山ダイアリー
 2002年02月 


■如月
食事の後、仮眠を取った。目覚めてからウォークに行った。いつもの半分だったが、これで充分。少しづつ少しづつ、しかし確実に。 さて激動の3月の始まり始まり。
2002/02/28


■新月の宵
会議終了。今頃になると人事異動の情報がもれ伝わってくるのだが、今年に関してはまったく判らないという異常事態となっている。朝令暮改ではないが、クルクルと情報が変わるのには驚くばかりだ。ひょっとして異動の芽もあるのかな、、、。

脳卒中で倒れた患者のリハビリに「車椅子」は使わない。松葉杖を握らせて歩かせるのだという。歩くことがリハビリの原点というのは実に興味深いことだ。 歩きたくとも歩けない人もいる。必死に一歩を踏み出す努力を重ねている人も、この世にはいるのだ。トレーニングができ、改善できる環境にあるということに感謝しなくてはならない。努力が報われることを喜ばなくてはならない。新月の宵、時刻は遅かったけれど平常心で走ってきた。雲に隠れて見えないと思っていたら意外なことに朧月。如月も明日で終わる。弥生もまた激動の月になるのだろうか。しっかり遊ばせて貰おう。8日と21日からの連休休暇申請を出した。出せばこっちのもんだ。

明日の夜には登山支度を整えることにしよう。いよいよ本格稼動の時が来たようだ。人事に左右されることなく自分のリズムを貫くことだ。明日の事を思い患うことなかれ、、だ。
2002/02/27


■余燼
相変わらず、きなくさい情報が流れてくる。いまだにスタッフの志気は落ちるばかり。若手のスタッフが動揺するようでは、会社の未来も暗いぜ。
2002/02/26


■摩天楼の下で
新宿歌舞伎町へ行った。言うまでもなく仕事である。アマンドという茶店にキーマンはいた。昼食を御馳走になった。 北島三郎の付け人兼なんでも仕切屋さんと、芸能プロダクションの面子が、意味不明、言語不明瞭の会話をひそひそと交わしていた。和田あき子とか、小金沢とか、別の席では、笑いで一世を風靡した大村 昆がマネージャーと思しき、やり手婆と談話していた。どうやら「アマンド」は芸能人御用達の店らしい。原色の看板、それと判るあからさまな誘いのフレーズは読むだけで愉しい。まあ、あやつらも商売だからいろいろと工夫しているんだろうなあ。様々な人種が折り重なって棲息し、坩堝と化している風俗の街、それが新宿である。むろん私のような爺はお呼びではない。余談だが、看板を持って立っているおじさんたちのマージンはかなり高いらしい。逮捕されることもあり得るらしく、その危険手当ても入っている由だ。不幸にして会社をリストラされたら、ああいう商売も悪く無いかも。あは。恵比寿mont-bellに立ち寄って、風のように帰ってきた。

仕事は明日で一段落。疾風怒濤の嵐が吹き荒れた2月であった。そのお陰で2月中旬までのウォークの成績は無惨なもの。17日以降は、これではあかんと発起したもので目覚ましい数字が並ぶこととなった。昨日の鎌倉ハイキングの余勢を駆って、今日も13500歩だった。今週も気を抜かないで頑張ろう。昨年11月から始めたウォーキング兼トレーニング、一番寒い時期を乗り越えた自信が、これからを支えるはずだ。
2002/02/25


■鎌倉
09:00蕨駅から鎌倉に向かった。予定より2時間遅れだが何とかなるだろうということで、木蓮ともども慌ただしく家を出た。蕨駅構内で朝食のパンを求めた。都内へ向かう電車は混んでいた。腹が減っては戦ができぬ道理、構うものかと「パンにかじりつく」。荒川の土手を渡る頃には既に食べ終えていた。東京駅から横須賀線乗り換え。一路、北鎌倉を目指した。11:50分到着。ウナギの寝床のように長いホームを出て線路つたいに「建長寺」目指して歩き始める。大勢の人が同じように歩を進めていた。甍の庭先に「紅梅」「白梅」が咲きほころんでいた。昼食には「山菜蕎麦」を食べた。さきほど食べたパンがお腹にあったので、軽く蕎麦だけにした。

