山ダイアリー
 2002年03月 


■さようなら、川口
0900、馴染んだ路をカメラ片手に散歩してきた。真向かいの家、おっさんが命より大事な車のワックス掛けに入れ込んでいた。桜の枝枝に若葉が茂り始めていた。交差点地下にあるパン屋さんの明かり。一度しか行かなかった散髪屋。資材置き場(昨夜の内にガーデニングに使える花崗岩の小石を10個ほど泥棒してきた木蓮である)、川面の土手づたいの路、丘陵になっている川口北高校の点景、そこかしこに埋め込まれた生活の記憶を確認したことだ。あっという間にフィルム一本撮り切る。いずれHP上に載せることになる。

木蓮は最後の仕上げに花の小鉢の整理にかかっている。本当に丁寧な仕事をするやっちゃなあ〜。下のゴミ捨て場から新聞紙を拾って来るようにとの指示があった。蜻蛉のように飛んで持ってきた。腰痛を抱えた、私はただ眺めるだけしか能がない。
1000長女に電話。現地午後4時。夕餉の楽しい語らいをやっているようで、賑やかな声が電話の向こうから聴こえてきた。同室のメンバーとBBQをやるのだという。
1015ウォシュレット脱着業者来る。今日が一番忙しい日だという。日本全国どれだけの人が、トラックが走り回っていることだろう。配管の一部が切断されているので、その部品代570円を別途出して貰えるでしょうかとの問いかけ。作業時間ものの10分ほどで風のように去っていった。件数こなしてなんぼの仕事だから、一刻の時間も惜しいのだろう。

1113電気配線を除いてほぼ完了。いよいよ電源off。 1500日通来る。総勢10人掛かりの撤去作業。ほぼ2時間半ほどかかった。1800川口を去る。首都高速に乗り木蓮の実家へ向かった。2000到着。食事、入浴を済ませて早々に布団に入った。神経が冴えていたのだろうか、なかなか寝付かれなかったのでワインを少々飲んだ。
2002/03/31


■新月の宵
桜が風に舞っていた。うず高く積まれて行く段ボールの山。いよいよ明日ここを出て行く。5年に及ぶ生活を振り返り、痛む腰を摩りながら「課題の靴磨き」をすませた。包丁を研ごうと申し出たが、既に段ボールの中に納められていた。これを間抜けという。 隣室の御家族も同じように引っ越し模様。早朝から荷物を運び出す人の気配で慌ただしかった。春は別れと出会いの季節なのだなあとしみじみ思う。去るものは日に日に疎しというけれど、確かにそうだ。新しい皮には新しい酒の喩えもあることだ。気持ちを切り替えて頑張らなくてはいけない。 方丈記の一節「行く川の流れはたえずしてしかももとの淀みにあらず、」はしみじみ味わい深い。作者は方丈の4畳半の栖(すみか)で起居し生活をした。そういえば学生時代に住んだ下宿も四畳半だったなあ。あの頃の荷物はリヤカー一台で事足りた。それが今では、、、。

自炊の道具を段ボールに入れたので食事は外でということになった。外環の近くの「お好み焼き」に向かう。川べりの提灯に明かりが灯り葉桜を照らしていた。この路を歩き走った「冬の季節」を忘れないだろう。この5年間のさまざまな出来事を全て胸に埋めて、明日この地を離れる。

高村光太郎は戦争讃歌の詩を書いたことへの反省を込め、戦後になって東北の山奥で流謫(るてき)の日々を送り生涯を終えた。その厳しい姿勢は私にとって一つの規範となっている。私がかってそうであったように、ただただ母の安寧に心を砕く優しい気持ちの子供たちであって欲しいと願うばかりだ。お彼岸に墓参に行かなかった親不幸をただただ詫びるばかりだ。(どうやらその罰があたっての腰痛ではないか/笑)

新月の宵、次第に明るさを増すはずの光は雲に隠れて見えなかった。すべての支度を整えて、明日午後3時から搬出開始。
2002/03/30


■田園風景
武蔵野線、広がる田園風景、ゴトゴトッ、ゴトゴトッと揺れながら、半ば眠りながら船橋に向かったことだ。南越谷から西船橋に向かう人で混んできた。駅を舞台に様々な人々が慌ただしく交差する朝の風景をひさしぶりに眺めた。人の渦に巻き込まれる不安で心がチクリと痛んだことだ。(お〜、そんな感傷に浸っている場合かよ〜) 全国津々浦々から集まったスタッフが一同に揃った。奇妙な沈黙が場を支配する。まるで仮面舞踏会の雰囲気である。たまさか同期の人間がいたりすると堰を切ったように喋り出す。それが契機となって、あちこちから如才ない会話が始まる。

「どちらか」
「あちらから」
「あそこでは○○さんにお世話になりまして、元気でやっていますかね〜」
「ええ、よろしくとのことでした〜」
「社宅はどちら」
「あそこです」 「ええ!わたしもそこなんですが〜」
「引っ越しはもう終わったんですか」
「いや30.31日を予定しているんです」
「今回は人事が遅れたから大変でしたね〜」

