山ダイアリー
 2002年04月 


■激論
4月が終わろうとしている。仕事の擦り合わせ作業も一段落した今日、現場の管理職と我々と会議の場を持った。1600〜1700まで互いの出方をさぐり合い、隙あらば寸鉄を刺すという雰囲気だった。マニュアルにしたがって正論を述べる我々と、現場を優先してくれという責任者。意見の相違が基本にある。建て前と本音を使い分ける組織の構造は今も昔も変わらない。ああ、嫌だね〜。それにしても雑用の多い支社だなあ。会議が多い分、資料作りも大変だ。適度なストレスは脳細胞の活性化に役立つ。 まだまだイケルで〜。

蕭々と雨降る一日。待望の「エアコン大魔王」が我が家にやってきた。足立区新田時代、3回の夏をエアコンなしで過ごしたことがある。強烈な西日が差し込む木造ボロアパートであった。至るところから小虫が湧き出し、ゴキブリが傍若無人に出入りした。雨ともなればトタン屋根の物音も物悲しい。盛夏、近くの図書館に逃げ込む一手。ありがたいことに図書館は2000迄OPENしていた。日中のとても暑い時は浴槽に水を張り何度も行水をしたことだった。ともあれエアコンが来た。湿潤の梅雨の季節も快適に過ごせるというものだ。これを極楽と言わずして何と言う。

雨であったのでウォーキングに出ることはできなかった。室内トレで30分汗を流した。
2002/04/30


■みどりの日
朝から計画策定に取りかかる。場所は西丹沢玄倉と決まった。萌える緑に溢れる山を歩くというコンセプトだ。檜洞丸と未踏の畦ケ丸を目指す。 午後から早速支度にかかった。大きなファミリーテント道具ではなく山に向かう最小限を選びだした。montbellを使うのは妙高以来のこと。メンテナンスも楽だしという本音の見え隠れ(あは)一泊3500円で2泊する。むろん米は炊くし味噌も醤油も持参する。
往復の交通費を含めても20000円以内の予算でOK。ミズバショウ咲き乱れる尾瀬も棄て難かったのだが、大混雑は御勘弁だ。

午後5時から走りに向かう。三日目の壁は楽々越えた。慣らし運転完了、いよいよ明日からが本番になる。仕事を終えて帰宅後のウォークが大きな山になる。多分2100〜2200あたりの「深夜の徘徊」ということになるだろう。警官の職務質問に遭遇しなければ幸い。笑。この3日間はその為の予備練習みたいなものだった。ぶっ続けでどこまでできるか試してみよう。
運動の後のお風呂が気持ちいい。一杯の牛乳が実にうまい。雑炊と味噌汁と漬け物の食事支度。休日の定番メニューである。(福井永平寺の僧侶に倣って一汁一菜、質実剛健という訳だ)義母から貰った糠床に好物の茄子が入れてある。慣れない手付きで糠床を捏ねる仕種がどことなくおかしい。白魚のような指がだんだん「お母さん」になっていく。それが生活というものだ。
2002/04/29


■エアコン大魔王
生活環境を整える為の「大きな買い物」のエアコンを求めに町郊外のショップに行った。
三菱の「霧ヶ峰」東芝の「大清快」デラックスタイプが最終候補に残った。予算100000円以内という条件下で、仕様の違いを店員さんに熱心に聞く木蓮がいた。 昨年の型落ちと今年の商品の違いは「掃除が奥までできること」だけだという。むろん外観も違っているのだが決定的な差というものはないとのこと。値段の違いは大きく、約50000円!。「たったそれだけで50000円も違うの」と目を剥いた私。店員さんも苦笑いを浮かべていた。 はっきり言ってエアコンはドル箱商品なのだろう。価格の設定もさまざまな「からくり」がありそうだ。
木蓮を喜ばせた機能は「除湿」だった。寒くならずに除湿ができること、マイナスイオンが沢山出て来て、まるで森の中にいる気分が味わえるという点だった。(ホントかいな)木蓮の英断をもって昨年型落ちの「大清快」で手を打った。いつもに「こにこ現金払い」の木蓮の財布から「福沢諭吉」が11枚出ていった。元々の価格は250000円という設定になっているから、まあ半額以下で購入できたということだろう。家電製品の価格設定は不可思議の一言。大枚出費の木蓮だが、流石に顔面蒼白になって「今日はもうこれ以上絶対お金は使いたくないわ」という面持ちであった。といいながらガーデニング店に立ち寄り、気分直しといながら「銅葉ベコニアセンパ」(252円)をいそいそと求めていたっけ。福沢諭吉に比べれば可愛いものではないか。

