山ダイアリー
2002年10月 

2002年10月31日 10月の総括
小椋 佳「しおさいの詩」「さらば青春」を初めて聴いたのは19才の夏だった。幾星霜を経て聴き直してみても清冽な印象は変わることはない。30年に及ぶ激動の日々を過ごしたというのに、あの頃も、今も、私という人間の本質は微塵も変わってはいないというのだろうか。
退職以来慌ただしい日々が続いていたのだが、ようやく収束する気配。急かれるように「為残した事はないか」と惑う日常に終止符を打ち、落ち着いた生活を始めていい頃だろう。手帖を開く事のない生活に慣れなくてはならない。トレーニングのリズムは後半脆くも崩れてしまい、最後まで回復することができなかった。一日の積み重ねがいかに大事かを改めて知る。明日は今日と言う一日の延長にある。明日からまた始めればいい。忘れてはならない!ヘモグロビン値を6以下にコントロールする健康管理が私の最大の仕事だ。
「南アルプス紀行」のイメージを喚起させるためにメモ替りに撮影した夥しい写真を何度も眺める作業を繰り返した。八ヶ岳キャンプもまた書いておかなくてはならない。PCが突如不調を来し接続ができなくなった。その対応に2100までかかる。
2003年春、落ち着いた生活を取り戻したら、公営の宿と民宿、ユースホステルを利用して木蓮と再び九州一周の旅に出よう。


2002年10月30日 職安の光景
初めての認定日ということで1030に職安に着いた。玄関まで溢れる人の熱気は尋常ではない。受付に行き書類を示すと2階を指示された。2階も人の熱気で、これまた尋常の空気ではない。受け付け箱に「書類」を入れ、座る席もない隣室で待機して呼ばれるのを待つこと30分。「次回の認定日は11月27日です」と案内され21日分支給の明細書を渡されて終わりとなる。無言のまま、足早に職安を後にする人の群れ。実に殺伐とした雰囲気で息が詰まりそうだった。全国各地の職安で毎日繰り広げられている光景も似たようなものとすれば、やはり尋常の沙汰ではないなあ。

主催するML『星と嵐』でハイキングを企画した。詳細な計画が決まったので投稿した。その計画は次のようなもの。
●日時 2002.11.09(土)雨天中止(決行最終確認は当日朝07:00一斉メールを送信 します)
●場所 高尾山
●集合場所 京王線高尾山口駅 当日10:00現地集合 15:30現地解散
●所要時間 おおよそ1時間55分
●交通費概算 往復1680円(新宿駅起点)
●お弁当並びにお菓子果物飲み物類は各自持参の事とします。
----お弁当は現地にても支度できますので御安心下さい。負担とザックは軽い方がい い。----
▲特製豚汁を山頂で作ります。ストーブ、バーナー、鍋、材料は主催者が持参します。
▲器(どんぶり不可/笑)箸、カップを持参の事。珈琲、紅茶を準備します。
▲晩秋ですので寒さ対策をお忘れなく。靴は履き慣れたものに限ります。
■ドタキャンセル、ドタ参共にOKです。尚、御主人様も参加OKです。
最終出欠につきましては11月7日(木曜日)までに私宛にご連絡下さい。
詳しくは後日の投稿にて。ご意見御要望あればお寄せ下さい。


2002年10月29日 寒い朝
0700起床するも寒さに負けて布団に包って二度寝をしてしまった。トレーニングの目標マイナス70000歩ほど。まあ、こういう月もあるだろう。書き溜めていることの整理をしなくてはいけない。コツコツ書くことにしよう。 午後2時、業者来訪。リニューアルの壁、ふすま、天井、フローリング等の材料と色の決定を行った。今日から部材の発注にかかる由。来月18日までしばしの休息を取ることができそうだ。


2002年10月28日 墓参
木蓮御希望の「朝焼けの富士山」を観ることはかなわなかった。(もっと早く起きなくては無理です)朝風呂を浴び、海苔と鮭と温泉卵等で、木蓮共々、ご飯のお代りを2度もしてしまった。(食い過ぎだ〜)お土産を選び0900に宿を出た。富士宮まではおおよそ2時間の距離。 上九一色村を経、「精進湖」を右に一瞥し、おふくろの菩提寺に向かった。紅葉の切れ間に富士山が迫ってくる。朝霧高原、富士山が一糸纏わぬ姿を見せてくれた。美味しいお餅を食べさせてくる「もちや」に立ち寄り「きなこ餅」を5個平らげる。(食い過ぎだ〜)木蓮の両親に「草大福」をお土産に買う。 墓標の石をゴシゴシと丹念に磨いた。好物の煙草と珈琲を供えて合掌し、この1年の報告を行った。菩提寺に寄って塔婆供養の申し出をしようとしたが寺には誰もいなかった。立ち寄った店で「仏壇」を見た。新居を構えるに際し「仏壇」を支度しなくてはならないと思っている。値段の高さに驚き早々に退散した。業界が「冠婚葬祭」を理由にして「暴利」を貪っている体質がありありと窺える価格設定になっているようだ。いずれ支度するにせよ、まだまだ先の事でいい。(おふくろ、もうしばらく辛抱してくれ)
東名高速、道路工事で渋滞。習志野に戻ってきたのは1730だった。