などという意味のない会話が延々と続くことになる。
午後3時から全スタッフ揃っての会議が始まる。支社長の冒頭の挨拶を皮切りに、転任者の紹介と挨拶に30分余りを費やし、ようやく本題に入る。配付された資料をパラパラとめくり、拡声器のようにしゃべりまくる業務担当等の声を無視し、瞑目し、時には本気で寝たりして過ごしたことだ。(予め知っていることばかりであったので)

午後5時より「宴会」。緊張を解きほぐすには「酒」が一番。4月から一緒に仕事をしてから出ないと判らないことが多い。この場は如才ない会話を重ねるのが思い遣りというものだろう。午後8時閉会し帰路に着いた。船橋駅まで徒歩で7分くらい。行き来する人々の流れに同調し、痛む腰を撫でつつゆっくり歩いた。

とても疲れた一日であったなあ。入浴後、しばしMacの前に座ったのだが、TVを眺めてほっとしている木蓮を尻目にしてたちまち寝入ってしまった。日一日と室内に段ボールが積まれて行く。すべて計画通りに片付いている由。おそるべき整理能力というべきだろう。「極楽蜻蛉」の私は何ひとつ手伝っていないのだびょ〜ん。えへん。
2002/03/29


■お買い物
0830床屋--1130市役所--川口そごうにて小西を交えて会食。原由子新譜CDを贈呈--書店--郵便局--スーパー1500--電話移転処理等々の雑用ほぼ完了。 餞別の金子で「日本百名山ビジュアル登山ガイド」上下--朝日新聞社刊を求める。3D図を活用して極めて斬新。今後はこういう種類のソフトが出てくるのだろう。 机上登山に最適、なにより写真が素晴らしい。

明日は船橋に初出社の日。7時のバスに乗り、東浦和から武蔵野線で「とことこ」行かなくてはいけない。生憎の雨模様だ。夕方になり漸く腰痛緩解の兆し。
2002/03/28


■終わった!
1500離任挨拶。1530内科にて検診、投薬(2週間分)、紹介状。ヘモグロビン値6.7、更に改善。ウォーキング/ランニング/基礎トレーニングを始めて5ヶ月の結果が出た。当面の目標「7」をようやく切ることができた。思えば厳しい冬に向かって始めたトレーニングの日々、寒さに耐えて励んだ自分を評価してやろうではないか。

ヨークマートで「弁当ふたつ」「パン」を買って帰宅した。梱包作業で疲れて食事の支度ができないという。もっともなことだ。本日の予定は和室であった由。和室の隅に段ボールがうず高く積まれていた。計画通りに運んでいるとのこと。やると決めたら自分モードでトコトンおやりになる御性格。私が口を出そうものなら雷鳴が轟くことになる。

明日は市役所に行って転居の手続き。郵便局に移転案内手続き。新地での電話番号決定作業(三択)、引っ越し先へのギフト(タオルか石鹸でいいだろう)、その他諸々の所用にあてる。さすがに気が急いて、デジタルカメラのマニュアルも読む気にならない忙しさ。 腰の痛み、起き抜けの朝の痛みに悲鳴をあげた。夕方あたりから幾分和らいできたものの本調子ではない。浦和支社での業務が全て終わった脱力感。
2002/03/27


■花吹雪
搬出と搬入の段取りがようやくついた。月末退去、翌日1日に搬入ということになった。荷物の梱包に拍車がかかるというもの。木蓮は髪を振り乱し千手観音、阿修羅のような働きぶり。一日経つごとに荷物が綺麗に梱包されていく。「極楽とんぼ」と渾名される私は「仕事だけ」をしていればいいというのである。いやはや、、。 眼科にて紹介状を書いて貰う。明日は内科にて検診と投薬と紹介状。午後5時から離任挨拶と散髪。29日に転勤先へ挨拶し1日から本格的な業務に入る。慌ただしい日々は4月中旬頃まで続くだろう。当分の間、山はなし。腰の具合あまり良く無い。骨ではなく「筋」だから3.4日安静にしていればいいのだが、そうもいかない事情だ。参ったなあ。ウォーキングが出来ないのが辛い。

スタッフ各位より餞別に欲しいものがあればと要請されていた。お言葉に甘えさせていただいていろいろな品を戴いた。
●コロンビア製のボトル入れ:ありがとう!
●snow peak製ガスバーナー「地」何と88グラムしかない軽さ。おまけにガス缶までついていた。:ありがとう!
●フジフィルム製「デジタルカメラ」値段は秘密ということであった。:ありがとう!
●書籍:ありがとう!
2002/03/26


■引っ越し日程
木蓮一人でアウトドアルームを片付けるの巻。まあえらいやっちゃわ〜。組み立て式のごつい書棚(東急ハンズ特製)をバラスのでさえ大変なのに。膨大な書籍を格納したという。う〜む、えらいやっちゃで〜。私は、、、、どうも腰の具合がよくない。鈍い痛みを感じる。嫌な予感がする。今、ぎっくり腰になったらお笑いだ。桑原桑原。 先輩が一席設けてくれた。ありがたいことだ。引っ越しの日程がまだ決まらない。人事の発表が遅かったせいで混乱しています。参ったなあ。
2002/03/25