建長寺山門に辿り着く。300円の拝観料を支払って山門をくぐると壮大な伽藍模様が目に入って来た。2年ほど前にもここを訪れたことがある。全長5キロに及ぶ鎌倉アルプスの始まり。行程おおよそ150分、鶴岡八幡宮を取り囲むように隘路が出来上がっている。半僧坊までは石段の道。雨で穿たれたような石を、ひたすら登った。最初の階段を上がりきったところで外套を脱いで汗に備えた。息があがるのは身体がリズムを整える為の準備。次第に階段の負荷になれてきた。ほどなく半僧坊境内に到着。建長寺境内を眼下に見下ろす高さに達した。

鎌倉市街、海、山間に点在する甍、芽吹く木々の佇まい、歴史、ゴルフ場出現に驚いたこと、鎌倉住む人々の息遣い、軒先きの花々、急ぎ脚で1時間半で下山となる。実にあっけないものだった。いずれ詳しい報告書を書いて掲示することにして、とりあえずここまで。万歩計データは16872歩であった。

15:00横須賀線にて帰宅の途。17:00蕨駅に着く。駅前でラーメンと餃子の夕食。デジタルカメラとADSL導入のことなどが話題に上る。デジタルカメラの予算は20000円以下で設定し、ADSLは引っ越しがめんどうなので現状で対応する。

お風呂に入ってTVを見ていたら睡魔に襲われた。布団ににじり寄り、そのまま寝てしまった。目覚めたのは1時間半後のこと。心ならずも夜鷹をやっている次第。明日から仕事再開。本日はよく歩いた(といっても僅かな時間であったのだが)。ストレッチしながら歩いたようなもの。正しくハイキングであった。明日からいつものリズム。体重を測ったら、うれしいことに1キロ増加していた。結果が出るのはうれしいことだ。改善すれば体重が増えるとの定理通り。そういえば「筋肉がついてきたなあ」と思っていたのだ。あと2キロ増やそう。それでようやく標準体重になる。
2002/02/24


■時刻表3月号
木蓮と一緒に散歩に行く。いつもより遠回りして東浦和駅経由で6000歩。途中の書店で「ガーデニング関連の雑誌と時刻表」を求め、回転寿司で食事をして帰る。時刻表を、しみじみと眺めて読む。1840分、折しも、北海道倶知安駅に電車が到着する。ホームから改札口までの風景がまぶたに浮かぶ。往来する人々の、さまざまな喜怒哀楽が彷佛としてくる不思議。津々浦々、市井の人々の生活模様。時刻表を読むというのは、つまりそういうことなのだろう。時刻表初版は、昭和3年になっている。70余年の歴史を刻む大ベストセラーであることに思いを至した次第。そういえば、松本清張「点と線」は、博多の香椎駅を舞台にした推理小説の傑作だった。松本清張も時刻表を傍らに置いて机上旅行をした人だった。この時刻表を旅の友としてウォーキングに出るのも悪くないなあ。
2002/02/23


■春が来た!
暖かな一日だった。食事の後、つい気持ちよくなって寝てしまった。まあ、こういうこともあるだろう。週末は気が緩んでしまうのは仕方がないことだ。連続5日の運動を続けた結果、脚の筋肉が悲鳴をあげている。無理をして歩くべきか、休むべきか、私は悩んだ。意志の弱い私は、むろん後者を選んだ。無理をして筋を傷めては元も子もないという尤もな理屈をつけて。笑。入浴後の牛乳160ccと林檎は、いつものように食べた。実に美味しかった!。
2002/02/22


