山ダイアリー
 2002年01月 


■忙殺
仕事で多忙を極めた。MLへの書き込みも滞りがち。それでもウォーキングは続けたと、自画自賛する私であった。あはは。 なかなか山に向かうことができない恨みが残る週末模様。明日は池袋、その次は木蓮の実家。2月連休は何としても山に向かうのだ!
2002/01/31〜02/01


■寒い朝
会社の存亡をかけて戦っている人達がいる。力尽きて自ら死を選んだ取締役の密葬がしめやかに行われた。享年60歳、いたましい死であった。御家族より、お見舞い、弔電、献花の儀は御遠慮申し上げたい旨のメッセージが入った。家族の無念はいかばかりであったことだろう。黙祷。
2002/01/30


■新月
群雲に月は満ちていた。冷気濃厚な街を震えながら歩いた。明日の朝は、この冬一番の冷え込みになるという。いつものように1単位。木曜日までは連続してやることに決めた。先週はぼろぼろ状態だったからなあ。今週末は山に行きたいもの。
2002/01/29


■まんまるお月さま
秀山荘から靴の件で電話。輸入されてくる時期が3月下旬になるということだ。舶来品だから致し方ないか。舶来品という死語を知っている世代なのだよ、私は。 靴は慌てて揃えてはいけない。時間をかけてじっくり取り組むことが肝要だ。その予算を使って、他の部品を揃えることができるではないか。 ウォークデータ、10000歩を刻むプログラムがようやく判ってきた。試行錯誤を続けてスタイルを作ってきた。
2002/01/28


■冬山への誘い
かねてから計画していた冬山登山への一歩を踏み出した。コツコツと爪の上に火を灯すようにして溜めた貯金を叩いて(というより握りしめて)山屋の店に足を運んだ。いざとなると、どれを選んだらいいものやら皆目判らなかったので、店のあんちゃんとおねえちゃんを捉まえて相談に及んだ。見栄を張っても仕方が無い。こちら側の希望をありのまま述べる作戦に出た。

「何処に登るんですか」
「最終的に穂高涸沢でキャンプを張りたいけれど、まず冬山というものを経験しておきたい」(そもそも北國で育っているので、ずぶの素人ではない)
「涸沢は、いまからが厳冬期に入りますから無理でしょう。」
「北八ヶ岳ならいいのでは」
「基本の道具は既に持っているから、冬山基本装備を揃えたい」
「判りました」
「まず靴ですね」
「いまある皮の登山靴ではダメ?」
「それでも対応はできますが、3日も歩いていると、やはり水が染みてきます」
「ゴア仕様で、しかもアイゼンがワンタッチで装着できる、この品がいいと思います。これなら完全に雪をシャットアウトできます。ちなみにドイツ製です。」 「ゴアの靴は、それほどいいの」「プラスチックの靴も視野に入れていたんだけれど」
「プラスチック靴の耐用年数は3年〜4年になっていて、いつ壊れるかの予測が難しいんです」

等々の会話を重ねながら「靴の選定」に悩む時間を過ごしたことだった。靴こそが基本と知っていたし、その他のモノは何とでも調整がつく。アイゼンとの相性もあるし、決しておろそかにできないブロットだった。サイズがワンサイズ上を試してみたかったのだが、あいにくの在庫切れ。来週再び訪問することにした。 その他の部品を選んで、ほぼ冬山に必要な基本を揃えた。(ピッケル、アイゼン、防寒具(下半身専用)、下着などなど。雪の上を歩くスノーシューというのもあったが、昔なつかしい輪かんを選びだした。転びながら山を駆け巡った記憶と重なる。

雪深い山で幕営を張り、雪の降る音を聞きながら眠り、朝焼けに染まる山々を見てみたい、、。 その為に様々な準備をしなくてはならない。トレーニングにも熱が入るというものだ。健康管理とトレーニングの両輪が機能するプログラムを黙々と実践しなくてはならない。オヤジは愚直に頑張ろうと思う。笑。
2002/01/27