午後5時、実家に押し掛けて晩飯の馳走にあずかる。木蓮は電車で3つ目、私はランニングで実家に向かうことにした。途中で水が欲しくなるかもと心配し120円をふところに忍ばせた。行倒れもありうる。携帯も所持していないから捜索は難しいだろうと思いつつ元気よく走り出した。所要時間26分であった。結果として僅かに私が速かったようだ。休日などのロングコースとして設定してもいかな。毎週のように晩ご飯を狙われたのでは実家もたまったものではないだろうなあ。

2100帰宅してからGW計画策定作業に取りかかった。いずれにせよ関東から出るのも戻るのも容易ではない。溜息も出ようと言うものだ。西に向かうには首都高速を越えなければならず(あんなおそろしい道はよう走れん!)東に向かうにせよ、遥かに遠大な距離を走らねばならぬ。そのいずれも私はシンドイ(もう若くはないのだし)。 コンセプトがなかなか決まらないことに疲れて早々と布団に潜ったことだった。
2002/04/28


■トレーニング再開!
午前中は山小屋(アウトドアルーム)の整理。大雪山と北アルプス全図を壁に貼る作業。書籍のレイアウトと道具の陳列に情熱を燃やす。午後、北習志野駅界隈まで散歩に出る。それだけで「ぐうたら」状態になってしまった。思った以上に疲弊していることが判る。(身体の調子が悪いということだ)
3時〜5時まで炬燵で眠る。夕方、意を決して、ほぼ1ケ月ぶりにトレーニングを再開する。先週のハイキング参加が呼び水だった。自宅周囲を探検ウォッチングしながらウォーク&ラン。近くに運動公園があるのを発見した。4591歩/2480歩(有酸素歩数)運動時間40分。公園の滑り台の台座にぶら下がり背筋を伸ばす、大腿歩数100歩(ストレッチ)身体が蘇る感覚を久しぶりに味わった。大枚を払ってスポーツセンターに行く事はない。その気になりさえすれば道具は何処にでもある。流石にプールだけはない。船橋市営のプールを利用するのもいいだろう。3月末〜今迄、腰痛、ストレスなどで基礎トレーニングができなかった。最初の一歩をようやく始めることができて私は非常に嬉しい。仕事のある日は2100前後から歩き始めることになるだろう。
2002/04/27


■疲れた〜
率直に言って疲れた〜。こころゆくまで「ごろ寝」をしようと私は思うのであった。もうあとのことは俺知らんぞ〜の気分。
2002/04/26


■病院
尿の検査をしたところ糖が+3〜4出ていた。予想通りデータが悪くなっていた。一からやり直しになったということだ。焦らず気張らず淡々とやるしかないなあ。 同じ薬を処方して貰った。ほぼ1ケ月運動をしなかったこと、食生活、環境の激変によるものだ。一日も早くリズムを掴まなくてはならない。週末あたりから基礎トレーニングを再開しよう。どうでもいいことだが、内科の医師は若いケバイ女性であった。笑。
2002/04/25


■緩解の兆し
腰の痛みも、脚の痛みもようやく和らいできた。通勤、仕事のリズムにも慣れてきた。薬が切れてきたので医者に行かなくてはならないだろう。明日あたり行ってみることにしよう。
2002/04/24