■いよいよ支度を始めるのこと
「さてどこから始めるのかね」とお伺いを立てたところ、一冊のノートを取り出して来た
「月曜日はこれこれ、火曜日はこれこれ、水曜日はこれこれ、、」と一週間の予定が既に書き込まれていたのには驚いた。しかも新しい部屋に配置するモノのレイアウトまで実寸で書き込まれている。「ああでもない、こうでもない」と思案する作業が「趣味」なのだ。

ところで、昨日になって(この期に及んで!)「ガーデニングの苗」が通信販売で届いたのには腰を抜かした。
「おいおい、花屋でもやるんかね」
「えへへ、おまけがついていたよ」
「何?」
「あんたの好きな苺の苗!」
「そりゃ嬉しいね〜」
「でも虫がつくし、せいぜい4個くらいしか実がならないかも」
「それでも食べれる実がなるというのがいいじゃないか」
「そう言うと思ったわ」

明日からいよいよはじまるで〜。ぎっくり腰に気をつけましょう。
2002/03/24


■春の雨
起きたら雨模様だった。山行き中止を即座に決定し布団にごろり横たわった。午後3時頃まで蕭々と雨が降った。桜並木をカメラに収めようとして散歩に出かけた。川の土手沿いに桜を愛でながら木蓮と歩いた。一昨日の嵐と、さきほどまでの雨で花弁が早くも散りかけている。絨毯のように路上を敷き詰めていた。咲けば散るのが定理とはいえ、あまりにも短い生命だ。「春の夜になごりを惜しむ桜かな」。(句になっていないけど、まあいいか)ケヤキが緑の衣装を纏い始めた。ひよどりが飛んで激しくかん高い鳴声をあげていた。春を迎えていろんなものが一斉に爆発している感じだ。

午後3時の散歩の時も少し走ったのだが、走り足りなかったので夕食の後、いつもの通り歩いてきた。ストレッチを丹念にやり汗をかいて入浴したらスッキリした。身体に負荷をかける習慣がすっかり根付いたようだ。カレンダーの赤丸が曼陀羅に見えてくる不思議。ところどころが×になっているところがご愛嬌。

いよいよ明日から引っ越しの支度に取りかかる。不用なモノとそうでないものの仕分け作業を行う。アウトドア道具の一部は後輩に譲ることになっている。渡米している娘の為に揃えた道具もある。書籍、グランテトラの赤い水筒(おしゃれだよ)、EPIガスバーナー(頑丈でシンプル、故障知らず)、snow peak特製のワッパーコンポ(ガスボンベとコッヘルと箸一式、まな板が格納できる優れもの。廃番だから、もう手に入らない。)、コンパス、時計、靴下、帽子、手袋、カメラ(娘が生まれた年に開発されたPENTAX LX)、三脚(留さんが使用していたもの、SLIK製)などなど、しっかりしたものばかり。旅に出たくなったら、それだけあれば充分のアウトドアの基本道具は揃えておいてやろうと思う。靴とザックとレインウエアばかりは合わせてみないとダメだ。残念ながらスポーツ音痴の長男はアウトドアには興味を示さない質だ。とはいえ男は本来、狩猟本能を持っているはずだから少しは期待してやってもいいだろう。ある日突然、山に行きたいと言い出したら、その時は俺の持っているモノを全部譲るまでのことさ。


生活を始めて6年目の春に「指輪」をプレゼント。大枚○○○○○円を叩いた。白金をベースに小さなダイヤが4個、アクアマリンを配置したおしゃれなモノ。むろん、私が選んだ。
2002/03/23


■桜並木を
花曇りの空。図書館に赴いて書籍を返却してきた。今度の住居の近くにも図書館があることが判った。しかも至近距離!(歩いて5分もかからない) 使わなかった灯油一缶をガソリンスタンドに引き取って貰った。蕨駅近くの第一勧業銀行と郵便局で記帳と出金。転居通知依頼のハガキなどを貰ってくる。転居に伴う雑用処理が、いよいよ来週から始まる。

午後4時からウォークに出かけた。桜並木の道を花を愛でながら歩いたら優しい気持ちになった。生憎の空模様。雨がぽつりと降って来た。夜桜で賑わう上野公園の模様がテレビで映し出されていた。晴れていれば絶好の酒盛日和なのに。

古書をゲット。遊歩画人大魔人 坂戸康之著1992年刊行「ハウツーウォーク」---旅は靴ずれ---歩きのスタイル別装備からノウハウまで。ウォーキングトラベルブック「歩き道入門書」-日本列島徒歩縦断横断5108キロを歩いたという筆者のウォーキングへの思いが描き、書き込まれている大作。様々なスタッフが作品に参加していて、いまとなってみれば貴重な本。既に絶版になっていて入手不可。作者の現在が気になるところ。 ウォーキングの技術を説く書籍はいっぱいあるが、このような企画での本はそうはない。1992年、当時の価格で2600円とある。なかなか読ませる。