■〆切り日
哀しいことだが締め切り日というのが、この世にはある。私の会社にもそれがあって、月末近くになると甚だ忙しくなる。正月ぼけでのんびり過ごしていた反動で大慌て状態。雪印食品の牛肉すり替え事件には笑ってしまった。いい大人が何やってんだか。得た利益はわずか900万円ほど。失った信用はいかほどでっしゃろなあ〜。小学生でも判る話。そういう大人たちが子供に教育を垂れる資格がどこにあるのだろう。(私に限っては、とうの昔に雲散霧消してしまっているので、えらそうなことは言えないのだが)おふくろの口癖を思い出す。「親の意見と茄子の花は万に一つの無駄もない」 水曜日は週の半ばということもあって「くたびれ曜日」になっている。こういう時はお風呂に入って、すたこらさっさ布団に入るのが一番だ。夜鷹の皆様、おやすみなさいませ。あは。
2002/01/23


■HP改編に着手
HP改編が始まった。スケッチしながら形ができあがっていく。換骨奪胎とまではいかないものの、かなり改訂することになるだろう。乞う、御期待!

新しいズックを買ってきた。トレッキング用のズックで「歩き走っていた」のだが、さすがに重さが気になっていた。何度も試し履きをして、3900円なりを支払った。食事の後、いつもの通り走りに出た。実に軽快ルンルン気分だった。それまでは重いズックで歩き走っていたのだから無理もない。いわば大リーグ養成ギブスを装着していたようなものだ。これまでの計測方法を変えなくてはならない。「仕事から自宅まで」の歩数と「帰宅後のウォーキング」歩数を並列して表示する。併せて10000歩を基準にしてHPに掲示していくことにした。その伝で行くと、今日のデータは10727歩ということになった。その他に筋トレとストレッチの負荷である。必要にして十分だろう。
2002/01/22


■小夜嵐
午後3時半頃、俄に雲が垂れ込め生暖かな風が吹き始めた。篠つく雨が降り始め、窓を叩いた。道行く人々の姿が揺れ、ヘッドランプを点灯した車のワイパーが激しく左右に振れ、街は一気に黄昏に染まってしまった。 沖縄で咲き始めたという緋寒桜、早くも春の訪れを知らせてくれているようだ。
2002/01/21


■休日
19日は、ぼうっとして過ごした。20日は午前中アウトドアルームにこもって道具の整理。(もっと細かくやらねばいけないのだが)廃棄する書籍の整理も併せてやった。本当に必要なモノだけを残すというコンセプトに従って整理する作業はまだ続いている。部屋が寒かったので灯油式パープルストーブを焚いた。加圧し、予熱を2分ほどやってから点火。轟々と音を出して燃焼開始。コイルが真っ赤になって熱を放射する。なかなか味わいがある。まだ一度もキャンプで使用していないが、けっこう役に立つ。薬缶をおけば加湿器の代わりになりそうだ。暖を取りながら「鉄道員」を読む。やっぱり同じ箇所で泣いてしまった。娘の幽霊という設定が実にあざとい。判っていても泣かされる。

午後3時からウォーキング兼ランニングに出かける。2単位ほど走った。筋トレとストレッチを1時間半ほど徹底的にやった。2日間休んだのでしんどかった。 郵便局向いの小さな本屋に立ち寄り「山と渓谷2月号」「ウォーキング2月号」を求めた。来月から予約注文を依頼した。冬山への憧れが募るばかり。取りあえず週末登山で「丹沢と奥多摩詣」で基礎体力を養い、雪解けの頃に八ヶ岳でキャンプを張りたい。病気騒動で、それどころではなかったからなあ。
2002/01/19〜20


■完全休養日
今日はトレーニングお休み日。帰宅して食事をしたら眠たくなったので、炬燵で1時間ほど仮眠を取った。映画「ミッションインポシブル」を観た。テーマ曲が私の携帯のメロディになっている。これが鳴りはじめると、思わず緊張し周囲を見渡してしまう癖がある。自意識過剰という奴だ。あはは。ちなみにメール着信音は、サザンの「愛の言霊」になっているからまことに照れくさい。これ全て、木蓮の趣味である。
2002/01/18


