山ダイアリー
 2001年12月 


■大晦日
昨日の登山の余韻が覚めやらない。足が、腰が、全身が痛みに打ち震える。一挙一足の動きがロボットのようにぎこちない動きをする。骨が、筋肉が軋む音がする。やあ痛いの痛くないの、、、。2001年さようなら。いろんなことがあった。心傷めることがいっぱいあった。昨日の登山は、富士山麓に眠るお袋の安寧と遠く離れて暮らす子供たちの至福を祈ってのことだった。いろんな迷惑をかけたことの贖罪の気持ちを込め、一歩一歩登り祈ってきた。現世において為さねばならないことも、まだ少しは残っているようだ。相模湾一望、江の島が、式根島が、遠く伊豆半島までもが視界に入った。来年も元気に、大いに登り、大いに歩き、そうして大いに読む年にしたいものだ。 正月3日は、恒例の「鎌倉逍遥」で幕をあける。oracionとは「祈り」の意。生きてあるかぎりは「祈らねばならない」人達がいるのである。
2001/12/31


■2001最後の山はハードな縦走で幕
05:00起床、05:30出発。蕨駅06:01乗車06:46新宿小田急にて秦野へ。ヤビツ峠行き08:18バス乗車。08:55より登山開始。塔の岳山頂到着1335。天候快晴、風強し!気温マイナス1度。小屋で珈琲を飲み、雪を戴いた富士山に合掌して直ちに下山開始。16:50下山完了。電電の接続がうまく行き、帰宅は1930であった。 かくして今年最後の山は「丹沢表尾根」で幕。休息時間を入れないで、幾つものピークを登り下り、連続7時間は歩いた。これをトレーニングデータに換算するとフルマラソン42Kmに相当する。お風呂に入って食事を済ませて、早々に布団にこもった。爆睡。
2001/12/30


■クリスマス・ローズ
普段お世話になっている木蓮の希望を叶えるために「荻窪」まで車を飛ばした。願いは「クリスマスローズ(ヘレボラス・ステルニー)」という花。 原産地は地中海「マジョルカ島」だという。マジョルカ島、、ふむふむ、「魔女留家」ねえ〜。
明日は今年最後の山に向かう。木蓮はひがな一日を花壇でお過ごしになるとのことだ。どうぞ心ゆくまでお過ごし下さい。不肖のバカ旦那は山で生命の洗濯をしてきます。05:00起きだ。蕨駅から電電で新宿まで。そこから小田急で一気。電電はガラガラだろうなあ。今日も早く寝ようっと。 明日は、今年最後の山。すべての準備を終えた。おにぎり三個もザックに入れた。早朝5時に起床し、蕨まで車で出、そこから新宿まで埼京線。小田急で秦野まで、おおよそ65分。駅前からヤビツ峠までローカルバス。休憩なしで6時間半あまりの縦走を行う。晴れていれば、真っ白な雪を被った富士山を眼前に見ることができるだろう。この一年のさまざまな出来事を反芻しながら黙々と歩いてこよう。
2001/12/29


■6150歩
仕事ようやく完了。今日は、さすがに歩数が伸びたなあ。仕事再開は4日から。その準備のお酒を買い忘れた。金拍入りの日本酒を一本買わねばならない。といいつつ忘れてしまいそうなので、ここに書付けておくことにした。ぐったり疲れて21:00には布団に入って寝てしまった。ごくろうさんでした。
2001/12/28


■2765歩
あらあら不思議、歩く距離が段々減ってきた。16:00、会議終了。その足で散髪に赴いてさっぱりしてきた。 暮れなずむ街角、行き交う人々の面差、師走の冷たい風が首筋を撫でて行った。あと1日だ。 お正月は久しぶりに鎌倉を歩いてみようということになった。湘南海岸から稲村ケ崎海岸まで海辺を逍遥する。切通しを経て源氏山に至る、通称「鎌倉アルプス」ルートである。コンビニで「煮込みうどん&おにぎり」を求めて、潮風に吹かれて珈琲を立てて飲む。雪を被った富士山を仰ぐことができれば最高。大勢の参拝で賑わう鎌倉八幡宮は遠慮して、北鎌倉駅まで歩くことにしよう、、、。古刹「建長寺」境内の清澄な空気に触れるのもいい。来年は「歩き」の中に鎌倉歴史の旅を取り入れることにした。来年の計画の全貌をようやくまとまることができた。プリントして手帖に挟み、自宅の壁にも貼ることにする。常にポジティブに生きていくこと、只今、臨終!の覚悟で生きていくこと。
2001/12/27


■3001歩
昨日、今日といつになく歩数が少ないのはデスクにかじり付いて会議資料などを作っていたからだ。明日の会議をもって実質の仕事納めとなる。わーいわーいである。(いい歳をしたおっさんの使う言葉ではないなあ)急遽、バトンを受け持った仕事も来年1月4日で完了。代行職これにて無罪放免、処払いである。やれやれの12月であったなあ。やるだけのことはやったよ。後のことは知らんかんね〜。今日以降は登山計画書の策定にかかる。この2ヶ月間の基礎トレーニングの成果を試して1年を終わりとしたい。 雑誌「山と渓谷」2001年2月号〜7月号までのバックナンバーを求める。
2001/12/26


