ「アルミコッヘル」とトランギア「アルミ箱」。木蓮の誕生祝いに「綿のシャツ」。雑誌「山と渓谷10月号」。 キャンプ支度を開始した。昨年8月以来の道具をズラリ部屋に広げた。小なりといえどもオートキャンプ仕様の道具だなあ。まだ行く先が決まっていないのだが、さてどうしたものかいな。
2001/09/16


■ 敬老の日
カレンダーの口絵は中央アルプス「宝剣岳」の秋模様。日に日に秋が深まっていく。朝から洗濯機が全開。1000頃にようやく陽が射し始めた。ベランダに並ぶ布団、物干竿にいっぱいの洗濯物。夜鷹をしてしまったので目覚めが遅かった。
抜糸から9日目を迎えた。あと10日もすれば全快だ。22日〜24日までキャンプに行く計画を、どうしても今日中に立案しなくてはならない。図書館にも行かなくてはならないし、車もそろそろ洗ってやらなくては、あっ靴も磨けとの木蓮からの御指示だ。生活ってのは、ようするにこういうものなのだと思う。劇的な変化ではなく小さな変化の積み重ねに意味がある。だから一日一日を大事に過ごさねばならない。ふりかえって、あの時に分水嶺を越えたんだなあと思うことになる。それがいつだったのか、明確にわけることはできないのだが、確実に「その時」はあったことを人は知る。今日は敬老の日。老人が疎まれる日の間違いではないだろうか。50〜60才代の自殺者が30000人を超える日本の現実。しかも未遂者はこの数字には含まれていない。 昨日から尾瀬の記録を書き始めた。モノローグではなく事実を書き込むことが大事。
2001/09/15


■ 祈りの日
米国は祈りのミサを捧げる式を執り行っていた。行方不明者数千人、発見される遺体は形を留めていないという。DNA鑑定という手段を取るにせよ、確定されるまでに相当の日数が必要だ。それを待つ遺族の悲しみはいかばかりだろう。娘が、あの状況下にいたら私は発狂するほどの悲しみに打たれて、立ち直ることができない。事実、渡米しているだけにシリアスだ。
ロサンゼルスもカリフォルニアも、東も、西も、テロの可能性はあり得るのだ。この日本にしてもテロが皆無ということはありえない時代となった。テロの撲滅は、なかなかに難しい問題だ。出口の見えない戦いをアメリカは選択しようとしている。かって経験したことのない敵の出現というのも決して誇大ではない。21世紀はテロの時代ということになるのでは。アフガニスタンを本気で攻める気らしい。カウントダウンは既に始まっているのだろう。迅速な対応と危機管理能力の発動は流石だと思う。米国は若いだけに、行動力が凄い。 心にトラウマを持たされたイスラム原理主義の若者は、進んで死地に赴く。それを防ぐ手段は残念ながら見当たらない。多くの血が流されることになるのだろうか。
2001/09/14


■ 摩天楼の惨劇
いつの時代でも「襲う」方が強い。テロリズムは「一人一殺」と学んだ。人間が空から墜ちてくる地獄絵図。崩壊瓦解してゆくビルの姿。昨夜から悪夢の映像が何度も何度も放映されて「暗澹」としてしまった。何ら罪のない無辜の民を盾にして、アメリカの象徴「貿易センター」に飛び込むという「悪魔の発想」はどこから来るのだろうか。行きて帰らぬ必殺の作戦を計画、指示した狂気人間は「笑っている」。イスラムの一部の民は「拍手喝采!」をしているという。基底にあるのは「憎悪」と理解した。
朝、西海岸ロサンゼルス郊外に住む娘に電話をかけた。回線が混んでなかなか繋がらなかった。ようやく繋がり、安否を確認し、会社に向かった。現場の阿鼻叫喚の図を思い、胸が塞がった。
どうしようもない虚しさを覚えた一日だった。今日ばかりはノー天気に「山」を語る気分ではない。
2001/09/12


■ 関東直撃の気配
激しい雨が窓を叩き始めた。TVでは御前崎海岸の荒れ狂う様を中継している。既にあちこちで被害が発生して死亡者が出ているようだ。今夜から明日未明まで不安な夜を過ごしている人がおおいだろう。東にそれると思っていた台風が高気圧に阻まれて上陸することになった。秋型ではなく夏型だという。エアコン除湿機能を作動させ布団を被って眠ることにした。湿度100%ではたまらない。
宮崎で暮らしていた時、幾度となく台風の襲来を受けた。前日から戸の打ち付け作業に入った。必ずといっていいほど雨漏りがし、そうして停電したことだった。安普請の家ばかりだった。川が決壊することは日常茶飯事で、溢れる水の中をかき分けて歩いていたことを覚えている。川が決壊すると、もう大変なことになる。床下浸水のあと始末は想像を越える。ランプは常設品で、そのホヤを磨くのは私の仕事だった。太いロウソクも必需品だった。
2001/09/11


■ 台風来る!
抜糸をしたからといって全快という訳にはいかない。9月25日までは安静にしていなくてはならないのが辛い。昨日、娘に国際電話をした。やはり治安が相当悪いようで、夜の外出はしないようにしているそうだ。日本も安全な国ではなくなってきている。中国自動車道での中学生死亡事件の犯人が捕まった。兵庫県香住町中学校の教師であるという。香住町は行ったことがある。海を臨む静かな田舎だ。あそこには日本一高い鉄橋がある。34才という年令からすると独身なのか?被害者の年令は12才!12才といえば、中学一年生ではないか。あまりのことに愕然としてしまった。「仰げば尊し我が師の恩、、」もはや死語となってしまった感がある。
9月下旬には墓参を兼ねてキャンプに行くことになっている。ぼちぼち計画を立てなくてはならないなあ。ようやく「妙高と火打山」の記録を掲示することができた。これで漸く山旅を終えることができた。実に楽しい旅だった。
2001/09/09