■鎌倉アルプス
木蓮と一緒に、日曜日に鎌倉アルプスに行こう!ということになった。ピクニック気分で電電でのんびり行こうと思う。北鎌倉駅から、小高い山並みを、ゆっくり歩いて3時間ほどの行程。今年の課題に「鎌倉の歴史」を訪ねることを決めていた。お弁当はサンドイッチでいいだろう。本来の計画は奥多摩縦走をあげていたのだが、まずこちらが優先だ。連続5日目、今日も暖かいウォーキングができた。万歩計データで10000歩を越えるのが、なかなか難しい。微妙に数字が不足している。問題は数字ではなく負荷の内容である。その点では合格点を与えることができる。継続は力なり、油断をしないでデータの改善に努めよう。

私に仕事の依頼をしたいと申し出てきた女子スタッフ。どうやら自信を失っている気配だ。その手には遅ればせのチョコレート。まあ作戦としては悪く無い。見え見えの胡麻をするのも愛嬌というべきだろう。むろん私が断る理由はない。失った自信は仕事の成功で取り戻すことが最良の薬。そのサポートをするのも役目なのだから。
2002/02/21


■春の兆し
連続4日のウォーキング。昨日までの寒さが嘘のよう。後半は気を抜かないで頑張る!
2002/02/20


■危険領域
いつものようにウォークに出て、半ばを過ぎた頃(柳崎交差点)あろうことか「便意」を覚え、待ったなしのレッドゾーンにいきなり突入してしまった。まさか野糞という訳にはいかない。ここは山中ではないのだ。「○○○」を我慢して家路に戻るなど、小学校以来のことだ。あの頃は、まだ草むら、原っぱというのがそこかしこにあり、身を隠して「○○○」を放出するのに何の躊躇いもなかった。私は脂汗を流して家路をよたよたと急いだ。いつもの半分の距離しかウォークしていない。帰るなりトイレに駆け込んだことだ。台所で木蓮が背中を震わせて笑いを堪えていた。う〜む不覚の極み。
2002/02/19


■心急く日々
プレス発表以後、スタッフの志気が著しく低下している。夢、希望を持てない状況に置かれているのだ。栄枯盛衰は必須の理とはいえ、あまりにも急激な変化に戸惑う日々が続いている。仕事があるだけマシと言う見方もある。いまできることは身体を治すことだけ。北風の吹き荒れる街をウォークしてきた。昨日、今日と、連続で13000歩をこなしている。筋トレもストレッチも、すべては健康管理の為、山に向かう為にある。今週は原点に戻って毎日ウォークランする。それにしても寒かった。橋の欄干から眺めた月明かりが寒々としていた。吹き来る風が頬に冷たかった。早く春にならないか。

新宿歌舞伎町で働く様々な群像をテレビで観た。金と欲望に溢れ、人の海の街にうごめく人間模様、その生きざまの激しさに心が動いた。男を騙し、女を騙し、それはそれで生きて行く場所になっている。風俗で働く18才の娘の手帖には一日の仕事ぶりが克明にメモされている。店の「NO.1」になりたいのだという。その志は、なまじの男に勝る。舌を巻いた次第。店長からウエイターに降格になった男が、再び這い上がる為に、路上で道行く女性に声をかける。軽薄な言葉で誘いをかけて、わずかな糸でたぐりよせようと必死でしゃべる。女をスカウトし、店で働かせることで利益をあげるシステムになっている。人は利によって動き、利によって拡散してゆく定理だ。スカウトマンは現代の女衒師(ぜげんし)ということができる。女性を口説くにも才能が要る。這い上がる為に、それが仕事だというなら、いかなる「軽薄な言葉」も許されるというものだ。プライドを捨ててこそ浮かぶ瀬もあるというものだ。すべからく仕事は、そうあるべきだろう。

ところで知人の姉が勤める場所は「歌舞伎町」。メールが届いて曰く「新宿に来た時には寄って下さい」と。で、そのお姉さんの職業なのだが、、、「ケーキ屋」にお勤めなのだという。むむ、、歌舞伎町の「ケーキ屋」ねえ。あは。