■小さなケーキ
ヤッケのポケットにお札(1000円)を2枚入れて歩き出した。今日は1単位を消化。帰る道すがら、近くのセブンイレブンで「小さなチーズケーキ」を求めてきた。美味しい珈琲と一緒に、むろん私は「ほんの少しだけ」という制限付き。27日までは基礎トレ休みなしでいく。28日は完全休養日にあてる。プログラムでは「月と金」は休養日になっているのだが、どうもリズムが合わなくてチグハグになっていた。今週は、ちょっと無理をしなくてはいけない。まあ、そういうこともあっていいだろう。やはり師走の忙しさが影響していたのだろう。その師走も、あと数日で終わる。

来年の企画も、そろそろ最終段階に入った。第一優先順位は、いうまでもなく「健康管理」。ついでマ「Family」マ「読書」マ「仕事」マ「山」マ「アウトドア」の順番となる。その中でも圧倒的に課題が多いのは「山」と「読書」ということになるだろう。さまざまな課題が山積している。1年という単位で片付けることのできないものもある。生涯をかけた課題もある。「只今、臨終!」の覚悟で頑張りたい。

1989年初版の「ザ・ウォーキング・ブック」を探索したが、すでに絶版になっていた。「歩く」ことに関する「哲学的」考察が書き込んであって実におもしろい。コリンフレッチャー・芦澤洋一訳「遊歩大全」といい、アウトドア黎明期の書籍が絶版になっているのは寂しいことだ。かろうじて「図書館」にあるのが救い。こういう書籍は「精読」しなくてはいけない。所有するのではなく「精読」し「栄養」にしなければならない本だ。「遊歩大全」は3ヶ月という時間をかけて耽読した。アウトドアを目指す人にとっては「バイブル」と称される古典的名著だった。八方手を尽くして探索したが入手不可能だった。古本屋を覗く度に探してみるのだが、、。
2001/12/25


■クリスマス気分で
午後4時から走り込み開始。始めた頃は、いきなり「歩いて走ったり」していたのだが、最近は、きちんとウォーミングアップを行いクールダウンもするようになった。更に研究して正しいエクササイズができるようになればいい。ストレッチもお風呂で入念に行う。原人も少しは進歩したのである。あはは。 Walking関連についてHPを調べてみたところ、あるある、わんさかあるのである。「健康ウォーキング」に会員登録を行った。「歩く」ことに関する情報が手に入る。自動的に距離の計算を行って「街道走破」記録を掲示してくれるシステムになっている。
2001/12/24


■夕焼け空
木蓮に背中を押されて賀状を認めた。毛筆で一枚一枚書く。悪筆なりに味わいがあるはずだ。笑。

午後3時から走り込み開始。18日から22日まで慌ただしい日々を送っていた。ストレッチ、筋トレは仕事の合間を見てやっていた。大腿四頭筋は相当に鍛え上げた。依然として脚の筋が硬い。こればかりは時間がかかりそうだ。 15:00、ストレッチを丹念に行い、1.5Kmほどゆっくり歩いて膝を暖めた。いきなり走って膝を痛めたのではしゃれにならない。今日はコースを変えて距離を伸ばしてみた。ジョギングに移り始めたら、後方から来た「おっさん」にあっさりと抜かれてしまった。額に汗をびっしょり浮かべて迫力もんであった。あんなに汗をかくほど俺は走っていないなあ、、これでいいのかなあ、、などと我が身を振り返り反省してしまった。その後を追い掛けて走り始めた。なんとかついていけそうだったので、そのペースを守って走ってみた。いつもはアラン・シリトー「長距離ランナーの孤独」的スタイルなので、身体と意識が刺激を受けたのかもしれない。遠回りのコースは、いつもよりプラス3Km。合計6Kmも走ったことになる。やったね!この調子で行くと3月までに10Kmを完走することも夢ではない。やっぱり運動は気持ちいいや。夕方近くになって「お腹が空いた」状態になった。運動負荷により血糖値が下がってきたのだ。この状態になることがポイントなのだ。

明日はクリスマスイヴということになっている。キリスト教徒でない身には何の意味も持たない日なのだが、この日ばかりは清冽な賛美歌が街のあちこちに流れ、美しいイルミネーションが情緒たっぷりに点滅する。家族総出で、お祝品などをプレゼントしあう光景が出現する。はなはだ面妖なことではないか。 むろん、敬虔なクリスチャンは教会に行って静謐の時間を刻む。クリスチャンにとってクリスマスは真摯な「祈りの日」なのだ。作家「三浦綾子」の著作に影響を受けた若い頃、教会に足を向けたことが一度だけあった。あの静かな佇まいには人を内省的にさせる力があると確かに感じたことだった。

そもそもいつごろからこういう習慣が日本に根付いたのか。その紀元を遡れば「敗戦」以降に進駐軍が日本に常駐した50年前のこと。アメリカの物量の前に苦もなく「万歳!」してしまった。半世紀をかけてアメリカ文化に席巻され、意識までもが侵食されてしまった。「歪み」といえるだろう。いまさら文化として根付いたモノに竿をさしても仕方のないことだ。私も明日ばかりは「小さなケーキ」を求めて来ようではないか。食事療法を課された私には「禁断の食べ物」ということになるのだが。ショートケーキ一個が400カロリーもあるなんて知らなかったよ。笑。
2001/12/23


