山ダイアリー
2002年07月 

2002年7月31日 トレーニング再開
いつもより倍の負荷をかけたトレーニングを直前まで行うこと。ザックを極限まで減らす工夫をすること。山小屋に電話をし「食事」「弁当」「水」について確認を行う。ギリギリの重さを16キロ〜17キロにコントロールする事。帰路、スーパーに立ち寄り「食事」のメニューをいろいろ考えた。まだコースは決定していないがイメージが彷佛として来た。出発まで10日を切った。メモも暇を見つけてとっている。今週3日までに目処をつけることだ。


2002年7月30日 うたた寝
食事の後、うたた寝をしてしまった。登山と宴会の疲れが重なったのだろう。うたた寝は実に気持ちがいい。くいーっと寝てしまった。そのまま布団にゴロリ横たわる幸せというものもあるのだ。北アルプスへの道が、そろそろ見えてきた。


2002年7月29日 宴会
全国一位という輝かしい業績と人事異動と退職送別を兼ねた宴会。有為の人材がまた1人姿を消していく。志気も下がるというものだ。若手にとって魅力ある会社ではないということだ。リストラを遂行すればするほど傷口もまた広がる。まったく嫌な時代になったものだ。


2002年7月28日 夏山計画
今年の夏は北アルプス表銀座縦走とした。むろん山小屋は遠慮して幕営で臨む。中房温泉から燕岳を経て槍ヶ岳山頂を極め上高地に降りる、全行程4泊5日のロングバージョンを単独で決行する。移動日は含めないから、もう少し長くなるか。最終日を徳沢もしくは小梨平に取り、ゆっくり周辺を散歩するのもいい。新宿駅6番線、急行アルプスに乗るのは8月09日夜2330分。来週3日までには全ての計画とパッキングを完了しておくこと。本日より2週間、更なるトレーニングを行うこととする。

登山記録つける時間がなかった。昨日の心地よい疲労で昼寝がよくできた。1600〜1800までジョギングに出た。汗をかくのが気持ちいい。 今朝から脚が痛み始めた。明日の朝は更に痛くなっているだろう。2日か3日に、もう一度奥多摩に行っておけば申し分ない訓練になるだろう。


2002年7月27日 御前山登頂1405m
0940から登り始める。最初から急坂が始まって汗、汗を絞られる事となった。帰宅は2030、その顛末は明日中に認めることとしよう。夏山を迎える前に標高差1000m近くを2本登ることができた。夏山、なんとか間に合った。地図を頻繁に読んで現在地の確認作業を行った。岩ひとつ見のがさない精緻な読みが必要。汗が地図にポタポタ落ちた。水2L飲んだ。帰路の電車は「おばさま登山隊」に占領されて、騒乱の極みであったが、50000図と25000図を読み比べる作業に没頭していたので気にならなかった。「おばさん登山隊」powerおそるべし。


2002年7月26日 山支度
奥多摩の山に遊ぶ為の準備を済ませた。5時起床で間に合うのはありがたい。今月2度目の奥多摩の山、奥多摩湖から眺め続けた御前山を歩いてみよう。25000図の登山道を赤鉛筆で塗りつぶすのが面白い。


2002年7月25日 筋肉疲労
明け方、ふくら脛が吊った。脚が筋肉疲労を起しているようだ。過ぎたるは及ばざるがごとしというではないか。今日もトレーニングを中止した。ゆっくり休ませることだ。


2002年7月24日 初めての単独行
既にHPを持ちアウトドア系のMLを主催する私にはもう一つ、どうしても拘っておかなくてはならないことがある。他ならぬ「山」である。経験不足から正面切って「山」を主体にしたMLを立ち上げることはなかった。私のような初心者が立ち上げるのはおこがましいというのが大きな理由だった。本命に迫ることなく、衛星のように未練たらしくグルグルと廻る日々を過ごしていた。健康問題、転勤、引越しなど紆余曲折あったのだが、ようやく本来のテーマである山に取り組む余裕が出てきた。勤め人である以上、毎日山に遊べるわけではないのだし、日々過ごす生活の中では山岳書、地図を読む机上登山くらいしかできないのが現実だ。山に目覚めた中高年にとって、折々の生活にあっても常に山に触れていたいというのが率直な気持ちだろう。