昨日から「三浦綾子」を読みはじめる。椎名麟三、遠藤周作、太宰とキリスト教を基底においた作家活動をした面々のヒストリーを調べる作業に着手。三浦は生活、思想の根底にキリストを置き、太宰、夏目漱石は観念で聖書を読んだ。その違いは明白である。実話に基づいて書かれた、名作「塩狩峠」はいつ読んでも感動を誘う。
2002/02/18


■時刻表の世界
04:00目が覚めた。熱い珈琲を飲みながら地図読みを再開した。1/50000図を食い入るように眺め、そこに至るまでの交通機関の連絡、コースを辿る時間などをメモる作業は、けっこう愉しい。教えて貰った「駅前探検倶楽部」で始発と行先、出発時刻を入力すれば実に簡単に詳細なデータを出してくれる。ローカルなバス時刻は「登山・ハイキングバス時刻表2002冬春号」で探索する。この二つがあれば、関東に限ってはほとんど判ってしまうという優れもの。分厚い時刻表が不用というのはありがたいことだ。

それにしても時刻表の世界は実に奥深い。地図も、時刻表も、ただそれを読むだけで想像が広がっていく。まちがって刑務所に服役するようなことがあれば、地図と時刻表を差し入れてくれるように頼むだろうなあ。鉄道ファンいや時刻表ファンが存在するというのも頷けることだ。一月に200万部を売りつくす大ベストセラーである。なるほど、嵌まりたく魅力に溢れている。
2002/02/17


■登山計画書作成
地図を、山屋の作法に従って束ねる作業を行った。今年の課題は「奥多摩全域」「丹沢全域」を歩くと決めている。全体像を把握する為にも、国土地理院発行の1/25000図の読み込み作業を怠る訳にはいかない。磁北線を鉛筆でなぞり、正確な方位を得られるように予め工夫する。ルートに関しては所有する文献で精緻な読み込みと照合作業を行う。計画書に転記してパソコンに入力して行く。時間、交通費用、食糧計画なども詳細に書き込んで行く。避難小屋を使えるなら、それを利用しての縦走が可能になるし、土〜日にかけて奥多摩に点在する安いキャンプ場を利用してもいいだろう。最小の投資で最大の効果を得るためのプログラム。歩いた登山道を赤鉛筆で塗りつぶして行く楽しみがあるというものだ。

水上温泉に宿を手配した。公共の宿一泊二食で9000円であった。雪に埋もれる谷川岳の偉容を眺めながら温泉に浸るという次第。木蓮たっての御希望である。なにせ半年かけて編んでくれた純毛100%セーターである。市価に直せば数万円の価値はある。一泊9000円ならお安いものだ。あっ、それでは止まらなかった。春、一斉に芽吹く可憐な花たちが花屋の店頭を飾る。あれもこれもと欲しいと宣う姿が彷佛だ。一鉢数百円から、高くても数千円。ベランダが花に埋まるという次第。私の「石榴」だが、いつのまにか緑の葉を膨らませ、それはそれは可愛いくなっている。秋に実を結ぶというが「ほんとかいな」。笑。天神平までケーブルで登って、歩くことができれば最高だ。3月初旬、谷川岳連峰の谷間に春を告げる雪崩の音響が聞こえ始める頃だ。
2002/02/16


■プレス発表。
会社の指針がプレス発表された。その内容が刻々とメールで送信されてくる。大幅なリストラと資金調達が骨子になっている。1994年当時、9000人近くいたスタッフが半分ということになる。事務職をメインにして粛清の嵐が吹き荒れることだろう。労働組合も、ここに至っては、ただ傍観するだけの存在。暮れのリストラ騒動の余波はいまだに尾を引いている。90年代の負債の処理とアフガン戦争による株価低迷、様々な要因が重なって今日の事態となった。

私の場合、幸いなことに子供たちは既に育ってしまっているのだが、いまだに養育しなければならない子を持つ親の心境は想像にあまりある。OBから夜半電話あり。会社の状況を詳しく聴きたいというものだった。企業年金受け取りのことなど、それなりの心配をしなくてはならないのだろう。戦後の昭和38年に成立し、普及していった退職金制度が、今支払いのピークを迎えている。企業にとって、その負担額は相当なものになっているはずだ。国民厚生年金制度、健康保険制度等等、迎える高齢社会へ向けて再三に亘って制度補正がされることだろう。逆三角形の構造では致し方ないことだ。安寧の時代は果たしてくるのだろうか。庶民の感覚は実に正しい。不安を抱えて「消費」に走ることなどできるものではない。