■阪神淡路大震災
あれから七年の歳月が流れた。あの当時、流れる報道を観てよく泣いた。ボランティアの男子学生が、亡くなった御両親に代わって「赤ちゃん」の「おしめ交換」をしている映像に感極まり、食事の箸を置き、さめざめと子供の前で泣いた。亡くなった人もさることながら、生き残った人達の、その後に辿るであろう人生の荒波の高さを想って、私は泣いたのだ。あの「赤ちゃん」は、その後、どうしているだろうか。「おしめ」を交換した心優しい男子学生は、その後、どうしているだろうか。ニュースを観ながら目蓋が滲んでくるのを止めることができなかった。合掌。
2002/01/17


■曇天
朝から曇り空。気圧のせいだろうか、なんとなく身体が重かった。夕方からお湿り程度の雨降る。 UEMさん一家が高尾山に出かけたレポを読んだ。まことに優しいお父さんだ。省みて、私は決して優しい父ではなかったし、夫でもなかった。 原因と結果の因果律を大乗仏教は説く。綾なす生命の螺旋模様を、冥伏する生命のDNAの交錯を、地獄、餓鬼、畜生という生命の座標軸から鋭く厳しく照射する。病を得たのは、その因果律によるものなのだろう。せめて、今度ばかりは優しい夫になろうではないか。(捨てられないようにしなくちゃ/笑)
2002/01/16


■小春日和
4月中旬の陽気とニュースで告げていた。春よ来い♪早く来い♪ 山と渓谷2月号発売日だったが買い忘れた。うっかりしてた!
2002/01/15


■眠れない夜
木蓮が、煎餅をボリボリ食べる音で目が覚めた。てっきり05:00頃かと思ったのだが、まだ02:00であった。眠れないのだという。遠足前の気持ちの高揚によるものだろう。このままでは一睡もできないで朝を迎えることになる。そのまま鎌倉に向かっても身体が言うことをきかない。即座に「中止」を宣言して、気持ちを楽にさせることにした。設定した目覚ましも解除し、私はパソコンの前に座ったことだ。そうすれば気持ちが安定して「睡眠」を取ることができる。まあ、こういうこともあるだろう。人間万事塞翁が馬。梅の咲く頃まで延期しようと思う。

浅田次郎著「福音について」を読み進めている。漢籍の素養が備わっていることが判った。代表作「蒼穹の昂」はまだ読んでいない。実際、私が読んでいる作品は、ほんの一部に過ぎない。まともに読んだのは「鉄道員」くらいのもの。年頭にあたって精読してみたい作家の一人として掲げた。本気で行間に迫ってみようと思っている。宮本輝しかり太宰しかり、一行もゆるがせにできない文章を認める作家ばかりだ。宮本輝の作家としての資質の底に「大乗仏教」があることは明らかだし、太宰の徹底した「私」的世界もただ事ではない。太宰の天才は空前絶後と言えるだろう。その他にも山岳書を精読することになっている。ああ、忙しいこっちゃ。

そうそう、石榴の木が芽吹き始めた。小さな芽が、あちこちから生えてきた。爪楊枝の先端みたいな芽だが、ちゃんと彩りを持っているところが可愛い。生命のリズムをちゃんと刻んでいるところが凄いや。図書館から借りてきたビデオ「雨、あがる」を観る。シュワちゃんのも1本観た。こちらは明解な冒険活劇編。映画鑑賞の一日であった。夕方から少し歩きに出た。
2002/01/14


■身体の隅々まで
よんどころない事情が発生し、鎌倉アルプスは明日に順延となった。わざわざお弁当まで用意したのに残念なことだった。まあ、こういうこともあるだろう。人間万事塞翁が馬。
川口市街に出かけたのだが、非常に身体がだるかった。お腹が空いていたこともあったのだが、やはり生活のリズムが狂っていることから来ているのだろう。切実に身体を動かしたいと思った。午後4時からトレーニング開始。昨日より負荷をかけ、軽いジョギングで全行程1単位をこなした。2週間のブランクを心配していたのだが、意外と走れたので嬉しかった。筋肉トレも、昨日より負荷をかけて「真剣」にやった。それから入浴。牛乳160ccをゆっくりと味わって飲んだ。 脚が、腕が、プルプルと喜びのあまり痙攣を起こしているようだ。血液が身体の隅々まで運ばれて細胞が蘇る感じ。これ、これ、この感触が気持ちいいのだ。
2002/01/13