初心者の視点で、いくつかの山に関するMLにも参加したけれど、既に出来上がった部屋になじむのはなかなか大変なことだ。その人の資質にもよるのだが、屈託なく人と会話するのは、殊更に年を重ねた世代には難しいことなのだ。一言でいえば我々のような初心者の中高年世代のMLがないという事に尽きる。

何回か奥多摩、丹沢に遊んだ。単独で山に遊んでいる人、けっこう多い。バスから降り立ち、靴紐、ザックなどを整えて寡黙に路を歩き始める。あの人も、あの人も一人みたいだな、それとなく観察してしまう習慣がいつかしら身についた。休息を取るタイミングが一緒になると「こんにちは」と短い挨拶をしたりする。登路の苦しさを語り合い話が弾むことがある。袖擦りあうも多少の縁という訳だ。 稜線の途中或いは下山を機に、互いに名前を名乗り会うこともなく別れてしまうことが多いのだが、やっぱりそれは寂しいことではないかと思うのだ。人は砂漠にあって小用を足す時、必ず大木の傍に寄り添うという話を聞いたことがある。「なるほどそうだろう」と腑に落ちた。私を含めた多くの中高年、自分の山を語りたいという気持ちが底辺にあるはずだ。その底辺を拾い集めて、焚き火の傍で語り合うような空間を演出できないものか、そう私は考えた。

PC時代が奔流となって押し寄せている。惑いつつパソコンを操りアクセスを求める群像の姿が私には見える気がする。多くの「山」関連のMLが既にあり活発な意見、投稿が行われているのだが、私のようなスタンスのMLもあっていいのではないか、非力を承知でチャレンジしてみようと思った。多くの先輩諸氏のご指導ご鞭撻をお願いしたいと思う。

主題は「ひとりの山」。

山に向かう自分、山にある自分、韻を踏む喜び、山頂に吹く風の爽やかさ、路傍に咲く、しっとりした花の佇まい、或いは下山した時の深い満足感などを等身大の言葉で語ることとする。どんな些細なことでもいい。肩肘張らないで山を語るというスタンスが大事なのだ。それが縁となり共に山に遊ぶ機会を持つことができたら、それは管理者としても望外の喜びとなるだろう。内気ではあるけれど、単独行を遂行する精神の強さを合わせ持つ中高年の世界、それはかって、木に登り、川で魚を取り、自然の野原で遊んだ原体験を持つ世代である。


2002年7月23日 群雲に月は満ちて
台風11号が近付いてきている。まず関東から入るコースを辿るらしい。7月だけでも3個も来た。今年は台風の当たり年かも。

この暑さも来月20日過ぎには納まる。そう思えば夏の季節も短いものだ。暑さを楽しむのが粋というものだろう。

郊外の古い家を訪ねた。現役の井戸があり、障子をすべて開け放ち扇風機が首を左右に振っていた。考えてみれば昔はみんなこうだった。涼を取る為に西瓜があり、行水があった。団扇があり扇風機があった。それがいまでは快適エアコン全開で放熱しているわけだ。ヒートランド現象やむなしというべきか。船橋で光化学スモッグ注意報発令される。こちらに来て2度目である。話には聞いていたが、まさか自分が遭遇するとは思わなかった。都会の空気は汚れているんだなあ。


2002年7月22日 炎暑の季節
昼食を食べに外に出た。五目ごはんと暖かな蕎麦、こういう素朴な食べ物が身体にはいいのだろう。アスファルトの照返しでクラクラした。帰宅途中、スーパーに立ち寄って西瓜を買う。夏は西瓜だぜい。