明日は奥多摩「御前山縦走」に向かう。心急く日々であるからこそ「山」に向かう。「かたくり」の花が咲いているかもしれない。カメラに収めて来よう! 食事の後でザックを整えた。おにぎり三個、水筒に水(いつも2リットル)ZIPPOにオイルを注入。携帯充電、時計、煙草、お金(これがないと大変)、食糧(いつもながら柿ピーとレーズンスナック、小さなラーメン、飴、羊羹ふたつ)その他諸々を点検完了。明日は0450起床、0520自宅を出発し、朝一番の電車で奥多摩に向かい、一日遊んで来ます。木蓮さま、あとの事はよろしくね〜。靴磨きと包丁研ぎは24日にやらせていただきます。
2002/03/22


■春の嵐
桜満開!彼岸前に桜が咲くとはねえ。関東気象台観測以来の記録。ほぼ1年ぶりに板橋の焼肉屋に出向いて食事をしてきた。一日寝てばかりいた。春眠暁を覚えずとは、このことか。心急く日々、とうとう墓参りにも行けず終い。内心忸怩たるものがある。おふくろ、生活が落ち着いたら行きます!
2002/03/21


■送別会
1800浦和にて送別会。二次会まで参加。何時に寝たのか記憶になかった。夕方、”最低限、それだけはしておかねばならぬ”と判断し、長男に電話を入れて転勤のことのみ伝える。パソコンを扱える環境にあった。回線一本余っていたので提供しようと思ったのだが、余計なことだったようだ。 船橋の新しい社宅と木蓮の実家との距離が、自転車で7分余であることが判明した。義理の両親の喜びはいかばかりだろう。私達より先に現場に赴いて情報を知らせてくれている。歩いても4000歩くらいだという。ふぇ〜すんごい確率だ〜。
2002/03/20


■社宅決定!
緊張していたせいもあるのだろう。あれやこれやで疲れた一日だった。社宅が決まって一挙に神経が弛緩した。お風呂は浸かるだけの「烏の行水」。脳細胞が涎を垂らしているような感覚。明日は解散式兼送別会。う〜む、あまり気がすすまない。やり残した仕事とか、できなかったことへの思いとか、さまざまな結果への思いとか、なんだかごちゃまぜになっていて甚だ気分が鬱。新しい社宅のレイアウトなどはすべて木蓮にお任せ。どうやら通勤地獄が待っている気配。それも憂鬱の種。明日のことを思い煩って鬱。さすがに今日は外に出る元気はなかった。まあ、こういうこともあるだろう。こういう時は眠るのが一番の薬だ。おやふぃみ〜。
2002/03/19


■本日のメニュー
朝食:パン一枚。グレープフルーツジュース一杯、目玉焼き、キュウリ薄切り6枚、トマト半分、チーズ一切れ、珈琲一杯
昼食:川口そごう10階で「焼肉ランチ」を食べた。肉は数切れ、野菜はたっぷり、ご飯は小さな茶わん一杯。わかめスープ一杯。珈琲一杯。
夕食:法華干魚半身大根おろし添え、ほうれん草おひたし一杯、大根と人参とさつま揚げの煮物、釘煮、漬け物、ジャガイモとワカメの味噌汁、お茶 デザート:牛乳、林檎(小)一個
バランスのいい食事ができるのも、これ全て木蓮のおかげである。「釘煮」を独りで食べたからといって、それを咎める私ではない。(笑)

日通から荷物搬出の下見に来た由。「30日は避けて下さいませんか」と泣きを入れてきた。そんなこと言ったって、スケジュールがさっぱり判らないから答えのしようがないのだ。船橋には29日から出社ということになった。問題は社宅の稟議である。川口と船橋、距離にして50キロ未満という実に微妙な位置にある。内規では1時間半は社宅変更しないというふうになっているのだ。まったく罪な人事をしてくれる。頼むから20日までに返事をくれ!それによって計画が違ってくるのだ。

彼岸の日には墓参りという習慣になっている。親不孝の限りを尽くした私は、どんなことがあってもそれには赴かねばならない。天気の次第によるけれど、御坂山塊の三ツ峠の山にも向かいたい。昨年の竜ケ岳からの富士山展望は圧巻だった。(まだ書いていないのだが!)大仰なキャンプ支度は、その後始末(メンテナンス)を考えると不可能だろう。(社宅の異動がなければ可能だが)公共の安宿を利用して登ることになるかも。それならそれでいいという判断だ。

20日、25日、29日飲み会ある。(その他にもあるかも) トレーニングを怠らずに頑張る。砂塵舞う強風の中を淡々と走ってきた。小さなトレーニングを積み重ねて5ヶ月。かって陸上時代の身体が蘇るような筋肉の成長ぶりだ。継続は力なりを実感する日々である。こうなると止められない。身体が、走ることを、歩くことを覚えてしまったようだ。
2002/03/18


