山ダイアリー
2002年08月 

2002年8月31日 葉月の終わり
月が変わって長月に移る。窓の外、耳を澄ませば虫の鳴声がさんざめく。寝苦しい夜も後10日ほどのことだろう。9月は雨の季節でもある。一雨降るごとに秋が深まり、山は紅葉を経て冬の支度を始めるだろう。錦繍の10月、義理の両親を誘って「格安パックツアー北海道」旅行にでも行って来よう。いろいろと御心配をかけた罪滅ぼし。喜んで貰えるだろうか。のんびり温泉に浸らせてあげたいものだ。

1日から始まった激動の8月、北アルプス逍遥がなければ実りの少ない月であった。終の住処の環境を整えるのは、まだまだ先の事になるだろう。トレーニングも後半はまったく出来なかった。夕方、薬円台公園で散歩をした。半周をジョギング、半周を歩くというスタイルで5周ほど。本格的なジョギングに移るのは明日からになる。乱れたリズムを補正しなくてはならない。徐々にペースを取り戻そうと思う。一昨日買ったウエストバッグを試した。ピタリ身体にフィットして違和感がないのは素晴らしい。


2002年8月30日 週末
人事部より「希望退職承認」通知が届いた。分厚い封筒の表紙に「親展」と認めてあった。人事部長の名前で「希望退職を承認します」とあり、さまざまな手続きについては9月4日頃よりメールで連絡します云々と書いてあった。いよいよ来週から「退職処理」が本格的に始まる。職務経歴書が採用者の目に止まる為の「技術」が丁寧に指示されていた。米国式に自分を強烈にアピールしなくてはダメとある。まあ、その通りにやってみるのもいいだろう。既に来年度以降の仕事の目処はついているのだが「好球必打」というスタンスもあっていい。PCで再就職情報登録の基礎資料を作成しなくてはならない。10日までは多忙を極めることになる。

どうやら「新しい住まい」のリフォームは「畳」「網戸」「ルームクリーニング」だけのシンプルさで済みそうだ。登記等を経て、早ければ11月中旬には転居することになる。足立区新田時代のアパートを彷佛とさせる佇まいだが「雨、露」を凌ぐには十分だ。山小屋を思えば何と言うこともない。「起きて半畳寝て一畳」とはけだし至言だと思う。引っ越しの見積もり、リフォームを始めとした諸事雑用は全て木蓮に任せ、私は「極楽とんぼ」である方が精神衛生上はなはだよろしい。

退職以降の計画にあれこれ思惑を巡らせている。4月以降、体調の様子を窺って(データ勝負になる)8月頃復帰となる算段。時間を有効かつ生産的に使う為には、しっかりしたプランが必要だ。テーマは「命の洗濯」「健康管理」。発想だけは自在である。世界一周旅行だって出来ちゃうぜ。「中山道、山陽道、四国もいいなあ」と私が言うと、藤元は「自転車」で四国に行って下さいと言うし、沖縄もいいですねと、私に換わって様々にイメージを膨らませてくれる。「沖縄か、それもいいね〜」などと相槌を打つ自分が、なんとなくおかしい。「自転車に乗れ」と言うのには流石に恐れ入る。笑。「今迄の事は忘れて全く新しい事に挑戦しなくちゃダメ」という気持ちを伝えてくれている。「こいつ、なかなかいい奴じゃないか」



2002年8月29日 サザンオールスターズとTOUGHと秋のバッグ
10月以降の様々な計画をダイナミックに練り始めた。そのひとつ、音楽を聴くシーンを復活させるべく、サザンのCD@3700を買った。「バラッド3〜the album of LOVE」

不動産屋に購入家屋の手付けを支払いに出掛けた。実直な老夫婦が所有者であった。不動産屋立ち会いの元に契約書と手付けの支払いを無事完了した。契約書の詳細を、いちいち読まなくてはならない規則になっている。一行一行を素読して双方了承の上、署名押印を終えるまでに1時間半を要した。実に疲れる作業であった。大きな買い物だけに「慎重」にならざるを得ない理屈。これで生活の根城は確保した。リニューアルを終えて、早ければ11月末もしくは12月中旬には転居することになるだろう。いずれにせよ2003年は新しい住まいで迎えることになる。住まいの名称は古色蒼然としているので「古蒼庵」としようか。あは。