「山と渓谷3月号」国土地理院1/25000地図「雲取山」「丹波」「武蔵日原」を求める。
2002/02/15


■聖バレンタインデー
木蓮からは手編みセーター、娘からはメールカードが届いた。義理チョコ、例によって一杯貰った。お返しが大変だ。木蓮には「温泉旅行:平日格安プラン」、娘には「メール」。会社関係には「それなりの品」を。

スラックス届いた。ウォーキングに出た。寒い北風の中を黙々と歩き走った。昼食にトンカツを食べてしまったので、カロリー摂取過多となった。むろんキャベツもいっぱい食べたのだが、やはりいけないことに違い無い。ほぼ3ヶ月の食事改善生活が潜在意識に埋め込まれているようだ。胃袋も小さくなってしまった。煙草の本数は、いつのまにか元に戻ってしまっている。これはいけません。

登山計画書訂正版を、ちまちまと作った。更に使いやすくなっている。いずれデータ通信にも対応できるようにしたいものだ。友人の求めに応じて送信する。
2002/02/14


■登山計画策定完了
週末には山に向かう。ぼちぼち始めなくては。明日「スラックス」が届くとの連絡が入った。清水選手、痛み止めを打ちながら「銀」は立派。4年という厳しい時間に耐えた精神力は凄いぞ。おれも頑張ろうっと。
2002/02/13


■泣かされた!
projectX「日本初の盲導犬チャンピィ」を観た。これは泣くぞ泣くぞと思っていたら、案の定、泣かされた。参った!
2002/02/12


■日なたぼっこ
三連休は雑用で暮れた。会社の方向が定まらないので落ち着かないのだ。3月上旬には目処が立つだろうし、それまで我慢をしなければならないか。不安を抱えていては仕事にならない。5年ほど前にも、こういう経験をした。プライベートな問題が山積して仕事にならなかった。逃げるように山に向かった時代があった。

恒例の靴磨きに精を出した。なにせ4足分もある。外は寒いので玄関にパープルストーブを出し、ラジオを聴きながら神妙に、黙々と靴を磨いた。とうとう、6年履いたリーガル靴には退陣戴いた。底張り替えを施した靴は、驚くほど蘇っていた。ワックスをかけてピカピカに磨いてあげた。 ついで包丁を研いで下さいという要請に応えた。刃こぼれがひどい。これでは野菜は切れないだろう。はなはだ危険だ。砥石を出して神妙に研いだ。不思議なことに包丁を研ぐのは男の仕事ということになっている。砥石に向かって押すのではなく引く作業で刃こぼれを矯正して行く。指で触ってザラザラする感触がなくなればOK。登山用ナイフも、そろそろ研いでやらねばいかんなあ。

午後から登山計画を立てた。相当緻密に書き込んだので、今週末こそは山に向かえるかも。装備品の点検を行い、ザックに積み上げたら12キロ前後あった。少しでも負荷を増やして「その日」に備えなくてはならない。毎日の基礎トレも、もっと真剣にやろう。先週はトレーニングがたがたであった。油断しているのだろうか。夜、遅くなると意欲がたちまち半減してしまうのは困ったことだ。淡々と、淡々と続けることが大事なのに。習慣化するまでには、まだまだ時間がかかるのだろう。
2002/02/10〜11


