山ダイアリー
2002年06月 

2002年6月30日 決戦!
前半終了。カーン守護神は偉大だ。彼がいなければ3点は入れられていた。心臓バクバク甚だ身体に悪い。ドイツに勝って欲しい、、と思っていると怏々にして反対の結果となるジンクスがある。木蓮は正面からテレビを観戦して黄色い声をあげている。度ごとに心臓がバクバク泳ぐ。

今朝は0700に早起きをして(休日という前提だが)トレーニングに出掛けた。木蓮は布団で熟睡中であった。ザックにお金と煙草を忍ばせ、新しい歩数計をポケットに入れて勇躍外に出た。早朝の散歩は久しぶりの事。鋪道が雨に濡れていた。紫陽花が今を盛と咲いていた。薬円台公園周囲を大股で歩き始めた。休憩なしで2キロ全速力で歩いた。汗がじわっと滲んできた。ようやくエンジン全開だ。

後半戦が始まった。カーン守護神だけでは勝てない。はよ点入れんかい!とキーをタタキながら私は叫ぶ、、。

ジョギングに移り、しばらく走ると成田街道沿いに一膳飯屋がopenしていた。即座に走るのを止めて暖簾を潜った。店内は人で溢れていた。朝食390円メニューを注文。ご飯、味噌汁、お新香、鮭の切り身(流石に薄かった)と海苔、温泉卵で390円は相当に安い。 温泉卵に醤油を垂らし、かき混ぜてご飯に載せた。卵ご飯が食べたかったのだ!美味しい!木蓮が居たら「私も食べたい〜」とほざいたことだろう。食後の珈琲が50円でお代り自由というのも嬉しい。煙草を一本吸って満足して店を出た。

家々の軒先きを眺めながら帰宅した。途中に昭和30年代と思しき古い木造の平家の長家があった。宮崎時代、私も同じような佇まいの家で母と暮らした覚えがある。もう誰も住んでいない気配。朽ち果てた板塀が歳月を刻んでいた。その場所で暮らし幾多の夢を重ねただろう家族の事を想った。更に歩くと野っ原があった。雑草の繁茂に任せて荒れ果てていた。その隣には畑まであった。目の大きい妖し気な猫を描いた絵が畑の真ん中で揺れ「つげ義春」的世界が広がっていた。今度はカメラ持参で歩いてみようと思った。

とうとうブラジルが一点入れた!う〜む。ドイツ頑張れ〜!

夕方から再びトレーニングに出掛けた。朝と同じように薬円台公園周囲を徘徊し、ウォーミングアップを済ませてからジョギングに移った。今度は道草なしだ。ストレートで700m、、、(また一点入った、、ああ絶望的な展開だ〜。)、、、走ったところで足のストレッチを丹念に行う。 これから後半、児童公園までおおよそ4キロを休みなしで疾走する。歩数計を確認し大きく息を吸って出発した。

児童公園にはお母さんと小さな娘がブランコで遊んでいた。はあはあと息を切らせて辿り着いた私。休む間も無く腕立て伏せを100回。硬直した筋肉をジャングルジムの鉄棒にぶら下がって伸ばす。鉄棒を使って背筋を鍛える、これも同じく100回。汗が滝のように流れた。再びジムにぶら下がって、そのままの姿勢で30秒我慢する。腰から下を重力に任せて伸ばす。ようやく筋トレ完了。ポカリをゴクゴク喉に流し込む。美味しい!呼吸が落ち着いてきた頃に煙草に火をつける。これが実に美味しいのだ。

ああ、遂に試合終了。



2002年6月29日 新しい歩数計walking style HJ-700IT
今週頭に発注していた歩数計が午前中に届いた。歩数データがPC管理でき専用のWEBで分析してくれるというのが売り。高まる健康指向とPC普及の中、出るべくして出た商品ということができるだろう。爆発的な売れ行きを示しているとのことだ。まさしく、歩くことが生涯の課題になってしまった私の為に開発された商品とシステムと言うことができる。Macintosh上では作動しない為に非常用のWindowsのシステムをMeにアップしADSL化まで行った。商品説明書をよくよく読むと「98SE」上なら動作すると書いてあった。う〜む、それならシステムアップする必要はなかったのに!木蓮が説明書を読んで、「98SEでも動くと書いてあるわよ」「説明書をよく読んだの」と矢継ぎ早の質問というか「突っ込み」と言うか、痛いところを突いて来るのである。私は貝のように黙るしかなかった。あは

ソフトインストールを終えてデータを転送する一連の作業を行った。今回のリニューアルにより距離数が表示されるようになった。平均歩数60センチを過去のデータから割り出し入力した。今週ほとんど行かなかったランニングも、今日を契機にリセットする意味もあり、小雨降る中ではあったが薬円台公園向けて走りに出た。総歩数11490、しっかり歩数8455(68分で)、消費カロリー247、距離6.41Kmであった。早速、データをWEB に送信し、様々な解析模様を楽しんだ。全国には凄い人たちがいるものだと改めて唸ってしまった。一日30000歩歩いている御仁がいるのだ。しかも平均値で、である。平均30000歩といえば一歩を60cmとして18Kmということになるではないか。う〜む、勝てない!