■草むしり
社宅一斉の「草むしり」があったそうだ。同じ会社に籍を置く「おかみさん」たちの月に一度の親睦を兼ねている。腺病質な木蓮に耐えられるかと危惧したのだが、卒なく愛想を振りまいて草むしりをしたらしい。何と生まれて初めての「草むしり」であったよしだ。腺病質も齢を重ねれば少しは逞しくなるのだなあと、笑ってしまった。 会社で使うマグカップとインスタント珈琲を町で求めた。段々と自分の居場所を確保しつつある。4月ももう少しで終わる。GW、前半はゆっくり骨休み。後半から活動開始とする。あまりにも慌ただしい2ケ月だった。脚の痛みが和らいだらウォーキングも再開しようと思う。
2002/04/23


■日向夏みかん
多少の脚の痛みはあるものの負荷をかけたせいで身体はすっきり。やはり運動は気持ちがいいな。宮崎の親戚から夏の匂いの「日向夏」が届いた。「故郷は遠きにありて思うもの、うらぶれて異土の乞食となるとも帰るところにあるまじや」と詠った室生犀星の詩を何度口ずさんだことだろう。
2002/04/22


■外秩父七峰縦走ハイキング大会
まさしくハイキングレベルの企画だった。ウォーク感覚で臨んだ私がバカだった。来年、再びレベンジ!笑。顛末はいずれ書くことにしよう。帰りの電車からメモをパソコン宛に送信しておいた。本日よりADSL始動。そのレスポンス早さにに舌を巻いた。光ファイバーは更に上を行くというではないか。ジーコジーコのダイヤル回線の時代よ、さらばというところ。ひさしぶりに歩いたのでぐっすり眠ることができた。
2002/04/21


■いざ!鎌倉
1200迄布団の中。午後から図書館、スーパーに買い出し。外秩父七峰ハイキング大会参加の支度を整える。今から池袋に向けて出発。今夜は2100には布団に入らなくてはならない。酒をかっくらって眠ることにする。晩飯は池袋のどこかでラーメンと餃子で済まそう。軍資金15000円支給あり。いざ!鎌倉。
2002/04/20


■津田沼界隈
1800仕事を終え木蓮と津田沼にて合流。銀ブラならぬ津田沼ぶらり。「松屋」にて焼肉定食の夕食。 木蓮は忙しかったらしい。ADSL配線に必要な「ランケーブル」とデジタルカメラ専用の「ACアダプター及び電池充電器の購入」(あまりにも電池を喰うので驚いてしまったらしい)、更には「エアコン」の下見などもしていたとのこと。長年使っていたラジオが壊れてしまったので「ラジオ」を探しにイトートーカドー、ジョーシンなどを見て廻った。探してみるとラジオ専用というのはなかなかないものだ。我々の世代はラジオを聴いて育った。深夜放送には格別の思いがある。

シルバー世代を意識した商品作りをした一台のラジオが目についた。木目化粧を施してかわいい達磨さんみたいな図体をしている。値段はちょっと高め(8500円)だったがスピーカーが大きいので良い音が出ると判断した。操作系シンプル、それぞれのダイヤルが大きいのが気に入った。明らかに高齢者向けのコンセプトで作られていて、ちなみにSONY製である。

私はデジカメ専用の「カード」を求めた。16Mカードが付随していたのだが、これは予備として使ってメインに64Mを装着した。まあこれだけあれば相当使えるだろう。それにしてもデジカメは電池を喰う!予備電池なしには恐ろしくて使えたものではない。度ごとにアルカリ電池を購入するのはたまったものではない。フィルムと違ってコストを意識しないで使える点がいい。パソコンへの転送は至極簡単。加工も編集も思いのまま。但し、電池があればの話。かくして電池充電器居が必須の所以。 本日、ADSL専用のモデムが届いた。NTTによる配線工事も今日行われた由だ。私の知らぬ間にインターネット環境が着々とできつつある。リビングのパソコンデスク付近にはFAX電話器、携帯充電器(2器)、MO、フィルムスキャナー、iMac、電池充電器、デジタルカメラ専用ACアダプター、更にこの上にインターネット専用のモデムまでもが揃うことになる。交差する地獄模様の配線のデコレーションは、むろん木蓮が担当する。(私が触ると怒られる)
2002/04/19