■冬至
図書館に行き「20册」選びだす作業に1時間。お正月だから3週間借りることができる。私はWalkingに関する本を1册だけ。残りはすべて木蓮様御用達にした。 浅田次郎著「壬生義士伝」を探したが無かった。近在の花卉園に行く。最近、木蓮は「ベランダ園芸」に御執心で、おそるべき集中力で「園芸」に造詣を深めつつある。寝ても覚めても「園芸」である。同じく寝ても覚めても「山」の私と好対照。

来年の計画の全貌が姿を現しつつある。細かなところを書き込んでいるのだが、あまり欲張ってもしかたがない。本当にやりたいことだけをリストアップしなくてはいけない。国家予算80兆円には遥かに及ばないものの、限られた時間と予算をどう使うかを考える作業はなかなか楽しいものだ。むろん財務大臣の決済印なくしては一歩も進まないのだが。どうネゴシエートするかが腕の見せどころだ。

夕方からお迎えの車で「クリスマスパーティ」に参加。取り引き会社の社長が道楽でやっているスナックのイベント。むろん、経費10000円は会社持ち。08:00〜22:00まで楽しい時間を過ごした。カラオケ2曲。「アメリカ橋」「男の女の欠片」が私の十八番だ。食事療法も今日ばかりは撤廃であった。
2001/12/22


■Walker
万歩計3955歩。机の前に座ってばかりいたので「少なかった」。昼食をとりながら「来年の計画策定」に余念がなかった。INDEX概要はほぼ決まった。いつもながら変わり映えしないが、ただひとつだけ違った項目が付け加えられた。「Walk365」だ。INDEXの後は具体的なコンテンツ作成に着手する。いつ、どのようにして、どうするかを詰める作業だ。今までの失敗を踏まえて緻密にプログラムを書き込んでいく。むろん達成可能でなくては意味がない。予算も必要十分に確保しなくてはならない。不測の事態のないことを切に祈りたい。ことしは不測の事態が多すぎた。参ったなあ。ボロワーゲンに総額550000円もかかったし、手術もした。(何と、ん十万円もかかったのだ。馬鹿らしいかぎり)年末調整金でいくばくかのお金が戻ってきた。ボーナスから10000円。調整金から20000円の臨時小遣いをせびったことだった。さてこの小遣いの使い道だが、それが問題だ。問題にするような額面ではないなあ。笑。

明日は休日出勤、といっても夕方からである。取り引き先接待でネオンの巷に赴かなくてはならぬ。酒池肉林ならまだしも「野郎」ばかりの酒宴に招待されている。昔若かったバニーガール(別名ババーガールとも言うらしい)が傍に侍る可能性もあるなあ。むろん私としては避けたい状況ではないか。青森で役人さんが14億貢いだ事件が報道されていた。なかなかやるもんだ。14億も貢がせた女であればさぞかし絶世、傾国の美女ならんと期待したのだが、脂粉漂う悩殺バディ脳タリーンの容貌であったのには二度驚いた。可哀想に、44歳の独身男が狂ったのである。私も人のことは言えないけど、、、。いやおおいに違うぞ。私は無一文、素寒貧で家を出てきたのである。その無一文、素寒貧中年男を拾って4年にわたって食べさせてくれたのが木蓮であった。
2001/12/21


■続・忙しい
残りの暦を数えつつ来年の企画も考え始めた。一年の計は元旦にありというけれど、そう簡単にはできあがらないのだ。まず今年の検証を正確に行わねばならない。やり残したことへの反省なくして、どうして来年の計画が立てられようか。それから箇条書きにスケッチをする。最初は「建て前」ばかりが並ぶことになる。そこからふるいにかけて、精緻に可能な目標設定という段取りになる。本当にやりたいことだけが残ることになる。我が家にはプリンターがないので、FDに落して会社のモノを流用させて貰う。来年の目標は、鋭意研究作業中。元旦には発表できるだろう。(その時、家に居ればのはなしだ。)
2001/12/20


■忙しい
ただただ忙しい一日であった。今日は5353歩だけで終わった。帰宅して食事を済ませた後、つい炬燵で寝入ってしまった。何と気持ちのいい時間だったことだろう。週末は山に向かいたい。しっかり支度しておかなくちゃ。日溜まりのんびり登山がいいな。頂上で珈琲なんぞを立てて、ゆったりとした時間を過ごしたいな。あれやこれやの一連の騒動でなんだか疲れた。山に求めるものは「癒し」なのだと思う。しゃかりきになって頂上を目指さなくてもいいのだ。つい頑張って頂上を目指してしまうのはいけないことだ。のんびり歩ければそれでいいよ。 お正月、浅田次郎著「壬生義士伝」を放映するという。原作をそれまでに読んでおきたいものだが(そんな時間があるかなあ、、ちょっと無理か) 私の暦は今日からカウントダウンに入った。28日まで気が抜けない日々だ。後は「俺しらんかんね〜。」でいこうっと。
2001/12/19


■行く年来る年
来年の手帳の中身を、ようやく差し換えた。「超整理手帳」を昨年から使い始めたのだが、いままでの手帖の概念を覆す優れもの。これが抜群に使いやすいのだ。 会社の予定表、資料のほとんどはA4サイズのまま格納できる。メモの補充も容易だ。必要なモノを必要なだけ。案件の処理が済めばそのまま引き出し入れればいいという安直さがまたいい。真っ白な紙面を広げて来年の企画を考える作業に入った。 来年の今頃はどうなっているだろうか。先の見えない時代ではあるけれど、一日一日をしっかり過ごして行きたいと思う今日この頃。
2001/12/18