いままでやっていたHPのデータ形式は、今後も継続することにしよう。ウォーキングとランニングの数字の補正が反映されないこと。筋トレとか食事とかのデータも掲示していきたいからだ。人様に見せる為ではなく、あくまで自分の為にHPはあるのだから。

韓国とトルコの試合:最初の一点が最後まで響いた。トルコの選手はいずれも紳士揃いで好感が持てた。最後のフィナーレはちょっとした感動ものであった。敵も味方も肩を抱き合い交歓していた。スポーツはいいと改めて思った。


2002年6月28日 エベレストの女たち 田部井淳子
エベレストに登った女性たちのサミットを描いた本を読みすすめている。1975年5月16日田部井淳子氏が女性として初めてエベレストの頂上を踏んで以来、20余年の歳月が流れた。97年時点で登頂に成功した女性は41人に及ぶという。世界の最高峰は今なお多くの登山家を魅きつけ男女を問わず毎年新たな登頂者が生まれている。人はなぜ山に登るのか、、国家の威信をかけて登った人、極めて個人的な理由で登った人さまざまだ。最近では恋人、夫婦で登るエベレストみたいな軽いノリもあるそうだ。いずれにせよ、エベレストに比べれば国内の山などは(岩を除いてだが)問題にならない。富士山頂3776mで高山病にかかった私にはエベレストは文字通り「高嶺の雪」ということができるだろう。人の志は色褪せることはないのだなあ。私も自分の「エベレスト」を見つけなくてはと襟を正した次第。

船橋西武「リブロ」にて山と渓谷社「アルペンガイド17巻」@1700と平凡社「登山史の森」遠藤甲太著@2800を求める。今週は書籍代が嵩んだ。おかげで小遣いなくなった。笑。



2002年6月27日 階段昇降トレーニング開始
食生活が乱れていることを実感する。あんパン、お菓子、飴などが無性に食べたくなる。困ったものだ。リズムが狂うと全てがおかしくなる。 支社階段1F〜8Fまで試しに登ってみた。思いの他楽チンであったことに味をしめて、往復3回をこなした。後半の1回は階段を2段づつ駆け登った。さすがに7Fあたりで呼吸が乱れたものの、案外いけるではないかと自信を持った。昨年11月以来のトレーニングの効果もあるだろう。継続して続けようと思った。これがきっかけとなり筋トレを再開することができた。



2002年6月26日 救急車
木蓮の父が救急車で運ばれる騒動があったそうだ。歯科で貰った薬、どうやら薬診によるものらしい。血圧が90近くまで下がって意識混濁という状態までいったらしい。救急車が来たときには意識回復して正常に戻ったというけれど甚だ危険な状態になったことは確か。薬事法改正により処方する薬の効用を説明しなくてはならなくなった。65才以上は投薬料は無料になっているせいもあるだろう、病院は大量の薬を出す傾向にある。医療費の高騰に至る所以。翌日、さっそく歯科に赴いて「かくかくしかじか」と述べたところ、たちどころに対応が丁寧になったということだ。

ここ3日間、トレーニングに出ていない。月曜日に端を発した騒動で怠け心が出てしまったようだ。小人閑居して不善を為すの喩えもあるなあ。


2002年6月25日 韓国対ドイツ
ついに始まった。キムチpowerは後半に滅法強い。おそらく後半スレスレに点が入るのではないか。先行逃げきりで勝利だね。

小暮理太郎「山の憶い出」上下巻を、ようやく求める。どうやら平凡社は、このシリーズを廃刊する気配だ。博品社刊の山岳シリーズも、わずか3年余りで廃刊となった。売れなければ即廃刊という商業主義は時代を反映しているなあ。その点、岩波文庫は老舗だけあって「頑」に本丸を死守している感じがする。印刷文字は古臭さくて読みにくい。時代の波涛に洗われて耐えているという感じだ。新しく版を起すコストがないのだろう。


2002年6月24日 原因と結果
田部井淳子著「エベレストママさん」を読み始める。躍動感に溢れた文章であっという間にページが進む。お昼休み、わずかの時間を割いて読み耽ってしまった。あれもこれもと欲張りなので、まだ読みかけの本が多いのだが面白くないものは読まなくていい。