■シルクロード
細切れの時間を見つけて「ひとたびはポプラに臥す」を開いている。1巻と2巻を同時進行で読んでいる。忙中閑あり、細切れの時間を活用すれば全集だって読める。 中国大陸を流れる黄河は全長5400キロに及ぶという。中国の東と西を貫通する道、それがシルクロードである。そこで暮らしている人々の顔が行間から溢れ出す。気の遠くなるような時間を刻み、夥しい生死を繰り返した人達の容貌が彷佛としてくる。古の彼等の時間と現代に生きる我々との違いに思いをはせる。 今でも、その地域では生活に必要な水を得る為に片道5キロの道のりを黙々と6回も往復する人達がいる。満員電車のつり革に掴まり必至で居場所を確保しようとする人達がいる。
習志野駅付近に小さな書店を見つけた。山と渓谷5月号を求めた。
2002/04/18


■歓迎会
昨夜は早く寝たお陰でヘリヘロ状態を脱する。午後7時より船橋グランドホテルにて歓迎会。スタッフ総勢74名が一同に会し、賑やかな酒宴。4月も中旬を過ぎて互いの仕事のスタンスなどが把握できてきた。最初の頃に比べると随分リラックスしてきたようだ。JR津田沼駅〜習志野駅までの帰路も馴染んできた。郷に入っては郷に従うというのが知恵と言うものだろう。とはいえ自分の杭は伸ばさなくてはならない。存在感を示す仕事をしていく事がより求められているのだ。
2002/04/17


■ヘロヘロ
歯痛。疲弊ヘロヘロ状態で会社に赴く。昼食まともに食べれず終い。ウォークする時間の捻出。リズムが狂ってしまっている。このままではダメだから何とかしなくてはいけない。箇条書きにメモを認める。もう寝よう。明日は少しは元気になっているだろうか。
2002/04/16


■告別式
0800起床食事1030記念撮影 遺族代表挨拶の練習 1200告別式始まる 1300釘打ち 釘を最後まで打つ役目 金の金づちを持たされたこと。 1500宮崎へ移動。日向夏みかん一個。送付依頼。1730宮崎空港 会食 1900発2030着 2300自宅到着
2002/04/15


■羽田空港にて
津田沼駅から総武線快速で浜松町〜羽田空港まで2時間。カードを差し込めば瞬時に切符が出て来る便利さに舌を巻いた。1200発宮崎行き。こぼれるような笑顔のスチュアーデスのきびきびとした動きは訓練の賜物というべきだろう。最高の笑顔を提供するというコンセプトで貫かれたサービスシステムは素晴らしい。スポーツにせよ何にせよ、訓練された人の動きは美しいものだと改めて感じ入った次第。むろん容姿は10人並以上というのが基本だろう。それに知性と訓練が加われば鬼に金棒というべきだろう。鬼はないだろう/笑。

宮崎空港1335到着。空港からダイレクトに日豊本線に乗り入れることができるようになっている。1431発鈍行電車、のんびりローカル線で門川町まで電車に揺られた。広がる田園風景、田植えをする姿が早くも見られた。乗り降りする人々は皆、懐かしい宮崎弁を話していた。13才の冬までここ宮崎で暮らしていた。街角のそこかしこに埋められた記憶は今も鮮やかだ。

