山ダイアリー
2002年11月 

2002年11月30日 宝くじ
宝くじを購入。当たれば儲けものだが、今まで当たった試しがない。今度は当たるかも!。(何を根拠に!)
リフォーム行程が大幅に遅れている。件の棟梁が体調を壊したことが原因。16日の転居を延ばして欲しいとの要請があったので「引っ越しの坂井」に調整を依頼する。冬至の22日(大安)ではダメかと打診したところ、夕方4時以降ならトラック、人間を確保できるとの対応だった。夕方4時に搬出というのは、いかにも「夜逃げ」という感じがするではないか。休日、大きなトラックを乗り入れて社宅の住人をお騒がせするのも恐縮だ。社を離れた以上、そっと立ち去るのが粋というものだろう。更に遅れることを想定してギリギリの25日に延期した。25日といえば巷はクリスマスで賑わう時期である。25日がダメなら、いっそ来年に持ち越す事も考慮したが木蓮が「それは嫌!どんなに遅くなっても年内に出たい」と自己主張する。暮れの30日まで転居をする人もいるとの事。世相様々にあるようだ。
「2002年のクリスマスに引っ越しをした」という思い出も、まあいいだろう。とはいえ、大幅に「気が抜けた」ことは事実。集中力を一旦リセットしないと疲れるぞ〜。
図書館より電話。Windows Me関連の本が入ったというので散歩のついでに取りに行く。ここ数日で7册ほどwindows関連の書籍を読了した。日進月歩のPCの世界、遡って知識を確認する作業が続いている。温故知新、枝別れした時点に戻らなくては「現在」が理解できない蒙昧ぶりを示す。30年前「こういうことができるようになる時代が来る!」と予見したことの「ほとんど」が実現している事に改めて舌を巻いた。


2002年11月29日 山に向かう心
忙しい日々であったのでガス抜きとばかりに山に向かうことにした。一度は登らなくてはならない雲取山に向かう支度を整えた。交通径路も調べた。地図を読みながら小屋に電話をし、道の状況などを確認した。フリーでも泊れるとのことだった。心が踊った。夕食を取りながらテレビで天気予報を見ると「曇り、翌日は雨」と無情に告げていた。春夏ならばともかく、今の時期に「曇と雨」では興覚めというものだろう。そういえば天候下り坂を示すウロコ雲が立ち篭めていた。いろいろルートを模索したのだが中止を決めた。残念なことだった。



2002年11月28日 途中経過
我が家のリニューアル準備室長の指示で運転手を仰せつかり、室内灯を求めに郊外の電器店を往来した。午後からリニューアルの細かな打ち合わせ。木蓮の両親にも途中経過の検分をお願いした。 腕のいい、こだわった仕事をすると評判の棟梁は体調を崩して午後から早退していた。まだまだ雑然としていたが工事は着々と進んでいるようだ。天井には新しいボードが貼られ大きなシステムキッチンの道具類も搬入されていた。依頼していた増設灯の端子も完了していた。
総工費3億円をかけ、ほぼ2年に及ぶリニューアル工事が来年1月から始まる。何せ築30年だからメンテナンスも半端ではない。団地全域全世帯が対象。共益部分の負担金は一律だが個別のオプション要請に対応する為に施工会社は大プロジェクトチームを編成しなくてはならなかった。高齢化傾向にある住民に大きな負担は求めにくいという事情もあるようだ。団地が出来て30年の歳月が流れている。住いの補修点検はやむを得ない作業なのだが年金暮らしの老人世帯には大きな負担だろう。住民の総意を得る為にいろいろな曲折があり役員への誹謗中傷も(匿名の怪文書が出回るなど)あったようだ。曰く「役員は接待を受けているのではないか」「お金を貰っているのではないか」「地元業者も参加させろ」云々。利集まるところに魑魅魍魎の族もまた集まるということだ。まことにもの狂ほしい世界ではある。
お風呂場、トイレ、集中給湯システム、洗濯場などの水周りは来年6月の公団一斉リニューアル時まで待たねばならない。私達が住む棟は6月着工予定になっている。しばらくは辛抱だが一斉リニューアルが済めば快適な居住空間に生まれ変わるだろう。


2002年11月27日 中央図書館にて
ハローワークで失業認定処理を済ませる。次回の認定日は12月25日(0900〜0930)と決まった。 中央図書館でPC関連のマニュアル書籍を検索し5册借り出した。2.3日あれば読めるだろう。


2002年11月26日 新登山計画書
新たに登山計画書をリニューアルした。今後、本格的に山に向かう為に、ダイレクトに記入することが出来、更にはそのままgif形式で所轄の警察にメール送信ができるように改良した。能書き多く、効用の少ないHPだが研鑽を積んで何とかマトモなものに改良して行きたい。やっぱり基本から学び直す必要があるなあ。アイデアは無尽にあっても、伴う技術がいつまでも若葉マークでは木蓮の「慈母のごとき失笑」を買うだけだろう。「まあまあ、この人は私がいないと何もできないんだから」と思われるのも少しだけ癪でもある。macOSとWindowsの操作系が頭の中でもつれ絡まりとんでもないことになっている。DOSの時代からPCに慣れ親しんでいる木蓮に追い付き追いこすには相当の修練が必要のようだ。それにしてもVirus騒動に対する危機管理はレベルを超えていた。せめてその「おこぼれ」の一片なりとも身につけたいものだが。