■山芋尽くし
1月11日箱根湯本で、蕎麦通が必ず立ち寄るという「初はな」に向かった。古い木造作りの今にも壊れそうな家屋が橋の欄干の傍にあった。大正時代の家屋で、老朽化が激しい為に、心ならずも新築する旨の案内板があった。1300を過ぎたというのに店先に人が立ち並んでいた。狭い階段を登って部屋の一隅に座った。柱、廊下にふんだんに使われている鎌倉彫が黒光りして、いかにも老舗の佇まい。名物の山芋蕎麦を注文。山芋(自然芋)がたっぷり摺り込まれた小鉢と蕎麦が並んだ。味わう間もなく喉に流し込んだので、美味しいのかどうか今一判然としなかった。混雑した店内の、回転寿司のような人いきれに心急かされて食べたせいだろう。

自宅に戻って、さて夕食となった。既に支度されていた「山芋」を見て驚いた。好物の「とろろ」しかも擂り鉢一杯である。キュウリとシャケが彩りを添えていた。我が家ではお初のメニューである。なんでも料理番組でやっていて美味しそうだったから作ったというのだ。 ご飯にかけて無心に食べた。美味しさのあまり三杯もおかわりしてしまった。結局、二人で全てを平らげてしまった。問題は、その夜のこと。 山芋がお腹にどよ〜んと溜まり、どうにもお腹の具合がおかしいのだ。昼夜「山芋」であったし、木蓮も珍しくお腹一杯食べて苦しそうだった。お腹が張って寝つけないのだ。明け方2時頃まで悶々と過ごしたことだった。要するに「食い過ぎ」であった。笑。

温泉と山芋のお陰で、ようやく風邪が治った。今日から「2002年トレーニング」開始。大晦日から11日まで、ほぼ2週間も休んでしまった。 夕方4時、新調したジャージにオムロン万歩計(Walking Style HJ-111 )を入れて歩き始めた。「歩く」ことに絞り、ストレッチをしながら1単位をこなした。大股で早く歩くのもかなりの負荷がかかる。走った方が楽ということもあると書物にも書いてあった。大股で早足で歩く技術が備われば一番いいのだろうが、走ることにも魅力を感じているのだ。歩いて走るというスタイルは捨て難い。 今日から筋肉トレーニングも開始する。

明日は早朝の電車に乗って、鎌倉アルプス逍遥に出る。歴史の舞台をゆっくりそぞろ歩くという企画だ。お正月3日目の計画を、ようやく実現できる。2002年の幕がようやく開いた。本日、図書館にて浅田次郎著「福音について」を借り出す。「壬生義士伝」は相変わらずなかった。まあ、じっくり行こう。

今日のデータ:5968歩中、「しっかり歩数」4800歩/38分、消費カロリーkcal128であった。新しい万歩計は感度も機能も満足できるモノであった。
2002/01/12


■箱根の山は天下の嶮
1300発、小田急「ロマンスカー」に無事乗車する。定刻1時間前に新宿に到着した私を含む三人カルテット組は、昼食の弁当を求めて小田急デパートの地下にあった。あとの二人は妙齡の婆さまであった。官費旅行で領収書を切れるものだから勢いがいい。あれもこれも食べたいと貪欲だ。浅ましく試食を重ねた結果、「いくらウニ丼」1200円、サーモンにサラダと蟹コロッケに決定。お茶を購って、小田急1F集合場所に集結した。幹事からフリーサービスチケットが配付され、それぞれの車両に移動した。平日料金で4100円とある。しかも冬期特別料金という設定になっている。

「ロマンスカー」、その名前こそは昔から知っていた。それはどうやら箱根に向かう電車らしい。必ずシルバーグレイの夫婦でなくてはならないもので、私とは無縁のモノという認識を持っていた。まさか官費で、婆様同道の旅に出るとは夢思わなかった。全席指定、大きな窓は新幹線の趣とは相当違っていた。はああ、これがあのロマンスカーというものか。