いま一度原点に戻って食事療法を問い直す意味で、一昨日から食事の量と内容をリセットした。カロリー1600は油断すればあっという間にオーバーしてしまう。定型化された朝食(食パン一枚にカロリー半分のジャムもしくはバタートマト3切れ、きゅうり5枚、チーズ一切れ、ジュース150cc、珈琲)のカロリー量は、おおよそ400。昼食は外食主体で、どうしても油を使う料理が多くなる。和食が一番いいのだが、なかなか和食専門という店はない。野菜定食をベースに組み立てるのだが、カロリー600以内に納めなくてはならないとなると条件が厳しくなる。まずフライ、天婦羅類は除外だ。当面は野菜サンド類になるのは仕方がないことだ。夜の食事も同じように600位でまとめなくてはいけない。量を多くして満腹感のある食事をしなくてはならない。相当な覚悟をもって臨まなくては目標の6を切ることは難しいと判断した。煙草も止めるのが一番いいのだが、ストレス解消の為に本数を減らすことで何とか対処したい。(一日5本くらいでまとめたいもの)医師の処方でそれまで朝2錠だった薬を、朝一錠、夕食後一錠に切り替えた。その効果が出るのは遅くとも1ヶ月〜2ケ月先になるだろう。粛々と原因と結果のプロセスを積み重ねよう。



2002年6月23日 木蓮奮闘するの巻
お涙金のボーナスが出た余勢をかって「お買い物」に津田沼に赴いた。木蓮は可愛らしい夏のバッグを、あれこれ悩んだ末に買った。女の買い物はどうしてあんなに時間がかかるのだろう。私はIBM ThinkPadをADSL化する為の作戦を敢行した。

メモリの増設64M、LAN CARD、イーサネットハブ、LAN CABLE、windowsMeアップグレードソフトを購入した。総額で27000円の投資となった。ここはwindows使い手の木蓮の手を借りなくては「にっちもさっちも」いかない状況。午後からマニュアル片手に作業を開始した。まずメモリの増設作業。システムアップ。98からMe に切り替える作業もスムーズに進んだ。iMacとThink Padを同時に立ち上げて作動するかどうかの確認に入った。LAN CARDをガシッと差し込み、ハブ連結を行ってから動作確認テストに臨んだ。取りかかってから成功するまでに3時間余りを要した。すべて木蓮の奮闘のおかげである。私は、ただただ黙って見ていただけの極楽蜻蛉であった。あは。

ともあれ、これで課題は解決した。課題とは次の2点である。「登山地図の閲覧と利用」が可能になった。オムロンから出た新しい歩数計を活用することにより、いままでより更に精緻なデータ管理が可能になった。いずれもwindowsでなければ動かないというけしからぬモノばかり。Mac党の私が節を曲げてまでも利用したいソフトであったのだ。歩数計に至ってはMe上でなければ動かないという、これまたけしからぬ仕掛けになっている。98でも充分と思っていたのになあ。パソコンは金喰い虫だ。


2002年6月22日 ティンバーランド
梅雨寒の一日。地図を広げて夏休みの計画を話し合った。東西南北、どこでも自在なのだが、予算と時間の割り振りが大変。飛行機、車でシチュエーションが異なる。木蓮は山一辺倒の計画に難色を示す。ベースキャンプを張って、ゆったり過ごすのが一番いいのだが。白神山地、十和田、北海道、大雪山が候補にあがる。憧れの鳥海山も無理矢理候補に入れたが、まだまだ計画段階。飛行機を使うのなら沖縄、九州も候補にあがるというものだ。

1600からトレーニングに出る。昨日求めたザックを早速試した。非常事態に備えて「小さな羊羹」「携帯電話」「UCC BLACK COFFEE」「運動後の煙草とライター」「小銭」を格納した。腰につけて走った感触は微動だにせず、ぴったりフィットして最高。手放せない道具になりそうだ。


2002年6月21日 夏至
転勤騒動と、それに伴う雑用で身辺が落ち着かない日々を過ごした。4月、秩父七峰を最後に山から遠ざかる日々を送っていた。漸く、新しい環境での仕事も、それなりにリズムを刻むことができた。先月来、HPリニューアル作業に取り掛かり、新しい方向の軸も設定することができた。そろそろ山に向かってもいいだろう。やむことなく取り組んできたトレーニングの成果で体重もわずかだが増加傾向にある。500gといえども私にとっては貴重な体重である。1ヶ月ぶりに医者に赴いた。ヘモグロビン値6.4、先月よりわずかだがデータが改善していた。6を切ることが当面の目標になる。データを更に改善させる為には一段の食事療法(煙草を減らすことが最大の課題になるだろう)と運動が要求される。楽観してはいけない、かといっていたずらにネガティブ思考に陥るのも愚というものだ。