2002年10月27日 山梨県立美術館
明け方激しい風が舞って施設の大きなテントが吹き飛ぶ騒動があったらしい。そんな事になっているとは露知らず0700に起床した。木蓮が飛んで来て「パープルストーブ」の点火方法を聞く。「ポンピング50回、予熱3分!」と回答。大きなテントの中は朝食の支度で慌ただしい。ホットサンド、珈琲、トマトスープを出来上がり次第に食べていく。後片付けを行い、全員揃って記念撮影後に解散。Nさんが帰国する2年後に再びoff会となるだろう。
一路、山梨県立美術館目指してVWを走らせた。休日とあって大勢の人で溢れていたが、じっくり2時間を費やして農民画家「ミレー」の作品を観ることができた。18世紀当時のヨーロッパの世界、働く人々の姿をつぶさに観ることができた。それまで宮廷、聖書を対象に絵を描いてきた画家たちが、初めて働く庶民に眼差しを向けて描いた、当時としては画期的な作品であった。ミレーの作品「種まく人」「落ち穂拾い」の背景を初めて理解することができた。また彼の影響を激しく受けた画家として「ヴィンセントゴッホ」が系譜に在ることを知り、「なるほどそうだったのか」と納得した部分があった。18世紀の絵画に共通するのだが、どれも色調が暗い。陰鬱な空、鉛色の海、幽霊が住んでいそうな森、湖を現す手段として「暗い色調」が使われていた。時代を経て、そうではない色を使う人々が現れた。モネに代表される印象派たちの台頭がそうだ。ゴッホの、あの黄色の持つ意味は深いのだと改めて思った。翻って現代はと言うと「不夜城」のように明るすぎるのでは。

昇仙峡を歩こうと向かったが「観光化し俗化した佇まい」に驚き逃げ帰った。KKR甲府に投宿したのは1500頃。温泉に首まで使って「の〜ん〜び〜り」食事は普段の食卓に並ばない「豪華絢爛もどき」、お代り三杯もした。(食い過ぎだ)暖かい羽根布団にくるまりNHK教育「Nature」主演ロバートレッドフォーを00:20まで観る。なかなか味わい深い作品であった。


2002年10月26日 清里キャンプ
生憎の雨模様。緊張の面持ちで0900自宅を出発。首都高速を駆け抜け中央高速に乗ることができた時はホット安堵した。寄る歳波で動態視力が「首都高」についていけるか甚だ不安であった。かっての飛ばし屋もすっかり改心して今は大人しい運転をするようになった。勝沼を過ぎた頃より快晴の空模様となる。南アルプス連峰と八ヶ岳連峰を眼前に快適なドライブ。鳳凰連山の向こうに聳える北岳、間ノ岳の稜線を見のがすことはない。目蓋をつぶっても雪を被る頂きへの稜線を踏み締める自分の姿をイメージできる。あれから、まだ2週間も経っていないのだ。須玉IC下車。前にも訪れたことのある更科蕎麦屋「みずがき茶屋」に入ったが「もりそば」@950円というひどい「ぼったくり価格」であったのに憤慨した。一見の観光客目当ての「価格設定」であることは明らか。もり蕎麦@950円だと!そりゃないぜお富みさん。 1400、Yさんが管理するキャンプ場に到着。名前だけは旧知のY氏と挨拶をする。名古屋からバイクを飛ばして来たT氏と挨拶。貸し切りのエリアの中央に焚き火の空間があった。盛大なキャンプファイヤの為の薪が山のように積まれてあった。この顛末はいずれキャンプ記録に載せるとして、おおよその概要だけを幹事さんの卓越した報告書で代用させていただいて置こう。