2002年7月21日 朝の風景
0700〜0800薬円台公園に散歩に行った。大きな欅の木を眺めながらゆっくりと歩いた。朝の公園、いろんな人がいるもんだ。太極拳をやってる御仁(あの動きはかまきりに似ている)、仲良し二人組の昔若かったお姉さんたち、悩ましいぶっとい脚が御愛嬌。車椅子の人、浮浪者もどきの兄ちゃんなどなど。グラウンドに続々と集まる野球少年、それをサポートする父母軍団の車。ユニフォームに身を包んだ少年たちは幸せもんだなあ。

恒例の靴磨きと包丁研ぎ。図書館にて本の借り出し。そうそうジョギング用のトランクスを購入してきた。まるで黒彪のように精悍な脚に、、見えないなあ。昨日に続いて1600からトレーニング。薬円台公園一周およそ800mほど。それを5周するのに約1時間かかる。炎熱の陽射しも1700には翳りを見せる。ジョギングタイムに移行して児童公園迄をストレート。滝のような汗でシャツからパンツからびっしょりになる。 児童公園には2才くらいの女の子がお母さんとおじいちゃんに見守られてブランコ。まあ大事にされて、我が儘し放題の感じ。私の方をじっと見るので(モーションをかけているのでは)思わずにっこりピースサインを送ったら白い歯を見せて笑ってくれた。

大腿四頭筋を鍛えるバッタ歩きをしていたら、実家に忘れ物を取りにいっていた木蓮が自転車で現れた。1800完了。さっそくシャワーを浴びて髭を剃って明日の支度を整えた。


2002年7月20日 梅雨明け宣言
図書館へ本を返却に行く。祝日休館であることを忘れていた。

木蓮の実家近くの公園で夏祭。浴衣姿に着替えて参加する。公園周囲にズラリ夜店が立ち並ぶ。夥しい人々が祭りに参加していた。このような祭りに出るというのも数年ぶりのことだ。夜店を素見して歩く。子供の視線で夜店を眺める。射的、金魚掬い、人形掬い、水風船、籤ひき、玩具、セルロイド仮面、焼そば、焼き鳥、お好み焼き、あんず飴、かき氷の店を一通り見て回り散財した。焼そばとさつま揚げを食べて夕食を済ませる。往来すべて徒歩。浴衣に下駄の木蓮ははなはだ歩きにくそうであった。本日だけで20000歩近くを歩いた。



2002年7月19日 改訂文掲示作業を完了
自然(nature)に遊ぶことの心地よさをテーマにしてMLを立ち上げました。MLの主題 は「アウトドア」です。ささやかな憧れを実現する為の、笑いあり涙ありの真摯なプ ロセスを「星と嵐」という象徴的な言葉に込めました。更に天上輝く無数の星々を人 に、波涛越えて生きて行く人の喜怒哀楽を嵐に喩えました。

管理人は山を主体に「自然」と関わりを持っています。1951年製のポンコツ世代 なのですが、老骨に鞭打ち、好奇心を輝かせて「低山」に向かっています。健康と基 礎体力の維持の為に「training」に励んでいます。ザックを背負ったwalkingにも挑 戦したいと思っています。

言うなれば芭蕉翁の「夢は枯野を駆け巡る」を地で行く傾き者(かぶきもの)です。 嫁さんは呆れております。そういう嫁さんもガーデニング傾き者です。ガーデニング も立派な野外活動、つまりアウトドアという訳です。奥が深すぎて私にはよく判りま せん。路傍、家々の花壇を見て、たちどころに花の名前を言い当てる才能には敬意を 払っております。

拙HP「青島原人の山の手帳」をご覧いただいて面白そうだなとお感じになりましたら、 是非ご参加ください。炎熱の砂漠を旅する人が疲れを癒すために、ひとときポプラの 樹の下に憩うような心安らぐ場所であれたらと思います。

老若男女の参加資格は問いません。ご参加の方は恐れ入りますが簡単な自己紹介文を 私宛にお寄せください。管理人が、その紹介文を投稿する事で加入承認とさせていた だきます。その方が加入してからの投稿がスムーズに運ぶと思われます。煩雑ではあ りますが趣旨ご理解いただきますようお願い申し上げます。時代を反映してPCのみな らず携帯からも投稿可能としました。投稿してこそのMLだと思います。

目覚めよ、私の好奇心!