中盤、リズムを壊して弛緩したトレーニングだが徐々にリズムを取り戻しつつある。継続することがいかに難しいか。トレーニングをした後の気持ち良さを思い出している。明日は2回目の失業認定日なので今日に続いて船橋に出向く。ハローワークの玄関に溢れる人々に混じり、整然と並べられたパイプ椅子で沈黙の30分を過ごさなくてはならない。次から次へ途切れることなくハローワークを訪れる人への対応に追われ職員たちの表情も心なし荒んでいるように思える。窓口の機械的な対応は時として冷酷非情に見えるが、そうしなければ処理できない失業者の数ということなのだろう。極楽トンボも、明日ばかりは神妙に「失業者」の顔になり現実を認識する日となる。西高東低の寒い朝になるとの予報が出ていた。ううっさぶい!



2002年11月25日 virus感染
「そろそろ引っ越しの支度に掛からねばならない」という事になり、引っ越し業者に電話。見積もりに一早く参上した関西系の「さかい」に決まった。大量の段ボールと細々とした部材が部屋に運ばれた。12月16日(大安)に決行する運びとなった。「ああ、引っ越しが始まるんやなあ」と溜息をついた。この4月に転勤してきたばかりだというのに、またあの騒動が再現するのかと思い暗澹としてしまったのだ。昨日のトド的生活は引っ越しの事、それにまつわる瑣事を妄想して一種の鬱状態になったのだろう。腰を上げるまでが大変なのだ。上げてしまえば、もう否応なしなんだがね〜。(木蓮の陰の声:実際にやるのは私なんだよね〜)

従姉妹の名前を語った添付ファイル付きメールを開封したところ、どうやらvirusであったらしく、大騒動になってしまった。KELZというvirus名で奇数月の6日に目を覚まして特定の拡張子のファイルデータを書き替えてしまうというやっかいなもの。Macintoshは幸い罹患していなかったようだがWindowsがやられた。木蓮の獅子奮迅の活躍により無事退治することができた。webで調べて該当のvirus nameに対応するソフトを選び出し「30日間無料ソフト」をダウンしてやっつける水際立った作戦を実行した。その明解な理解、神速の対応!わが妻ながら天晴れであると認めざるを得ない。しかも、その傍ら「新登山計画書」の作成も手掛けるという千手観音菩薩のような活躍ぶりである。虫も殺さぬような大人しい顔をしているのだが、冬に一斉に花を咲かせる山茶花のような優しさと剛さが同居しているようだ。対する私は、単なる極楽トンボの好々爺に過ぎないようだ。それに失業も重なってテンで甲斐性がない三重苦と来ては立つ瀬がない。う〜む。西行に倣って出家したい心境である。


2002年11月24日 トドのように
日曜日ということで自堕落な一日を過ごした。つまり朝から晩まで食っちゃ寝的生活を送ったもので、遂に木蓮も意欲減退となり(呆れ果ててしまったと言うことだ)、晩ご飯は向いのコンビニで支度するという情けないことになった。木蓮が悪いのではなく偏に「私」が悪いのだ。あれほど眠ったにも関わらず、夜は夜で深々と眠ることができた。


2002年11月23日 薔薇色の日々。
0900木蓮に慫慂されて京成バラ園に向かう。金融財政担当大臣として私の動向に振り回されて不安な日々を過ごしていたのだろう。バラが来てからというもの、それまでの「暗鬱な」日常生活が途端にバラ色に輝き始めたらしく、寝ても覚めても「薔薇一色」の日々を過ごす木蓮である。重症の「薔薇病」、残念ながら特効薬はないとのことだ。図書館から借り出す夥しい薔薇の書籍を、おそるべき集中力で耽読し、一日重ねる度に新しい知識が備わっているようだ。該博な知識と繊細な感受性の相乗作用の行き着くところは、、はてさて。まあ鉢のひとつふたつ増えたところでガタガタ言う私ではない。(ところで今、何鉢あるのかねと、おもむろに、、)

ほぼ1週間筋肉を完全に休ませた。トドのように横たわる日々にさよなら。今日からまたトレーニング開始。歩数計を忘れてしまって測定できなかったが、汗がTシャツに滲む程度の定量はこなした。雑誌「ランナー」1月号を書店にて求める。各地でマラソン大会が繰り広げられているようだ。一昨日の高円宮の例ではないが、競技中、突然死によって亡くなる人が今日だけで3名もいた。いずれも40代〜50代の壮年である。 「待ちにまった大会だ。リタイアなんてとんでもない、多少睡眠不足でも俺は出る!」リタイアできない世代なんだよな〜。