●関東オフに参加された皆さま、大変お疲れさまでした。
皆様のお蔭で無事、オフも終了することが出来ました。 天然系のぼけほけの幹事手伝いだった為(^^;、なんやかやと皆様が 助けてくださって・・。
私の書きたい事はだいたい他の方が書いて下さってるのですが。。 不器用なりにお礼等々を言いたいので少し?書かせて頂きますね。
●安藤さん&りすにゃん、ADSL繋がなかったり(^^;、忙しかったりで 書き込み出来ない程だったのに、りすにゃんが電話や携帯メール等 々で出来る限りの指示を出してくれたお蔭で、皆にも楽しんでもら えたオフになったのだと思います(^^)。更に本当にめっちゃ忙しい のにプレゼント等々相談にのってくれた安藤さんありがとうござい ました。オフでは安藤夫妻のらぶらぶさに(*^^*)、なんだかこっち まで嬉しくあったかでした。鮎も今迄見た事ない華麗な焼上がりに 感動でした。さすらいの鮎焼き師、あのコスチュームもらぶりーだ ったけど(^^;、川辺川の鮎、やっぱり美味しいですね。
●まくさん、お逢い出来て嬉しかったです。白衣の天使はタイツ・・ ではないのですね(^^;。りすにゃんのいうように、まくさんは、や っぱりまくさんで、いてくれるだけでもほんわかでした。あ、でも、 テント穴空いてませんでした?。夜中、焚火の火の粉が・・(^^;;。 それから、なぜか(^^;宇宙船の代車で現れたKAYさん、りかちゃん、 大変な道中だったにも係わらず、ほうとうの面倒みて下さってありが とうございました。気がついたら出来上がっていてよそってもらって 食べるだけのσ(^^)でした。他の焼き物もかたづけもして頂いて。。 まくさんもKAYさんもりかちゃんも、さり気なく、いろいろしてくだ さって、、ありがとうございました。
●HALさん&Mikoさん、写真、見れなくて、ごめんなさいでした。そう言 えば進行係とかは何も考えてなかった(^^;。ほんとぼけぼけ。 また機会があったら見せてくださいね。楽しみにしています。 で、お二人いつも一緒で料理の下準備も殆どお二人でして下さった(^^) HALさんとMikoさんでしたね。いろいろとサポートありがとうございま した。Mikoさんの指の火傷、早くよくなりますように。
●青島原人さん&木蓮さん、キッチンに貸して頂いたアウトドア仕様の 灯油ストーブは本当、火力があって大活躍(^^)、ほうとうの大きな鍋 も朝のスープも温めるのに助かりました。そして気がつくと木蓮さん が準備していてくださったり、洗い物片づけて下さってたり、なんと いうか心憎い位気のきく奥様で見習いたい事ばかりでした。そうそう 指の怪我大丈夫だったでしょうか?。気がつかなくて御免なさいでした。 差し入れの紫蘇梅酒も美味しかったです。ありがとうございました。
●柴Tさん、3時に出発しての速い到着、そして薪の準備、お疲れ様でし た。重労働させてしまってごめんなさいね。でも、お蔭で暖かい焚火 を囲んで夜中まで素敵な時間を過ごせました。朝も、お見送り&飛んだ テントの撤収等々、お付き合いくださってありがとうございました。 なんだかんだ、力仕事ばかりしていただいちゃいましたね(^^;。 けど、若いから大丈夫ですよね?
●えふろぜさん、遠くからバックパックでお疲れさまでした。焼いても 紫色がとっても綺麗な焼き芋でしたね。美味しいかったぁ(^^)。 焼酎も、あんなに沢山のお芋も、重いのにありがとうございました。 お昼頃はお天気だったのに、えふろぜさんのおっしゃってたように、 お風呂の後にはやっぱり雨でしたね。てるてる坊主だよりの能天気な σ(^^;はもうちょっと小雨な予定だったのだけど。今度、お天気の話 しも教えてくださいね。
●keybowさん?遅くの到着、速くの出発(^^;お疲れさまでした。それな のに、演奏タイムのセットアップとかもぜんぜんしてなくて、ごめん なさいでした。でも、みんなで歌うのっていいですよね。焚火を囲ん だみんなを見ていて、とても優しい、和やかな、いい気持ちでした。 安藤さんとのコラボ?も絶妙でしたね。ありかとうございました。
●よもさん&かんなちゃん&小春っち、お仕事もーどでの参加お疲れさま でした。なんだかんだ、フォローどうもでした。 影で支えてくれてるかんなちゃんにも感謝です。と、、小春っちも fadvenオフデビュー果たしちゃったのね(^^)。
●ナマステさん&ママステさん、土曜日のお昼から料理の準備、、日曜 日の朝のトーストも殆どやって頂いて、、もったいないというか(^^; 申し訳ないというか、、ありがとうございました。 ビールやきのこその他の差し入れもありがとうございました。 デリバリーの方も(^^;;。またまた、よろしくお願いします。 ネパールでも、どうぞお元気で、素敵なお二人で、、目一杯楽しんで 来てくださいね。。。本当、憧れちゃいます。 新しいFADVEN、ネパール通信、楽しみにしています。
●他にもいろいろ差し入れしてくださった皆様、御馳走さまでした。
●それから、佐々木さんから、、ナマステさん、ママステさんに、ぜひ ぜひお逢いしたかったのに行けなくて残念でした、と、皆さんによろ しくとのお気持ちをお預かりしました。
舞うr私はばたばたしてるばかりで結局は皆さんがほとんどやって下さって そんな皆さんのお蔭で日曜日の青空が嬉しいオフでした。 いたらない部分多々あって、ご迷惑掛けたりしていたと思いますが、、 本当に、いろいろいろいろ、ありがとうございました。
●でわ、KOKOさん、九州場所、頑張って下さいね〜(^^)/。


2002年10月25日 梁山泊キャンプ
明日、梁山泊に出て来るような「アウトドアプロ集団」総勢15名と八ヶ岳山麓でキャンプを張る。末席で黙ってニコニコ座っていることにしよう。あは。キャンプ支度を整えたついでにバーナー各種の点火試験をやった。豪音を響てて燃焼する頼もしい音を久しぶりに聴いた。使ってこその道具だ。古色蒼然のバーナーoptimus00も立派に現役だ。次回の山行に持参してやろうではないか。この冬、4畳半の部屋を暖めてくれた「パープルストーブ」も問題なく作動した。