ようやく改訂を終えてホッとした。参加している皆さんに迷惑をおかけしたことが心苦しい。とくにヒロシさんには負担をおかけしたと思う。統合の段階で焦点を曖昧にしたことがいけなかった。

本日は、上記の作業で追われてジョギングに出ることができなかった。明日、今日の分の汗を絞らなくてはならない。


2002年7月18日 「星と嵐」再構築
 遠藤 甲太著「登山史の森へ」平凡社を読み進める。

「星と嵐」のカテゴリーと紹介文の訂正を「ああでもない、こうでもない」と勘考する。一番こだわっていることは何かを明確にさせなくては前に進まない。メモを書きながら推敲し文を認めた。

ナイトジョギング、快調に走ることができた。汗をびっしょりかいて冷たいお茶を飲んで、夜風にあたって家路に着いた。


2002年7月17日 水曜日
15.16日連続して続けたトレーニングも本日はお休みとした。筋肉を休ませることも立派なトレーニングである。

「星と嵐」メーリングリストの在り方を模索。参加の皆さんに迷惑をかけてはいけないしなあ。曖昧なコンセプトで始めたことがいけなかった。ひろしさん、みちたけさんの意見は決定的だったなあ。じっくり勘考するとしよう。


2002年7月16日 夜風
脚の痛みを押して、昨日今日と走りに出た。Tシャツがビショビショになり滝のような汗が流れる。自販機の冷たいお茶を飲み煙草を一本心ゆくまで吸うのが楽しみ。夜風が頬を撫でてゆく。階段の昇降もままならぬ痛さなのに、よく頑張るよなあ。登山記録をHPにあげた。これにて登山完了。

津田沼からJRを使えば2時間ちょっとで奥多摩まで行けることが判った。しかも朝6時起きで十分間に合う。なあんだ、わざわざ遠回りして行くことはなかったのだ。


2002年7月15日 登山記録脱稿
地図を食い入るように眺めながら昼休み時間を使って怒濤のように記録を書き上げた。実に久しぶりに記録を書いた。地図を眺めただけで、その場の状況が判るというのも訓練の賜物と言えよう。痛む脚を引きずって、食事の後のランニングを一通りこなしてきた。やり通した満足感が御褒美だ。油断大敵、ここが頑張りどころといえよう。


2002年7月14日 山遊び
早朝4時起床。すぐさま支度を整えて駅に向かった。北習志野駅から東葉高速鉄道で西船橋。そこから東西線で中野に向かった。すべて初めて乗る電車ばかりで緊張した。ようやく奥多摩駅に到着したのは8時45分頃。山に向かうにはちょっと遅いと思ったが、構内は同じく山に向かう人で溢れていた。臨時バスで日原に向かい鷹巣山を目指した。帰宅は21時半。筋肉が昂揚してなかなか寝付かれなかった。木蓮は実家に行って楽しいショッピングなどをして過ごしたそうだ。


2002年7月13日 奥多摩駅から
歩数計が来てからというもの毎日データ送信を行って順位を見るのが日課になった。ここ数日順位は下がる一方だ。1日からの累計130000歩、平均値11500歩で順位170番前後に在る。見も知らぬ人と切磋するポジティブな状況が良い刺激になっているようだ。エントリーする人の数は日ごとに増えている。公園ですれ違う鉢巻を巻いたあの強面Walkerも、ひょっとして参加しているのかもしれないなあ。もっと楽しそうに歩けばいいのに、今から人を殺しにいくぞ〜って表情なんだよなあ。よたよた、よれよれって人もいるし、颯爽じいちゃんばあちゃんもいる。いろんな人が「歩いて」いることが窺えて甚だ愉快である。

