山ダイアリー
 2002年05月 


■倦怠感
やたらと会議が召集されるのはいかがなものか。その準備と資料作成で気がやすまらない。何か不足の資料はなかったかと強迫観念に駆られてしまう。 精神衛生上はなはだ良くない。船橋での仕事、ようやく2ケ月経過した。17:30「もう後のことは知らんかんね〜」とばかり会社を出てきた。黄昏の街並、家路を急ぐ人の群れに紛れた。昨日から身体の調子がおかしい。ふっと目眩がしたりするのだ。歯科で貰った抗生物質が効いているのかも。習志野駅近くの「夢庵」で木蓮と夕食。ご飯と豚汁と豆腐を食べた。まことに約しい食事風景。ちなみに木蓮は特売@480円の天婦羅お重を美味しいそうに食べていた。豚汁は半分食べられた。

外部のノートを活用して日記を書き始めたのだが、狭い枠の中に書き込む作業に馴染めなかった。で、元のベースに戻した。文章全体が俯瞰できるから、この方がやりやすいことが判った。新しければいいというものではない。馴染んだ道具が一番いいという証明。そのままでは能がないのでいささかの脚色を施して再登場させたことだ。
2002/05/31


■月末は忙しい
月末はやたら忙しい。その間隙を縫って歯科に赴いた。月に一度の内科と眼科往来に加えて歯科までも加わることになった。かくして医療費が嵩むこととなる。
2002/05/30


■会議は廻る
後半、ひたすら寝ていた。お陰で頭すっきり。誰も聞いちゃいねえよ〜。2時間を限度に会議を構成してくれよ。 そういう私も30分しゃべってしまった。うむ、人の事は言えないか。笑。

木蓮がHPの細部をメンテナンスしている。上げるまでが大変、一旦上げてしまえばメンテナンスの愉しみがあると笑って言った。 2130〜2200までランニングに出る。二日休むとリズムが乱れるというものだ。
2002/05/28


■戦い済んで日が暮れて
ようやくHPを脱稿することができた。ここ10日あまりの騒擾の日々ですっかり消耗してしまった。とはいえ一周年記念として大幅なリニューアルを果たすことができたことは嬉しい。これを機に木蓮の部屋も充実することだろう。ADSLとデジタルカメラ導入が契機になった。MONOは山、キャンプに限らない。日常使う歯ブラシまでもが範疇に入ることになる。森の図書室は膨大な山岳書籍を系統だてて網羅することになるだろう。 今後も小さな改良を加えていくことになるだろうが、ともあれ終わった〜。 長男にメールを認める。娘の帰国を機に新しい時間が刻まれることになる。長男も着々と自分の居場所を作りつつある。決して親爺面をすることがあってはならないと自戒するのみ。不肖の父の役目もそろそろ幕引きが近いようだ。 今日はおふくろの命日。彼岸の墓参もしなかった親不孝を詫びるだけ。好物のお茶と煙草と、フキの煮物を、、秋の彼岸には届けるさ。おふくろ逝って16年かあ、、合掌。
2002/05/27


■HP作成一周年記念
とうとうHPリニューアルを終えることができた。ほぼ10日間、この作業に没頭していた。 本日2100脱稿完了。木蓮は凄く頑張りました。このダイアリーも外部とのリンク導入によりメンテナンスフリーとすることができた。

ご覧頂いて感想などを掲示板に投稿いただければ幸いです。まだ細かな部分の手直しはあるだろうけれど、ともあれWEB上にあげることができる。 集中力も今日が限界に近い。HP作成は、根気の要る作業とつくづくと感じた。

土台を基礎にデータを積み重ねていく作業をコツコツとやっていかなくてはならない。いろんな方たちのHPを集中的に見る機会となったが、 プロフェッショナルな人たちがいるものだと感心するやら呆れるやら(笑)。 メジャーなHPを目指そうとは露思わないが、存在感のある良いものを作り上げて行きたいものだ。 そうそうオークションで落札した「遊歩大全・上下」が届いた。これも何かの縁だろう。
2002/05/26


■星と嵐
HPリニューアルと同時併行して新しいコンセプトの「星と嵐」のMLを創設した。日常生活における「星の明滅」に似た出来事、或いは「喜怒哀楽」の嵐のことなどを書き込むスペースにした。大きな伽藍、宇宙的広がりを持った空間を目指した。公開に先だち旧知のメンバーに招待状を送信したことだ。HPリニューアルは難産の様相を示している。まだまだWEBにあげるところまではいっていない。焦ることはない。確実に一歩一歩進めればいい。

図書館から借り出していた遊歩大全上を再読開始。1978年当時、「歩く」ことに目覚めた人達が居た。旅人の安全を願い、さまざま状況に耐えうるようにと微に入り細にわたり「旅の極意」を書き記されてある。多くのバックパッカーのバイブルとなった伝説の本。この本を片手に山を野を、荒野を駆け巡った人々が大勢いた。
2002/05/24