トレーニング、走りに走って14Km。さすがに脚に来たなあ。それでも限界という訳ではない。最大の負荷をかけるのも訓練の内。北習志野駅前に並ぶ露天で好物の「柿」を300円で買ってきた。近所の庭先に、はみ出していた柿を一つ二つ失敬していたのだが流石に気が咎めるではないか。泥棒呼ばわりされても困るし。あは。


2002年10月24日 図書館にて
午前中を図書館で過ごし昼食「お稲荷と太巻き」、夕食の惣菜「カレイ天婦羅」を土産に帰宅。図書館では雑誌「旅」「アサヒカメラ」を精読した。ようやく図書館に通うリズムが始まった。「旅」熊野特集を興味深く読んだ。アサヒカメラは「デジタル」について詳細な能書きが書いてあった。すべての雑誌を満遍なく読んでみようと思っている。司馬遼太郎著「空海の風景・上巻」を読みはじめる。


2002年10月23日 霜降
船橋市は50才以上を対象にして「成人病検診」を無料で行うサービスをやっている。レントゲン検診、大腸癌検診もそれぞれ500円出せばやってくれる。成人病検診は2月に一度「血液検査」をやっているから必要ないのだが、「その他を受ける」ことに意味があると木蓮が背中を盛んに押すので「嫌々しながら」0800自宅を出た。笑。血液採取、尿、レントゲン、身長体重測定、問診、血圧測定、大腸癌測定の為の「便器」を渡されて1000終了した。「生老病死」は何人といえど避けられないのだが、「嫌々でも」1年に一度は人間ドックを受診し木蓮を安心させてやるのも私の務めというべきだろう。

主催しているMLで「ハイキング」の企画を提案。参加申し出があったので直ちに企画を練る作業に入る。奥多摩もしくは秋川渓谷で晩秋の風景を楽しむというコンセプトでどうだろう。木蓮も同道させて「のどかな秋の山里」をめぐるのがいい。温泉があればなおいいかも。
1600〜1730までトレーニングに出る。昨日からストレート5kmの走り込みの負荷をかけている。そろそろ次の段階にレベルをあげてもいい頃だ。ストレート10kmの壁に挑戦していこう。外気は寒くなっているのだが、じっとり汗が出る。実に気持ちがいい。徐々にレベルをあげて10Kmを楽々完走できるようにして行こう。(その為に、煙草の量を減らすこととする。一日10本以内に治めること。最終的には5本以内にする。)Running情報誌を眺めていたら全国各地でマラソン大会が企画されていることに驚いた。昨年から始めたトレーニングの結果を示す為に「冬期ローカルマラソン大会」にエントリーするのもいい。まず10km部門に挑戦だ。
退職以来、初めて「のんびり」過ごすことができた。時間がいっぱいある感じがして奇妙だ。木曜日と思っていたのだが水曜日だった。笑。毎日が日曜日とは、こういう気分か。う〜む。


2002年10月22日 水銀灯
黄昏れ迫る薬円台公園、水銀灯が灯る頃になっても子供たちは家に帰ろうとしない。子供の生命力は圧倒的だ。ストレート5Kmのジョギングで汗を流す。筋トレ、丹念なストレッチを終えた後の暖かな珈琲と煙草が美味しい。
ようやくリフォームの工事日程が決定した。腕の良い「棟梁」とのスケジュール調整で11月18日から工事に取りかかることになった。フローリング、障子、クロス、壁、様々な部材の色見本を業者が持参してきた。選び出す楽しい作業は木蓮の親爺さんとお母さんの知恵を借りればいい。12月10日の工事終了を待って転居となる。11月末から引っ越しの支度。新しい年は新居で迎えることになるだろう。
ようやく落ち着いた日々を過ごすことができる。1日から今迄、あまりに忙しすぎた。まだ靴も磨き終わっていないし山行記録にも着手できていない。四国遍路の企画も宙に浮いたまま。運動量も、今月は7割くらいしか消化できていない。不動産取得、リフォーム、再就職支度の都内往来、病院往来、失業給付手続きと目白押しだった。少なくとも工事が始まるまでは「のどかに」過ごせそうだ。と、いいつつ明日は「成人病検診」の為、早朝0800病院に赴かなくてはならない。


2002年10月21日 雨の九段下
九段下にある再就職会社で担当者と打ち合わせを行う。北習志野駅から東葉高速線でストレートに行ける地の利が素晴らしい。雨の月曜日とあって出社?していたのは3名ほどだった。ポイントになる職務経歴書の書き方指南があり「年内に完成させましょう」と暖かな言葉。受付嬢も「○○さん」ではなく「○○様ですか」と丁寧に呼称してくれる。失業してナーバスになっている可哀想な「おじさん」たちのプライドを守るというスタンスが徹底しているようだ。笑。外に出るというリズムを刻んだ人と家に隠っている人では「テンション維持」に差が出て来るとのことであった。改めて言うことではないがアクティブに行動する人でなくてはダメということだ。成功の方程式に則って動けば「なんとかなる、明日がある」のである。