町田から秦野に広がる風景、ほどなく丹沢の峰が視界に入ってきた。大山の稜線がまず目に入った。余談だが、ヤビツ峠から、2時間ほどで頂上に達する「大山詣」は、江戸庶民の信仰の対象であった。願掛け祈願の後、江の島「遊廓湯治」に行くのが娯楽であった。江の島が、あの「弁天小僧」所縁の地であることを知っている人は少ない。、、、などとこういう事を際限なく書いて行くのだろうか、、それは冗長というものだ。いずれ別稿を起こして、その顛末などを書き込んでみたい。

硫黄立ち込める露天の源泉に何度も浸かり、酒宴で使いたくもない気を使い、身体によくない「酒と料理」を平らげて過ごした1泊2日。ようやく風邪は快方に向かったことだ。箱根が「天下の嶮」と言われる理由が判った。芦ノ湖を取り囲むように聳え立つ山々の偉容に満足もした。更にその向こうには外輪山の峰々が連なっていて、奥深さをしみじみと感じることができた。いつかと言わず、この冬にかけて登ってみたい山ばかりだった。どの山からでも富士山が一望できるはずだ。箱根登山鉄道は実に情緒に溢れていた。

はるか昔、遡ること数十年の中学時代「修学旅行」のメニューのひとつに箱根があった。朝霧に囲まれた幻想的な風景、お土産屋で飽かず眺めた、今思えば安っぽい、書き割りの富士山の絵のことが思い返される。少年の私はいたく感動し、「なんてすばらしい絵だろう」この絵を家に飾りたいなあと、乏しい小遣いを握りしめて思ったことだった。

木蓮は箱根仙石原で一夏を過ごした経験があるそうだ。学生時代、花も恥じらう19才の夏を某会社の保養寮でアルバイトをしたという。私の話を聞いて「是非一緒に歩いてみたいね」と言う。共に早春の箱根路を歩くのも悪くない。まずロマンスカーに乗ってだな、それから箱根登山鉄道に乗ろうじゃないか、逍遥の山旅の後は、廉価な宿に泊り温泉に身を浸す図式だ。

2100就寝。さすがに疲れた。ところが、、。12日ダイアリーに続く。
2002/01/10〜11


■万歩計再び
オムロン製「万歩計」届いた。さすがに健康機器専門メーカーが作っただけのことはある。デビューは箱根、天下の嶮である。 病院に行った。血糖値先月より更にダウンしていた。ヘモグロビン値も下がっていた。努力が報われて嬉しい。年明けからトレーニングをしていないけど、今週末あたりから再開できるだろう。血糖値を下げる薬の他に「風邪薬」も貰ってきた。とうとう節を曲げて風邪薬を飲んでしまった。今日はこれにてお布団。 明日は箱根の宿で接待宴会。飲まず食わずのスタンスは勿論「墨守」する。素面で騒ぐのも芸の内。
2002/01/09


■療養の一日
会社を休んで一日ゆったり過ごした。どうやらピークを越えたようだ。 昨年9月に本栖湖畔でキャンプをした。その時貰った大きな案内地図を眺め過ごした。地図の精度は置くとして、見ていて楽しい地図なのだ。地図を眺めているといろんなイメージが湧いて来る。一羽の鳥となって空から下界を眺めている気分になる。ははあ、ここに三ツ峠があるのか、御坂峠ってのはここにあるんだ。井伏鱒二が、太宰が「富士には月見草がよく似合う」と書いた記念碑は、ここにあるのか。笑いながら楽しく登った竜ケ岳から富士山を見ると、こういう位置にあったのかetc。観光用とはいえ良くできている地図だ。登山道、高速道、一般道などが一目瞭然だ。

芭蕉が奥の細道を歩いた時代の地図は、とてもこうではなかっただろう。「夢は枯れ野を駆け巡る」と詠んだ芭蕉の道を想像する。伊能忠敬が歩いた一歩の歩幅はおおよそ65センチであったという。その65センチを積み重ねて、あの精緻な地図が出来上がった。子午線1度を知りたい!当時としては高齢の56才から歩き始めた伊能の志の高さを思う。