2002年11月22日 七人の侍
暦の上では今日から『小雪』。ビル風の吹く初冬の神保町界隈は冷蔵庫のように凍え、道行く人は皆襟を立てて歩いていた。0900九段下にて再就職へ向けての相談会に出席した。会議室に向かうと七人の親爺たちがズラリ並んでいた。私の職務経歴書が配付されていて、査問委員会のようなものものしい雰囲気であった。悪いことはしていないのだが知らず冷や汗が流れた。経歴書に従って自己申告を滔々と語らねばならない。質問があり、それに回答するという形で20分経過した。私と言う人物を見定めてから企業に売り込みをかけるシステムになっているようだ。して見ると彼等は再就職を支援する「七人の侍」ということになるのだろうか。来年4月以降の就職を考えていると言うと「ゆっくりしたい」というスタンスではダメと言うだろうから意識して外した回答をしておいた。彼等もある意味で営業だろうから(実績をあげるのが仕事だろうし)登録可能な人材は喉から欲しいということになる。もとより波風は覚悟の上だが、組織人になるという考え方より自由人でありたいというスタンスで行く方が精神衛生上はなはだよろしい。若い時ならともかく上司の顔色を窺い右顧左眄する時代は終わった。今までのスキルをどう活かせすかがポイントだろう。
茶話室で顔見知りの同僚と会った。密やかに前の会社の動向などを語っていた。曰く『どうやら会社の退職金の原資が底をついているらしい、俺が退職に至った経緯はかくかくしかじか』と言ったネガティブな話に終始。組織を離れて個人となった心細さ確かにある。石川啄木ではないけれど『ふるさとの訛り懐かし停車場の人込みの中にそを聴きにいく』心境なのだろう。同時代を生き、同じ会社の空気を吸った人間として話を聴いてあげるのが仁義というものだ。意に沿わぬ形で退職を迫られ「諾否」を決めざるを得なかった人たちに吹く風は厳しい。彼等にも家族があり子供がいるのだ。

リニューアル初日。棟梁への挨拶に出向く。部材が持ち込まれ昨日までとは様子が一変していた。ラジオの音を友に寒々とした部屋で1人黙々と仕事していた。寡黙だが職人気質の仕事をする人で腕が良いという触れ込みだ。「いいちこ」「歌舞伎揚」「暖かい缶珈琲」の差し入れ。来月10日前後までの工事期間、ちょくちょく現場に顔を出して進行、行程作業などをチェックしなくてはならない。


2002年11月21日 リフォーム前夜
早朝より九段下にて打ち合わせ。0850までに出社しなくてはならない。東京都の核心部、朝のラッシュが恐ろしい!
いよいよ明日からリフォーム開始。木蓮の両親と共に庵を訪れて最終点検をして来た。柱の釘、コード類を外す作業、すべて親爺さんに頼んでやって貰った。不器用という理由で日常大工に関して私は木蓮に信用されていない。どころか大工作業は親爺の血を引いている木蓮の方が得意という情けない事になっている。宿六亭主の所以である。う〜む。ちょっと情けないかも。
件の石油ストーブ「アラジン」は1974年11月17日の刻印があり、まさしく骨董品であった。芯が摩滅して風化していた。メンテナンスして利用できるかどかの確認作業をメーカーに行ったところ「見に来る」との対応だった。昭和48年製ということで、ほぼ30年前のモノであった。使えれば火を灯すことができるのだが。

●12月1日引っ越し梱包開始
●12/4HR総研紹介の企業に出社面接。(好球必打というスタンスで行く)
●12/7日千葉山岳連盟会合出席:冬山挑戦!
●12/8神奈川山岳連盟会合出席:来年度の登山学校入校、オールラウンドを目指す
●12/10〜15日転居完了。
疾風怒濤の2003年に向けて、そろそろ助走に入る段階だろう。来年度の手帖を購入しなくてはいけないかも。


2002年11月20日 個展
世界各地を旅して観た事を、慎ましいけれども豊かな色彩で表現した水彩と、対象を正確に把えて大胆にデフォルメした水墨画を観てきた。50才、仕事一筋で過度のストレスから身体を壊したことを契機に始めた絵とのことだった。手を染めて20余年、個展をささやかに開いた作者の門出に心ばかりの拍手を送りたい。まるで「自慢の娘」を人様に引き合わせるような気持ちだったのではないだろうか。実の娘の「MASAKOさん」は笑顔の素敵な「聡明なおばさま」であった。初対面ではあったが、ただちに「青島」と喝破されてしまったのは不覚であった。さりげなく伺い、静かに揮毫だけを残して行こうと思っていたのだが、mont-bellの上着をハデハデしく着て来るような人はいないからというのが理由。う〜む、ごもっとも。

津田沼にて冬山教室「参加申し込み金」を一括送金。さあ碁盤に石を置いたぞ。トレーニングに励まなくてはいけない理由がひとつ増えた。ここ数日、トレーニングに出かけていない。ココロを入れ替えて明日からやりましょう。笑。

登山用に使うガスボンベの再利用を図る為に「詰め替え君」を通信販売でゲットした。@2300円。残量の少なさを気にすることなく、ガスボンベを常に満タン状態で使えるというのが売り。イワタニガスボンベ3本セット@200円(格安!)というのであれば使わない手はないだろう。厳冬の冬山ではガソリン、灯油に軍配をあげるものの、日帰り程度の軽いハイキングなら小さなガスボンベで充分。ザックの軽量化も図れるというものだ。http://www.alva.ne.jp