■それぞれの選択
肩たたきに合った同僚は退社する意向を固めたようだ。彼には養護学校に通う児童が居り、今回の「肩たたき」に応じない場合の「転勤」が懸念されるとして苦渋に満ちた決断をしたのだ。総合職である以上、転勤辞令は受けなくてはならない。希望など聞いてくれる保証はどこにもない。障害を持つ子供さんと共に暮らすことを選択をしたのだ。一時金でマンションの負債は消えると笑っていた。夫婦共稼ぎで頑張るという言葉に胸が詰まった。辛い選択をした同僚に「ごくろうさまでした」と思わず頭を下げた私であった。同じ立場であったなら、私もまた同じ決断をしただろう。それが「おとうちゃん、おかあちゃん」の責任というものだ。
2001/12/17


■日溜まり
暖かいベランダに靴を並べ、小さな椅子に座って靴磨きを始めた。まずクリーナーをたっぷり使って汚れを落とす。ひとつひとつを手に取って眺めて見る。あちこち傷んで可哀想だ。5.6年も履いた靴はさすがにもうお蔵入りにしてやろうか。しっかり者の木蓮が言う「雨の日用に取っておいて」と。靴底も交換しなくてはいけないだろう。大事に扱えばまだ履けるということだ。次にクリームを塗る作業に移る。少量を伸ばすだけでいい。それから拭き取り作業に移る。全て終わるまでに1時間ほどかかる。日常生活の道具を大切に扱うことの意味を木蓮は私に教えてくれているのだろう。感謝しなくてはいけない。

野々村 馨著「永平寺修行記」新潮文庫より抜粋------------------------

僕にはまた、知庫寮へ送り届けられた雑巾の中で、今でも決して忘れることのできない雑巾がある。
その日、僕はいくつかの荷物が知庫寮宛に届いているという連絡を受け、背負子を担いで通信部へ取りに行った。するとその中に、やつれた紐を丁寧に掛けたみすぼらしい荷物が一つあった。僕は、それらの荷物をまとめて背負子に担ぎ当番所に持ち帰ると、まずそのみすぼらしい荷物から解きにかかった。
いつもだと、紐などハサミでバッサリと切り、そのままゴミ箱へ捨ててしまうのだが、その紐を手にし、いざハサミを入れようとした時、一瞬躊躇した。よく見ると、紐は古い浴衣を裂いて作ってあった。しかも、ちょうど手でもつあたりには別の布が巻き付けてあり、荷物を持ち運ぶ者の手に紐が食い込まないよう計らってあったのだ。
結局、僕はハサミを置き、堅く結ばれた結び目を苦心して解き、ようやく箱を開けた。
その瞬間、僕は箱の中を覗き込んだまま唖然とした。中には古いネルの寝間着や浴衣、手拭いといった、色も褪せ擦り切れた端切れを太い木綿糸で縫い合わせて作った雑巾が詰まっていた。
それまで、僕は雑巾の荷物をいくつも開けてきたが、どれも真新しい綿やタオルなどでできた雑巾だっただけに、まずその布の古さに驚いた。しかし古いとはいえ決して不潔ではなく、みんなきれいに洗い込まれているため、むしろ石鹸のにおいのする気持ちいい清潔さを感じた。 僕はこの雑巾を手にし、自分がここまで物を長く大切に使い込んだことがかってあったのだろうかと思った。物を次から次へと捨てながら生きていく生活を、ごく平然と繰り返していた僕は、この雑巾を目にした時、突然顔面に冷たい水をぶちまけられたような思いがした。

そして、雑巾の中には一通の手紙が入っていた。封筒の表にはボールペンで大きく「雲水様」とだけ書いてある。僕は丁寧に封をされた封筒を開け、便箋を取り出した。便箋にはまたボールペンで、しかも普通の大人が書くには大きすぎるほどの字で、一文字一文字、丹念に書き込まれていた。

「八月もなかばになり、近くの山で鳴くヒグラシの声もだんだんと小さくなってきました。永平寺の雲水さんは、今日もきびしい修行をなさっていることでしょう。おつとめごくろうさまです。わたしたちの老人ホームでも、毎朝50人が仏間に集まって、おつとめをしています。永平寺さんのことは、ホームのお世話をしてくださいますお寺の住職さんから、いつも聞いております。一度もお参りに伺ったことはありませんが、何か近くに感じています。
この雑巾は、ホームにいますわたしたちが、一生懸命縫ったものです。死ぬまでに一度はお参りさせていただけますようにと、念じながら縫いました。訪れる人の多い永平寺さんの掃除に使っていただければ、本当に嬉しいです。今年も冬が来ると、永平寺さんはまた寒い冬を迎えられることでしょう。修行ごくろうさまです。がんばってください」