おやじ達はまだ頑張らなねばならない。簡単に、倅や娘に迎合するんじゃないぞお。簡単に諦めて電車に飛び込むなよお〜。一番苦労を重ねて子供たちを大きくしてきたんだから、もっと胸を張っていい。あまっちょろい優しさなんか見せるんじゃねえぞお〜。但し、奥さんは大事にしてあげよう。(笑)盆栽のひとつふたつ増えたからといって目くじらを立ててはいけないのだ。ダイヤモンドが欲しいと言った時は、張り飛ばしていいかな。あはは。

そうそう、私が買ってくれと頼んだ「石榴」の鉢植えだが、小さな、小さな芽がふっくらと枝の先端(さきっぽ)に出てきた。う〜む、実にかわいい。
2002/01/08


■本格始動のはずが、、。
本格始動の日であるにも関わらず体調すぐれず、午後から「早退」してきた。こういう時はじたばたしても始まらない。場合によっては明日も休んで仕事に備えなくてはいけない。熱が出ないだけに始末が悪い。鼻水大魔王状態になっている。とてもウォーキングに出れる状況ではない。年末に貯えた運動量が枯渇してしまうよお〜。(あは)

暮れに差し換えた手帖を今日初めて開いた。まっしろなページが2Bの鉛筆で真っ黒に埋まってしまう。お世辞にもうまいとは言えない字で書き込むもので、しまいには何処に何が書いてあるのか判らなくなる始末だ。ほぼ時系列に書いてあるから、記憶を頼りに克明に辿れば目的の一行ないしメモは判るようになっている。時系列にデータを書くのも、実は訓練が要ることを余人は知らない。アドレスの転記に、ようやく着手した。時代を反映して携帯、eメールアドレスを賀状に印刷する人が増えてきた。ここらで徹底的にパソコンに正確なアドレス帳を作っておく必要がある。これが実にやっかいで根気の要る作業なのだ。 昔ながらの墨で宛名を書く人は少なくなった。私は、悪筆とはいえ「墨汁組」の末裔を自称する者だ。もっとも宛名だけだが。(笑)
2002/01/07


■夢枕
明け方の夢に息子が出て来た。就職祝いに靴、背広、ネクタイをと思っていたのだが、どさくさにまぎれて靴だけしか準備してやれなかった。どうもそのあたりの慚愧の念が身を責める。喉の痛みは、どうやら峠を越えたようだ。くしゃみと鼻水が出る。明日から本格的な仕事に入る。とうとう寝正月を過ごしてしまった。年の始めから、どうもリズムが狂った。この分だと鎌倉逍遥歩きは週末になりそうだ。1月10〜11日は箱根外輪山に脚を伸ばす。れっきとした仕事の接待である。婆様二人を連れて大湧谷から散歩させようと思っている。大丈夫かなあ。2時間半くらい歩けるだろう。(もっとも婆様二人が希望すればの話だ)。体調がよければ明日からウォーキングと基礎トレを開始してみよう。
2002/01/06


■悶々とする日々
09:00起床。食事。布団直行。13:00起床。図書館。「壬生義士伝」を借りようと思ったがなし。下巻だけあった。ウォークに関する本と浅田次郎著を1册借りてきた。木蓮は、いつもの通り園芸に関する雑誌と書物を大量に。生姜糖を飲んで15:00布団へ。18:30起床。身体の調子が悪いと、いくらでも眠れる。食事。入浴。NHK「空海の風景」後半を観る。空海という人間の巨大さ、その歴史的登場を初めて知った。まだまだ知らないことが多すぎる。子供の夢を見た。MLへの書き込みを行い、生姜糖を飲んで、うがいをして寝る。昨日からイソジンうがい液を、ほぼ3時間おきにやっている。喉の痛み、ようやくおさまる。明日も臥せっている予感がする、基礎トレ開始できない体たらくである。う〜む、なんということだ。
2002/01/05