庵の前所有者が「どうぞ使って下さい」と置いていった英国で開発され60年を経る骨董品(もちろん様々な改良はなされているが)「アラジン」灯油ストーブの修理を木蓮の親爺さんに依頼する。明日、さっそく出張して貰って分解掃除に着手して貰うことにした。プロにお任せするのが安全というものだろう。webで調べてみたら何と現役で販売されており、しかも@49800円もする高価なモノであった。薬缶を乗せておけば加湿器としての機能を持たせることができる。http://www.furaipan.com/danbou2.html


2002年11月19日 冬山へ
いろいろと調べていたのだが、某山岳連盟が主催する「冬山訓練」への参加を決めた。12月〜来年3月までのスパンで様々な事を経験しながら冬山への免疫を身体に刻みつける。富士山における滑落訓練、谷川岳での雪洞訓練と登山等、あくまで基本の領域ではあるが危機管理の素養として避けられない。基礎さえ身に付けておけば残雪の春山に向かうこともできるだろう。ここはじっくりと腰を据えて取り組むことにしよう。併せて体力作りも本格化しなくてはならない。日常のトレーニングの指標が増えることになる。明日諸費用を送金することにした。決めた以上は後退なしだ。

2100:NHK PROJECT X「魔の山剣岳遭難救助」を観る。まるで私の気持ちに符牒を合わせたかのような番組だった。「剣見るなら赤谷尾根からよ 大窓 小窓 三の窓ダンチョネ」の歌で自らを鼓舞して救助に向かった男たちの使命感に打たれた。冬山に限らず「危険」に対処する技術を持っているかいないかは安全を左右する。冬の剣を目指す根性はないが残雪の山には遊びたい。真っ白な尾根に輝く朝日を残照に染まる峰峰を眺めてみたい。春夏秋冬の山の姿を知らずして山を語る訳にはいかないではないか。その為の安全技術はどうしても身につけておかなくてはならない。また、オールラウンドな山登りを続けるために、来年4月から1年という時間をかけて登山の基礎から学び直す為に同じく連盟主催の登山学校に入校する。

リニューアルの打ち合わせに業者来る。来月10日までには完了するプランになっているが、こればっかりはやってみないと判らない。師走と同時に引っ越し支度開始となって慌ただしい毎日になる。歳の瀬に引っ越しというのも「夜逃げ」みたいで怪しい。


2002年11月18日 神保町界隈
九段下の再就職支援会社に出勤。添削を依頼していたレポートの訂正作業と面談を行う。茶話室には背広姿の「就職浪人」がたむろしている。いずれの顔もくたびれて疲弊していて精彩がない。

『おじさんたち、その格好は止そうぜ。もっと自由に希望に満ちた顔をしなければ面接試験で落されちゃうぜ。白髪は仕方ないにしても、せめて清潔感のある短髪にしたらどう。その出っ張った腹、何とかしろよ!鼠色の背広は止めようぜ。男ならダークグレーか茄子紺だろう。むろん、靴はリーガルで決まり。ズボンの裾はダブルで、ボタンも三つだ。ネクタイはストライプで決まりだね。金ボタンで面接するというのも意表を衝いて効果絶大と思うが、どう?。せめてPC /Word Excelはマスターしておいてくれよ。携帯電話も自在に使い倒さなくちゃ。鞄は吉田鞄に止めを刺す。間違っても革なんか止めてくれよな。ノースフェイスの黒ジャケット、タイトなGパン、遊びのリーガルシューズを履くダンディな私には勝てないだろう。あは。』(私の専属スタイリストは木蓮なのだが)
帰路、神保町古書店を素見す。山岳図書も全集となると高価だ。出せば売れた高度成長期の昭和30年〜40年に出版された金拍仕立ての「全集モノ」に法外な値段がつけられていた。すべからく図書館を利用するのが庶民としての正しい作法である。「見るだけ〜」で帰宅した。一冊だけ欲しい本があった。「尾崎喜八」だったが@3000円だったので我慢した。(文庫本で持っている)

娘より電話。就職が決まったとの連絡。帰国以来、就職に奔走していたが漸く決まったとの事。肩の荷がちょっと下りた。親爺はのんびりやるさ。


2002年11月17日 マラソン
朝ひさしぶりに公園散歩に出向いた。12下旬の寒さを肌で実感した。犬を供に散歩する人を見ると柴犬マックを想い出してしまう。情けない声を出して怯えて哭いていたが何と可愛らしい犬だったことだろう。ことさらに柴犬が可愛く思えてしまうのは仕方のないことだ。
東京国際マラソンをテレビで観た。最後までもつれ込んだレース展開。トラック勝負も及ばず松岡理恵が惜しくも優勝を逃した。2時間25分05秒の記録。1Kmを3分少々で走り切る世界は想像を越えている。高橋選手もそうだが、あの細い身体で42.195kmを走るspeedとpowerには驚いてしまう。う〜む。
リフォーム関連のテレビを観た。障害を抱えた夫の為に家をリフォームしたいと言う要請に「匠」と呼ばれる建築士が知恵を絞る。決して潤沢ではない予算の枠内で「劇的」にリフォームを試みるという企画番組。そこに住む人間の移動空間を心にくいばかりに取入れて「思い出」すら採用した空間を演出する。障害を抱えた夫が目頭を押さえて立ち尽くすラストシーン。光を夢を、希望までも与える仕事というのもいいものだ。
いよいよ今週末から我が家もリフォームに入る。実にのんびりと過ごした1週間だった。(ちょっと自堕落に過ぎたかも/笑)明日は九段下往来。年内に経歴書を作成しておくことが指標になっている。就職浪人の集まる場所に身を置くのも適当な刺激になる。極楽トンボを装いつつもテンションの維持に努めるのが危機管理というものだろう。