リフォームの詳細に関して木蓮がナーバスになっている。A型完全主義者の資質が開花してmm単位で幅など測定する始末だ。いろんなイメージが次から次に湧いて収拾がつかなくなるらしい。関ヶ原における「小早川秀秋」みたいなもの。家康から発砲され旗幟を鮮明にしたように、いざとなったら「大砲一発!」が必要になるかもしれないなあ。笑。


2002年10月20日 図書館にて
早朝ジョギングで汗を流した。ようやく図書館に向かう余裕が出てきた。「空海の風景・上下」「わたしの一名山・2巻」を新たに借り出した。空海は言うまでもあく「四国遍路」の理解の為。わたしの一名山は、それぞれの山に向かう人々の思いを感じ取る為に。南アルプスの記録にも手が着かないけれど時間をかけて濾過することで「私なりに書く」ことができるだろう。南アルプスの大きさを語るにはまだまだ時間が必要だ。大長篇になる。

来週は再就職準備の為の動きをする。在野にあると緊張感が弛緩してしまうのは致し方ないことだ。月内中に基本的な職務経歴書の作成だけは済ませておこう。月に数回、蚕業雇用センターとHR総研への出社?をしてテンションを維持する動きをしておかねばならない。


2002年10月19日 週末の過ごし方
一旦、0500に目が覚めたのだが再び布団に潜り0930ようやく覚醒。の〜んびり休日気分の土曜日。昨日に続いて郊外のホームセンターに出向いて家具などを検分し、一週間分の惣菜などをどっさり買い込んで来た。私が丸いテーブルにこだわるのは母と暮らした宮崎時代の食事風景の記憶に繋がるからだ。あの頃、どこの家でも食卓は「丸いちゃぶ台」ではなかったか。
髭を剃らない土日はなんとなくの〜んびりするなあ。今月はジョギングのリズムも滅茶狂い。何とか補正しなくてはいけないのだが「無理をする」のが億劫だった。リズムが狂うと全てに影響が出る。木蓮の実家より「夕食」のご招待があった。これ幸いとばかり高根まで約6km走った。身体が蘇る感覚を久しぶりに味わった。いただいたビールが実に美味しかった!高根公団駅の小さな書店で「COURIR」創刊号を求める。フランス語でランニングを意味する言葉。走ることの誘惑に勝てない自分がいるようだ。ゆっくり、だが確実に、走ることを継続して行こう。今日はリセットの日だ。


2002年10月18日 あれこれ
退職して3回目の金曜日を迎えた。就職準備の前段階(経歴書作成、就職支援会社訪問)、リフォーム騒動のおかげで実に忙しい日々を過ごしている。女性として「台所」のデザインは大事なこと。歯科往来のついで、木蓮を乗せ市川市街のショールームにシステムキッチンの見学に行った。船橋以西にVWで出かけるのは初めてのこと。そういえば終の住処を定めた千葉県の広さを私はまだ知らないでいる。ショールームに整然と並ぶシステムキッチンたち。どこの誰がこんな豪華なキッチンを使うのだろう。木蓮が、発注したキッチンのドアの色、質感を触って嬉しそうに確認していた。

駅に降り立ち食事をしたことのある西船橋駅前「鳥元」でランチを食べた。名古屋コーチンを使った「親子丼」「焼き魚定食」「10割蕎麦」はいずれも美味しいものだった。食卓と電灯の事に話が及んだ。ホームセンターJOYFUL HONDAへ行ってみようと言うことになり八千代市郊外にVWを走らせた。食卓を丸テーブルにするのは私のたっての希望なのだ。電灯も大きくて明るい方がいい。

「北の国から」最終回お父さん見なかったんでしょ。
「私、見たよ」
「、、、、、」
「お兄ちゃん、車買ったんだよ」「黒のロードスターという二人乗り」
「、、、そうか」
「お父さんのお金、スーツを買うと言っていたよ」
「、、、そうか」
自分の居場所をしっかりと造っている子供たちに私は感謝しなくてはならない。



2002年10月17日 職業安定所
1330〜1530まで説明会に参加。玄関に溢れる失業者たち、自分もそのひとりになった。2日に提出した離職票に基づいて「基本給付額」が決定される仕組みになっている。認定日には必ずその場にいなくてはならないという縛りがある。仕事を探している具体的な動きが見えなければダメ。初めての認定日は30日と決まった。

1730〜2000までリフォームプラン最終詰を業者と行い、25日を待たずに契約書にサインした。最後まで決まらなかった「システムキッチン」も「中」くらいのレベルでまとめた。担当者が女性であったことが幸いしたようだ。使う身になったアドバイスをしてくれた。来月から工事の段階に入ることになった。ゆっくりと確実に住環境を整えつつある。1日以降、実に慌ただしい日々を過ごしている。図書館通いと水泳の時間は当分先の話だなあ。