■仕事始め
今日から仕事。金箔入りのお酒2本がたちまちなくなった。書き初めの企画を実行する。書き初めなんて十数年ぶりといいながら喜色満面で盛り上がっていた。 代行職の任務これにて完了。ああ疲れた。7日からは私のリズムで仕事ができる。
イソジンうがい液で喉を消毒する。これがけっこう利き目がある。できることなら病院には行きたくないからなあ。熱が出たらもうダメ。昔から、からきし風邪には弱いのだ。 あ、そうそう暮れの登山記録を炬燵の上で書き上げた。2.3日中にはHPに掲示できる。めずらしく早い脱稿だった。そういえば、まだ昨年の宿題が残っている
2002/01/04


■ウォーキング元年
喉がいがらっぽい。食っちゃ寝!のお正月も今日で終わり。午後から無理をしてジャスコに出かけ、ウォーキング用のジャージーを買ってきた。 上下で5000円以内のノーブランド格安品。これで充分だ。木蓮がまた植木鉢を買ってきた。う〜む、ベランダ園芸も果てがないなあ。お酒も買ってきた。(金箔入り)明日から仕事が始まる。無精髭もきれいさっぱり。さて今からお風呂に入り、布団を重ねて「汗出し療法」で頑張ろう。早く直してトレーニング開始しなくちゃいけない。脚の痛み、ようやく治まる。 須原屋で「壬生義士伝」上下を少し立ち読みする。今年は「浅田次郎」を読むことにしている。すべて図書館利用。ハードブックは買わないのだ!。
2002/01/03


■鬼の撹乱
暮れの山遊びで「万歩計」を紛失してしまった。紹介で訪ねたHPで、さっそく発注した。オムロン製、「加速度センサー」で歩数を測る方式。ポケット収納だから紛失する心配がない。今度はなくさないようにしなくちゃ。(笑)
箱根駅伝に釘付け。テレビの前から離れられない。14:00からは12時間に亘って浅田次郎著「壬生義士伝」が放映される。かくして今日も炬燵の前から離れられない。脚の痛みはだいぶよくなってきた。ちょっと喉が痛い。風邪でなければいいのだが。正月早々、風邪ではしゃれになんねえよ〜。
2002/01/02


■一年の計は
元旦発句:『六ツ歳の星を数えて福寿草』(詠人:青島原人)

元旦の朝、小さな盃でお屠蘇を飲んだ。目の前に並んだ重箱と雑煮が懐かしい。公告満載の新聞を開いて読む。あらゆるモノが溢れている。そのモノを買わなくては日本経済が立ち行かないことになっている。時代を反映して元旦初日から店をopenしているところが多い。お正月くらい休めばいいのにと思う。そういうのどかな時代ではなくなってしまったようだ。昼食を終えてから帰路に着く。首都高速は混んでいた。もっと空いていると思ったのだが。 以下の項目を2002年の計画として設定する。

テーマは「生活改善」

[1]『Walking365』
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●Walkingを基にした年間プログラムを強い意思をもって実行する。
●walkingに派生する遊びを企画する。(或いは参加してみる)

[2]『Family』
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●小さな仏壇を揃えて遺影を安置する。(3年)
●必要とされること全てに対応する。

[3]『Reading』
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●古今の山岳書、同人誌、雑誌「山と渓谷」「岳人」を精読する。
●聖書を読む(1年)
●浅田次郎、宮本 輝、三浦綾子、太宰 治その他
●歴史に関する書物を読む

[4]『Works』
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●存在感を示す仕事をする。
●Windows98に関するスキルをアップさせる。(業務用ソフトの習熟と活用)

[5]『imac』
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●HP及びMLの充実に務める。
●デジタルカメラの導入を検討する。
●CDR/RWの導入を検討する。

[6]『Mountain』
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●四季(春夏秋冬)を通じて奥多摩・丹沢に遊ぶ。
●日本百名山机上登山を行う。(地誌を含めて検証する)
●北アルプス縦走。

[7]『outdoor』
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●北海道並びに九州キャンプの企画を検討する。
●四季を通じた遊びを企画検討する。
2002/01/01


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