賞与が出たので木蓮と津田沼で食事をした。普段食べない中華料理が御馳走だった。こまごまとした品などを買ってボーナス気分を味わった。ティンバーランドのザック@3000円と、つげ義春「貧困旅行記」@590円。木蓮の為にシャツ2枚(普段着ないような色使いのもので、いかにも夏らしいモノを選んだ)、木蓮所望の書籍2册などなど。その他にUSB HUB@2600円を購入した。カメラ、FD、MO接続に必要なものだった。

「自然と人間の経済学」論文を読むのは久しぶり。硬い言葉が並んでいるけれど、硬質な言葉も読み下す力を維持しておかなくてはなるまい。辟易しないで、じっくりと読んでみようではないか。(笑)岩波文庫の「北越雪譜」も読んでみたい。岩波文庫に収められている本は、人類叡智の結晶ということができる。安直な読み方では歯が立たない。


2002年6月20日 小雨降る夜も
夕食はカレーライスとサラダが並んだ。ちと食べ過ぎた罰、小雨の中を黙々と走ってきた。児童公園でいつものメニューをこなした。Tシャツは雨と汗でびっしょり濡れたけど気分は最高。お風呂の後、体重測定。500〜1000gの枠で微妙に体重が変化している。ラインを越えたという感じ。後1Kg増加すれば鬼に金棒なのだ。

「ソロ」単独登攀者 山野井泰史 丸山直樹著を読み進めている。今週は雨模様に終始。電車読書もままならなかった。でも明日中には読了できるだろう。内容のスケッチは次のようなもの。孤高を至上とするソロクライマー。付和雷同をよしとせず、先人の偉業を凌駕すべく己を鍛え、彼は巨大な山に挑む。なぜ、ソロなのか。なぜ、それほどまでに自分を追い詰めるのか。クライミングの真髄を求める旅は今でも続いている。


2002年6月19日 碧空
カラリ快晴からりんこん。洗濯機が踊り布団がベランダでこんにちはの一日だった。昨年11月から始めたトレーニングも足掛け8ケ月に及ぶ。ワールドカップは終わっても私の戦いは終わらない、、ううむ。今日も元気に汗を流してきました。お風呂にドボン。丹念に脚を揉んで筋肉を揉みほぐす。一杯の牛乳が実に甘露。基礎体力はもう充分に着いた。いざOUT DOORに漕ぎ出さむ!まず手始めに奥多摩の山で汗を絞ろうではないか。週末、よほどの事がないかぎり向かう!ぞ。


2002年6月18日 夢の終わり
日本対トルコの試合が1:0で惜敗。夢の終わりを予想するかのように空も泣いていた。


2002年6月17日 尾崎喜八
先年、揃えて積んでいた文庫本を読み始めている。串田孫一が解説している文章は次のようなもの。 詩人尾崎喜八が山野を歩く。青空に屹立する岩峰とそこに吹く風を描く。山村の佇まいとそこに暮らす人々との交流を描く。

「たてしなの歌」序文の書き出し数行を読んだだけで、この詩人の言葉の輝きと豊穣を知ることができる。昨日、図書館から借り出した本をおっぽり投げて、今、この尾崎喜八に夢中である。

君の土地。それは無数の幅射谷に刻まれて八方に足を伸ばした、やはり火山そのものの肢体の上の耕地であろうか。あるいはもっと古く、埋積 し隆起した太古の湖底の開析平野と、その水田に、今、晩夏の風が青々と吹く渡る河成段丘のきざはしであろうか、、」

娘、本日駒ヶ根に向かう日なり。「山と渓谷」「岳人」7月号を求める。


2002年6月16日 肩の荷
ともあれ娘が帰国して新しい生活の為の準備を始めた。テロ事件勃発などの事情などもあり、一時は騒然として長男にビザの手配をするように指示した経緯もある。再び渡米する可能性もあるようだが、今度は自費で何とかするというスタンスらしい。肩の荷を下ろしてほっとした気分。22才。もう親の出る幕はないだろう。

午前中、図書館詣。午後から、木蓮の実家まで父の日に支度した「パジャマ」を届けにトレーニングがてら走った。木蓮が自転車で伴走する。先に行けばいいのに、私が「ばったり倒れるかもしれない」といって言う事を聞かない。speed upさせて往路22分で行った。最初は30分かかったから新記録ということになる。