■開花宣言
桜の開花宣言が出された。巡る季節、桜の花に寄せる感慨はひとしおのものがある。人生のさまざまなステージには必ず桜があった。厳しい冬を経て咲く桜の美しさは喩えようがない。 お昼頃まで「山と渓谷4月号」を熟読して過ごす。午後からウォーキングに出て身体を活性化させた。身体を動かすと脳からホルモンが出てくるのだという。厳しい寒さの季節によく耐えたと自分を誉めてやりたくなる。データ改善の結果、体重が3.5キロ増加した。食事療法と運動療法ふたつがうまくシンクロしているのだ。生活改善は時間がかかる。じっくりと長続きさせなくては意味がない。努力が報われる病気という「まりあさん」の言葉に嘘はなかった。感謝感謝。

社宅申請の可否次第でスケジュールが決まる。遅くとも20日までには稟議の結果が出ればいいのだが。通勤に1時間半かかるというのは、やはり負担だ。もっとも往復3時間あれば単行本1册くらいは軽く読めるし、ウォーキングもできるという点でマイナスばかりではないのだ。タイトな環境でも得るものはあるのだ。

山行記録2つをMLに掲示する。これでようやく「水上温泉紀行」に着手できるというものだ。
2002/03/17


■釘煮
のんびり朝食。午後から図書館とガーデニング農園の定番コース。お礼状を毛筆で認めて投函する。加古川市在住のIさん、かれこれ7年近くのおつきあいになる人だ。パソコン黎明期に、とあるフォーラムで通信を交わすようになった。市井の庶民の代表みたいな人柄、読書好きで好奇心旺盛なポジティブお母さんである。毎年のように播磨灘で採れる「きびなご」を煮た「釘煮」を贈っていただくことになった。釘を入れて煮るのではなく魚を煮た姿が釘に似ているという由来による。倉敷あたりでは「ままかり」なる食べ物がある。隣の家に「まんまをかりにいく」ほど美味しいという意味らしい。会社の同僚の話では「それほどでもなかった」らしいのだが、、。「名物にうまいものなし」というけれど「釘煮」は本当に美味しい。しかも自家製であるから尚更に。

暖かなほくほくご飯に乗せて食べると絶品なのだ。木蓮などは小さな茶わんで何杯も食べている気配である。(見る見る量が減っていっている!もう半分なくなったと言っている。私は小指の先ほどしか食べていないというのに。(うそです。木蓮談))

三日間ほど休んだウォーキングを再開した。今日は走らずに、じっくりと歩いた。桜一分咲。来週あたりに満開を迎えるのではないか。
2002/03/16


■春一番!
春一番が吹いたらしいのだが全く気付かなかったなあ。餞別を贈るつもりが贈られる立場になったので心が揺れているせいだろう。午前中、支社に赴き総務課長に社宅申請の稟議を出す。かくかくしかじかともっともらしい言い訳を語った。ほぼ1時間後に日通から電話。「16日に見積もりに伺いたい」という。まだ行き先も決まっていないというのに気が早いのではないか。3月は引っ越しシーズン、それも月末となれば相当の密度だろう。日通側も一刻も早くスケジュールを入れたいということなのだろう。 午後4時より「個人評価」ミーティングに出席。上司より貴職の今年度の仕事の評価は云々、、。自己申告は全てオール5で出しておいた。(笑)やや補正されたものの、ランクAということだった。どう逆立ちしても収入ダウンは避け難い御時世にある。 1800より課全員と「蟹食い放題」に参加。2230帰宅。先輩諸氏より電話ある。25日に一席設けたいというありがたいお申し出に接する。
2002/03/15


■長い一日
長い一日を過ごした。夕方電話にて異動の発表ある。船橋支社へ転勤。社宅の移動を伴うかどうかギリギリの線。片道1時間半の通勤に耐えられるかどうか。 家族会議を開いて今後の方針を検討する。取りあえず社宅申請を出してみることにする。のんびりできるのも24日までだ。 どうやら42.195キロイベントには参加できそうだ。なんだか疲れたので早々に寝ることにする。ふぇ〜。
2002/03/14


■鎌倉アルプス1/2脱稿
うらうらと心急く一日が過ぎていく。鎌倉アルプス半分脱稿。明日中には出来上がるだろう。予て申し込んでおいた外秩父七峰縦走ハイキング42.195キロの「参加カード」が届いた。私の番号「2219」木蓮は「2552」である。総勢6000人の参加となっているイベントは、さぞかし壮観だろうなあ。ルートを調べてみたのだが、前半がきつそう。添付されていた1/25000図を読み込んでみなくちゃ。果たして参加できるのかどうか、すべては明日判明する。

ホワイトデーのお返しの品を木蓮に頼む。夕方慌てて購入に走った由。まあそれでいいでしょう。笑。

神戸の知人から送っていただいた瀬戸内の春の味覚「釘煮」が美味しい。お手製の品である。許せば何杯もお代りをしてしまいそう。木蓮がちまちまと食べている気配。お礼状を認めねばなりません。早くしないとダメ。お返しの品は何がいいだろう。
2002/03/13


■川乗山登山記録脱稿
川乗山登山記録をようやく脱稿する。併せて鎌倉アルプスにも取りかかる。水上温泉紀行も記憶の薄れない内に書いてしまおう。16日は奥多摩御前山縦走を計画。異動判明は明後日の午後。さてどうなるか気になるところ。いずれにしても14日までにはザックの支度を整えておかねばいけない。13日、15日、20日は飲み会入る。これに個別の送別会が絡むと、、、ううむ、忙しいことだ。異動ということになれば、しばらくは何もできなくなる。それだけに集中してやっておかなくてはならないことがあるのだ。
2002/03/12