昨日、今日はとうとう歩きに行かなかった。一週間の仕事の疲れが出たのだろう。無理をして歩きに出れば身体がすっきりするのは判っていたのだが、眠りの誘惑に負けてしまった。まあこういうこともあるだろうさ。「ねばならぬ式」発想は自分が苦しくなるだけだ。

明日、は奥多摩「鷹巣山」に登って来よう。本当は緑萌える初夏に行きたかったけど、山に向かう気持ちになっただけでも良しとしよう。何よりのトレーニングは山に登ること。ひとつふたつの山に遊べば山の勘も取り戻せるだろう。初心に戻って遊んで来ようっと。


2002年7月12日 夏到来!
アスファルトの照り返しで目眩が起きそうだった。食事の後、うつらうつら仮眠が心地よい。気が付いたら涎を垂らして寝入っていた。帰宅して食事を終えた後、ちょっと横になって寝入ってしまった。リズムが崩れてしまいウォーキングに行くことができなかった。どうやら暑さに参った様子。


2002年7月11日 夜半の嵐
台風一過、抜けるような青空と炎暑。会議の後、宴会。深夜の御帰宅。


2002年7月10日 台風来たる!
夕方から激しい雨となった。木蓮の言う通り自動車通勤で正解。わずかにワイシャツを濡らしただけの被害で済んだ。明日は台風一過の青空、しかも炎暑だという。トレーニングはできなかったが会社の階段昇降を往復3回やった。(やっとかっとだったが)気圧の影響で身体がだるかった。みんな同じような事を言ってたなあ。昼食は久しぶりに「秋刀魚定食」を食べた。魚をたくさん食べなくてはいけない、、タンパク質タンパク質。


2002年7月9日 台風前夜
沖縄近海にあった台風が、どうやら列島直撃の気配。明日の夕方は暴風雨ということになっている。早起きをして車で出勤、帰宅作戦を取ることにした。 6号、7号、8号と陸続と台風が発生している。

歩数計が20033歩を越えた。次第にトレーニングの密度が上がってきている。データ公開が励みになっている。木蓮の親爺さんも早朝散歩でエアロ歩数7000歩行ったと報告があった。その気になって歩いている姿が目に浮かぶようだ。


2002年7月8日 谷川岳の風
梅雨明け間近、盛夏を思わせる青空が広がっていた。朝、会社に向かう横断歩道を横切ろうとした時、一陣の涼風が私の頬を撫でていった。谷川岳稜線に吹く風の冷たさが一瞬脳裏を過ぎった。西黒尾根を汗流しながら歩いている自分の姿が浮かんだ。「ああ、山に行きたい!」と痛切に思った。ちょっと頑張ってみようか。

Trainingに偏った生活を補正しよう。データ送信は週に一度でいいのだ。順位など相対的なものだから気にすることはない。やりたい事が山積しているのだ。地図ソフトの学習、読いたい書籍、見たいテレビ、聴きたい音楽、会いたい人、物ではなく人を求める時間を捻出しなくてはならない。ただいたずらにパソコンに耽溺する生活にピリオドを打とう。標高500mであれ8000mのヒマラヤであれ準備と心構えは同じだ。雑駁な準備で臨むから失敗する。登山計画書作成、移動交通手段、食料計画、経済も「本格的」に取り組もう。食料にしても「糖分」「脂質」「蛋白質」の順にエネルギーが消化される事を知った上での準備をするのが大切なんだ。


2002年7月7日 七夕の宵
いつもの通り図書館、スーパー詣をし、午後4時からトレーニングに出て汗を絞った。北習志野公園近くの商店に夜店の列。浴衣姿のかわいい子供たちが目を輝かせて露店の品々に見入っていた。季節感のある夏の風景、いよいよ夏到来か。木蓮が扇風機を持ち出してきた。これも昭和30年代のオンボロ扇風機だ。いずれmonoに登場させてやろうと思う。ちょっと暑苦しい夜だけど安らかに眠れそうだ。