1600門川町に到着。タクシーで叔父の家に向かったが遺族は全員斎場に移動した後だった。慌ててタクシーを呼び戻し後を追った。以下の顛末はいずれ詳細に認めるとして(現在疲弊してヘロヘロ状態にある)ブロットを記すに留めておく。斎場 通夜  神道 手の合わせ方 親族一同に揃う図 茨城と石川から新幹線利用の叔父夫婦、回送の新幹線に閉じ込め事件、打ち合わせにて最後の親族代表挨拶を担当 ひな形を暗記咀嚼し、自分の言葉で表現しなくてはならなくなったこと 通夜風景 雑魚寝 土浦叔父の唯我独尊的毒舌と鼾事件 明け方0400まで眠れなかったこと 
2002/04/14


■葬儀参列
今夕1806分、予てから危ないとと言われていた、おふくろの兄が死去した。叔母から電話があり「葬儀に行くかどうかは、お兄ちゃんの判断に任せる」と電話を切った。 さて私は考えた。行くべきか行かざるべきか、、さほどに世話になった記憶はないし、私の人生に彩りを添えてくれた人物でもない。おふくろ生存であれば駆け付けることは違い無い。不肖の倅の「親孝行の真似事」として意味があるだろうと判断し、即座に支度を整えたことだ。香典代は30000円も包めばいいだろう。往復の交通費で70000円、合計100000円が飛んで行く。月曜日忌引きの連絡等で2100近くまでかかった。木蓮が喪服とネクタイと数珠とカード、お金などを素早く整えた。

羽田発1200宮崎着1326。そこから日豊本線鈍行で日向まで。告別式を終えるのが1500頃、宮崎最終便1900で帰路に着く。帰宅は15日深夜になるだろう。冠婚葬祭は浮き世の義理。叔母は幸いなことに20日ほど前に病床を訪れて会話を交わすことができた。そういう意味では「後悔はない」と言っていた。兄妹である土浦の叔父は「這ってでも行く」という。それなら危篤の報が流れた3月末に這ってでも行けばよかったではないか!と腹が立ったことだ。生前に一目会うことが大事なのに。老いて決断が鈍ったのだろうか。何より本人が入退院を繰り返している身である。家族への遠慮もあったのだろう。その胸中を察して配慮する人材が周囲にいなかったということだ。哀しいことと言わねばならない。そういう私も母の最後を看取ることができなかった親不孝者。余人のことをとやかく言う資格はどこにもないのだ。う〜む。
2002/04/13


■2週間
通勤の電車にも、支社での雰囲気にも漸く慣れた。引っ越しの荷物を90%近く解き基本的配置をほぼ完了した。(木蓮と義父のお陰で、、私はちっとも手伝わなかったのだが/笑)愉しみの住のデコレーションはじっくりこれからだそうだ。北6畳のアウトドアルームは盛観だ。畳とは別枠の板の間に組立式書棚に整然と本が並びグッズ類はすべて押し入れにパーティーションで区切られて格納された。実に見事に整理されている。部屋の中央には厚さ7cm幅180cmの木材が据えられていた。私が書き物をしたりグッズをいじったりする空間にしたかったという。昨日朝から晩まで食事も摂らないで打ち込んだのだというのだ。(木蓮、あなたは偉い!)北アルプス、知床、大雪山1/25000全図カラー版がアウトドアルームの主人公になるだろう。デジタルカメラで撮影しHPに掲示してもいいだろう。(まだデジタルカメラに触ってもいないのだが/笑)

衣食住の密度が日増しにあがってきている。そろそろ遊びの計画を立案しなくてはならない。一緒に仕事をすることになった若手スタッフが「自転車野郎」であることが判った。全国レベルで徘徊し、あちこちの大会に出ているそうだ。同じアウトドア派の出現で先々楽しみになってきた。津田沼のアウトドア専門ショップの店なども紹介して貰ったことだ。
2002/04/12