2002年10月16日 清里キャンプオフ
PC黎明期の頃、「青島原人」のハンドルで駄文を書いていたことがあり、どういうわけか「新人賞」をいただいたことがある。選考していただいたことに恐縮したが「多少の存在感」みたいなものを感じることができて嬉しかったものだ。選考委員のN氏が仕事を辞めネパールでボランティア活動の為に日本を離れるという。組織の呪縛を自ら解き放ち、「冒険」に赴く!しかも夫唱婦随で。袖触れあった縁もあり、出席要請のあった「送別キャンプ」に木蓮と共に参加する申し出をした。26日、老若男女合わせ総勢12名ほどのメンバーが八ヶ岳山麓に集結し焚き火を囲んで一夜の語らいを持つ。わざわざ遠隔地から飛行機利用の参加もある。某三流月刊誌「山」の編集者もいる由だ。人徳というべきだろう。

せっかくの機会だから、予て訪れたいと思っていた「山梨県立美術館」に行くことにした。今迄も、そうしてこれからも決して平穏ではない日々の暮らしが続く木蓮の為に、温泉布団食事付きの宿を手配した。大きなお風呂に浸かり「ノンビリ」するのもいいだろう。帰路は富士宮経由で墓参もして来よう。かれこれ1年近く墓参をしていない。草葉の陰で「おふくろ」が私を怒鳴りつけているはずだ。「この親不孝者!」と。

リフォーム概要決定。25日までには契約書の締結を済ませることになるだろう。


2002年10月15日 多事多忙
1030、A業者と見積もり検討。午後2時娘来訪。1600、B業者と見積もり検討。1700娘と会食後、駅まで送迎。帰路、書店に立ち寄り「山と渓谷」11月号求める。1900、A業者と再度見積もり検討。C業者、明日の約束をキャンセルする電話。2100社宅Y君が仕事の相談で来訪、2200まで相談に乗る。 明日は新宿で飲み会。明後日は2回目の職安詣。その次の日は歯科詣。う〜む忙しい。


2002年10月14日 北岳3192.4m
ご来光!快晴なり。稜線風強し!。0745登頂を果たす。忘れ物回収。珈琲を立てて乾杯。1400下山。2000帰宅。


2002年10月13日 間ノ岳3189.3m
ご来光を見る。0640発、ゆっくり時間をかけて散歩。快晴。視界鮮明。山頂にて珈琲で乾杯。赤石岳に連なる南アルプス山脈を一望。午後、備え付けのベンチで富士を眺めながら昼寝三昧。昨夜に続いて満天の星、流れ星。オリオン星座、北斗七星、「星辰」という言葉が浮かぶ。甲府市街の灯り。


2002年10月12日 八本歯のコルへ
0700発、快晴、大樺沢、二俣、北岳バットレス、紅葉、ヘリコプター出現、事故、八本歯のコル、梯子、脚が上がらない、1500北岳山荘キャンプ場、黄昏れ、富士山眼前、北岳指呼の距離、甲斐駒ヶ岳、千丈岳、八ヶ岳、焼岳、穂高、槍ヶ岳、五竜岳、立山、御岳、恵那山、中央アルプス、間ノ岳、塩見岳、農鳥岳、赤石岳、見渡すかぎり山、山。


2002年10月11日 広河原にて
明日から始まる連休前夜、河原のキャンプ場にはテント3張。小屋も灯りを落としてひっそりとしていた。ここでテントを張るのは3年ぶりのこと。忘れ物を取りに来た。後の記録を取る為の備忘としてメモを箇条書き。


2002年10月10日 南アルプス再び
歯科と内科往来。午後からスーパーに買い出し。ようやくその気になって、山の支度を整えることができた。50才最後の山は「甲斐駒ヶ岳」51才最初の山は「北岳」ということになった。ズシリ重たいザックが玄関に並んだ。何かと気ぜわしい毎日を過ごしているのだが、全山紅葉の南アルプスでのんびりして来よう。山に向えるのも、すべて木蓮の内助の功あればこそと感謝しなくてはならない。私が山に在る間、木蓮は実家に戻って「ただ飯」をたらふく食べることになっている。リフォーム話の花が咲くことだろう。3000m稜線のテントから顔を出し、庶民の甍の灯りを眺めて来よう。錦織り成す紅葉が楽しみだ。予備電池は、食糧は、最後の点検をしておかなくちゃ。前回はガス燃料の予備がなく不安な思いをした。ひとつでも不安があると心が揺れるものだ。かくして必要以上の荷物が増えていくことになる。笑。