2002年7月6日 定年祝い
木蓮のお母さんの定年祝いの食事会を近くのレストランで。イタリア料理に舌鼓を打って楽しく過ごした。親爺さんは麺類が居並ぶ料理をペロリと平らげていた。私も食べ過ぎてお腹が苦しかった。カロリーたっぷり摂ったので「明日が怖い」。結局、ウォークに出ることはできなかったのだが、明日からまた頑張ろう。

気になっていた「つげ義春」の事を調べていたのだが、あの「水木しげる」の弟子をやっていた由だ。昭和30年代初頭の貸し本時代に、おふくろがよく借りて読んでいた「墓場の鬼太郎」の筆致によく似ている。どこかで見たような風景が丁寧に描かれてある。道理で懐かしい訳だ。


2002年7月5日 死屍累々の歴史的背景
「北海道の歴史と風土」半分ほど読了した。北海道の開拓史は徳川時代に遡る。明治、大正、昭和の時代を重ねても尚完結していない。夥しい数の移民にょり開拓された北の大地の凄惨な歴史を知って驚いた。アイヌ民族が和人に蹂躙され貴重な文化を消失させていった経緯も初めて知った。何故網走に、ああいう刑務所が設置されたのかも知ることができた。表面だけを見て過ぎる観光だけでは決して知ることのできない歴史が北海道にはある。

その目次は以下の通り。これを読むだけで「北海道」がただならぬ地であったことが窺えるというものだ。



序 新しい歴史-異人の島-みちのくのかなた-温帯から亜寒帯へ-異民族の包容

●北からの文化 旧石器文化-縄文文化と続縄文文化-擦文文化とオホーツク文化-アイヌ文化の北方的なもの-近世の北方文化流入-山靼交易

●アイヌの文化 衣服-食物-住居-狩猟と漁労-信仰

●北方の調査と探検 古代・中世の北方知識-ヨーロッパの蝦夷地記事-近世前期の蝦夷地調査-近世後期の探検・調査-幕末・維新期の調査

●松前藩 松前藩の特色-藩の成立と場所制度-交易-場所請負制とアイヌ-蝦夷地の産物

●開拓政策の展開 近世の開拓-開拓使の政策-開拓事業の基礎づくり-開拓政策の転換と躍進-開拓の停滞と転換-戦後の開拓と終焉

●移民 移民の多様性-近代日本の縮図-近世の移民-明治時代前期の移民-士族移民-士族から農民へ-囚人と土工夫

●開拓 開拓期の調査と土地の選定区画-移民の入地-開墾-開拓地の生活-開拓者を苦しめた動物

●アメリカ文化の導入と生活史 アメリカ的な北海道-近世の松前文化-開拓使の欧米文化輸入-欧米文化の退潮と内地化

●北の米作 北方米作史の意義-石狩国における米作の発展-試作の普及と政策の転換-適種の発見と改良-栽培技術の発達-米作の躍進と直播器の発明-暖冷床苗代の実用化

●鰊と鮭 松前の春-蝦夷地の春-網切騒動-鰊、北に向かって去る-蝦夷地の鮭-鮭漁の盛衰-明治以降の鮭漁

●歴史と風物 近代にひらけた社会-植民地的性格-未完成の社会



2002年7月4日 衰える好奇心
心が山に向いていない。あたかも山を志向するかのような欺瞞に満ちた生活を送っている。てっとり早く満足を得ることができるジョギングでお茶を濁している。私はもっと山に登りたいと思っていたのではなかったのか。それにして山に向かう回数が少ないではないか。面倒くさい事はしたくなくて、だらだらと日常生活がしたい怠け者なのではないか。その証は至るところに散見できる。兆候は「山と渓谷」「岳人」を精読していないことだ。体裁を作ろうことに終始して一向に前進しようとしない。なぜだろうかと自問してみる。そうでありながら図書館に行けば「山に関する本棚」に真っ先に向かう自分がいる。