■凛として
会議の内容は実に厳しいものだった。会社が置かれている状況と「達成しなくてはならない数字」への貢献度を数字で評価するというものだった。まさしく能力を問われる時代になった。更に1500人ものリストラを押し進め人員削減を行う予定である。会社が何かをしてくれるのではなく会社に何ができるかを真摯に問われることとなったようだ。襟を正して仕事に臨まなくてはならない。大いに働き大いに遊ぶというスタンスに変わりはない。決してストレスで自滅することのないように。気息奄々の中年だけにはなるまい。

娘からメール届く。山本周五郎「さぶ」とドストエフスキー「白痴」を読んだと。書に親しむことを覚えたのなら、もう私の出る幕はない。情操豊かな娘に育ってくれたことにただただ感謝である。長男もことさらに優しい質だが、まだまだ途上にある。男子三日会わざれば刮目すべしという言葉もある。大いに期待しようではないか。
2002/04/11


■分水嶺を越えて
支社スタッフによる歓迎会に参加した。ビールが実に美味しかった。武蔵野線ゴトゴトッのあの日から船橋での仕事が、生活が始まった。元の職場は大宮と統合されて「さいたま」という名前に生まれ変わった。由来も歴史も、スタッフとの夥しい想い出を回帰する場所そのものがなくなってしまった。去るものは日に日に疎し、それでなくては新しい生を生きることはできない。惰性ではなく創造の時間を刻む、ここ船橋が私の拠点なのだ。 腰の具合は相変わらず良くない。万歩計を忘れてしまったので計測不能。平均をとれば10000歩を軽く越えているはずだ。
2002/04/10


■雨
生活を彩る小物たちが、そこが私の場所と主張し始めた。あるべきものが元の位置に収まりほっと安堵の息を漏らしているかのようだ。新しい花が咲いたと木蓮が言う。「そうか、それはよかったね」と私。関東久しぶりの雨模様。
2002/04/09


■「星と嵐」
1週間経過して、さしもの興奮生活も落ち着きを取り戻しつつある。その証拠に○○○が快適に出るようになった。環境変化への対応能力が「まだ」あるということだろう。 仕事も、ようやく視界が効くようになり最終局面までが明瞭に見えてきた。こうなればこっちのリズムだ。追われる立場から追う立場への転換である。「なんでもイッテクルヨロシ、私、大丈夫アルヨ」

腰痛治らないので「接骨院」に赴く。診察の結果、骨のバランスが悪いと言う。骨盤の狂いで微妙に左右の脚の長さが違っているそうだ。カイロプラティック療法とかいう意味不明なものをやった。心なしか痛みが弛んだ気配。早く治してジョギングを再開しないと4/21日に間に合わない。本日のデータは12222歩。電車通勤の賜物というべきだろう。

アルピニストの感性を見事に表現している一節に出会った。それは次のような簡潔な言葉で語られていた。
「もう時間はおそく、やがて夜明け。寒い。山小屋のテラスに出て、空と、風と、雪の様子をみる時間だ。冷えこみのきつい夜は、晴天の前ぶれだ。出発するのだ。アルピニストがランターンに火をつける時間だ・・・・・そして私の心には夢が湧いてくる。」
「星と嵐」ガストン・レビュファ 近藤等 訳 白水社
2002/04/08


■義父母来訪す!
食事の後、再び布団に向かい1200起床。春眠暁を覚えずというけれど疲労回復には眠るのが一番だ。午後2時、義父母が手みやげを一杯持って来訪。部屋の隅々まで見渡し満足して帰っていった。手みやげは「米、夏みかん、炊き込みご飯、大根、きゅうり、洗剤(6個)、天婦羅、佃煮、お菓子、キュウリの漬け物」であった。義母は生活力逞しい人で、持参した洗剤は新聞屋さんからせしめたものとのことだった。(1ヶ月契約ということで強要している気配だ) 1600、歩いて5分の図書館に赴きカードを作った。身分を証明するものがないので「住民票」を提示した。パソコン管理になっているので使いやすい。テーマを決めて、じっくり読書に励んでみようと思う。これもまだ先の話だ。
2002/04/07