2002年10月9日 寸法実測と配置図
住いの寸法実測を行い縮尺図を作成して家具の配置等を検討した。この作業をやらないとレイアウト、リニューアルプランが定まらないとの事だ。3LDKを2LDKとして活用する贅沢なプランになるが新しく購入する家具はさほどない。照明器具と食卓テーブル位のものだ。ゆっくり探せばいい。骨董品を選ぶのも楽しいだろう。課題のお風呂と洗面台のリニューアルは来年の水廻り一斉大補修工事の時に行う。今迄の生活で暮らしていく道具の基本はすべて揃えた。おふくろ譲りの「ちゃぶ台」は「パソコン台」として定位置を確保した。雑誌を畳に並べ、あれこれと思案する作業は楽しいものだ。どういう暮らしをしたいかのコンセプトが問題だ。「上を見ず下を見ず」でいこうと思う。見積書を検討し、決済を出すリミットは20日前後になるだろう。実際の作業が始まったら、それはそれなりに忙しくなるから落ち着いた生活ができない日が続くことになる。いずれにしても来年は新しい住いで迎えることになる。
7日以降、リズムを乱してトレーニングができなくなっている。反省。山は紅葉の盛を迎えている頃だろう。11日から山に向かうと公言しているのだが準備がちっとも進まないのは困ったことだ。本当は今日あたりザックの梱包を完了していなくてはいけなのだが。。明日は歯医者と内科往来、午後5時から業者との見積もりの打ち合わせ作業と忙しい。予定の図書館とプールは絵に描いた餅になっている。ようやく、会社より「健康保険証2通」が届く。一つは娘の分。さっそく明日送ってやらねば風邪を引いても病院にも行けないだろう。ところで、3ケ月分の送金明細書を12/20までに送付しなくてはならない。一旦、認定の後も送金事実を確認することがあると水も漏らさぬcheckぶりには恐れ入る。


2002年10月8日 出勤?
九段下にある再就職支援会社に出勤。昨年12月の騒動の時に一度行っている処だ。今日の「オリエンテーション参加者」はすべて古巣の人間ばかりであった。「おお、久しぶり!最後は何処だったの」と会話が弾んだ。履歴書、職務経歴書の書き方が大事と力説していた。自己宣伝の技術を引っさげて修羅場に臨むという訳だ。書類選考倍率20〜50倍とのこと。了解した。全知全能をあげて人事担当者が会いたくなるような「職務経歴書」を書き上げてやるさ。年明け3月から、週一度出勤し使い放題の電話とPCを活用して「再就職活動」をやってやろうじゃないの。驚いたことに「交通費@20000円」の支給があった。10月分であるという。就職が決まるまで「支援」「交通費支給をする」との事であった。人材派遣、人材登録、再就職支援会社の市場は拡大の一途のようだ。時代を感じた一日だった。

津田沼で手慰みに「スロット」に興じた。「まあ負けてもいいや」位の軽い気分。無欲の勝利で幾許かの金子を得た。すべて木蓮に進呈した。実に嬉しそうな顔をしていた。1割の5000円が戻って来た。(あは)


2002年10月7日 リフォーム騒動勃発!
遂に始まったリフォーム騒動。●0900〜1100/●1130〜1300/●1530〜1700、それぞれの業者に現場を見て貰い、こちらの要望を伝える作業で一日暮れた。いろんなリフォームの方法があるようだ。値段もピンからキリまで。業者によって様々に意見が違うのは致し方ないとは思うが「コーディネイトする」というスタンスを持った姿勢の営業に好感を持つ。リフォーム後のイメージを彷佛とさせる説明ができるかどうかがポイントだろう。仕掛けを作るまでは私の仕事。見積もり決済以降は「必殺!普請奉行」(木蓮のこと)の登場だ。満州国、野党一団首魁の風貌を持つ親爺さんと共同戦線を張り一分の隙もなく仕事を果たしてくれるだろう。不肖「馬鹿旦那」「極楽トンボ」の私は、むろん「遊ぶのココロ」ということで。笑。

密度の濃い毎日を過ごしている。いよいよ明日は希望退職者一同に揃い「再就職活動」のオリエンテーションを受講する。朝0930から1630まで拘束される由だ。すぐにではないものの、エントリーする姿勢の軌道は敷いておかなくてはいけない。


2002年10月6日 リフォーム計画策定
夕方からリフォーム計画策定作業に入った。木蓮は予算の枠内で、私は徹底したリフォームを。私と木蓮と、それぞれに意見が違うのは致し方ないことだ。 まず見積もりの数字を見なくてはなるまいと言うことで業者に電話。明日すべての業者立ち会いの元に見積もりの数字の提出を依頼することにした。ついに始まったリフォーム騒動。収束し、引っ越し完了するまで大凡50日を見込めばいいだろう。


2002年10月5日 図書館にて
久しぶりに図書館に向かった。「近代庶民生活誌」「のんびり江戸五街道」を借り出す。歩く旅のひとつの形として「四国八十八ケ所・遍路旅」の事を調べている。日数、経費はともかく膨大なエネルギーを傾注し歩いている人が大勢居ることが判った。「1人で歩いても同行二人」という概念が何となく判る。心或いは生命に刻まれた垢を落とす禅定(修行)の旅を続ける人の心の「重さ」は量ることができない。私がしたいと思っている歩きとは微妙に違うようだ。来し方の時間を省察し、行く末の安堵を願うなどおこがましいかぎりだ。「行」としての旅は重たすぎる。どうやら四国という国は、そういう土地柄であるらしいことが判った。日本にも、そういう豊かな精神風土に満ちた土地文化があるのかと驚いてしまった。世間は広いなあ。