2002年6月15日 津田沼にて
1200。
「父さん、着いたよ!」と携帯に電話が入る。既に30分前に津田沼に着き、書店で背表紙などを眺め過ごしていた私。
「駅改札口を左に行ったら広場があるから、そこのベンチで」
「判った」
娘が渡米して2年の歳月が流れた。今週始めに帰国し、あちこちへの挨拶などで多忙に過ごしていたのだが、ようやく「父」に逢わなくてはと連絡をよこしてきた娘。何と言ってもスポンサーを無視しては礼儀に反すると思ったのだろう。
「おお、少し痩せたんとちゃうか」
びっくりした様子で私を見る。
梅雨寒むであった。半袖の出で立ちでは少々寒い。駅からダイエービルに向かって歩き始めた。予定はもう決めてある。買い物をして、、それから食事だ。信州駒ヶ根、中央アルプス山麓の小さな町で「母」と共に暮らすことになっている。仕事を見つけて生活が落ち着いたら上高地に行きたいと言っていた。コツコツと揃えていた登山道具あれこれを娘に渡してやらなくてはならない。靴だけはそうはいかない。(株)ヨシキスポーツは千葉県では一番大きなプロショップと既に調べはついていた。早速、足型を測定し試靴をさせた。23センチと小さいが日本人特有の幅広である。経験豊かなスタッフが選びだした靴はSIRIOだった。ゴア製で3000m級の夏山縦走までなら充分に耐える。10分ほど店内を歩かせ、足との「当たり」を見た。色も明るめの紫を織りまぜて品が良い。 「これ下さい」と店員に告げた。福沢諭吉2枚でおつりがちょっとの価格であった。やはり登山用のシャツと購入したばかりの携帯のストラップなどを買い与えた。更に福沢諭吉が1枚飛んだ。

店頭にフリークライミングの壁が設えてあった。3.4人の人が戯れていた。私にも「やってみませんか」と声が掛かったが恥ずかしかったので止めた。 好物の煮魚が食べたいというリクエストに応えてダイエー最上階で「和食」を食べた。アメリカには碌な魚がなかったらしい。私も禁断の「うな重」を頼んだ。半分は娘の為に、である。明日で22才を迎える娘は、この2年で随分と逞しくなった。何と言っても単身で渡米して生きてきたのである。そこらのチャラチャラギャル系とは自ずと異なる雰囲気を漂わせているのも道理だ。時差ぼけの矯正がうまくできないと嘆いていた。

電車でゴトゴト揺れながら家に着く。木蓮が出迎えて「お久しぶり!」と型通りの挨拶を済ませた。滅多に人を誉めない木蓮だが、娘だけは妙に誉めるので、父としては尻の穴がこそばゆい。「大人っぽっくなったわ〜」と盛んに愛想を述べるので、更に尻の穴がこそばゆい。親馬鹿というべきだろう。

まず検分とばかりに家中を探索し始めた。昨年9月に一斉リニューアルした部屋は最新の設備が施されていて快適だ。最低限の文化生活が送れるように調度品は備えられている。アウトドアルームの事はHPで知っていたらしく、ズラリ並ぶ道具と書棚の充実に「わ〜凄い!」と感嘆の声をあげていた。椎名 誠の本を4〜5册取り出して「貰っていい」と聞いてきた。断る理由などない、「持ってけ泥棒」と返事した。
明日も予定がぎっしり、17日には信州に行くという娘を駅に送り1715の電車で送り出した。木蓮が支度した夕食はラッピングされて冷蔵庫に鎮座した。揃えた靴は他の道具と一緒に駒ヶ根に送ることになった。夕食は木蓮と近くでラーメンと餃子を食べて済ませた。安心したのだろう、2200には布団に入ってぐっすり寝入ったことだった。


2002年6月14日 刻々と
1530は執務の渦中にあった。ほぼ15分おきに携帯にメールが入り試合の状況をリアルタイムで知らせてくれる木蓮がいた。休息室では息を潜めて試合を観戦している「幹部」がいた。まあ広い心で許してやろうではないか。会社の帰路、降り立った津田沼駅構内は若い人達が「ニッポン、ニッポン」と拍手喝采していた。その最中に白髪のおじさんが混ざっていた。眩しかったぜ。

「神々の山嶺」ようやく読了する。エベレストを自分なりにシミュレーションすることができた。筆者は、この物語りを書き終えるまで20年近くの歳月を要した。現地山麓に立つこと6度に及ぶ。生命の危機を肌で感じる山を経験したからこそ書けた内容。そういう自負が随所に溢れていた。描写は粗いものの、エベレストが山を志す者にとって、どういう意味を持つのかを教えてくれた。高度8600mの高さ、酸素の薄い世界で脳細胞が摩滅していく様は凄惨だ。「なぜ、山に登るのか、、」「それがそこにあるから」ではなく「俺がいるからだ」と語る主人公羽生丈二の「雄叫び」は、虐げられた魂の存在の証を求める旅に他ならない。