2002年11月16日 晴耕雨読
晴耕雨読の日々、晴耕とは日々の生活模様を指し雨読とは読書三昧を指す。「社長室はアウトドア」「木村東吉のカントリーダイアリー」を読了。前者はmont-bell社長のアウトドア体験記。後者は同じくキャンプを指向した生活の楽しさを縦横に語るというもの。続いて「谿間にて」北 杜夫を読みはじめる。私にあって、この作家の持つ抒情性は色褪せることがない。山に向かうようになった基礎は、この作家に触れたことがある。驚いたことに「串田 孫一」まで読んでいたようだ。いずれの作家も山と深い関わりを持っていたことに改めて驚く。
公園に行ったら少年達の歓声が聴こえた。「平日なのに野球をやってる」と訝ったが、土曜日であったことに気が付いて愕然とした。曜日の感覚が狂っているのは俺の方かと苦笑い。定量の5周プラス1周で汗が滲んだ。走った後の開放感がなんとも心地よい。苦しいだけならこれまで続けては来れなかっただろうなあ。


2002年11月15日 明け方の夢
「氷壁」を読んだことで思い出した酒田の街並、街道筋の蕎麦屋の佇まい。蕎麦の味までも。8月、電車でひとり秋田に向かった「志織の風景」を想った。祈るという行為は人間だけが持つ精神世界だが、問題はどういう手だてで「祈る」かだろう。それを持たずして「祈り」を言う偽善性こそ指弾されなくてはなならない。十字架を背負い刑場に消えたキリストの祈りは、死後世界中に広まることになる。最澄、空海も新しい仏教の教えを求めて唐に渡った。当時の航海術は「占い」によって方向を決めるという非科学的なものであったらしく、漕出した船はたちまち行方定めぬ難破船となって長い漂流の末に中国に辿り着いたと文献にある。まさに命を賭けて自らの信ずる「祈り」を求めたということだ。親鸞、日蓮に至る系譜もまた迫害とは無縁ではなかったようだ。
昨夜遅くまで読書をしていたせいで朝のリズムが壊れてしまった。それでも夕方からのトレーニングには出た。平均12500歩を達成することがいかに難しいか。祈りの代償として自らに課した「行」と思えば何程のことはない。誰も私を迫害したりはしないのだからね。


2002年11月14日 テルモス
0930〜1200まで図書館。昨日から読み進めている「氷壁」の長々とした心理描写に辟易しつつも2/3を読了した。穂高を舞台にして恋愛を横軸に登山を縦軸に絡めて展開する人間模様が生々しい。ヒロインの美那子は「自分勝手な妄想女」というべきだろう。美人であり都会の一等地田園調布に住まいする現代風に言えば有閑マダムという設定だ。その理不尽、自己中心的感覚は比類がない。張り飛ばしてやりたいくらいだ(笑)。対照的に描かれている「かおる」の純情可憐さが救いになっている。男がいて女がいて、ザイル切断をめぐる企業の思惑、新聞マスコミ、克明な心理描写などなど、小説としての構成は十分満たされている。自然描写には不満が残るものの上高地の描写も正確に書き込まれていると思った。取材が綿密に行われたことを推測させる。マナスル登頂をきっかけにして「登山ブーム」が湧き起こっていた昭和30年代に井上 靖が連載した「氷壁」が広く多くの人に読まれたことは当然だろう。この作品が発表された時代の匂いを感じることができた。(まだ1/3残っているのだが)
1日半休んだトレーニングを再開した。昨日求めた小テルモス、図書館、トレーニングのお伴に大活躍。運動を終えた公園のベンチで「熱い珈琲、紅茶」が飲めるというのは心が和らぐなあ。これからの寒い季節の拠り所になってくれそうだ。