借り出した図書「近代庶民生活誌」の第一巻、奇しくも「人間世間」を表題にしていた。全10巻、国土世間の有り様をつぶさに見直してみようと。図書館通いのテーマは、当面これでいいだろう。


2002年10月4日 終の棲家
小切手を渡し、領収証と部屋の鍵を貰って「終の棲家」を確保した。8月は退職、9月は住処と、ふたつの大きな決断をしたことになる。全ての手続きを終えたら気が抜けてしまった。さっそく棲家を訪ね、木蓮の両親も呼んで、しみじみと部屋の模様を眺めたことだ。人の生活の痕跡がいたるところに。徹底したリフォームを施すことにより一新することになるだろう。30日から今日まで、実に慌ただしい日々を過ごした。メンテナンスで10日ほど閉鎖されていた図書館がopenする。生活のリズムが少し変化する。明日からは少し余裕のある時間を刻むことができるだろうか。木蓮のお母さんから退職、家屋取得のお祝いにと「夕食」を馳走になる。禁断の「うなぎ重」を食べさせていただいた。ありがたいことだ。
山は紅葉の盛を迎えていることだろう。11日〜15日テントを担いで山に遊んで来ようか。


2002年10月3日 生活の風景
3ケ月ぶりに車をメンテナンス。始めから終わりまでセルフサービス。自分でガソリン入れるのがちょっとおっかなかった。無人ではなく監視カメラが24時間作動しているということだ。午後から靴と庖丁研ぎを黙々と片付けた。朝の散歩と夕方のジョギングで生活のリズムを組み立てている。髭も剃ってさっぱり。「不精は許しません!」と木蓮の言い付けである。(笑)来週からは図書館通いと週2度の水泳をプログラムしている。最大の指標は「心身共に健康に過ごす」ことだ。まあ肩ひじ張らないで淡々と生活していこう。明日は「終の住処」の登記手続きが待っている。いよいよリフォームの段階に入る。健康保険料払い込みが「276円不足」と連絡が入る。送金手数料の方が高くつくと木蓮がブツブツ言っていた。う〜む。


2002年10月2日 千手観音の如く
台風一過の青空が広がっていた。現在の住民票確保、失業給付手続き、家登記の為の住民票異動、印鑑証明登録、国民年金加入手続き処理の為、0750木蓮と家を出て船橋市役所に向かった。マクドナルドでモーニングを済ませ0900役所に到着。職業安定所、早朝にも関わらず、職を求める大勢の人で溢れていた。準備した書類を提出し「番号札」を渡されて待機。傍らに木蓮が居て、あれこれと指示を出してくれる。何度か失業給付を受けた経験がある木蓮の指示通りに動いて(ああいいなさい、こういうのよ、こういってはダメよ)10:00全ての処理を無事終えることができた。設定された認定日に必ず行くことが失業保険給付の絶対条件になっている。
津田沼にて、あれこれの支払いを木蓮が千手観音のように鮮やかなスピードで処理する。「通帳記入、そりゃどうやるの」世事に疎い私は、本人確認の為に「面」を出す以外、ただただ椅子に座って「馬鹿面」をしているだけであった。あは。PARCO6Fにて中華ランチを食べて帰宅。
午後からのトレーニングを含めて23103歩歩いた。(約13.8Km)常念小屋から上高地徳沢までの距離に匹敵する。流石に疲れたなあ。


2002年10月1日 嵐の夜
0800起床。社宅の皆の車は既に出払っていた。なんだか尻の座りが悪いや。笑。台風来襲の予報だったが、1530予定通り歯科往来。事務に依頼して離職票を運んで貰った。昨日の今日ではバツが悪い。明日、様々な手続きの為に役所、銀行、郵便局に行く。4日司法書士と登記処理に赴く。市役所の成人病検診予約、リフォーム見積検討開始、再就職会社のオリエンテーション聴講、歯科往来等と各種用事が詰まっている。

9月総合目標100%達成。10月初日の今日は1155歩という無惨な数字だった。心してジョギングに取り組まねばならない。私の仕事は、当面「健康管理」となるだろう。永平寺の僧侶に倣い、一汁一菜の質素を旨として日々の暮らしに感謝しつつ過ごすことが課題となる。リズムを刻むこと、読書勉学に励むこと、山に遊ぶこと、バックパッキングの旅に出ること、雪降る季節ともなれば皆で「温泉」に浸って「ぬくぬくする」こと、やることは一杯あるのだから焦らなくていい。何か一日ひとつ「達成した」という幸せな気持ちになれるよう頑張ろうではないか。そういえば、庖丁研ぎと靴磨きを頼まれていたなあ。

戦後最大の台風が関東を直撃する。心騒がせるおどろしい波状の風。小さな子供たちは不安に怯えて夜を過ごすことだろう。心配いらない、明日の朝は、きっと快晴!



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