そうなのだ、誰もが自分の存在の証を求めて時空の旅をしているのではないのか。生命ぎりぎりという状況は何もエベレストでなくとも経験することができるだろう。市井の暮らしの、そこここにも、息を潜めて、いや呼吸することすら許されぬエベレスト山頂直下に似た状況で、必死で生きている人たちがいるはずだ。栄光の山頂に至ることなく墜死、憤死、凍死した人の数は、、、。自殺者三万人余り、そのほとんどが40才以上の中高年だという。


2002年6月13日 再開
小雨煙る中、いつもの通りにランニングに出た。一日休ませた筋肉は快調に作動した。神々の山嶺・下巻未だ読了せず。明日は金曜日、今週は心なしか早く時間が経過するようだ。


2002年6月12日 休憩する筋肉
筋肉が悲鳴を上げている声が聴こえたので夕食の後、そのまま寝てしまった。休憩することで更に基礎代謝量アップと筋肉がしなやかさを増す。もっとも休息は一日でいい。それ以上になると元も子もない。「神々の山嶺」下巻を半分読了。ようやく、この小説の核心部が見えてきた。


2002年6月11日 梅雨入り
沖縄の台風4号が梅雨の季節を連れてきた。湿度100%近い状態で走ると、当然の事ながら汗がしとどに流れて来る。帰宅するなりお風呂に入る。簡易サウナみたいなもの。湯上がりの麦茶が、これまた美味しい。おまけに強力無比なエアコンまである。極楽気分とはこのこと。



2002年6月10日 早朝出勤
0600起床。0645家を出て車で会社に向かった。0730会社の回転式パーキングに格納した。しばらく車を使う事もないだろう。青空駐車をして洗車料金を払うのも無駄なことだ。

モーニングを食べながら「神々の山嶺」を読む。実在のモデルをベースに「山に憑かれた男たち」の物語が進展して行く。上巻読了。明日か明後日には下巻も読了することだろう。


2002年6月9日 砂塵舞う朝
木蓮の肩が壊れてしまったので朝食はデニーズで済ませた。休日、ガーデニング、スーパーはお決まりコース。今日は150円の苗を買ってきた。砂塵が昨日から俟っていて部屋中がホコリっぽいと騒ぐ。埃で死ぬようなことはないと私が言う。まなじりを決して、断じて掃除機をかけるのだと「ガラスの肩」で意気込む。「痛い」と顔をしかめて部屋中をうろつき廻る図は「凄惨」ですらある。笑。綺麗好きは親譲りの資質。実家はいつ行っても、それこそ障子の桟まで綺麗に拭き浄められている。極楽とんぼの私は、少し居心地の悪い顔で右往左往するだけ。畳に寝転んで「神々の山嶺」を読みすすめ、昼寝などをしてゆっくり過ごしたことだ。

1630〜1800までトレーニングに出る。決算騒ぎで、走ることができなかった先週の恨みを晴らすべく、根性出して走った。最初の30分くらいが苦しい。これは山と同じ感覚だ。リズムが出てくると、もう大丈夫。ちょっと裏山まで良い汗を流してきた気分。陽の高いうちにお風呂に入るのは気持ちがいい。今夜は日本対ロシア戦がある。私が応援すると負けてしまう気がして正視できない気の弱さ。木蓮も同じ事を言っていた。笑。

渡米していた娘が無事帰国した。もうすぐ22才の誕生日を迎える。何を学び何を見聞し、どれだけの成長を遂げたのだろうか。


2002年6月8日 HPメンテナンス
細かな補正作業を木蓮がコツコツと続けていたが、ようやく完了することができた。これからは中身の充実を図っていくことにする。mono編NO.2は骨董品の鉛筆削り器を上げた。デジタルカメラの操作が覚束ない。多少のピンボケは御愛嬌というべきだろう。

1700頃から走りに出る。やはり身体が重かった。もう少し走り込みを行えば良かったのだが、無理をしないで軽く流してきた。夫婦でウォーキングしている人、けっこう多い。薬円台公園のグランドは砂塵が俟っていて走れる状況ではなかった。風の強い一日であった。図書館に行けなかったのが残念。

木蓮のガラスの肩がついに壊れた。病名、本人の見立てによれば「マウス肩」というそうだ。こうなると食事の支度はまずできない。草履を履いて近くのスーパーに弁当を買いに向かった。どうやら一週間はダメらしい。


2002年6月7日 危機管理体制発動!
決算明けの騒動に備え今週は早朝出勤が続いた。幸い、騒動には至らなかったが週明けのマスコミ次第ということになるだろう。週刊誌の飯のタネに踊らされるというのも釈然としないなあ。

おかげで基礎トレに出る余裕をなくしてしまった。それでも僅かな時間を見つけて階段昇降、腕立て伏せ、スクワットなどをやってリズムを壊さないように務めていた。街頭でスポーツジムの勧誘チラシを貰った。一ケ月、今なら7000円と書いてある。高い!!その気になればスポーツはどこでもできる。

