山ダイアリー
2003年1月 

2003年1月31日 子離れ親離れ
22歳の眼に世界はどう映るのだろうか。リストラ親父を見る眼差しは決して優しくはないだろう。彼らの言葉では「ウザイ!」存在ということになる。子に迎合する親父にだけはなるまいと、改めて思った一日だった。とっくの昔に親離れしている事実に眼を背けて「ほんわか気分」のダメ親父に、危うくなるところだった!「物分かりのいい親父」になってはいけないのではないか。私は、嫌われる頑固親父になろうと思うのだ。それが子離れの方程式なのだろう。それにしても世の親父たちの背中がやたら寂しいのはどうしたことだろう。


2003年1月30日 レインボーブリッジを越えて
初めて単独で首都高速を走り抜けることができた。八王子から迷走を幾度か繰り返し奥多摩駅に到着した。首都高速以外の地図はまったく見なかった。五日市〜青梅街道に出た時、ひときわ高い頂点の山が見えた。方向から見て、あれが雲取山だろうと判断できた。効率的に走れば電車より利便性がある事が判った。お目当ての国民宿舎はけしからぬことに「休日」であった。その他の宿は道路工事の人たちで一杯だった。平日だから宿はガラガラだろうと判断し予約を入れなかった事がそもそもの間違いだった。シュラフを持参して来なかった罰。すごすごと引き返すしかなかった。往復240kmのロングドライブの一日であった。(アホやなあ)。
某所に勤務する「奥多摩の自然と山」の管理人Hgさんに挨拶できたのが唯一の収穫だった。予想に反して華奢な体型だったので安心した。華奢といえども脚力、持続力は抜群。縦横無尽に奥多摩の山を闊歩する達人だ。笑。


2003年1月29日 淡々と
夕食の後、6本アイゼンを靴に合わせる作業済ませた。朝食の支度に木蓮が台所に立ち、おにぎりを握った。水を2L詰めた。忘れないようにテルモスを出した。食料を梱包してザックに詰めた。小道具を机に並べて点検。財布、薬、ライター、歩数計、時計、手帳、ボールペン、地図、デジタルカメラ。0500起床、0544電車で奥多摩に向かう。雲取山2017mに初見参。山小屋の主人「新井信太郎さん」に会うのが今から楽しみだ。


2003年1月28日 スケッチする力
日常の点景を正確にスケッチする力が欲しい。ページが進まない枕元の本、歩かない足、増える煙草の量が気持ちを苛立たせてしまう。心急く日々を過ごした反動?転居以来、放心したような日々が続いてる。是非は別にして「インターネット依存症」も「携帯電話依存症」も「同軸同根の心の病」というべきだろう。閉塞された状況に在ることは違いない。身体を動かしてこそ生活。海馬のように寝て暮らす日々では夢枕に獏が立つというものだろう。そろそろ覚醒しないと本当の病気になっちまいそうだ。(もっとも半病人には違いないのだが/笑)。まず山に向かうことから始めよう。氷雪の富士山に臨んでふざけた迷妄の鎖を断ち切らねばならない。明日ではなく今から支度を整えよう。、、、という訳で、微熱を押してザックを広げた。咳が出始めて少し辛い。地図を広げパソコンで情報を探る。小屋に電話をかけて雪の状況を聞く。昨日の雨で更に10cmほど新雪。行こうと思えば行けない訳ではないようだ。天気予報を眺める。冬型気圧配置が強まり快晴との予報。出発は明日か明後日かなどと煮え切らない、、。



2003年1月27日 こだわり爺さん
親爺さんから「宛名職人」ソフトに関して電話があり、1000〜1100まで木蓮と延々1時間のバトルを繰り広げていた。まだマウス操作も覚束ない段階だから忽ち迷路状態になるのは目に見えている。基本のマニュアルを精読し操作するという手順なんて、まるで無視のようだ。「ワープロ」で出来た事を一刻も早くパソコンでやってみたくてしかたがないのだろう。かくして本日も出張講師の出陣となった。さすがに元技術者だけあって「こだわる所」はこだわるらしい。外字作成などと素人の言葉ではないだろうと木蓮が嘆いていた。ハガキ作成出力を教えたとのこと。「やってみせて、やらせてみせて」を三回やらないとダメだろう。笑。