■遊歩大全:コリンフレッチャー著
アウトドア黎明期の「幻の名著」遊歩大全1978年初版上下を落札した。5年の歳月を経て私の手許に来ることになった。古書店に並べばたちまち売り切れてしまうという伝説の本である。オークションで一時は48000円という法外な値段がついていたこともある。涙を飲んで諦めた。その「遊歩大全」が再びオークションに並んだ。オークションは3000円という価格設定から始まった。入札は250円単位ということだ。次第に値段が高騰してゆき、ついに8000円台に突入した。オークション終了時刻は23:56分。最後の5分に「10250円」を入力して結果を待った。(たかが古書にそこまでのお金を払うというのは生まれて初めての経験だった)結果は8750円で終了。私が落札した価格である。めでたし!めでたし!すかさず「貴方が死んだらお棺に入れてあげるわ」と木蓮が言った。

今週はHPリニューアル作業で忙しかった。コンセプトを練り上げ構成を考える作業が実に愉しかった。実務的な作業は木蓮が担当している。眉間に皺を寄せて「ああでもない、こうでもない」と悩む姿がいじらしい。(いや、逞しい)極楽蜻蛉の私は、背後から「ああせい、こうせい」と言うだけ。音と画像を取り入れて楽しんで貰えるように工夫を重ねた。もう少しでデビューさせることができるだろう。(まだまだと木蓮は言う)

木蓮が義父を足代わりに使って「バラ園」に行った。平日にも関わらず大勢の人で溢れていたそうだ。
2002/05/23


■谷津バラ園は遠かった
昨日は一日HP製作にかかりきりだった。ストレス解消にバラ園に連れていく約束だった。0930家を出て近くのファミリーレストランで朝食を取り、ついでに自動車修理に立ち寄ったのが不味かった。1100目的の谷津バラ園近くで大渋滞となった。あれほどバラ園に行きたがっていた木蓮が「もう帰ろう」と弱音を吐いた。
2002/05/19


■基礎工事
Homepage改造に着手。ようやく基礎工事に取りかかった。今迄のコンセプトに新たな彩りを添えなくては意味がない。1200〜0010頃までかかって試行錯誤を繰り返した。新しいHPのデビューまでには今月一杯はかかるだろう。
2002/05/18


■小さな冒険
10日ぶりで格納してある車で帰宅してきた。混む市街地、地図を読みながら「おっかなびっくり」で帰ってきた。ここ船橋は道路網がせせこましく運転しづらい。やっぱり電車通勤が楽だなあ。かといって車を使う状況もある訳だし「できない」では通らない局面もある。「できる」と「できない」では雲泥の差がある。怖れをなした「首都高速の関門」もいつかは突破しなくてはいけないしなあ。冷静に地図を読むと、そうたいした距離ではなかったけど。
土地勘を養う為に、るるぶ刊「千葉房総半島を遊び尽くそう」を求める。2年ほどかけて「房総半島」を歩き通してみようかと、ふと思った。銚子から外総海岸線を南下して木更津経由の一周旅。一日に歩ける距離は、せいぜい30〜40キロほど。歩き繋いで歩き通すのも面白いかも。野営と民宿利用の旅もいい。それは、新田時代に貪るように読んだ「遊歩大全」世界の実現ということに繋がる。松尾芭蕉の「奥の細道」に倣って漂泊の旅も悪くない。

木蓮がHP作成に没頭していた。基本的なレイアウトを指示したのは私だが、オリジナリティが不足している。コンセプトが甘いのが気にかかる。創造の閃きが感じられない。換骨奪胎では意味がないだろう。暗礁に乗り上げて難破してしまったという感じだ。その点、木蓮の「花のある風景」は輝きを放つ構成になっている。流石である。
2002/05/17


■帰国の便り
来月初旬、娘が2年に及ぶ留学を終えて帰国してくる。よくぞ単身で2年頑張ったと、まず誉めてやりたい。親はただただ傍観するだけしか能がなかった。テロ事件勃発の時にはさすがに顔面蒼白となり、長男に電話をし「渡米ビザ」を取るように指示を出したことだ。新しい場所で逞しく生きていってくれることを心より切望するばかりだ。その帰りを心待ちにしている人が大勢いる。安心させてやるのが帰国後の最初の務めだろう。「そんなことは言われなくても判っている」と即座に娘は言うだろう。う〜む、俺も老いたなあ。思えば不肖の父であった。その父の役割も娘の帰国をもってひとまず終わりとなる。
昨日の自分に負けないように「ロードランニング」に出る。走りたくない時もあるのだが、合併症併発で入院事態になって迷惑をかけたら申し訳ない。健康であり続ける事の責任が私にはある。背負っている重さがあるから走れるということだろうか。雨の日も風の日も、私は走らなくてはならない。どうせなら愉しく走りたいものだ。
山と渓谷6月号を求める。
2002/05/16