夢枕 獏「神々の山嶺」上・下を読みはじめる。


2002年6月6日 墓標
亡くなった叔父の奥様から忌明けの品が届いた。夏用の布団がひと組入っていた。さっそく電話をしてお礼をのべた。

お袋逝って17年。その墓標は富士山麓に立っている。私や木蓮が死んだら墓参に行く人も絶えて無縁仏になることだろう。おふくろの骨を、仲の良かった叔母夫婦の墓に半分骨を入れて貰って、残り半分を、所縁の地に自然葬で散骨しようと思う。いずれ私も木蓮も同じ場所で自然葬ということにすればいいのでは。

「生きてる時代の事を考えて下さい」と木蓮が隣で騒いでいる/笑。「人間(じんかんと読むのが正しい)、至るところに青山あり」という伝に則れば、自然葬であっても何ら不思議ではない。それは穂高山頂であってもいい。すなわち穂高が私達の墓標となる訳だ。いずれ土と還る身である。こだわることはない。植村直己はマッキンリーに、その身を埋め、鉄の男と呼ばれた小西政継は厳寒のマナスル(高度8000m)を墓標にしている。

後を継ぐ者がいなくなれば京都化野の無縁仏みたいに野辺に曝されることになる。それでも大勢の人が祈りを手向けてくれる場所になっているではないか。このことはよくよく考えてみなくてはならない。叔母は、お袋の遺骨を一緒に入れてくれと切望していた。苦楽を共にした仲のいい姉妹だった。娘がおふくろに似ていると言うと、もうそれだけで涙ぐむ。

「激しすぎる夢」読了。小西政継は植村直己と並んで戦後登山会の巨人である。山に在っては苛烈を極める男であったが、家にあっては「釣った魚にせっせと餌を運ぶ」優しい旦那様であったようだ。久しぶりに良い本を読んだ。満足。


2002年6月5日 爆睡
仕事で疲れていたのだろう。食事の後、少し仮眠を取った。2130目が覚めた。お茶を一杯飲んで、そのまま布団に直行した。お風呂にも入らず寝てしまった。よほど眠たかったのだろう。


2002年6月3日 眼科往来
2ケ月ぶりで眼科に行った。眼底検査異常なし。いつもの目薬を処方して貰った。一週間に一度体重計に乗る。変化無し。身長からすれば既にベストの体重なのだが、もう少し体重が欲しい。ザックを担ぎ上げる為の体重が欲しい。あと2キロ太るのは容易ではない。痩せる為の努力をする人、太る為の努力をする人、人さまざま。それにしてもガンダムみたいな脚になっているのだが、、いや道産子みたいな脚といった方がいいか。笑。

「山男にみる生き方の研究」あるクライマーの肖像 A・アルヴァレス井上謙治訳 読了。頂上を目指すのではなく山にあることを楽しんだ男の物語。私は、まだまだ山にあることを楽しむほど山に関わっていないぞ、、あは。


2002年6月2日 麦茶
木蓮の気分転換はガーデニング。珍しく車で出掛けた。いつものように新しいお友達をひとつ連れてきた。心が和むなら、それでいい。北習志野にある西友に喪服を取りに行く。何があるか判らないから喪服だけは手許に置いておくというのだ。実に細やかな配慮ができる奥様である。ありがたいと言うべきだろう。ついでに綿のトランクスパンツを3枚ゲット。一枚300円の品しか買わないしっかり者。(それで沢山という話もある)

夏の風物詩「麦茶」を飲んだ。夏の匂いがした。パジャマも半そでになった。1630〜1800までトレーニングに出た。食事前に、裏山にちょっと登って来るという感覚だ。毎日が山気分。北習志野駅前の露天商、西瓜半分で800円の値段がついていた。完熟トマト400円、つい手が出そうになったがランニングの最中で涙を呑んだ。いつもの児童公園で鉄棒にぶら下がり、腕立て伏せ100回とスクワット100回をこなしてトレーニング終了。自動販売機でポカリをゴクゴクと飲んだ。汗をかくと身体がすっきりリフレッシュする。これだからトレーニングは止められないよなあ。
明るい内にお風呂に入るのは気分がいい。剃刀で髭を剃り、丹念に身体を洗い、汗を滴らせて爪を切るのが日曜日のリズム。髭剃り器を洗浄し充電するのも忘れない。お風呂上がりの牛乳(160cc)を一気に飲み干す。まだ飲みたいけど我慢する。食事は定番の「雑炊」ではなく、「マーボー豆腐」「サラダ」と味噌汁だった。デザートには「パイナップル」が出た。