2003年1月26日 待ち人来たらず
待ち人来たらずということで支度していたケーキが無駄になった。待ち人というのは「しろりん」といって何を隠そう私の娘なのだが、どうやら朝寝坊をして出かけるタイミングを逸してしまったらしい。昨日から何時頃来るのかと騒いでいた木蓮も拍子抜け。今朝も早朝から洗濯、布団干し、買い出しと意気込んでいたのだが。笑。支度した美味しいケーキは何分二人で食べるには量が多すぎた。
PC指導がてら木蓮の実家に持参の運びとなった。義父は早くも血迷って何と昨日の内に木蓮を同道してプリンターを買い揃えたという。ワープロ10年の経験がどっぷりと身についているのだろう。「今まで出来たこと」を一刻も早く確認したいということらしい。昨日は接続するのが精一杯で出力まで指導できなかったとの事だが、義父の本音はインターネット閲覧よりも「ワープロ」にあった事が判明した。「懸賞はがき」をチマチマと出すのが何よりの楽しみにしている義父が泣いて喜ぶ「宛名職人」という最新のソフトもインストール完了した。これで義父もワープロに戻ることはないだろう。めでたしめでたし。


2003年1月25日 新年会
所属を決めた地元山岳会の新年会に参加した。寺山修二著「書を捨てて町に出よう」の再現って訳だ。24歳〜65歳とバラエティに富んでいる。創立40周年の歴史を刻んだ会ということだ。早速「山行」の予定を約束してしまった。ザイルを使った岩登りの練習を行うとの事。郷に入っては郷に従うこと。一年間みっちりやれば相当の実力を備えることができるはずだ。
義父のiMac・ADSL本日開通。接続設定作業の為に専任講師「木蓮様」が行く。親子水入らずの楽しい団欒ができて良かった。


2003年1月24日 千と千尋の神隠し
午前中、図書館にて過ごす。「サイモンとガーファンクル」関連の書物を借り出して来た。30年来聴いて、未だに色褪せない音楽とは一体何なのだろう。
評判の映画をコタツ達磨スタイルで観た。精緻に描かれた色彩豊かな背景画(1本の線もゆるがせにしてない)と柔らかな発想に舌を巻いた。あっという間の2時間を過ごした。映画はやっぱりおもしろいや。


2003年1月23日 寒い雨
週一定期便「キューピー・ピーちゃん」が団地に「にぎにぎしく♪♪」やってきた。視野に入るや否や、木蓮が赤いポリタンクを抱えて脱兎のごとく駆け出し「ふーふー」言いながら担ぎ上げてきた。その時刻にようやく覚醒した私であった。力仕事もしない宿六亭主!「がるるっ」と吼えられたことは言うまでもない。次回からは階段下まで私が取りに行くことでようやく和議が成立。笑。
午後から木蓮様のご指示で京成バラ園に出かけた。寒い雨の一日、さすがに園内に人影はまばらであった。お目当てのカレンダーはなかった代わりに新しいお友達「ワックスフラワー」を連れてきた。


2003年1月22日 ハローワーク詣
月に一度のお勤めがハローワーク詣。0930〜1000までの受付に対応しないと(本人が出向くことが条件)支給決定とならない。長期の旅に出ていても、この日だけは飛行機で飛んで帰って来なくてはならない厳しい縛りになっている。木蓮が首に縄をつけてでも引っ張って行くと息巻くのも無理からぬことなのだ。義母からも電話があり「まあちゃんは職安に行った?」と親子揃って私を攻める図はただ事にあらずや。う〜む。

今夜の音楽の友はCHOPIN「ピアノ協奏曲1番ホ短調」。ショパン20歳の作品。かれこれ7年ぶりに聴いたなあ。


2003年1月21日 夢の続き
座敷牢で臥せっていると次から次に夢を見る。奇想天外な夢あり、そうではない現実的な夢ありで、まるで万華鏡の世界。小さな地震があったようだが、これは夢ではなかった。依然として身体が倦怠。汗をかけばすっきりするのだろうが。明日はハローワークに出向く日。「首に縄をしてでも連れて行くわ!」と木蓮の弁。失業認定日に出向かなかったら、1月の支給がなくなる訳だから家計を預かる立場としては無理もない。月に一度のお勤めは果たさなくてはなるまい。あは。義父よりiMacの操作について連日の電話。マニュアルと格闘している様子が窺える。ワープロ10年の経験は無駄ではなかったようだ。親爺さん、パソコンは文書作成機能だけではありませんぜ。あっと驚く為五郎的世界がそのうち見えます。笑。
ビデオ「少林寺シリーズ四巻」を見終わる。中国電子公司が映画を作ると「あんなふう」になるのかと笑ってしまった。勧善懲悪モノ、ほのぼのとしたユーモアと激しい少林寺拳法の動きが面白かった。人間鍛えればああいう動きができるようになるのかと感心することしきり。今夜の音楽の友は「メンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲ホ短調」


2003年1月20日 貴乃花引退
体調、昨日よりはいい。大人しく寝ていただけの事はある。熱に魘されて様々な夢を見ていたようだ。白い山茶花が夢と現実の狭間に咲いていた。覚醒した途端に全て忘れてしまっていた。

平成の大横綱「貴乃花」が遂に引退を表明した。まだ30才、怪我さえなければまだ十分に相撲を取れる年代なのになあ。新しい世代が台頭しつつあるとはいえ残念なことだ。私的には「琴光喜」あたりに頑張ってもらいたい。おっとその前に「魁皇」頑張れ!