イトーヨーカードーにて、巷で評判の登山用の「TOUGH」ウエストバッグ@8000、木蓮の秋のバッグ@2900を求めた。疲れはしたけれど、これは前向きな疲労というべきだろう。その御褒美かも。


2002年8月28日 集中力
日毎に現職務への集中力が萎えて来るのは致し方ないことだろう。ありのままの心の動きに蓋をしてはならない。淡々、粛々と残務処理に当たること。古来、日本の諺にある「立つ鳥、跡を濁さず」を実践しなくてはならない。


2002年8月27日 新聞
我が家では革命的な事なのだが「新聞」を購入することにした。今迄は会社で事足りていた。仕事を辞めたら、生活のリズムを整える為に、ほぼ毎日のように「図書館」に通いつめる事になる。そこに行けば新聞を読むことは可能だが、専用という訳にはいかない。地域に密着した情報を得る為に「新聞」は欠かせない。で、「新聞を取ろう!」と言うことになった。ゴミ袋と洗剤七個を貰い。これで「チラシ」が読めると「ホクホク」喜んでいる木蓮。


2002年8月26日 決断と実行
希望退職の申し出を行った。ほぼ5年に及ぶ「リストラの嵐」、終止符を自分で打つ事ができた。ああ、すっきりした。木蓮にも心配をかけたけど、私の精神はまったく揺らいでいないから安心していい。第二幕はこれから始まるってことさ。おっと、その前にたっぷり充電しなくちゃ。


2002年8月25日 トレーニング開始!
この1週間の騒動のお陰でまったく運動ができなかった。騒動の収束を契機に再びトレーニングを開始した。薬円台公園〜北習志野公園まで、約10キロを歩いた。徐々にジョギングも取入れてレベルを上げて行った。「継続は力なり」を実証した11ケ月であった。来年4月からの仕事に備えて更に頑張る。

29日に契約書類を作成したい旨の電話が不動産屋からある。明日は「希望退職」を告げる日。その日を境に舞台が廻り始める。残務整理の9月になるだろうが、気負うことなく淡々と仕事をしていけばいい。「風立ちぬ、いざ生きめやも」



2002年8月24日 夏が行く
リニューアルの参考にしようと思い、昨日に続いて習志野市秋津から船橋市街を情報収集に動いた。9月は不動産が動く時期なのだという。さまざまな人が期待に胸を膨らませて内見会に来ていた。郊外にある立派なマンションは「車」を前提としている為に、夜はゴーストタウンと化して無気味。船橋市習志野の外れの壮大な館は、その広さ内容の充実ぶり、値段の安さにも関わらず出足が悪いという。同じように「車」を前提とした暮らしになっているからだ。私たちが選んだ公団は築30年を経ているにも関わらず、駅に近い、大きな病院がある、商店街が発展している、図書館がある、公園があるetcの社会環境が充実しているという付加価値が売りになっているようだ。遠くに行った娘が思いもかけずに近くに来た事、更には近くに住まいを構えてくれたという事で一番、喜んでいるのは木蓮の両親だろう。老い先短い両親を喜ばせる親孝行の真似事ができて良かったじゃないか。

大きな判断を求められた「仕事」「終の住処」を確保する騒動、ひとまず収束。後のリニューアル云々の楽しい作業は、木蓮と義理の両親に任せておけばいい。私は、いつもの極楽蜻蛉になって遊び歩かせていただこうではないか。笑。さて秋は何処の山に遊ぼうかと早くも次のココロだ。

薬円台公園から夏の終りを告げる納涼盆踊りの太鼓と歌が聞こえてきた。夏が足早に通り過ぎて行く。耳を澄ませば虫がさんざめいている。そろそろ運動を開始しなくてはいけないなあ。今週はついに一回も運動できなかった。身体が鈍っているぞ〜。