■フィルムスキャナー作動!
Nikon製のフィルムスキャナーが作動した。これで写真をHPに取り込める目処がついた。スカジー&USB変換ピン:2600円で可能になった。めでたし!めでたし! 鈴木議員証人喚問、、まるで魔女狩りの様相である。(魔男というべきか)鈴木さん、もう腹を決めたらどうですか。聴くに耐えない言葉の応酬、もういいよ。
2002/03/11


■蟄(むし)が動けば人も動く
温泉三昧で身体が「ぼよ〜ん」としてしまった。午後からスーパーに買い出し散歩に出かけた。早春の花、「白木蓮」が今を盛りと咲いていた。求めたパンと珈琲牛乳を近くの公園で仲良く食べた。私は洗車(GSでやってもらうのが常)、木蓮はガーデン屋に赴いて「チューリップ」を連れて来た。車を飾る趣味はないのだが、しゃれた部品を求めに近くのホームセンター行った。ガーデニングフェステバルみたいな企画をやっていて、大勢の人が集まっていた。小春日和に誘われて虫だけではなく人も動くの喩え。 当然のことながらこれといったものはなかった。携帯電話を格納するプラスチックとかボトルホルダーとか、まるでセンスがないものばかりが並んでいる。(あんなものいらんで〜)outdoor生活を指向する者としては「mont-bell」「snow peak」のロゴマークをさりげなく貼るのがオシャレというものだろう。そういえば家にあるなあ。

NIKON COOL SCANをパソコンに繋ぐ作戦に着手した。ドライバをインストールしてコードを接続させるまではいったのだが、スカジー&USB規格の変換ピンが合わないのには困った。会社に余っている備品でまかなうことができればいいのだが。この作戦がうまく行けばネガ、ポジフィルムからダイレクトに画像を取り込むことができる。今まで揃えた35mmシステムを全面的に活用できるというものだ。むろんデジタルカメラは揃えるのだが、それは「おもちゃ」程度の品でいい。

16:30よりトレーニングに出る。1時間半かけてゆっくりとウォーキングしてきた。歩いて走り、温泉で「ぼよ〜ん」とした身体を目覚めさせた。実に気持ちがいいのだ。 来週末に人事の発表がある。それまでは穏便に仕事をしようではないか。もし、異動ということになれば生活が一変してしまう。と、いいつつ21日〜24日までの連休をどう過ごすかの作戦も考えなくては。異動がなければ、、異動があった場合はの二つを考えなくてはいけない。

名古屋の友人から電話有る。子息が国立大学にめでたく入学、中学3年生の次男が無免許で掴まり家庭裁判所出頭を命じられた、、携帯電話が欲しいと叫んでいる由(写メールと言うものが是非とも欲しいと言うのだ)、娘は、、、。単身赴任の彼は炊事も自前でこなさなくてはならない。スーパーで「鯨の刺身」があったので、これを魚に一献やるとのこと。おとうちゃん!はガンバらなくてはならないのだ。
2002/03/10


■「桑風庵にて」
06:00起き抜けの寝ぼけ状態のまま朝風呂に向かった。 山上直下、凛冽の朝の冷気が肌を刺す。浴槽に身体を沈めて、ようやく意識が戻ってきた。誰もいない、私だけの空間。露天風呂の湯気が空に消えていく。瞑目して川のせせらぎの音を聴く。次第に空が明るくなってきた。隣の女性風呂からお母さんと木蓮のはしゃぐにぎやかしい声が聞こえ始めた。

07:30朝食の時間。09:30精算を済ませて宿を出た。道の駅で「お土産」を支度し、高速に乗った。 快晴の空、雪化粧の谷川連峰が全身を惜し気も無く見せてくれた。谷川岳の象徴、双耳峰がくっきりと姿を見せていた。汗を拭き拭き登った懐かしい子持山獅子岩、彷徨い歩いた爆裂火口の榛名山、朝夕眺めた浅間山、奇岩連なる妙義山、草津白根山も雪の中、裾野を広げて並び立つ赤城山の峰々の一大パノラマを眺めながら、一路「桑風庵」を目指した。ちなみに木蓮が初めて登った山が「赤城山」であった。鍋を伏せたような形の鍋割山はいつ見ても変わらない。赤城山パーキングで旅行の記念に「群馬の山歩き130選」上毛新聞社刊 初版平成2年12月30日平成14年1月24日17版を求めた。

12:00到着。一升の「蕎麦」と野菜、舞茸天婦羅を注文した。大きな皿に盛られた蕎麦と天婦羅が並ぶ。何にでも一言ある親爺さんが、一口食べた途端「うまい!」と言った。俄然、食欲を示して食べ始めた。「死ぬほど食べていただきましょう」更に5合を追加で注文したことだった。
2002/03/09