そろそろ社会復帰の準備を始めてもいいころだろう。どんな仕事をするにせよ、畢竟、人と人の縁の深浅による。チャレンジ精神がすり減らない内に基礎を築いておかなくてはならない。10年あれば何か何とかなる!自在闊達、しなやかな10年にしなくてはならない。まだ子供たちに負ける訳にはいかない。


2003年1月19日 微熱
身体がだるく少し咳も出る。風邪の兆し?大事をとってほぼ一日中寝ていた。かくして伝家の宝刀「イソジン液」 「トローチ」の出番となる。そういえば昨年の今頃も風邪を引いていたような。1年前に処方して貰った薬をザック薬箱から取出して服用する。(非常用だから二日分しかない)文庫本を抱えて大人しく寝るのが正しい作法だろう。笑。


2003年1月18日 熱中時代
目論み通り、義父はiMacに夢中になっているらしい。それとなく操作方法を木蓮に電話してくるところが可笑しいなあ。義父の熱中の嵐はまだまだ始まったばかり。


2003年1月17日 阪神淡路大震災
不条理な惨事から8年の歳月が流れた。在りし日を偲んで地に置かれた6000余本の灯火。風に揺らめく姿がただただ哀しい。合掌。



2003年1月16日 貴乃花頑張れ!
10:00、図書館に赴き「山と渓谷2月号」を2時間かけて精読した。必要な箇所はノートにメモを取った。当分、このスタイルで十分だ。
横綱の進退を賭けた再出場だった。ハラハラしたなあ。松井も貴乃花も頑張ってくれ〜。1600から自主トレーニングに出る。新しいルートの開拓を兼ねて今までとは違うコースを歩いた。岳人2月号購読@700円。町内のビデオショップで「スパイダーマン」@380円をレンタル。映画を観るのは久しぶりの事。いつものパン屋で美味しい「チーズパン」@280円を買って帰宅した。
庵を基にして日替わりでコースを変えるのがいいようだ。今年初めて13000歩を記録した。筋トレをお風呂前に30分やって汗を流す。やっぱり一日一日の積み重ねなんだよなあ〜。今月のニコニコマークはまだ6個という情けない状態。(おいおい大丈夫か〜)どうしても来月7日までに身体を作っておかねばならない、、、と強迫観念に急かされて(笑)。3月の谷川岳では「輪かん」を履いて否応無しにラッセルしなくてはならないのだから寝言は言ってられない。おまけにトラック一杯分の雪まで掘る作業が待っている。筋力もつけておかなくてはいけない。今日から後半!リズム!リズム!


2003年1月15日 心騒ぐ日々を
荷解かれないまま放置されたザックが「今度はいつ山に行くの」と私に語りかけてくる。「そうだね、週末にでも行こうか」と気のない返事をしてしまう。「惚け」つつあるのは義父ではなく私ではないか。サイモン&ガーファンクル「BOXER」の美しく清冽なメロディが心に染みる冬の午後、さりとて古色庵の穏やかな日常は日溜まりに似てとても暖かいのだと嘯く私がいる。騒動の末に支度されたiMacは義父の心を踊らせていることだろう。義父の心騒ぐ日々にハレルヤ!
明日は図書館に行く日。一日ひとつの事を成し遂げ満足して眠りにつきたいもの。正月気分も今日まで。ここ数日というもの「音楽」がいつも傍にある。棚に並ぶCDを端からかけて聴いている。忘れていた「MOZART PIANO CONCERT19.20.21..23」、この世とは思えない静謐さに満ち哀愁を帯びた奇跡のメロディが岩清水のように心に響く。時間を遡るように、乾いた喉を潤すように、貪るように聴き始めた。人としての感情、振る舞いが戻ってきたようだ。終の棲家を定めたことで様々に揺れていた心も定まってきたのだろうか。随分長い間、心急く日々を木蓮と共に過ごしてきた。同じ時間、不安に怯え涙しながら生きていた人のある事を忘れてはいけない。不幸にして仕事を失い浪人中の身ではあるが、日本刀の刃渡りに似た苦しい時間を耐えてきた6年に比べれば何ほどのことがあるだろう。私にあって再び「祈りの日々」が来るように「ちょっとだけ」頑張ってみようじゃないか。