■いざ、Superへ赴かん!
身の回りのモノが段々と片付いてきた。冷蔵庫が寂しい。衣マ食マ住の方式に則り、本日は食糧を求めに郊外にある大型スーパーに向かった。渋滞を避ける抜け道などの情報を義父に教えて貰っていた。「Doit」「イトーヨーカドー」を3時間余り徘徊し、食糧と、カーテンは一式2900円のチョ〜格安品を確保した。土曜日の午後とあって人の数が物凄い。試食コーナーでは群がる人の波をかき分けて浅ましく食べさせていただいた。(笑)ちなみに、今夜のおかずは好物の「カツオのたたき」と「筍汁」。もう筍の季節なんだ〜。

木蓮が、お友達と称して「カンパニュラ」の小鉢を連れてきたのには苦笑した。来週から「住」環境に取りかかるとのこと。リビング、寝室、アウトドアルームの整備飾り付け、ADSL、PC接続、デジタルカメラなども控えている。4月一杯はそれでかかりきりとの見立てだ。5月連休のことも、そろそろ考えなくてはいけないようだ。(これは私が担当ということになる)
2002/04/06


■生活のリズム
朝、木蓮が財布から1000円札を一枚。「津田沼界隈で書店めぐりをして気分転換してきたらどう」という心遣い。1000円札一枚というところが心憎いではないか。0、ひとつ増えることは、、、まあないか(笑)

ようやく金曜日を迎えることができた。引っ越し前と引っ越し後、普段のリズムでない生活というのはストレスが溜まるものだ。爆睡につぐ爆睡、ここ数日というもの「お通じ」もなかったなあ。本日会社にてようやく「通じ」を完了した。少しづつだが緊張が解れてきているようだ。 1800、いつもより早い退社。JR船橋駅から津田沼に向かい「大きな書店」とやらに行ってきた。船橋に比べると多少「文化」の香りがする街のように思える。本の匂いを嗅ぐのも久しぶり。宮本 輝著「ひとたびはポプラに臥す」が講談社から文庫本となって刊行。目に止まったのも縁というべきだろう。1000円にコイン3枚足して求めた。

腰の痛み、ようやく峠を越えた感がある。ランニングはできないものの連日10000歩を越えている。今日に至っては15198歩という驚異的なデータを刻んだ。「しっかり歩数」は「ゼロ」だけど。新しいリズムを作らなくてはいけなくなった。まだまだ先が見えないなあ。
2002/04/05


■キャパシティー
どうやらスタッフの一人が出社拒否症にかかったらしい。業務に忙殺されて神経が参ったようなのだ。赴任して5日目のこと。慣れない業務であること、その膨大な量をまのあたりにして「鬱の闇」にはまり込んだらしい。そのとばっちりが来て、すったもんだの騒ぎになった。ただでさえタイトな人事配置になっているだけに不満もストレートに出る。4月立ち上がりで皆神経が高ぶっているようだ。2000帰宅。

滞っていたダイアリーの書き込みを再開する。箇条書きになるのは致し方ないことだ。

木蓮が30日にADSLの申し込みを行った。回線の適合の調査をしているとのメールが入ってきた。導入はまだまだ先の話になるのだろうが、いよいよ常時接続の時代が我が家にも来るようだ。

木蓮のリビングほぼ完成。台所もほぼ目処がついた様子。市役所にて転入届け処理を済ませた脚で図書館を覗いてきた由。明日は義父と一緒に、例のホームセンターの「見学」に行くとのこと。義父の嬉しそうな顔が目に浮かぶというものだ。
腰の痛み、まだある。歩きにいけないのだが万歩計の数字、昨日今日「12000歩」を示していた。
2002/04/04