■日本一
信越線土合駅は日本一のもぐら駅。昭和四十一年、延べ291万人、総工費50億の巨費をかけて作られた。駅校舎から階段を500段ほど下ったところに地下ホームがある。まるでフランス映画に出て来る地下鉄のような趣である。東京方面から谷川岳を目指した岳人たちは、まずこの階段の洗礼を受けた。土合駅は雪にすっぽり埋もれていた。雪を割って(ラッセルして)構内に入ると若い登山者がザックを開き食事の支度をしていた。若いカップルがものめずらしそうに構内の色褪せたポスターなどを見入っていた。よほどの時刻表ファンでもなければ訪れない場所である。時刻表に記載されている本数は上下併せて10本しかない。新幹線が開通した今となってはかっての賑わいは望むべくもない。

義理の両親と木蓮と4人で地下ホームへの階段を降り始めた。ひんやりとした冷気が漂っていた。おかあさんのはしゃぐ声がトンネルにこだまする。ちなみにヤフーで検索したところ、おおよそ1300本ほどヒットした。知る人ぞ知る「名物もぐら駅」なのだ。( http://www6.airnet.ne.jp/ymorita/doai/doai.html )ホームで記念写真を撮った。谷川岳を目指した多くの岳人たちの姿が、声が、熱気が彷佛と浮かびあがってくるようだった。東京からの乗り継ぎだと0830到着が一番列車となる。往時にならって、土合駅階段を登る登山も悪く無い。

湯檜曾川沿いの宿に入ったのは1500近くだった。目の前には雑木林のたおやかな稜線の山、湯檜曾川のせせらぎの音が心地良かった。ゆったりと温泉に入り美味しい料理に舌鼓を打ったことだった。寡黙な親爺と明るいお母さんは、とても喜んでいる風情だった。粉雪舞う露天風呂に三回も入った。
2002/03/08


■イントラ掲示板
社内の若手が立ち上げたイントラ掲示板の投稿を読んだ。私にも参加して欲しいとの要請があり秘密コードを教えてくれた。 匿名式で誰が発言したのか判らないようになっている。 会社への不満、一部の管理職への悪口雑言などが書き込まれていた。前向きの発言であるなら参加もしようが、これではまるで「会社版2ちゃんねる」である。 若さから来る正義感と、既に諦め世代の、いわば丸くなった日和見世代とでは意見が違うのは致し方ない。だが、自分たちだけが仕事をしているのだという専横な思い込みはいただけない。それぞれの立場に至るまでの時間を量らなくてはいけない。長年に亘って仕事をしてきた人間を舐めてはいけない。

イントラといえどもシステム管理は会社側が握っている。匿名であったにせよ、いざとなればIDベースで調べることは充分に可能なのだ。 匿名ではなく名前を名乗って発言しなくてはならない。それが会社に籍を置く者の責任である。 「○○とはさみは使いよう」というタイトルは不愉快である。当事者が、それを覗く機会が皆無とは言えないのだ。スパイはどこにでも居る。 若さは、両刃の剣である。社外のシステムを使って書くのなら、まだ許せる。社内システムを使うのは(業務時間中に)いただけない。そういうのを獅子身中の虫という。蟻の一穴から壊れる喩えもあるのだ。八方気を配って一分の隙もないように振る舞わねばならない。それが組織人の基本的な在り方である。Nよ、Tよ、くれぐれも自重せよ。
2002/03/07


■白木蓮
雨の匂いのする一日だった。白木蓮が一斉に花弁を開く季節になった。どこもかしこも一斉に春の気配だ。 検査データ僅かに改善。ヘモグロビン値7.4、これからが本当の戦いになるだろう。眼底、尿共に異常なし。食前に飲む薬を1ヶ月分貰う。 今日からトレーニング再開。軽く流す程度で済ませた。2日の貯金が効いていることを感じた。まだ走れそうだったが、敢えて軽く流した。無理をしないで淡々と続けることが大事なのだ。明日は、今日より負荷をかけて、段々にレベルをあげていくことにしよう。
2002/03/06


■パソコン事始め
4月から、会社のシステムが本格的に稼動しはじめる。それぞれが専用の端末を持つ時代になった。誰もが操作できて当然、全ての連絡はパソコン経由でやってくる。52才のおばさんが私に「パソコンを教えて下さい」と三顧の礼。なかなか礼儀正しい人なので丁寧に教えてあげることにした。時たま「差し入れをしてくれる」おばさんでもある。何、本当は自分が食べたいから買ってくると大口を開けて笑うのだ。金歯がキラリ輝くのが御愛嬌。病気の私は、ほんの少しだけいただくことがある。ちなみにトライアスロン走者の奥様である。

夜半から雨模様。明日は春一番が吹き荒れるとのこと。ようやく筋肉の痛みが緩解してきた。2日30000歩歩いた貯金もなくなった。明日からトレーニング再開。病院の検診日でもある。一喜一憂しないで淡々と生活していくことが大事。昼食ランチ、どうしても脂モノが多くなってしまう。油断をしてはいけない。肝に銘じて対処するべし。
2002/03/05