2003年1月14日 最初からマック
義父(67才)のパソコンはマックと決定した。本日、最新のマックG4/iMACが義父の部屋を飾った。義父の生活に革命をもたらす道具になるはず。惚け防止の道具としては最強ではあるまいか。卓越した造型、先進のOSは無機質で機械然としたDOS/Vよりも遥かに「色っぽい」。最初からマック!そういう選択もあっていいだろう。通称「まんじゅう」「餅」マックと呼ばれているらしい。笑。それしてもG4の威力は凄まじい。迫力の重低音に舌を巻いた。パソコンで音楽を聴くシーンに義父は度胆も抜かれていたなあ。脳神経細胞が奔流激流となって活動開始し始めていることだろう。しめしめ、せいぜい錯乱迷走してください。笑。
まんじゅうiMacはこんなふう → http://www.apple.co.jp/imac/index.html


2003年1月13日 学習机スタンド
市販の電気スタンドはいずれも眼鏡に叶わない。180cmの長大なワークデスクを照らすには大きな容量と照射面積を持つ蛍光灯でなくてはならない。新聞広告「入学が待ち遠しい学習机大特集」を飽かず眺めていた木蓮が「これ、これどう」と広げて見せてくれた。立派な学習机に備え付けのスタンドは傘、幅が異様に大きく、探している条件を満たしているように見えた。値段も@5990円と手頃で対費用効果も許容内。スタンドだけ別売ということも可能との事。さっそく出かけて検分した。30Wインバーター・デスクライトはかくしてワーキングデスクに備え付けられた。「おお、明るい!」と歓声を上げた次第。照射する面積も十分で申し分ない。
それにしても今時の学習机の立派な事!袖キャビネットとパソコンを置くスペースまで確保されている。だから蛍光スタンドも従来品では対応できない理屈、学習机対応特注品との事だった。値段がまた法外で@59900円もするのには目を剥いた。その上、椅子は別売でガス圧縮式@5990円だと!冗談のようなホントの話。私の180cmワーキングデスクは@18000円しかしないけれど、遥かにこちらの方が使い易いと思うんだけどなあ。「這えば立て、立てば歩めの親心」に「いちゃもん」つける気は毛頭ないけれど、それにしても立派な机が並んでいたなあ。その特注蛍光灯の部分だけを失敬して活用させて貰った。学習机様様と素直に感謝しよう。何だか小学生に戻った気分、私は大変満足しているのだ。笑。


2003年1月12日 講議と策定
0700起床、洗顔、食事。0800より講議。午後から人員を班別に分割し、講師のアドバイスの基に富士山と谷川岳の登山計画書の策定作業に入った。私の班は57才の婦人、24才の兄ちゃん、講師を含めた四人。まず食糧計画を議論。谷川岳初日の夕食メニューは「キムチ鍋」と決まった。米はアルファ米を炊く。朝食はラーメンに餅を2個とする。共同備品(スコップ、ザイル、雪を割る鋸、ツエルト、コッヘル、竹竿7本、ヘルメット、ハーネス)の貸し出し配付と担当を決定。持参する道具の申し合わせなど詳細に確認する作業。ザック65Lの重さは、それぞれ20kg以内に止めるよう申し合わせる。いろんな事を学んだが来月7日までにカラビナ相手にザイルワークの練習を積んでおかなければならない。富士山麓、富士吉田駅での再会を約束して午後4時解散。(ところで、どうやってそこに行けばいいのだ)武蔵坊弁慶のような出で立ちで大倉バス停に向かう。びっしりと埋め尽くす中高年登山者の姿がなんだか異様に見えた。同じ班のKさん(女性)と小田急で成城学園まで。渋沢駅から眺めた冬枯れの丹沢尾根が雲ひとつない北の空に、ようやく翳り始めた残照を浴びてどっしりと腰を据えていた。標高1500m、意外な高さに驚いた。田園からすくっと立ち上がる姿が雄々しくて美しい。不似合いな武蔵坊弁慶スタイルが馴染まない。ここは出直しと踵を返してきた。成人した男子三人を抱えるKさんは明日「奥多摩」に向かうという。57才にして毎週のように山に向かうPOWERはどこから来るのだろうと舌を巻いてしまった。30年ぶりで山に向かう63才の人、夫婦で冬山に向かう人、人それぞれの人生模様を抱えて2月8日未明に払暁の富士山麓に立つと言う訳だ。ヘルメット、ピッケルはザックと同色の赤なので周囲の視線を浴びてしまったようだ。笑。どうやら登山靴のサイズもピッタリ、早くも足に馴染んだようだ。