手紙を読み終わると、自分でも判断のつかない複雑な思いが大きな溜息となって出た。そして改めて箱の中の雑巾を手に取り、しみじみと眺めた。
僕は、その色褪せた布の上にポツリポツリと並んでいる、不揃いでぶざまな縫い目に泣けた。
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私の母もたくさんの雑巾を丁寧に縫った人だった。昭和四十八年、第一次オイルショックの時に「洗剤、石鹸、トイレットペーパー」を、それこそ馬に食わせるほどに買い込んで押し入れの奥にしまった。物資の不足を、食べるものにも事欠く生活を、骨身にしみて経験してきた世代である。爪に火を灯すように生活をつつましく過ごしてきた人であった。いまさらながらの親不孝を詫びたいのだが、既に鬼籍に入っているのではどうしようもない。親孝行したいときに親はなし。 物を大事にする世代の子でありながら私もまた「物を大事に扱わない」悪しき習慣を身に付けてしまっていた。私の世代の子たちは更に「物を大事に扱わない」文化を身に付けてしまっている。親の責任というべきだろう。申し訳のないことだと心から思う。

午後から浦和に出かける。まずREGAL靴店を訪れ修理の依頼を行う。2足で15000円の見積もりだった。いま少し足せば新しい靴に手が届く値段だ。仕上げは1月20日頃だという。新しい靴を見立てた。いつもながらの定番を選びだす。
「冬山に関する書物」と雑誌「新ハイキング1月号」を求める。伊勢丹屋上レストラン「和幸」にて夕食。ささやかなボーナス気分を味わった一日だった。 年末、年始の過ごし方をそろそろ考えなくてはいけない。ひなびた温泉宿はどこもかしこも満杯だろうからキャンプということになるだろう。朝日を臨むキャンプ場ということになるだろう。 丹沢山頂でご来光というのも悪くない。来週から計画を立ててみよう。
2001/12/16


■フルコース
ジョギングから始まるフルコースを3日ぶりにやった。ジョギング(4.5km)はともかく、ストレッチと筋トレが相当に辛い。でも、これをやるとすっきりするのは不思議だなあ。腕が脚が、まるで書痙になったように小刻みにブルブル震える。腕が上がらないし、脚が丸太棒のように感じられるのは実に面白い。お風呂が実に気持ちいい。

今週はリストラ騒動に翻弄されてしまった。その最中であってもリズムを崩さないのが本来の在り方なのだろう。まだまだ修行が足りないようだ。いつものように牛乳160ccと林檎1/2が御褒美だ。 山と渓谷2002.01号発売日。
2001/12/15


■明日の事を思い煩うなかれ
就職支援会社に赴き、カウンセラーと1時間半ほど面談してきた。レマルク流に言うなら「就職戦線異常あり!」モチベーションを維持できるかどうかが鍵だと言う。挑戦することに疲弊して「ボロボロになる」のが一番怖いという。午後3時に帰宅して6時近くまで、様々な角度から木蓮と徹底的に意見を述べあった。最終的結論は「留まる」ということになった。即座に関連書類を破棄してゴミ箱に捨てた。この問題はこれで終わり。分水嶺を遂に越えたのだ。

そうそう、神保町の書店でヘンリー・ソロ「森の生活」を求めてきた。過去、幾度となく手に取り、その値段の高さゆえに迷いつつ書架に戻すことを繰り返した古典的名作だ。今夜はこの書物と共に布団に入ろう。明日から再びリズムある日々を送ることにしよう。ここ数日の体たらくぶりは責めないでおこう。

今日も「人身事故」で電車が遅れた。追い詰められて「死」を選ぶ人が増えている。何と哀しいことだろう。
2001/12/14


■リズムの回復
昨日からトレーニングのリズムが狂い始めた。他でも無い、リストラ対応に追われていて気持ちに余裕がないからだ。親しい同僚が肩を叩かれているのだ。私のように、一度の面接ならば笑い飛ばせばいいことだ。2度3度4度と重なると神経戦に突入してしまう。自縄自縛の罠に堕ちて出口が見えなくなってしまう。どうやら名指しリストの回状が廻っているらしい。過去3年の勤務評価が一定以下を一掃しようとしているらしいのだ。まことに不条理、理不尽というべきだろう。しかも20日までに結論を出さねばならないという。

その話を聞いていると、ついつい暗澹としてしまい先行きへの不安に同調してしまったのだ。てな訳で、明日その同僚と共に会社を休んで指定の再就職会社のデータを検証に行くことになった。むろん会社にはオフレコである。明朝、ぎっくり腰を患って床に伏せる作戦。東西線で九段下まで赴く。ひさしぶりに満員電車に揺られなくてはならない。面接予約は09:30。それが終わったら神保町まで足を伸ばし師走の古本街を素見して遊んで来よう。ひょっとしたら良い古本に巡り合えるかも知れない。

同じようにリストラに合って、1年半ほどお茶を挽く生活をしていた友人から「再就職口が見つかり明日から出社する」という嬉しい電話。
2001/12/13


■努力の跡
病院に赴いて診察を受けてきた。血糖値は下がっていた。この1ヶ月の努力はまさしく報われたのである。詳しいデータ解析は次回に持ち越したものの、概ね良好とのお言葉を戴いた。更に精進して「改善生活」に取り組むことになる。

リストラの余波が押し寄せてきている。社員の志気、モラルは下がる一方だ。残るも地獄、進むも地獄かあ、、、。明日のことを思い煩うなかれとはいうけれど。なんだか疲れたなあ、、、。今日はもう寝ようっと。
2001/12/12