■定期戻る
昨日と同じ路を辿って会社に着いた。電車通勤にまごつく自分がおかしい。夕方、「定期が習志野駅の届けられた」とメールが入る。素直に嬉しい。2000帰宅。食事、入浴を済ませTVなどを見て、即座に就寝。爆睡につぐ爆睡、やはり緊張が解けないでいる。部屋随分と片付いた。義父が様子を見に来たそうだ。気になって仕方がないのだろう。
2002/04/03


■私鉄沿線
0630起床0730自宅を出る。時間が読めないの以上、早めの出社は致し方ないことだ。習志野駅まで歩いて7分。そこから新京成電鉄に乗って京成津田沼駅に向かい、京成線に乗換えて京成船橋駅で下車。京成という名前が何度も出て来るので混乱してしまった。南に歩いて10分で会社に到着するはずだ。安心して180円珈琲を飲んで時間を潰したことだった。0830会社に入る。実質的な初出社ということになる。ここが仕事場である。如才ない挨拶を交わし、さっそく職務に着く。既にイメージは出来上がっていたからスムーズに入ることが出来た。4月立ち上がりということで一番忙しい時期を迎えている。専用のPCもまだ配付されていない。仕事道具もまだ家に置いたまま。

1800退社。人の動線が慌ただしい。会社帰りの人並みに紛れて駅までの路を歩いた。駅で定期を購入した。その定期を、帰路に無くしてしまった。煙草に火をつける動作で落してしまったらしい。悔しくて寝付くことができなかった。やれやれ、、。
2002/04/02


■こんにちは、船橋
昨夜の内にアパートを訪ね部屋の鍵を受け取っておいた。302号室、予想の他リニューアルが施されていて驚いた。昔の間取りであるだけに開放感がある。昨年9月にリニューアルされて半年しか経っていない。室内灯は大型が4基設置されていた。水周りも一新されていて、中でも入浴施設は最先端の設備になっていた。自動スイッチをオンすれば自動的に浴槽に湯が溜まり温度管理ができるという優れもの。むろん予約していけば暖かいお風呂に即座に入ることができるのは、お布団、お風呂が大好きな私としては実にありがたいことだ。

0800起床。食事の後、義父を乗せてアパートに向かった。朝1000より搬入開始。10人ものむくつけき男たちが揃っていた。規定では5人限度のはずなんだがなあ。 ほぼ1時間で全ての荷物が部屋に入った。「それは北の部屋、それはあちら、それはこちら」と指図する木蓮の頼もしいこと。義父と私は、ただただ黙って眺めているばかりの能無しであった。

コンロがなかったので近くのホームセンターに案内して貰った。予算10000円で格好のモノを見つけた。高価なプッシュ式コンロもあったのだが、操作が好きではないという木蓮のこだわりもあり「廉価なネジ式コンロ」に決定した。大きなホームセンターだった。ありとあらゆるモノが並べられていた。当然こういう場所にはガーデニングコーナーもあるのだろう。むろん、木蓮は目敏く見つけたことは言うまでもない。一瞬にして隅から隅までを眺め、全体像を把握する能力は凄まじいばかり。どうやら義父も同じ資質であるらしい。懇切丁寧徹底的という資質は「引っ越し」などに絶大な威力を発揮する。ほぼ1週間という時間をかけて梱包した段ボール、その外側に、あらゆる角度から瞬時に判断できるように「北の部屋、書籍」などと書かれてある。全てにその書き込みがなされているのだ。搬入における間違いを予め防止する作戦は見事に効を奏した。いやはや何とも、、。

昼食は歩いて1分の至近距離にあるファミリーマートから弁当を仕入れた。冷やし蕎麦と冷やしラーメン。段ボールに囲まれた座敷き中央でズルズルと啜ったことだ。 取りあえず、背広と寝る場所を確保して明日の仕事に備えた。今後1ヶ月をかけて整備を行うのが木蓮のお仕事となる。レイアウトについて、一切の口出しをしてはならないという約束である。
夕食は義父母の案内で外食ということになった。「永谷園」にて和食を味わう。入浴の後、早々に布団に入ったことだった。
2002/04/01


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