■上には上が
会社の同僚の御主人は59才で現役のトライアスロン走者。水泳からランニングから自転車まで幅広くこなすという猛者である。休みともなれば全国津々浦々の大会に出かけて元気旺盛。若い時に二人揃って奥多摩の野山を駆け巡ったことがあった由。穂高に登りたかったけど、ある時点で「山」が止まってしまったと言うのだ。子供がついて来なくなったというのが理由らしい。子供にしてみれば、訳も判らず山に連れていかれても御迷惑というもの。ちなみに、その御主人は若い時に組合活動に奔走するあまり会社から干されてしまい、一時は就職浪人の時代があったそうだ。「妻である私が生計を支えて頑張ったのよ!」と誇らし気に語るのであった。 来年、定年を迎えるそうだがトライアスロン競技には参加し続けると宣言しているそうだ。うう〜む、上には上がいるもんだと感心した次第。

昨日に引き続き筋肉痛で唸っていた。正座を余儀無くされる状況があり、唸りながら「正座」をしたことだった。当然のことながらウォーキングに出るなんてとんでもないことだ。無理をしては元も子も、、いや本当に痛いのだ。あれだけ鍛えていても、使う筋肉の種類が違うのだろう。いてて!

奥多摩登山記録、ようやく序章を書き上げる。鎌倉アルプスも併行してメモ。お昼休みの僅かな時間で走り書き。ブロットさえ決まれば一気呵成に仕上げることができる。 昨年のキャンプ(本栖湖、宝台樹キャンプのこと)もまだ書き上げていない。ブロットを決める作業を急がなくては。
2002/03/04


■雛祭
雛祭。2ヶ月ぶりで娘の声を聴いた。極めて元気そうであった。日本に帰省してきたら信州に住む母と一緒に暮らすのだという。共に暮らす部屋を支度して心待ちにしている母の気持ちを、瞬時に推し量る優しさを持っていることが嬉しい。それは長男にしても同じことだろう。二人とも、母思いの良い子供に育ったことに感謝しなくては。 問題は、この極楽蜻蛉、不肖の父の生きざまだろう。表舞台に立つことは憚られるというもの。先様の御家庭にも御迷惑なことだ。「父はなくとも子は育つ」のである。

昨日の余韻は脚の痛みに。「鎌倉アルプス」「奥多摩・川乗山」の記録を明日から、ちまちま書くことにしよう。さすがに今日はウォーキングはいいだろうと妥協しそうになったが、夕方スーパーまで散歩してきた。筋トレ、、ふくらはぎの痛みで、それどころではない。夜には沈静化した。回復は思ったより早いみたいだ。これも訓練の賜物だろう。

3月3日「雛祭」を記念して閉鎖したMLを復活させた。昨年、病気が判明して急遽閉鎖した。多くの人に御迷惑をかけたことだった。アウトドア系ではなくメンタルな部分を書き込める部屋にした。
2002/03/03


■貧しき人々
予定通り、0500起床、0557東浦和駅から西国分寺、立川経由で奥多摩に向かった。0845登山口到着。雪渓の斜面を喘ぎながら延々と登った。アイゼンを使わないで登った分、エネルギーを二重にロスした。4時間後、川乗山頂上に立つ。視界ゼロ。1545鷹の巣駅下山。1830帰宅。お風呂と食事と、美味しい珈琲と。歩いた歩数「31542」消費カロリー「685」、いうまでもなく万歩計装着以来の最高記録。暮れに登った丹沢縦走の方がきつかったかも。心拍計を装着していれば、もっと精緻なデータが出せるのだが、、まあこんなものか。メモを取ってあるので地図を眺めて記録に着手しよう。

いよいよ来週は谷川岳に向かう。赤城山山麓の蕎麦を、義理の両親に食べさせてあげたい。そのうまさは絶品なのだ。

電車の中で見かけた中国人と思しき若いカップル。女性の左手には銀のリングが。素足で短靴を履き、外套も着古したもので色褪せていた。なにより素足のあちこちに痛ましい傷跡。どのような生活をすれば、あのような痛ましい脚になるのだろう。女性の目線の空ろさが異様だった。心の病によるものなのかもしれない。容貌は10人並以上、きちんとした生活をしていれば際立つ美しさ。優しい旦那様が、言葉をかけるのだが笑いというものがまるでない。生活の中に笑いというシーンがないのだろうか。貧しさという言葉が、ふと浮かんだ。ドストエフスキー「貧しき人々」のラストシーンが脳裏に浮かんだ。あの夫婦の生活の貧しさに心を傷めた。西朝霞駅で降りて行った。もう逢う事もないだろうなあ。世の中には様々な人がいるのだ。朝からノー天気に「山」に遊んでいる私も、その中の一人に違いない。
2002/03/02


■弥生
台所で木蓮が「おにぎり」を握ってくれている。明日の朝飯と昼飯分。04:00に起床して05:20駅に向かって歩き始める。山小屋にシンクロさせて2200には布団に入ることにする。予て計画した山に向かわせていただく。今か今かと出番を待っていたザックが部屋の片隅で存在を主張しているようだ。全ての支度を整えた。 「岳人1月号」季刊誌「春山」を求める。机上登山の密度も更にあげていく。
2002/03/01


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