■ストレッチと筋トレ
年令相応の硬さといってしまえばそれまでだが筋の硬さが際立つ。したがってストレッチの負荷が相当に高い。筋トレも今までの我流と違って基礎からやり始めたので相当に辛い。ワンアクション終わる度に「はあーはあー」という体たらくぶりを現す。テクストのページをめくりながら行うのでもどかしい。ワンコース終えて入浴。浴槽に身を沈めて深い満足感に浸る。毎日のように体重を測る習慣も板についた。
万歩計の数字が高くなっている。仕事の量に比例しているのだろう。一日10000歩を歩き、更にトレーニングを行っている自分を誉めてやりたい気分。リズムだよリズム。リズムを身体に刻み覚え込ませるまでに半年かかるだろう。トレーニングデータも改編を加えて構成することにした。数字で自分を縛るやり方は「仕事感覚」だなあ。悪しき習慣と言えよう。あは。

今、読んでいる文庫本「食う寝る座る永平寺修行記」野々村馨著 副題には「その日、僕は出家した。彼女と社会を捨てて」とある。雲水として修行した一年を描く体験記。新潮社刊629円。裏面の能書きの文章は次のようなもの。 『その日、僕は出家した、彼女と社会を捨ててーーーー。道元が開いた曹洞宗の本山、永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され規矩(きく)を徹底的に叩き込まれる。さらに座禅に日々打ち込んだ末、30才の著者が会得したものは何か。』

永平寺における雲水の修行ーーなかんずく「食う」という観点に興味を持っていた私に格好の書。想像以上に厳しい規律が筆者を待っていた。彼が彼女と社会を捨ててまで目指した出家とは一体何であったのか。襟を正し刮目して読んでいる。「なぜ山を指向するのか」と通じるものがあるように思える。もちろん「出家の覚悟」とは比肩するべくもないのだが。11月初旬、弛緩していた私を「病気」が襲った。僥倖にも「只今、臨終!」の覚悟で生を学ぶ機会を得ることとなった。以来、体調極めて良好なり。
2001/12/11


■ヘッドハンティング
外資系の同業他者より会社に電話あり。新しく起こす事業のマネージャーになっていただきたいと言う内容であった。いわゆるヘッドハンティングである。どこで私のデータを入手したのか。おおかた本社人事部あたりから情報が流れているのだろう。穿った見方をすれば合法的なリストラを狙う苦肉の策といえなくもない。今後ともリストラの風は更に勢いを増すだろう。まったくひどい時代になったものだ。糖尿病に緑内症、更には脳軟化症を患っているので、お断りしておきますと応えておいた。はなはだ欣快なり。

<準備運動>マ<ウオーク&ジョギング>マ<クールダウン>ストレッチを丹念に行う。一単位を30分弱でこなすようになった。 今日から本格的に筋トレーニングに挑戦する。まずは4種類。屈伸と腹筋と足首上下は今まで通りでいい。腕立伏せ40回は相当にきつい。(これは今まで敢えて避けていた)この他にストレッチを本を見ながら20種類やった。ストレッチは主に硬くなっている筋を伸ばすことが目的。ある姿勢で10秒〜15秒停止した状態を維持しなくてはいけない。10秒〜15秒という間はけっこう長いことが判る。いやはや筋が硬くてお話にならない。今まで使ったこともない筋を伸ばすから痛い。本来なら今日は完全休養日になっているのだが、しばらくこのペースでやってみよう。それにしても普段使わない筋肉がいかに多いか改めて判る。しばらくは痛いだろうなあ。

1〜2日制限を破って食事をした。(そんなに逸脱はしていないけど)今日からリセット。意識して食生活に取り組まなくてはならない。昼食は蕎麦と炊き込みご飯。ご飯をついつい全部を食べてしまった。1/3は残さねばいけなかった。量への意識が薄らいでいるようだ。いかんいかん。
2001/12/10


■練習開始
木蓮の兄の七回忌の墓参を済ませた足で帰宅する。首都高速少し渋滞模様。自宅に戻ってから娘に電話。冬用登山のズボンと羽毛コートが役立っている由だ。 17:30から着替えてトレーニングに出た。木枯らしが吹いて寒かった。玄関先でストレッチを入念に行う。1kmほど歩いて走ったら身体が暖まってきた。一昨日と昨日は完全休養日としたから、無理をしないでゆっくりとやった。3kmを30分のペースでこなす。本を見ながらストレッチを15分。浴槽に身体を沈めて瞑目。かみそりで髭を剃りさっぱりした。20:00から「北条時宗」「日本人遥かな旅」を観る。MLへの書き込みを終わって、さてこれから読書タイム。明日からまた仕事だ。12日は病院に行って検査を受けることになっている。データが悪くても一喜一憂しないこと。そもそも1ヶ月くらいでデータが変化するほうが不思議なのだ。まず半年〜1年は様子を見なくてはならない。更にいえば一生ということだ。年末を控えて飲酒の機会が増えることが予想される。リズムを壊さないようにしなくては。
2001/12/09


■カツフライを食べた
図書館に行った、その脚で木蓮の実家に向かう。夕餉のメニューはビールから始まって「小さなカツフライ」と「天婦羅」と「煮物」であった。う〜む、ここ1ヶ月ほど控えていた食べ物がズラリ並んだ。カツといっても「ヒレ」部分だからいいのではないかとお伺いを立てると「3個」までなら許すとのお言葉。天婦羅は野菜系なので、これも「3個」までならという。居候3個まではとそっと出し(箸のこと!)。煮物は実に美味しかった。近くの本屋まで散歩。今日もトレーニングはお休みとした。