図書館に本の返却し、代わりに次の本を借り出して来た。
「激しすぎる夢」鉄の男と呼ばれた登山家・小西政継の生涯 長尾三郎
「山男にみる生き方の研究」あるクライマーの肖像 A・アルヴァレス井上謙治訳

しっかりした本を読み込んで行こうと思う。僅かな時間でもいいのだ。手許に届いた「遊歩大全」を書棚に並べた。時を経て表紙は色褪せているものの、書き込まれている事は現代でも立派に通用する。足立区新田時代、西日の差し込む部屋で貪るように一行一行を読んだ頃が彷佛としてくる。何かに憑かれたように山に向かった時代があった。苦しい時代だった。山に向かう事で、かろうじてバランスを保っていた。木蓮はよくついてきた。よく耐えたと思う。3回の夏をクーラーなしで過ごしたことも、ゴキブリが徘徊する部屋の模様も、暑さ対策に水風呂行水をしたことも、今となっては笑い話。いつかあの時代の事を書くこともあるだろう。まだまだ先の話だが。気掛かりの子供たちも、それぞれが自分の位置を確保しつつある。私が出る幕はもうないだろう。不肖の父は、自分の為したことをよく理解している。ただただ詫びるだけ。


2002年6月1日 雨の季節の始まりは
図書館まで散歩。写真を一枚。生活環境をHPに上げる計画だ。(MONO編) 「PLANNING」を再検討し始めた。いろいろとアイデアはあるのだが一朝一夕にはいかない。HTML形式では立体的なデータベースがうまくいかない。それ専用のHTMLもあるのだろうが、現在の知識では歯が立たない。地図の導入をどうするかで意見が分かれた。windows系列のソフトに「カシミール3D」「SQRTMt」がある。残念ながらMacintoshでは作動しない。仕事兼非常用のIBM/Think Padの出番となる。CPU500/13Gの性能だから立派に現役だ。ADSL化を推進し「家庭内ラン」環境を作れば問題は解決することが判った。ケーブルとハブが必要と判る。それと計画書の書式に工夫を加えることにした。溶けつつある脳細胞が活性化していく。iMacの前に座るとあっという間に時間が経過してしまう。身体に悪いことこの上ない。夕方から試行錯誤を始め詰め将棋のように唸ってしまい、とうとうランニングに行くタイミングを逃してしまった。「星と嵐」メーリングリストもどうやら軌道に乗ったようだ。公開はしているものの挨拶文で怖れをなして参加できない人がいるはずだ。ROM専用の人は強制退去と書いてある。それでいい、狭き門をくぐり抜けて来た人を大事にしよう。今日は合計で8個ほど投稿することができた。丁寧にレスを認めることが大切だ。

木蓮も自分の部屋の充実におさおさ怠りがない。サーフィンをしていて気に入った色使いを参考にして採用している。とは言うものの修正と補正を繰り返した今日迄の日々に、そろそろ疲れてきた。パソコンの前に座りたくないという気持ちも本音。来週、天気が良ければ山に行きたいと木蓮が言った。私も同意見だ。山の緑に染まって、のんびりと過ごしたいね。6月カレンダーの写真は「ミヤマオダマキ」。平家物語、義経を慕う常磐御前が囚われの身となって、頼朝の前で舞った時の歌に「ミヤマオダマキ」がある。北条政子が、その気持ちを汲んで頼朝に命請いをした情景を想い出した。もう30数年前に読んだ本の一節が脳裏に浮かぶ不思議に舌を巻く。人間の頭脳構造も捨てたものではない。

先週読んだ「雨男、お花畑を歩く」に感銘を受けた。若い植物学者の卵が「花」を求めて山を歩くという筋立てだった。ひとつの花が、その地で生成しつづけて行くには「花なりの戦い」があるのだと言う。北海道の花と西表島では同じ花でも大きさ、性質が異なる理由がそこにある。高山植物を持ち帰っても栽培ができない理由は生育環境が決定的に違っているからだという。花を求めて山野を歩く、その場所でなければ生育できない花に逢いに行く。時には遭難しかけてしまうのだが、なにより若い学究の、学問に打ち込む純粋な気持ちに打たれてしまった。昔の自分をちょっと思い出し悄然としてしまった。せめてあと10年、いや20年若ければ、、、いやいや愚痴は言うまい。一日を3日で過ごす集中力があればいいじゃないか。長さではなく密度の問題だ。伊能忠敬は50才で学問を志し55才から全国行脚の旅に出たwalkingの先達だ。彼が作り上げた地図の精度は素晴らしかった。一歩60cmを淡々と飽きることなく積み重ねた結果だ。その高い志に倣いたいと切に思う。「星と嵐」は、その志を実現する指標のひとつである。



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