■寒気団南下
ひさしぶりにゆっくりと寝た。雪と氷の祭典、ソルトレイクオリンピック始まる。渡米している娘の近くであることが判った。ひょっとして見学に行ってるかもしれない。節約生活をしている身分では無理かも知れないなあ。午後から図書館とガーデニングのお伴をする。登山計画を練る為に書物を借り出してきた。発注しているズボンがまだ届かない。
Mr.ドーナツでお茶を飲む。カーテン越しの日差しが暖かだった。午後から気温が下がってきた。奥多摩、秩父、丹沢の嶺は雪で埋もれることだろう。
雑誌「ウォーキング3月号」を書店に取りに行く。黄色いヤッケを着た派手なおじさんと書店の若奥さんに思われているようだ。あっはは。歩くことで健康になるというコンセプトは判りやすい。全国で3000万人もウォーカーが居るのだという。津々浦々で繰り広げられるイベントの数には驚いてしまう。
2002/02/09


■桜便り
沖縄のマリアさんから桜の写真がインターネット経由で4葉届いた。「緋寒桜」が彩り豊かに写されていた。最後の一葉に、マリアさんがお世話をしている人達と御本人が写っていた。看護婦という職業を天職と自認する人だ。自在闊達、明るい春のような人柄がそのままに。私も写真を送ってあげなくてはならない。デジタル処理の写真がないのだが、なんとかしなくてはいけない。
明日から三連休に入る。一日目は木蓮の為に使い(図書館とかスーパーとか、その他諸々)後半は自分の為に使う計画。いうまでもなく山に向かわせていただく。 折しも、明日から今年最後の寒波が到来する。奥多摩の峰も雪に埋もれることだろう。 午後からは、いつもより長いコースで走り込みを行う。先月後半から10000歩を越える日数が段々多くなってきた。今月は既に5日を越えている。ただ歩くだけではなく「有酸素運動」を加えているから、実質の数字はもっと多い。すべては「健康管理」と「冬山対策」である。目標が明確だと意欲も出るというものだ。
2002/02/08


■隗より始めよ!
都心に出て、山と渓谷社主催の「山講座」に参加する。改めて基本から学び直しをするのは、すべては白銀の世界を、木蓮と共に存分に逍遥したいという目的の為である。難しい課題を前に、誰がそれをするのだと議論百出するも、誰も率先して申し出る者がいなかった。中国の王様が「隗」という人物を名指しして「お前から始めるがいい」と言った由来による。私の好きな箴言の一つだ。
2002/02/07


■内科検診
ヘモグロビン値7.7。目標値まで、あと一歩の生活改善。
わずか3ヶ月ではあるけれど、データで見るかぎり「劇的に好転している」とお誉めの言葉を担当医師から貰った。偏に「木蓮」の献身のお陰である。
木蓮からプレゼントを貰う。2着目の手編みセーターである。昨年夏から編み始めて「半年」という時間をかけて編んでいてくれたらしい。そのような内職をしているとは露知らなかった。どうりで肩凝りをたびたび訴えていた訳だ。ちょっと袖が長いけど、これはさっそく直してくれると嬉しい対応だった。上品な萌黄色、これを着て山に出かけるのが楽しみだ。

明日は「山と渓谷社」主催の「山講座」を机上聴聞する為に都心に出る。3月には幕山で「危機管理講座」を実地体験。基礎をしっかりトレースして学んで行くというスタンスだ。
2002/02/06


■新しいコース
今日は新しいコースを走った。自宅〜セブンイレブン〜ローソン〜川口北高校前〜埼玉病院から大きな陸橋〜柳崎交差点〜マルエツスーパー〜山田うどん〜消防署〜安楽亭〜自宅まで、おおよそ5キロのコースを辿った。今までのコースより2キロほど長い。3キロでは、ようやくリズムが出てきたのに走るのを止めなくてはならない不満が残っていた。走る力が備わってきているのだろう。後半、かなり全力で走っても息切れがしなくなっている。
2002/02/05


■節分・豆撒き
昨夜、恒例の豆撒きをやった。「鬼は外〜、福は内〜」というべきところを「豆は外〜、、」とのたまってしまった。家人の失笑をかってしまった次第。 立春。木々の芽が膨らんできている。生命爆発の季節は、もうそこまで来ている。厳しい冬を経てこそ桜は見事な花を咲かせる。人もまた同じではないか。 歯科で歯の治療を行う。明日は眼科、明後日は内科で検診。発句:「50年生きて来て満身創痍の体たらく」。う〜む。
2002/02/04