かねてから探していたトレーニングプログラムの本があったので求めた。週間単位でプログラムされたメニューが写真入りで載っている。初歩から上級までのレベルで実に判りやすい。週間に2日の完全休養日を設けることが大事とあった。ストレッチだけは毎日行うようにとある。ストレッチメニューが20種類ほどあるのだが、これも更に「ウオームアップとクールダウンの二つに分かれる。筋トレは6〜8種類ほどあり、週間単位で分けて訓練すれば良いとあった。基本トレーニングは、いうまでもなく「歩く」ことにある。「歩く」のにもレベルがあり100m/分をこなすには相当の負荷がかかる。既に1ヶ月以上継続しているので、このままでいいだろう。

体力判定プログラムに沿って、義理の両親を交えてやった。腹筋は最高得点(5)を出したのだが(30秒:25回できた)屈伸はまったくダメ。手が短いこともあるのだが足の親指から向こう2cmほどが限界。(1)身体が硬いのだ。筋を伸ばすストレッチを相当やればいいことが判った。歩くレベルは3点として、合計9点であった。これは年令別体力測定では「52才」とあった。屈伸が課題だ。これと歩きが最高得点を確保できれば「40才」う〜む。
2001/12/08


■週末の計画
ようやく2週間が過ぎた。明日から休みに入る。食事の後、つい気が弛んでしまい40分ほど寝てしまった。昨夜は尋常ならぬ、大地を揺り動かすような「いびき」で木蓮が眠れなかった由だ。やはり仕事のストレスが溜まっているのだろう。 本日は「休養日」にすることにした。もっとも眠る前に軽いストレッチは行うけれど。今夜は豆を挽いて美味しい珈琲でも飲もう。 明日は木蓮の実家の法事で出かける。夜、walkingくらいはできるだろう。帰宅は日曜日になる。

福井県の古刹「永平寺」で1年間修行した人の書いた体験記(文庫本)を650円で求めた。永平寺の質素な食事に倣って「食生活」に取り組むというスタンスがあったし、どういうメニューなのかを探ってもみたいと思っていたのだ。必要なモノは必要な時に備わる方程式。昼食の後、しばし読みふけってしまった。生活のあらゆる仕種を「修行」として捉えるのだという。700年来変わることのない作法を血脈として伝えている。排便、食事、洗顔、起居に至る諸々を決められた作法の通りにやらねば激しい怒号とビンタが飛んで来る。現世の殻を打ち破らなくては入門も出門もかなわないシキタリが支配する世界。壁に向かって端座することに「意味」を求めてはならないとある。う〜む、これは襟を正して読まねばならぬようだ。

小さなヒイラギの小鉢と小樽で求めた真鍮製「ランタン」に小さな赤いリボンが添えられて在る。木蓮のささやかな演出が光る。我が家にもサンタさんは来てくれるのだろうか。で、何を枕元に添えてくれるのだろうか。うふふ。
2001/12/07


■骨は骨でも
26日朝、突然に電話があって「任せます!」言われてから2週間経過した。部署の責任者が骨折したので「私に骨を折って欲しい」と白羽の矢。なにお!俺にも骨を折れというのか、、特別手当ての額に由ると答えたところ「配慮する」という。公式には無理だから「袖の下で」というのだ。この私に向かって「袖の下」とは無礼であろう。「袖の下」この言葉に破顔一笑して引き受けてしまったのは不覚の極み。あはは。当初は21日までという約束だったのだが、どうやら来年までひきずりそうな気配だ。テンションを維持するのが大変だ。

今日も赤丸。我ながらよく頑張っている。ただただ私の為に「料理その他」に配慮している木蓮の姿に応えたいが為。独りモンなら、とっくの昔に破綻しているさ。食生活、多少の破綻はあるにせよ(昼食とか飲み会とか、まんじゅう事件とか)概ね計画通りに推移しているとはいえまいか。体重計測をしたら、何と1kg増加している。脂質が筋肉に変換されて比重を増しているからだろう。後2kg太ってもいい。さすれば20kgのザックを担ぐ基礎体力が生まれる。運動の疲労は精神のストレスを昇華させてくれるようだ。
2001/12/06


■録音テープ
野村監督の奥さんと息子の会話が放送されていた。守銭奴と化した母親とノー天気な息子との会話は、まさしく噴飯モノ。笑ってしまいました。 野村監督が気の毒だなあ。水曜日は疲れる。でも一単位走ってきた。昨日の筋トレ疲労が最高潮。じつにしんどかったなあ。もう眠ることにすべえ。
2001/12/05


■奇跡的に
先日の試験の「合格」通知が届いた。問題集を一度解いただけで「合格」してしまうとは、俺は天才ではないだろうか。、、なんちゃって。 改めて勉強を試みるのもいいかな。定年を待たずにリタイアする可能性も充分にある。その先を見越して「研鑽」を重ねるのも悪く無い。午後10時〜00:00までの2時間をどう使うかだな。まさか盆栽ではないだろう(笑)5年というスパンで準備してもいい。溶解中の脳細胞をびっくりさせてやろうかなあ。