■16632歩
今日はランニングに出るのが億劫だった。昨日から喉の痛みを覚えていたことが原因。いやいやトレーニング姿に着替えて外に出た。一旦、走り出したらもう止まらない。
負荷歩数6953歩。一歩の距離を約80cmとして5.56Km。16632歩-6953歩=9679歩。一歩の距離を60cmとして5.8km。合計11.36km歩いている計算。
船橋に来てから歩数は驚異的な数字になっている。電車通勤なかりせば、こうはいかないだろう。車のない生活というのも悪くはないものだ。ランニング負荷に耐性が出来てきているのだろう。ストレートで走る距離が随分伸びた。呼吸のリズムが乱れない。信号がなければどこまでも走っていけそう。家の近所の小さな公園、遊技道具を使ってストレッチを丹念に行う。鉄棒にぶらさがり負荷をかける。握力の衰えは隠せない。更に腕立て伏せを60回を一単位にして2回。ジャングルジムに登り横移動などを行いバランス感覚を養う。深夜2100に公園で黙々とやっている姿は異様に映るのではないか。汗びっしょり、冷たい風が心地よい。ベンチに座って煙草を1本、冷たいお茶をゴクゴク。
2002/05/15


■父と娘
閑を持て余す無聊の親爺への親孝行は「電話をすること」「甘えること」に尽きるのではないかと私はいつも言っている。
「おとうさんに電話して免許証の住所書き換えに連れていって貰ったのよ」
「ほう、そりゃ親爺さん喜んだだろうなあ」
「そうみたい」
「帰り際に、用があったらいつでも電話しろ!と言ってた」
「そうだろう、そうだろう」

明日から3日ほど雨模様なので無理をしてランニングに出る。快調なリズムで走ることができた。
2002/05/09


■風薫る5月
「風立ちぬ!いざ生きめやも」
2002/05/08


■梅雨の走り
一転して雨模様の一日。予定通りに監査が入った。「その場」を取り繕う無駄に吐息が漏れた。まことに杜撰の極みと言えるのではないか。朝、仕事の夢を見た。2という数字を出すために二次方程式を解くという摩訶不思議な夢だった。ついに老化が脳まで進んだか。う〜む。

3册〜4册の本を併行して読んでいる。往復の電車だけで単行本半分を読む集中力を発揮している。老化を防ぐ涙ぐましい努力と言うべきだろうか。
2002/05/07


■GWのんびり
GW初日のことだった。首都高速〜東名につながる渋滞に恐れをなし、結局、何処にもでかけることができなかった。渋滞に加えて未知の首都高速という壁が立ちはだかった。渋滞情報をWEBで探り、真っ赤になっている図を眺めた途端に興醒めしてしまった。かくして家でのんびりGWとなった。何が何でも出かけるというPowerがなくなったのは、やはり歳を重ねたせいだろうか。子供の居る家族だったら渋滞であろうと何であろうと出掛けなくてはいけない。私も昔はそうだったのに。家人は「分別ある大人のすること」などと慰めてくれたが、それだけではないだろう。「テーマ」の照準設定が甘かったことは否めない。山に向かうにせよ、コンセプトが甘かった。もっと系統だった計画を持たなくてはいけないと深〜く反省したことだった。 やはり転勤、引っ越しは相当にストレスになっていたようだ。連休中はゆっくり骨休めができた。

4日、木蓮の為に一日を使い「バラ園」などに遊んだ。紀元前3500年まで遡る原種のバラの花、その歴史の長さに思いを馳せた一日であった。芝生の上で「おにぎり」をぱくついたのが、唯一のアウトドア生活であった。笑。

5日「母の日」のために木蓮を実家に向かわせ、私は車の掃除メンテナンスをGSで1ケ月ぶりに行い、そのまま会社の地下駐車場に移動させた。5月も車に乗る機会はないだろう。外に置いて野ざらしにして、また掃除料金を支払うのはナンセンスというものだ。会社の地下駐車場に格納しておけば、その心配はない。駅まで徒歩で7分という至近距離に社宅がある利便性を活かすことができる。山に向かう手段は「電車」と「バス」で決まりだ。津田沼で下車し、そのまま散髪屋に向かった。カット1900円は格安だ。刈り上げ君にして貰った。書店で「百名山の人:深田久弥論」の単行本を求める。彼をして山に向かわせたものは何であったかが克明に記されてある。「何故、山に登るのか」の解答の欠片が書き込まれているように思えたので、思わず財布の紐が弛んでしまった。まあ、こういうこともあるだろう。電車通勤をするようになって読書の量が増えたことは喜ばしいことだ。帰宅した後、図書館に向かった。浅田次郎「蒼穹の昂上下」と山岳に関する書物を数冊借り出した。「ひとたびはポプラに臥す」は5巻まで読了した。

6日、布団に転がって読書と昼寝と食事の一日を過ごした。1700よりウォーキングとランニングに出る。徐々にリズムを取り戻しつつある。ML投稿再開!大いに書こうと思う。
2002/05/3〜6


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