2002年11月13日 図書館にて
0930〜1200まで図書館で過ごす。借り出した図書「アカシアの大連」「氷壁」「夜と霧の隅で」「黄昏のダンディズム」(新刊)「世界最高のクラシック」(新刊)「木村東吉のカントリーダイアリー」「社長室はアウトドア」
1600〜1800までトレーニング。北習志野駅前の西友にて予てから欲しかったテルモス(250cc)を3割引でゲット。市販されている魔法瓶の中では最小だろう。ウエストバッグに格納できるサイズのテルモスがあれば運動を終えた後のベンチで寛ぐことができる。暖かな紅茶があれば幸せ気分に浸れるというものだ。もうひとつの理由、木蓮が計画的に「食材」を調達し、僅かの無駄も見のがさないというスタンスで生活に臨んでいる姿勢を見て私なりの「経済管理」を遵守しなくてはならないと思った。時間はたっぷりあるのだから「料理」を始めとした「生活する技術・おさんどん・洗濯他全般」も学んでおこうと思う。思いつきでなく、しっかりしたプログラムに従って実践しなくてはダメだろう。
亡きおふくろが私に伝授した「生活の知恵」を復権させなくてはならない。(鉢植えだけは当分先でいいだろう/ 笑)そういえばおふくろも鉢を植えていたなあ。「アロエ」という植物で「傷にいい」という実用的理由からであったようだ。「梅干し」「らっきょう」「糠漬け」「梅酒」「とろろ汁」「魚のおろし方」「アイロンの掛け方」「庖丁の研ぎ方」「裁縫の基礎」と多岐に亘る。おふくろは木蓮に似てメモ魔であった。私に渡した小遣いの額からパンツのゴムの値段までも克明にメモをしていた。そのメモが遺品として残っている。開いて見るのが何だかおっかない気がするのだ。(怒られそうで/笑)


2002年11月12日
午睡の午後、小さな文机で本を読んでいる(何の本かは不明)
背後で「セントバーナー」がお腹を見せてハンモックに揺られている図。(流石に驚いているのだろうが、そういう光景を当然と思ってしまう自分も相当に異様だ)
「セントバーナー」なのか「虎」なのか判然としない(手と足はバンドで固定されているのだが一本の足だけがハンモックからはみ出している)
お腹を広げて弛緩している姿が、どことなく間抜けだ。他愛のない夢。
ちなみに木蓮の干支は「虎」(笑)

夕日の射す木造の高校
教室の片隅で「独唱する先生」
学友と二人で耳をじっと傾けている
どうやらそれは古き良き時代の黴臭い旧制高校の寮歌であるらしかった。(多分、北杜夫の作品だろう)
逍遥する魂の、、、岩の尾根に輝く朝日がどうのこうの、、、寂寞の黄昏れとかなんとか
次第に盛り上がる歌声(声は低いのだけれど)
男性合唱団の声が重なり深く心に沁みて(レコード盤に切り替わった)
私も一緒に口ずさんでいた。
明け方の夢に覚醒して思わず書付けてしまった。
先生が私に言う
「君、山にだけは行っちゃいかんよ」
「御両親が悲しむだろう」
どうやら白根山の遭難事故のニュースに心が塞がったことが遠因にあるらしい。

机にしがみついてリンク選定作業に没頭した。(トレーニングはお休みとした)ようやく土台を作り上げたという感じ。百花繚乱の世界と改めて感じた。畢竟、自己満足の世界なのだが「コンセプトの統一」だけはしておかねばならない。


2002年11月11日 Blue Rose
恒例の歯科往来と月に一度の内科検診(といっても血液採取と血圧と30日分の薬の処方だけなのだが)の為に船橋に出向いた。津田沼で木蓮と合流し北習志野経由で帰宅する。いよいよ来週月曜日からリニューアル開始となる。それから始まる転居騒動を前にした嵐の前の静かな日々ということになるのだろう。師走の最中に引っ越しをするというのも慌ただしいかぎりだが終の住処でゆっくり過ごす為の最後の騒動だ。お互い引っ越しに明け暮れた人生を過ごしてきた。もういいだろう。もっとも年末宝くじでもあたったら「豪邸」をプレゼントするという約束だから、その時はもう一度やることになるだろうけど。笑。花を愛でる時間の余裕ができただけでも良かった。流石に「バラ園」に行こうとは、しばらくは言わないだろう。
NHKで「青い薔薇への挑戦」をやっていた。原種7〜8種類からおよそ25000種類の薔薇が交配によって生み出されてきたが未だに「青い薔薇」だけが作られていないと言う。Blue roseは「できない相談」を現す言葉でもあると。遺伝子組み換え、放射線照射による突然変異、交配等、世界中で「青い薔薇」への挑戦が続いているということだ。薔薇の歴史(紀元前1400年に遡るらしい)と底辺の広がりは想像を超えている。その薔薇に手を染めた木蓮が書店で「薔薇の育て方」という書籍を購ってきた。う〜む。
ホームページのコンテンツの充実に腐心して数日を過ごしている。リンク先の選定とコンテンツの充実を図らなくてはならない。「ゆっくりだが確実に」自分を表現する場を創造していきたいものだ。
南アルプス紀行の書き出しが漸く決まった。(歯科医院の待ち合い室でメモ書き)あれもこれもではなく「ひとつひとつ」片付けるしかないのだが「毎日が日曜日」という生活スタイルに馴染めない自分がいるようだ。