今日は筋肉トレを2単位やった。さすがに脚がガタガタと震える。相当の負荷に耐えられるようになっている。毎日に及ぶ走りの効果が出ているようだ。スポーツの基本は「走る」ことにある。かって短距離レースで「速さ」を競った脚力は見る影もないのだが。ちなみに100mを11秒台で走った。当然、学校代表となりインターハイ選手として華々しい活躍をした。東京オリンピックの松明を一駅区間持って走ったこともあるのだ。 現在では1分くらいかかるのではあるまいか。木蓮が「また言ってる」と笑う。昔話をするようになったら終わりということか。 黄昏世代の私は、いささか悄然と肩を落とすのであった。
2001/12/04


■まんじゅう怖い
昼食:中華丼を注文。ご飯を半分にして下さいと言う。残すことが判っているのに「てんこ盛り」ではご飯に申し訳ないと覆ったのだ。精算したら100円安くなっていた。ありがたいことではないか。15:00頃の事。会社の仲間が差し入れてくれた「小さな手作りまんじゅう」をついつい1個も食べてしまった。家に戻って「告白」した。にっこり笑って許して貰えた。さすがだなあ。まんじゅう怖い。あは。

会社の上司に呼ばれた。「希望退職の件」についての打診だった。40代以上が対象。個別に呼んで「反応」を確かめている気配であった。「そういうあんたはどうするの」と聞き返してやりたかった。50才以上の未来はないとの発言だった。そりゃそうだろう。「出るも地獄残るも地獄なら残ります」と答えておいた。

同僚の一人は、まだ子供が小さいので「踏み込む」ことはできないと言った。せめて後5年頑張って下さいと奥さんに言われたそうだ。結論を20日〜27日までに出せというのが本社の意向らしい。そのような大事なことを年の瀬に、短兵急に迫るほどに会社の経営は悪いということだ。テロの影響恐るべし。 「明日のことを思い煩うなかれ」聖書の言葉が脳裏に浮かんだことだった。「冬来たりなば春遠からじ」とも言う。厳しい冬が来た。いつものとおり1単位走ってきた。平常心、リズムを崩さないことだ。オヤジは最後まで闘う。嵐が過ぎて紺碧の青空となる日は来るのだろうか。
2001/12/03


■悪夢
05:00に目覚ましをセットして布団に入ったのだが「仕事」の夢を見てしまい、01:00に目が覚めてしまった。さあこうなると眠れない!結局、明け方04:00近くまでうつらうつらしてしまった。08:30に布団から這い出す。結局、先週に続いて山に向かうことができなかった。山は逃げないとは言うけれど。笑。

山と渓谷社「アウトドア」が12月号で販売不振により休刊となる。25年の歴史を刻む雑誌が廃刊になるのは寂しいかぎりだ。1970年から始まったアウトドア文化が日本には根付かなかったことの証と言えるのではないか。ブームが去り、これからが本当に面白くなる予感がする。
中高年の山指向はどうやら本物らしく、IT革命と相まって表現豊かな世界を展開し始めているように思う。日本におけるアウトドアの原点は「山」なのだ。古の昔から私達は「山」と「海」と「川」に関わって生きて来た民族であり、既に独自の豊穣な文化を所有していた。戦後の高度成長期に連動するように「モノ文化」が跋扈しはじめた。その悪しき影響は我々の生活、意識の中に深く根を張り巡らせてしまった。ディーゼル排気ガスをまき散らし、ごっついタイヤを鳴らして草木を踏み付ける文化は、そこにはなかった。本物のアウトドアを学びたいものだ。

明日からまた心急く日々が始まる。仕事なんかで潰されたらいかん。笑って楽しく仕事をしよう。その御褒美に「山」に向かわせていただこう。このスタンスでいい。ようやく走ることが、食べることが苦でなくなってきた。もっと食べたいという欲求はあるけれど、自ら「食べない」「飲まない」ことを選びだす精神力を強化しよう。26日以後、仕事の負担が増えてストレスが溜まった。27日と29日は走ることができなかった。結果、控えていた煙草の本数が増えた。(10本を越えることはなかったけど)それでも頑張った自分に(木蓮にも)100点満点を与えていい。1ヶ月かけて120Kmを歩いたことになる。これを中山道に換算すると、どの位の位置になるのだろうか。埒もないことを考えて悦に入っている次第。あはは。
2001/12/02


■宝くじ買ったよ!
本社にて緊急会議。リストラの嵐が猛然と吹き荒れようとしている。広い会議室を埋め尽くした数百人の顔に明るさは見えない。常務取締役直々の話は1時間半に及んだ。全役員が全国に散って同じような会議を開いている。希望退職者が殺到することが予測されるが、それとて無制限という訳ではない。業務遂行に必要な人員は確保しなくてはならない。辞めたくとも辞めることができない。リタイヤの時期すら選択できない事態に立ち至ったという訳だ。厳しい冬の時代の幕開け。団塊の世代に吹く時代の風はことさらに厳しいようだ。多くの人が交錯する新宿雑踏に紛れて「宝くじ」を買った。庶民のせめてもの夢だ。今まで当たった試しがない。9000円も張り込んだんだぞ〜。 雅子さま御出産のニュースが携帯電話に飛び込んできた。暗い時代の灯火になれば幸い。

朧月夜。今日は2単位に挑戦してみた。後半になるにつれて足がスムーズに出るようになった。少しづつ負荷を増やすこと、限界値を少しだけあげて行く。明日も快晴との予報が出ていた。
2001/12/01


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