2002年8月23日 神速の対応
今日は会社を休んで対処した。木蓮の両親にも出てきて貰い公団の下見に同道していただいた。3人寄れば文殊の知恵という。個よりも複眼の目線で判断することができた。夕方、再び公団を訪れ室内をじっくり観察しリフォームの明細などを確認し「契約の意志」を表明した。今年中には引っ越しを行うことになるだろう。4月に転居してきたばかりというのに慌ただしいことだ。

課題の「終の住処」は習志野と決まった。新京成北習志野駅から6分の習志野台公団を神速で決めた。生活環境という点で申し分ない。「上を見ず、下を見ず」という庶民感覚が判断の基準。部屋の広さは3LDK、二人で暮らすには十分だ。ここを軸にして、第二の人生を生きて行くことになる。「人生至る処に青山あり」「住めば都」と言うではないか。「仕事と住まい」人生の大きな問題二つが解決した。すぐに決まった訳ではない、いままで充分に悩み呻吟した結果である。それにしても川口を皮切りにして引っ越し騒動に明け暮れた6年の歳月だった。全ての事には意味がある。船橋に転勤が決まった事、それが木蓮の実家の両親の傍であったこと、習志野に社宅が決まった事、一見偶然に見える、それら複合の事象も長い目でみれば意味があったのだと判る時が来るだろう。全ての事は必然、ただの一つも偶然はない。



2002年8月22日 風雲急を告げて。
再就職の目処もほぼ着いたことで、さまざまな事が一気に動き始める事となった。26日から希望退職の受付が開始される事に合わせ退職を申し出る事にした。「終の棲家」についてのコンセンサスも木蓮と話しあって、ほぼ方向を決めることができた。今さら上を見ても仕方がない。雨、露を凌ぐ家があればいいではないかというスタンスに発想を切り替えて、民間に比べて遥かに割安な公団住宅を選ぶことにした。関東一円の範囲で探すことになるだろう。木蓮が賃貸情報雑誌を購入してきた。インターネット検索と併せて情報を分析する。これとて社宅在住リミットの3月末までに決めればいいことだ。時間はたっぷりある。銀行からの借入を想定し3月まで時間稼ぎをしようと思ったのだが、借入を起さない範囲で家を探すことが可能のようだ。と、なれば会社に来年3月末まで籍を置く意味はなくなる。9月末を持ってサラリーマン生活に終止符を打ち、来年4月から、身分を替えて新しい仕事に移行する支度を行うことができる。当然の事だが、来年3月まで籍をおけば、前半に希望退職した人たちとの整合性を図る為に、その間に支払われた給与の分、退職金が減額される仕組みだ。つまり籍を置いても置かなくとも退職金の額は変わらない。ならば退職し失業保険を直ちに貰った方が得策というものだろう。総合で貰う収入は「失業保険」(会社都合希望退職だから、直ちに12ケ月支給される)分だけ増える計算になる。その増えた分で、さまざまな事ができるという計算だ。家具を買ったり補修をしたり、あれこれの細かな雑費を計上できるというものだ。少なくとも半年は「ゆっくりと生命の洗濯」にあてることができる。退職すると決めて、なお今の仕事に従事するのは人生の無駄だ。意欲のなくなった人間は直ちに現場を去るというのが出処進退の作法ではないか。

山行記録をHPにあげる作業が、この騒動で吹っ飛んでしまった。いやはや。笑。この1週間は、まったく「運動」できなかったなあ。山の貯金も、そろそろなくなってきたぞ。まあ、そういう時もあるだろう。明日からまた頑張ればいいさ。半年に及ぶ失業保険期間も「健康管理」はおろそかにできない。朝の散歩と運動は欠かさない習慣にしなくては。図書館に通うのもいい。長期の旅にも挑戦してみよう。サラリーマン時代、遠慮しながら取っていた休暇も、思う存分満喫できるというものだ。