面倒臭い、早起きをして朝一番の電車に乗るのが億劫だ。距離がある、一人で行くのが不安、お金がかかる等々。いろんな理由をあげつらってみるのだが、いずれも決定的な理由にはならない。やはり健康への不安が一番大きいのではないか。 「糖尿病と緑内障」ふたつの不治の病に侵されてしまった身体への不安が、知らず知らずの内に、それまであった好奇心を衰退させてしまっているのではないか。一日一度の点眼、一日二度の投薬、月に一度の内科と眼科検診の反芻の疲れも無視できない。否応なしに病気を意識させられてしまう事への苛立ちなどもあるのだろう。ポジティブを標榜しながら実はネガティブマインドに侵食されてしまっている自分を認めなくてはいけない。 ジョギング、ウォークへの傾斜は山に向かわない自分への言い訳だ。山と同様に、それなりに完結した世界を作ることができる手っ取り早さで欲求不満を解消しているとも言える。

ひとつには登るべき山の指標を見失っている。市井の山岳クラブに籍を置いているのなら仲間なども出来、山を目指すリズムも自ずとできることだろう。だが単独で山を始めた私には、次に登るべき山の姿が見えにくい。少なからぬ中高年が目指す山を「百名山」に限定するのは故なしとしない。十二支の山を登る人がいる。誰にも知られていない雑木の山を地図片手に登る山もある。地域に密着した「おらが山」を尾根から沢から、隅から隅まで登り尽くそうとする人がいる。自分の山を知っている人たちだ。何かしら「こだわり」を持たなくては継続できなくなると判っていたことだ。どうやら私も例に倣って自分の山スタイルを(もともとそういうものは持っていなかったのだが)模索しなくてはならなくなったようだ。今までと、これからが同じということにはならない。

いたずらに心配しても詮ないことなのだが先立つ健康への不安をどう解消するかである。 一連の継続により一時期よりも体調は良くなっていると信じたい。内科的なデータもそのことを裏付けてくれている。もっと自信を持っていいのではないか。血糖値低下による昏倒は、まず起こり得ない。眼底異常も今のところ兆候はない。いたずらに心配するより、早寝早起きをして一番電車に飛び乗ってみることではないか。行動で意識を、環境を変えて行くことが閉塞した状況を打ち破るエネルギーになるはずだ。



2002年7月3日 ウォークラリー
新しい歩数計が我が家に来て5日目。毎日データを送信して「にんまり」している。全国順位も大いに参考になるけれど、あくまで相対的なものだから一喜一憂する方が間違っている。一日30000〜50000歩も歩く猛者がいるけれど、翻弄されることはない。敵は自分、今迄のリズムで立てた目標を達成する課程が重要だろう。月末になったら一月単位のさまざまな解析画像をHPに掲載することになっている。本日は疲労した筋肉を休ませた。休息はとても大事なことだ。読みかけの本を抱えて布団に横たわる幸せを満喫するのだ。

書店で読んだ「つげ義春」の「貧困旅行記」が妙に心に残る。記憶の彼方に埋め込まれた懐かしい映像が描写されている感じがして無視できない。

「北海道の歴史と風土」(学術書)を通勤電車の中で読んでいる。実に面白い。


2002年7月2日 潮の匂い
会社から「ららぽーと」まで歩いた。思いの他、海が近いのに驚いた。10分ほど歩いたら風に運ばれて潮の匂いがしてきた。更に歩くと入り江に漁船とボートが並んでいた。海が近い!懐かしい潮の匂いにしばし昂然としてしまった。夏がそこまで来ている。