2002年11月10日 小春日和
0900京成バラ園に出向く。木蓮のバラ熱覚めやらずということで何と3鉢の子供を里子に連れて来た。狭いベランダは花だらけという様相になってきた。引っ越し先のベランダの広さを計算に入れてのことだろう。作り付けの棚をイメージしているらしい。こうなると私の及ぶ世界ではない。そっとしておくに限る。目線で並ぶ鉢の数を数えてみる、、ひとつふたつみっつ、、二十三、二十四、、番町皿屋敷ではあるまいし/笑。早朝からバラ園詣での人達が遠隔地から押し掛けていた。いずれ劣らぬ「好き者」ばかり。ガーデニング命の木蓮の動線が軽やかである。篭にあれこれと鉢を詰め込み路上に並べて呻吟する図は明らかに「傾き者」の景観だ。昨日まで鬱で臥せっていた同じ人とは思えない。連れてきた子供の世話に夢中の木蓮に当たる陽射しが優しく暖かい。
図書館往来とトレーニング。薬円台公園、季節柄だろうか「歩いている人」より「走っている人」の姿が目立つようになった。冬はマラソンの季節でもある。規定の量をこなして軽く汗を流したけど夏ならば汗が滝のように流れるはず。それだけ寒くなっているということだ。


2002年11月9日 高尾山599m
主催するMLの第一回offを高尾山で開催した。寒気団南下に伴う強い風が吹き荒れていた。1000高尾山口改札で待ち合わせ。定刻10分を過ぎて携帯に電話が入る。目の前にいるのに認識できない事態が発生する。無事合流して「挨拶」となった。大阪堺出身のグラフィックデザイナーのMさん、子育ては爺ちゃんと婆ちゃんにお任せと笑うキャリアタイプのTさん。聞けばお二人とも明け方2時頃まで飲んでいたとのことだ。(う〜む、凄い)帽子を被った小さな女の子が怪訝そうに私の顔を見上げている。お母さんにそっくりの元気な女の子だった。コースをいろいろ考えていたのだが、負荷のかかる難しい路を歩くことに決定した。いざとなれば背負ってもいいと判断した。清滝駅ケーブルを左に一瞥して山に向かった。原宿通りを想わせるような人の群れに驚いた。ゾロゾロと歩く人に混じって5才の女の子は健脚を披露してくれた。案ずるより生むが易し、power溢れる足運びを見せてくれた。わが子の健脚ぶりにお母さんも目を細めたことだろう。子供は親の知らない間に成長して行くものだ。
山頂三角点に触れ、お約束の「豚汁」に着手。optimus00点火で予熱不足から「ボヤ騒ぎ」になったが何とか「点火する」ことが出来た。灯油臭い手で神聖な食物に触る訳にはいかない。頼もしい女性軍の登場で事なきを得た。鍋一杯の豚汁があっという間になくなった。まさに食欲の秋である。笑。帰路はケーブルを使って下山し、予定通り1530無事解散することができた。終わり良ければ全て良し!今度は更に人を増やして開催したいものだ。


2002年11月8日 晩秋
明日のハイキングの材料揃えに1000からスーパーに買い出しに出る。豚肉200gもあればいいだろう。笑。午後から雨との予報だったので1100〜1300までトレーニングに汗を流す。薬円台公園は爺様婆様たちのゲートボール天国。欅の葉がすっかり紅葉して落ち葉が鋪道に舞っていた。トレーニングを終えベンチで一服していると鳩の大軍に囲まれた。遠巻きにして私の気配を窺い喉を鳴らして「早く餌くれ」と慫慂する。足元近くに寄って来て「催促する」無礼な鳩もいる。どうやら餌をくれる「親切なおじさん」と勘違いされたらしい。一羽二羽なら風情もあるが、ヒッチコック映画に出てくるような大軍に囲まれると流石に気味が悪いものだ。薬円台から北習志野まで通しで歩いた。汗をかいて気持ちがいい。


2002年11月7日 立冬
1600までパソコンから離れずにHP-Link作業に没頭した。百花繚乱のサイトの世界だが、リンク先が多ければいいと言うものではないだろう。「私と木蓮」の感性に合うものを厳選するスタンスを守る。壮大でメージャーなものは他の人に任せ、あくまで「私流」でいいのだ。それぞれのコンテンツに合致しているかどうかの判断は、ほぼ直感的である。したがって外れも多い。こりゃ違うと削除訂正も発生することになる。紆余曲折を経て淘汰していけばいい。
1630〜1800までランニングで汗を流した。今日から立冬。晩ご飯のおかずは「おでん」であった。大根がうまかった!


2002年11月6日 成人病検査結果
朝一番で病院に徒歩で向かう。先日受けた検査の結果はレントゲン、大腸検査も含めて「全く異常なし」であった。僅かにコレストロールが高いことを指摘されたが投薬するレベルではないということだ。10月23日、まさに直近のデータである。曲折はあったにせよ、この1年のトレーニングの結果である。まさに「継続は力なり」を実感したことだ。1人の力でできることではない。木蓮様に足を向けて寝ては罰があたるというものだ。これを励みにして更にトレーニングに邁進しようと思った。
銀行、郵便局往来の木蓮と待ち合わせをし「100円shop」にて様々な買い物をする。山用の食糧品(米、缶詰、お菓子、その他類)が100円単位で購入できるのはありがたいことだ。1200円プラス税で1260円の支出となった。しっかり者の木蓮は私の予算から差し引くと言う。(泣き!)小の支出を抑えることが「経済管理」の要諦なのだろう。パン屋、書店の素見し、露天の店で好物の「次郎柿」を@300円買って帰る。午前中の歩数は5296歩を数えた。