2002年8月21日 第二次面接
26日から希望退職の申し込みが全国的に開始される。昨日、今日と支社長室に呼ばれたメンバーが3名いた。本社人事部からノミネートされている人のようだ。身辺、段々慌ただしくなってきたなあ。仕事への意欲、減退するのも致し方ないだろう。こういう空気は蔓延する。志気低下は免れない。同じ釜を喰った仲間が本人の意志とは無関係に退社して行くのは不条理だ。嫌な時代になったものだ。

夕方、支社長から「健康診断の件」で話し有り。「ヘモグロビン値」で査定をするとの産業医の話しを伝えてくれた。まあ、これで自分の来年3月末の対応が決まったようなもの。データの様子を見て転籍申請を行うことになるだろう。今の状態であれば、再就職に何ら問題はない。今迄培った知識、スキルが活かせる職場であることに越したことはない。ただ終の住処を探すのが骨だ。こればかりは一朝一夕にはいかない作業になりそうだ。更に健康管理に邁進しなくてはならない。

同僚より「意見」を求められることが多い。ネガティブなのかポジティブなのか、それが問題だ。被害者意識を持ったままでは歯が立たないという事を述べたが、畢竟、時代の流れの中で、家族を含めた自分の人生をどう彩るかである。責任のない独身であれば選択肢も多岐に亘るだろう。会社人間ほど潰しが効かないようだ。「なんだか疲れた」「ちょっと休ませてくれ」「長い間、働いてこれじゃ嫌になる」「生命の洗濯、充分にやればいい」「長い人生に空白の時間があってもいいだろう」「なんだか疲れたんだ」お前、電車に飛び込むんじゃねえぞ。

本日、原稿40枚をようやく完成させた。これで私の「夏」が名実ともに終わった。一抹の寂しさを感じる。併行して「御前山」の山行記録も脱稿した。3部印刷して2部を配付した。尾崎と藤元に渡す。


2002年8月20日 原稿手直し
記録をプリントして精読してみたが、いやもうお話にならぬ。このままではどうしようもないので全編書き直しに作業に入った。

山と渓谷・岳人9月号を津田沼にて求める。もう秋の特集を組んでいた。


2002年8月19日 仕事再開。
ぼうっとして一日を過ごした。皆、夏休みボケにあるようだ。原稿の精査作業をやって思わず冷汗を流した。


2002年8月18日 「北アルプスの風」脱稿!
ようやく登山記録を書き上げた。原稿用紙に換算すると30枚くらいになるかしら。ほぼ4日間かかった。これでようやく私の北アルプス登山が完了した〜。うむ、満足満足。初秋の季節を迎えたようだ。奥多摩、丹沢の山に遊んで英気を大いに養おうと思う。今度は木蓮と二人で幕営スタイルで出掛けてみよう。 ザックの負荷も耐えられる自信がついたし。めでたしめでたし。 ところで、今日のwalking歩数だが、798歩という貧弱極まるものであった。

明日から仕事。とはいえリストラ問題を内包する事となり集中力が削がれるのは目に見えている。「なるようにしかならない」が「全力を尽くす」というスタンスでやってみようじゃないか。聖書の言葉「物事を達成する為の強さを下さい」と祈ったら、謙虚さを学ぶ為に「弱さ」を与えたという下りは意味深いものがある。「強さ」ではなく「弱さ」というところが凄い。


2002年8月17日 山行記録2
おおよそ80%を脱稿した。木蓮に素読して貰い助詞の間違いなどを添削して貰った。元編集者はチェックが厳しい。HPに載せるのは、まだまだ先になりそう。A4用紙15枚に及ぶ大作になっている。う〜む、困ったなあ

薬円台公園、朝6時に散歩に行ったのだがラジオ体操の場面に遭遇した。公園を埋め尽くす群集が居るのには驚いた。立ち去る訳にもいかず、知らず体操に参加してしまった。第二第三まで連続して体操を行うのに面喰らった。真剣にやればかなりハードな体操だ(大層なことだ)。

背中と言わず足といわず、お腹までも蚊に刺されて無惨な事になっている。何と20箇所以上、蚊に血を進呈してしまった。身体のあちこちが流石に痒い。ボリボリ掻く訳にもいかないから熱い湯に入って熱消毒した。それでも痒いものは痒い!