2002年7月1日 Training作法
ホームグラウンドの薬円台公園には休日ともなると大勢の人が訪れる。ここが私のトレーニングの始発点である。まず公園周囲をぐるり回ることから始まる。少し大股で速度を上げて歩き始める。外周を10分で回る。途中から土になるのでありがたい。コンクリート舗装ばかりだと疲れてしまう。土の感触はいいものだ。山に在るという気持ちを思い出させてくれる。3周で30分、休みなしで歩くとかなりの運動量になる。十分に身体が温まったらジョギングに移る。薬円台公園から成田街道を北に向い、最終ゴール地点(児童公園)まで、おおよそ3Kmのジョギングを行う。まだ限界まで試していないが10Kmまでならストレートに走る体力があるようだ。昨年11月にジョギングを始めた頃は、有体に言えば100m走ってはゼイゼイと呼吸を荒くしていたものだ。途中何箇所も信号があるのだが止まることなく足踏みをする。休めば走る気力がなくなってしまう恐れがある。昔から私は誘惑には弱い質なのだ。あは。北習志野公園からエンジン全開、ギアを切り替えてspeedをあげる。最終コーナーで更に加速し、一気に児童公園に辿り着く。

休むまもなく設置されているジャングルジム、鉄棒、ブランコ、ベンチなどを活用して筋トレを行う。ベンチを利用した腕立て伏せ、鉄棒を利用した背筋、(それぞれ100回)懸垂、(5回)鉄棒振り子運動、(5往復)ジャングルジムを猿のように伝って一周。衰え激しいバランス感覚を補正できる。ブランコは動態視力の維持向上に役立つ。最後に強張った筋肉をほぐすべくジャングルジムに1分ほどぶら下がり重力牽引を行う。肩、腰から下の筋肉と骨を矯正することができる。接骨院でよくやる「牽引」というやつだ。左手中指が不自由な私の握力で全体重を支えるのはなかなか辛い。これでも障害者手帳13級の持ち主である。軽業師のように車輪ができたのは昔のこと。おかげで数十年ぶりに手に豆ができつつある。

ワンコース終了。汗が滝のように流れる。よたよたとベンチに座り、自動販売機もしくは家から持参した冷たい飲み物をごくごく飲んで身体を鎮める。「ほうっ」と深呼吸をすると深い満足感に浸ることができる。ザックから煙草を取り出し一服つける。これが実に美味しい。

最後の仕上げに入る。児童公園から自宅まで(200M)は大腿四頭筋を鍛えるために、電信柱2本〜4本の距離を大股屈伸歩行。一歩の度に身体に交互に捻りを加える。中国太極拳の動きに似ている。ゆっくりと時間をかけて脚を移動し、膝を直角に曲げて歩く。次第に脚に負荷がかかって来て石のように重たくなる。臨界までやったら呼吸を整え、再び歩き始める。まるで蟹が縦に這うようなもの。私の脳裏には、昭和44年代初頭に一世を風靡した名曲「若者たち」が流れる。「君の行く道は果てしなく遠い。だのになぜ何を求めて君は行くのか、あてもないのに〜」

往来する人の視線など気にしていられない。さぞかし「変なおっさん」と映っていることだろう。前をゆく「変なおっさんが、歩道でバッタのように上下しながら歩いている」訳だから、なるほど面妖な光景とは言えまいか。私にしてそう思うのだから余人であれば尚更に。ましてや、それが深夜の2100頃ともなれば「無気味な江戸川乱歩」的世界と言えるだろう。

かくして家に辿り着く。濡れたシャツとパンツを脱ぎ捨て「生まれたまんまの姿」となってお風呂にドボンする。浴槽に身体を浸して瞑目し、深い満足感を味わう。お風呂上りの一杯の牛乳が、しみじみと美味しい。土日は1630〜、平日は2030頃から始めるのが日課。

さて今日も頑張ってくるか。湖畔の葦草に似て意志薄弱な私は、このような尤もらしい能書きを連ねて己を鼓舞するのである。



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