■ 若い看護婦三人総掛かり(笑)
10:00、大宮の病院に赴き、おもむろにベッドに横たわった。若い?看護婦三人総掛かりで私の抜糸に立ち向かう。私は瞑目して堪えるしかない。こうなればまな板の鯉。まさか命までくれ!とは言わないだろう。チクリ!「痛い」と情けない声をあげる。チクリ、、ジクリ! 小さな痛みには昔から、からきし弱いのだ。おそらくピンセットで抜糸をやっているのだろうが、摩擦熱が発生しないような、心のこもった抜き方は願うべくもない。ごくごく機械的に作業を続けるだけである。ドットと大量の汗が滲み出はじめた。「痛いよー」と情けない声を何度あげたことだろう。時間にして、おそらく5分もかからなかったはずだが、いつになったら終わるのだろうかと不安、恐怖におののいたことだった。おふくろ生きてあれば「バカ者!」と叱責されたことだろう。ああ、情けない。夕食は「華屋与衛兵」で「牛鍋定食」。久しぶりに浴槽に身体を浮かべて念入りに洗った。なんだか眠たくなったので2時間ほど寝入ってしまった。しかも「鼾」をかいていたそうだ。相当疲れていたのだろう。
2001/09/07


■ 抜糸と免許証更新手続き
明日、午前中に抜糸。午後から鴻巣運転センターまで免許の更新に行くことにした。埼玉に来て2度めの更新手続きとなる。
妙高と火打山山行記録を脱稿した。おそくとも日曜日には掲示できるように準備を進める。書き下し状態でMLに掲示したが、細かなところがまだまだ書き込めていないようだ。更に推敲を重ねていこうと思う。尾瀬キャンプの記録も着手しようと思う。概略はすでにスケッチしてある。夏休みの宿題はまだ完成していない。先生に怒られるのは嫌だなあ(笑)
2001/09/06


■ 雲高く
雲が高いところにぽっかり浮かんでいた。
傷の痛みは日に日に緩解していく。毎日、シャワーを浴びて包帯を交換している。明後日はいよいよ抜糸だ。 抜糸の時の痛みが心配だ。大きな痛みには何とか耐えられるが、小さな痛みはお手上げだ。 週末に山に向かおうと誘いをかけたが「大事を取ってください」と諭された。(笑)ごもっともなことだ。

一昨日から昭和14年当時の山行記録「風雪のビバーク」を読み進める。 しっかりした古典を精読する作業が必要だと思う。並行してキャンプも楽しみたいものだ。 いわゆるにぎやかなオートキャンプには食指が動かない。BBQとかDOなどという大仰な道具立ては私たちには無縁のものだ。
ベースキャンプを張って、少しばかりの山に登り、 温泉に浸かり、秋に抱かれて眠る時間いい。 むろん、料理は丁寧に企画して挑戦してみようと思う。 DuoCampへの参加人数が増えたことは嬉しいことだ。
2001/09/05


■ 快調
回復の兆し、顕著!絶好の行楽日和。蟄居閉門状態にあった1週間だった。明日からはマトモに仕事ができる。
NHK特集で緊急討論会「失業率5%」をテーマに1時間半。ファックス、メールで寄せられた庶民の声は「不安」ばかりだった。庶民はバカではない。迫り来る時代を敏感に感じ取っている。雇用不安を前にお金を使う感覚はないだろう。モノを作らなくなった日本に未来はあるのだろうか。 官も民も力をなくしているように思える。外務省、神奈川県警、、、おそらくは他省でも同じような図式になっているはずだ。 官を見習うのが民というものではないか。田沼意次を皮肉った川柳「大名の子はにぎにぎをよく覚え」贈賄は尽きることがない。

「マッチ擦るつかの間の海に霧深しいのち捨つるほどの祖国はありや」と歌った詩人の魂が偲ばれる。
20代、30代が冒険をしなくなり、保身に終始する時代になった。覇気溢れる人材が出にくい閉塞した時代になった。為政者の責任を問う前に、企業、個人の責任をまず問わねばならない。何の為に学んだ!誰の為に学んだ。新宿歌舞伎町で不幸にして亡くなった44人。その氏名すら明らかにされない事態はおかしいではないか。歌舞伎町がどんな町か、誰でも知っていることだ。消防庁の対応も「笑止」である。査察した時に「指導した」と言い逃ればかりに終始。これまた「官」の発想ではないか。
2001/09/02


■ ようやく包帯交換
午後6時からシャワータイム!8日間包帯を巻いたままの生活を過ごした。シャワーすら浴びることができなかったので随分と辛かった。 マニュアルに従ってシャワーで包帯を濡らし取りやすくした。頭から爪先まで綺麗に洗ってすっきり。それから包帯をおそるおそる取って、消毒、軟膏塗り、新しい包帯を巻いて完了。抜糸は7日の予定、あとしばらくの辛抱だ。ふうー。それにしても傷跡が痛々しい。
秋の空が広がっていた。夕方近くの骨董屋に出向き、椅子をひとつ調達してきた。3500円の木製品。今まで使っていた椅子が、金属疲労で壊れてしまった。木蓮の花嫁道具のひとつ。かれこれ15年ほど使ったらしい。ついでに赤いホーローポットを300円でゲット。これはオートキャンプの時に重宝するはずだ。あちこち少し色が禿げているところが御愛嬌。さっそく洗って煮沸消毒を行った。こうなりゃ新品と一緒だ。 「タイタニック」後半の、始まり始まり。
2001/09/01


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