2002年8月16日 山行記録
各々のブロットを決め、それから詳細な書き込みを行っている。かなり集中力を要求される作業だけれど、これが実に楽しい。何を思い、何を感じたかが主題である。踏破記録タイムはガイドブックに任せておけばいい。それほどの差はないのだから。今夜、明日中には80%完了させなくては。

今日からトレーニングを再開した。早朝の散歩と併せて17000歩近く行った。足が浮腫んでいるようで、身体が登山しているような感覚だ。

木蓮の御両親が里から米、茄子、キュウリを大量に運んでくれた。ありがたいことだ。


2002年8月15日 敗戦記念日
終戦ではなく敗戦記念日と表現するのが正しい。亡きおふくろの言葉である。

山行で使った道具、食糧類を広げながらメモを取る。風が強いのでテントを干せない。今日一日かかって登山記録のメモを作り上げること。夕食前に半分を書き上げた。今日中にあらかたのブロットを書き上げておく事。登山はまだ続いている。


2002年8月14日 上高地逍遥
たっぷり3時間かけて上高地を逍遥した。言うことなし。バスターミナルの休息所に掲げてあった尾崎喜八の言葉をメモ。

大空の青にそばだつ槍穂高

谷深く夏をかなでる梓川

山を敬い

山を愛し

登る我が身の幸いを

至上のものと思いながら

光も澄んだ山頂の

広く美しい視野に立つ


2002年8月13日 常念岳〜蝶ケ岳〜徳沢
11時間歩き通した。北アルプスのパノラマを堪能する。登山記録のテーマが決まった。今日が一番のロングコース。懐かしい徳沢でテントを張った。


2002年8月12日 大天井岳〜常念小屋
花崗岩の砂礫の道、コマクサロードと雷鳥に逢う。


2002年8月11日 燕岳
中房温泉より合戦尾根経由で燕岳を目指す。合戦小屋にて名物「西瓜」を食べる。天候悪化、雨模様の中レイン上だけ着て登り始める。燕山荘テン場1200到着。燕岳往復。


2002年8月10日 新宿駅6番線にて
自宅から津田沼まで。11時あずさで松本に向かう。松本に大糸線に乗り換え穂高町下車。バス賃料@1610円で中房温泉。幕営泊


2002年8月9日 出発前夜
眼鏡予備を忘れないこと。(忘れない為にメモ)。携帯電話。時計。筆記具。(今夜の内にザックに入れておく事)

津田沼にて木蓮と待ち合わせ。明日から粗食の日々を過ごすので和幸「とんかつ」を食べて英気を養う。山と渓谷社刊行「高山に咲く花」を木蓮の為に求める。撮影の為に要した15年に及ぶ膨大な時間を@3000円で求め得るのは素晴らしいことだ。



2002年8月8日 最終点検
準備したモノ。

携帯電話の予備電源。目薬。薬。お金。カード。タオル。デジタルカメラ。予備電池。地図。文庫本。アルペンガイド。ZIPPOオイル装填。手帖。筆記具。 小物を雨から守る為の防水グッズ。帽子。着替えをプラス一日多くするか迷っている。最後の日にお風呂に入ってさっぱり気分になりたいものだ。

出発は10日11:00新宿6番線。さていよいよだ。留さんに電話をしたところ鹿児島に帰省するかどうか決めかねているとのことであった。帰路、金沢に立ち寄ることも考えていたのだが没となった。


2002年8月7日 北の大地と北アルプス
会社の同僚は自転車で北海道に向かい、私は北アルプスに向かう。昼食は地図を広げて互いの抱負を話し合う時間となった。フィールドは違うが互いにアウトドア指向というのが嬉しいではないか。既に31歳となるのだが、未だに独身。どうやら自転車が恋人らしいのだ。気持ちのいい男なんだがなあ。世の女どもは男を観る目がないのではないか。