■春の雨
一日、雨。完全休養日とした。明日からまた頑張ろう。
懐かしい金沢の友人からメールが届いた。新聞報道の記事を読んで心配してくれたのだろう。折り返しメールを送信したことだった。熱血漢の彼も、奥様の話では、お腹が出て体力をなくした立派な中年になっているらしい。
2002/02/03


■2002.02.02
先週に引き続き、池袋「秀山荘」に赴き「靴」を試してみた。優れた靴であっても相性が悪ければ使えない。ワンサイズ上の靴が店頭に入るのは3月下旬であるという。諦めて河岸を変えることにした。その店では雪山用のスラックスの注文もしていた。スラックスの丈直しで5000円も取られたが、これはいたしかたのないことだ。河岸を変えて訪れた店は「好日山荘」。ズラリ並んだ靴を前に「ああでもない、こうでもない」と苦吟していたら、年輩のスタッフが声をかけてきた。

棚に並んだ一足の靴が足に馴染んだ。「スカルパ」がイタリアの名門であることは知っていた。西欧の狂牛病の影響で皮厚の靴が作れなくなっていて、これは最後の貴重な一足であると言う。冬の北アルプス縦走を軽くこなすと嬉しいことを言う。(商売人だなあ)。まあ、そこまでのレベルは今の段階では計画していないものの、許容量の大きさは安全にも通じると解釈し、求めることを決定した。アイゼンは、触れれば指を切りそうなモリブデン鋼12本爪を靴に併せて準備した。この段階で「へそくり」はスッテンテンになってしまった。泣。まだ多少の部品が残っているのだが、今のところはこれでいい。今あるもので充分に対応可能だ。まずは丹沢と奥多摩で冬山に慣れることとする。5月下旬頃に雪の山に向かうことができれば、今年の目的は達成できるだろう。

17:40より緊急会議の為に出社。髭を剃り背広を着込むと「仕事モード」に突入してしまう。社長のビデオを視聴し、容易ならざる事態であることを悟ったものの、いますぐどうのこうのということではない。0000億の資金調達の目処はついているが、先方の株主総会を経ての決定になるから3月中旬頃には安定するとのこと。それにしても新聞を始めとするメディアの「言葉の暴力」には辟易としてしまう。なかんずく、某週刊誌類の品のなさには呆れ返って言葉もない。報道管制はあってなきがごとくで意味をなさない。ことごとく情報が漏れるのは、交渉の相手方が「有利な立場」に立ちたいが為に情報リークすることが多いのだ。政治の世界も一寸先は見えないというが、経済世界も同じようなものだ。心して仕事に立ち向かわなくてはならないと改めて感じた。2チャンネルを覗いてみたが、読んでいて気持ちが悪くなった。人は、これほどまでに「悪意に満ちた」落書きを書けるものなのだろうか。匿名という仮面で落書きを行う人間の心の恐ろしさに慄然となってしまった。私にはそのような悪意に満ちた落書きを認める時間などない。

食事を終えた20:30からウォーキングに出る。ここ数日の寒さは、ことのほか辛かった。1月は風邪を引き込むなどで、実質14日ほどしか走ることができなかった。後半、10000歩を超える負荷を連続して経験できたのは良い傾向だった。歩き始めて3ヶ月経過した。更に気を引き締めて「健康管理」に留意しなくてはならない。血糖値のデータが気になるところ。油断をしてはいけないのだ。

4月12日(日)に開催される「秩父七峰縦走ハイキング・42.195キロ」に参加することにした。参加費無料。文字通り、七つの峰を越える縦走ハイキングは10時間近くを歩き続けるイベントである。歩き通す自信、十分にある。やってみましょう!会社の仲間も是非参加したいという申し出であった。ポジティブな発想こそ生きている証。併せて雪山教室への参加もfaxで申し込むことにした。基本を知らなければお話にならない。自信過剰は死に直結する。
2002/02/02


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