2002年11月5日 HomePage-LINK
歯科往来で船橋に行った。丁寧に処置してくれるのはありがたいのだが時間がかかりすぎるのが難点。歯科医療制度は「通う回数と治療内容」による点数加算になっているらしい。先生に「年内にお願いします」と言ったら「判りました」と丁寧なお返事がいただけた。
HPのリンクをリニューアルすることにした。それぞれのコンテンツを独立させて更に発展させる。(HP選定作業は相当難しい。追加と削除も同時に行っていくこととする)外の器は揃っているのだが中身が寂しい。焦ることはない、徐々に充実させていけばいいだろう。個人的な趣向で選び出せばいいのだ。レイアウトを決めるに際して「station」のリンクも新たに設けた。絵柄を宮沢賢治「銀河鉄道」に準えて「機関車」とした着想は誉められていい。食事の後、木蓮と二人でネットサーフィンを2200まで。見るだけで相当に疲弊する作業だ。コツコツやりましょう。コツコツとね。
寒波襲来。とうとう石油ファンストーブを持ち出した。流石に暖かい。
薔薇の小鉢がひとつ増えている。私が船橋に行っている間に「おやじさん」をアッシーに使い「薔薇園」に行って来たという。いろんな囁き声が聞こえてきて「居ても立ってもいられなくなった」らしい。「薔薇」に夢中の木蓮である。(ところで、俺の飯はどうなったの、今日のおかずは何、、)


2002年11月4日 京成バラ園
関東は言うに及ばず全国でも著名なバラ園が家の近くに在る。秋のバラを愛でに行くことにした。テルモスに珈琲を詰めて「お出かけ」だ。どうやらバラを育てることはガーデニングを志す人の共通の願いらしい。木蓮も随分我慢していたようだが、終の住処を構えることとなって気が大きくなったのだろう、「堰を切ったように」物色を始めた。姿、形、値段も「バラバラ」なのだが「私を連れて行って!」と囁く声に耳を傾けるのが至福の時間らしい。木蓮の耳に届いた囁きの結果、禁断のバラが「2鉢」並ぶこととなった。小鉢のひとつやふたつでガタガタ言う私ではない。決して広からぬベランダが丹精された花々で埋まるのも時間の問題だろう。それで心が和むというならお安いものではないか。世の男性諸氏は奥様がベランダ園芸に夢中になることに目くじらを立ててはいけないのだ。あは。
山口県在住のML同人が書いた「小説」を読み、そのおおらかで真摯な人柄に「ぽわぽわ」と暖かくなった。私に触発されて山を始め、ようやく一年経過したと言う。願わくば、その御家族から恨まれないことを。「うちの父ちゃんが、山だ、山だと騒ぐようになって、しかも知らない内に山の道具が一杯押し入れに入っていて、まったくどうしちゃったのかしら」「これも、あの青島とかいうけしからぬおっさんの影響ね」。う〜む。


2002年11月3日 奥多摩
早朝、お茶の水まで電車で行ったところで気分が悪くなり引き返してきた。帰宅して、そのまま布団に入りお昼近くまで眠ったら回復した。睡眠不足が原因だ。山に向かう前夜は遅くとも2100には布団に入らなくてはなりません!失敗したなあ。
1630から新しいジョギングスーツを着てトレーニングに出た。ジャージーより軽く、木枯らしを通さないことを実感した。但し、走る時には風を通さないことがかえって弱点になる。発生する熱気は逃がしてやらなくてはいけない。で、腰に巻いて走ることになる。専属のサポーターが居る訳ではないから格好なんてかまっていられない。いつも見かけるおじさんと華奢な若おばさんがのゼンマイ仕掛けの玩具のように「淡々と走る姿」に脱帽。私なんかまだまだ。


2002年11月2日 トレーニングウエア
巨人軍優勝「謝恩感謝セール」ということで、以前から欲しかったトレーニングウエアを2割引で買ってきた。ジャーギー上下とヤッケでは下着も含めて3枚着ることになる。暖かい裏地のついた新しいトレーニングスーツなら下着一枚で外に出ることができる。防風も兼ね耐水能力は通常の傘レベルある。登山仕様で話題になった「サーモ」という最先端の技術で織り上げてあるらしく「暖」を維持する効果もある。上下合わせて@10800円を@8640円でゲットしたのだ。巨人軍様さまというところ。
木蓮担当のHP『花のある風景』一部リニューアル完了。舞台装置は揃っているのだが肝心の役者の出番が少ないのは甚だ遺憾だ。笑。


2002年11月1日 九段下
九段下HR総研にて「職務経歴書」の作成に時間を費やす。自分を売り込む書類ということなのだが「今迄の仕事の総括」レポートを作成し、それをベースにしてA4用紙2枚半ほどにまとめる。130%ほど底上げをする位のスタンスで書けばいいと言うのだが、これがなかなか面妖な作業なのだ。添削して貰い指導を受けるシステムになっている。そういえば九段下に向かう時はいつも雨だなあ。晴れていれば神保町古書街を素見して帰るところ。
厳しい寒さに向かう季節から始めたトレーニングも曲折挫折はあったものの1年継続することができた。データの改善と歩くこと走ることが習慣化したことは大いに評価していいだろう。



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