2002年8月6日 熱風の日々
昼食に外に出た。道行く人誰もがペットボトルを携えていた。ペットボトルを作る為に熱が、それを冷やす為に熱が、ビルを冷やす為に熱が、車が走る度に熱が、電車が走る度に熱が、あらゆる熱源が生活環境の中にある。いやはやえらい時代になったものだなあ。


2002年8月5日 第一次面接
予め面接に臨む前に根回しをしておいた。会社の現状の説明があり前期と後期で希望退職者を募るので協力いただきたいという主旨の説明が、レジメに従って型通りに行われた。むろん話し方は丁寧である。有無を言わせぬ手法で迫ってくる。こちらとしての言い分をまず語った。前期に指名されるかどうかで判断が異なると言うと本社の人事部に確認してみましょうと言う。どうやら前期に指名解雇はなさそうとの感触であった。来年3月までの猶予を貰ったようなもの。来年3月までに総勢1400名に及ぶリストラの幕が切って落された。セカンドキャリア制度の導入により、再就職についても会社全額負担で「斡旋会社」に登録し、決定するまでフォローするという。昨年12月にも同じ主旨を聞かされた。再就職率は半年以内で70%、1年以内では93%が決まったとのデータを並べてきた。再就職するにせよ、医務データがモノを言うはずだから、その点についての確認をしてもらうように依頼した。

内科に赴き7月の血液データを聞いた。血糖値74、ヘモグロビン値6.0というものであった。ヘモグロビン値の上限は5.8だから驚異的な改善というべきだろう。血糖値も正常値に戻っている。つまり、今迄のトレーニングと食事療法が正しかったことの証明。嫌な出来事が多い中で、唯一嬉しいニュースとはいえまいか。山に向かう事を担当医に述べると(これが実に美しい女医なのだが)、甘いものを忘れないように、更に水はたっぷり摂取するようにとの指示であった。つまり、その条件さえ満たせば「北アルプス」級の山に行くこと何ら支障ないということだ。

携帯電話の予備電源を求める。@1480円。12時間連続通話可能というものであった。念の為、山小屋にガスボンベと携帯電話の予備電池はあるかと問い合わせしたところ、にべもなく「置いてありません」との返事だった。(常念岳小屋)まあ当然ではある。


2002年8月4日 祭囃子
習志野駐屯地から祭囃子が聞こえてくる。年に一度敷地を開放して地域に貢献するという作戦らしい。2000過ぎから花火があがり始めた。向いのマンションの屋根越しではあるけれど花火ショーを眺めることができた。同時に稲光りもするようになり東京23区全域に大雨注意報が出た。やはり季節の変わり目にさしかかっているようだなあ。夏の季節も存外短いものだ。

午後からスーパーに出掛けて、山仕度の細々とした材料を揃えた。すべてのモノをパッキングして計量したら13キロあった。水1Lを入れても14キロで収まった。すべて支度を完了した。あとは時刻表と登山計画書の作成ということになる。出発は10日、切符は自由席で並ぶしかないだろう。まあ試してみて空いていたら儲けものくらいのスタンスでいい。少なくとも9日までは連続してトレーニングしておかなくてはならない。

今朝と夕方の二度に亘って、昨日迄の鬱を脱する為のトレーニングを行った。ここ2.3日の数字が精神の有り様を映し出している。今後の方向をじっくり確認したことで再びポジティブな気持ちになることができた。「なるようにしかならない」が「いかなる事態になってもベストを尽くす」、まずありのままを受け入れることが大事なのだ。物事を明らかに観ることを仏教では「諦観」という。「諦める」ということではないのだ。

文芸春秋刊「不良牧師!アーサーホーランド」という生き方を求める。



2002年8月3日 山支度
家に居て悶々と悩むより山にいって気分転換して来る方が心身に良いだろう。遅かれ早かれ決断は避けられない情勢である。それならばできるかぎり時間稼ぎをしていろいろな事を準備しなくてはならない。冷静沈着に処して行くことにしよう。先々の事を考えて、様々に揺れるのは致し方ないことだ。行き詰まって電車に飛び込む人の気持ちがなんとなく判るなあ。トレーニングにも出かける気力出なかった。これではいかん。今日もネガとポジと気持ちが往復してしまった。5日は最初の面接日になっている。ネゴシエートして年度末に退職するという方向で申告しようと思う。半年という猶予期間に、生活基盤を確保する、あらゆる策を講じる。まず終の住処を見つけなくてはならない。ひとつひとつが決まらないと何も決まらない。その時点における最良の選択をすればいいのだ。ポジティブな発想を持たねば「生ける屍」になってしまう。まだまだやらなくてならないことが山積している。

発想転換、定年を迎えて第二の人生を歩むと思えばいいのではないか。10年得をさせてくれた会社に感謝するという考え方もある。禍福はあざなえる縄の如しという言葉もある。「ありのままを受け入れる」ことが大事なことのように思える。片意地を張ってストレスを背負い込むのは愚かしいことだ。

午後、ようやく山仕度に取りかかる。乾燥重量、13Kg以内という条件はほぼ達成できそう。まだまだ細かな調整が必要だ。本当に必要なモノだけを選び出すのだ。明日は食糧と行動食を揃えてパッキング。眼鏡の予備とフリースを忘れないように。薬、カメラの電池の充電、携帯の予備電源、筆記具.etc

「地図の読み方」の再読にかかる。今迄の経験と符号させて再読してみよう。更に理解が深まるはずだ。書棚から、今後二度と読むことのない本を抜き出して図書館に寄付してきた。


2002年8月2日 終の住処は
昨夜の雷は凄かった。どうやら季節の変わり目にきているようだ。梅雨明け十日ほどは高気圧勢力の張り出しで晴天の日々が続く。それを過ぎるとシベリアからの寒気団と南からの高気圧が衝突を繰り返すようになる。それをスイッチに自然は秋の結果に向けて仕度を開始する。一瞬の停滞もない自然の理、すべてのものは変化するという仏教の言葉が胸を突く。リストラ騒動で「山」が吹っ飛んでしまった。情けないことだなあ。山に遊んでリラックスしてくれば覚悟も定まるだろうか。あれこれと思いを巡らせてシミュレーションすると鬱になってしまう。



2002年8月1日 熱風の街
熱風吹く午後2時の街、往来する人々の顔が暑さで歪んでいた。再び、リストラの季節がやってきた。今回は避けようのない嵐と認識した。自由選択から一歩踏み込んで人事発令という形で配置転換を堂々とやってくる。法に触れない範囲であれば会社は何でもやってくるあざとさだ。様々な選択メニューがあるのだが、いずれも厳しい内容になっている。残っても地獄、出ても地獄という様相にいささかの変化もない。まったく嫌な時代になったものだ。 60歳までの10年間をどう過ごすか。10年という時間の過ごし方で老後の姿が見えてくる。幸い大きな負債はない。子供たちもそれぞれ独立し自分の時間を刻み始めている。いまだ子供が小さく負債を抱えている人達は大変だ。四面楚歌となり、思い余って電車に飛び込む人の気持ち、多少なりとも理解できる。先行きへの不安が鬱を引き起こすスイッチになる。誰でもが「鬱」になる可能性を内蔵していると言えるだろう。ポジティブな生き方を維持できるかが問題なのだ。ここ数年、私が山をライフワークにして来た理由がここにあった。 会社に帰属し、長良川の鵜のように操られながら多少とも安定感を得ながら定年まで嘗胆の日々を送るか。(その中にあって自分の存在感を示すことができればいいのだが)、野に出て苦しくとも自在自由な日々を送るか(それといえども自己管理という厳しい世界が待っているのだが)、どうやら選択の時が来たようだ。いかなる人間も時代の影響を免れることはできない。



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