秩父金峰山で登山者救出のニュース。
『十二日午前九時ごろ、長野、山梨県境の金峰山(二、五九九メートル)山頂近くを登山中の横浜市のパーティーから、「やけどで動けない男性がいる」と携帯電話で長野県警に救助要請があった。臼田署は県の防災ヘリコプターで男性を救助した。 調べでは、遭難したのは東京都狛江市猪方三、会社員亀井純一さん(53)で、やけどなどで約二週間のけが。同署によると、亀井さんは昨年十二月三十一日、単独で金峰山系に入山。同日夜、富士見平小屋近くにテントを張って宿泊した際、湯を沸かしていた鍋をひっくり返し右足太ももにやけどを負った上、一月二日には雪のため道に迷い、金峰山山頂近くで十日間、助けを待っていたという。』
火傷を負い動けなくなって停滞していたところを救出されたとの事。冬山は初めてとあったが5日分の食糧(さぞかし重かっただろうと推察)と幕営という万全の支度があったればこそ助かった。冬山は初めてとのことだが10年の経験が役に立ったということだろう。テント内で鍋をひっくり返す事はよくあることだ。煮炊きはよくよく注意しなくてはならない。

ブラームス「ピアノ協奏曲二番」「ハンガリー舞曲」シューマン「交響曲1番 春」「ピアノ協奏曲」を聴きながら二日分の記録を書き上げた。 私が不在中に、親爺さん夫婦と一緒にパソコンを見に行ったとのこと。67才の親爺さんはパソコンに並々ならぬ興味を示し始めているらしい。むろん専任の講師は「木蓮」、これ以上のアドバイザーは望むべくもない。



2003年1月11日 合宿
1300より登山教室講議始まる。講師の面々はいずれも日本を代表する登山家という触れ込み。現役を離れ後進の育成にあたっている方々ばかりとの事だった。ロープワーク、アイゼン、輪かんを装着し歩行訓練を行った。ロープワークこそが冬山登山の基本であることを理解した。例えば一升瓶を一本の紐で結び括りあげるロープの技術などなど。なぜ、そういう結び方をしなくてはならないのかを理解しなくては覚えられるものではない。確保の為のロープワークを来月「富士山」までに身につけておかなくてはならない。結び方は身体で覚えるしかないだろう。12本アイゼンを初めて装着する。山側に向かって片膝をついて靴の長さに合わせて装着する。向かう方向への登り方、下り方を学ぶ。ピッケルでの滑落停止は滑り始めて2.3秒が勝負と学んだ。加速度がついてからでは停まらない!全体重をピッケルの上に乗せて制動する。身体を捻る際のアイゼンワークがポイント。頭から滑落する場面だってあるのだ。輪かんは経験済みなので楽だった。アイゼンと輪かん併用の場面もある。ロープワークが一番難しかった。まるで手品を見ているようだ。 0500より@2000円を出し合って共同自炊。買い出し部隊が大倉に出て夕食、明日の朝、昼食を揃えてきた。全員で食事の支度に取りかかる。メインは鍋料理。野菜、こんにゃく、豆腐、椎茸などの食材があっとうまに切られ、テーブルに並べられた。私は刺身を切る役を担当。たちまち酒盛りとなって交歓談義が1100消灯まで続いた。年齢、環境は異なっても「冬山」を目指すという一点で話題が共通する。山岳連名製作のビデオを視聴しながら学習を進める熱心さ。2330シャワーを浴びて就寝。四人の相部屋。高鼾の御仁がいてなかなか寝つけなかった。


2003年1月10日 登山教室(2回目)
明日から始まる登山教室参加の支度を始めた。持参する道具をリストに基づいて畳の上に並べていく。(まだ値札がついたままのモノがあった)作動するかどうかの確認を行い、持ち物ひとつひとつにネームシールを貼る。午後3時頃ようやくパッキングを完了した。アイゼン、ピッケル、輪かんをザックに括り付けたらまるで「武蔵坊弁慶」。シュラフ、幕営一式を格納するとなると65L〜80Lザックの出番になる。身体を鍛えておかねば歯が立たない。



2003年1月9日 蝸牛的生活
正月ぼけがなかなか抜けない蝸牛的生活。灯油配達車の華々しい音楽が鳴る度に「灯油を買わなくては!」心が騒ぐ。どういう調達方式なのか判らないのでオロオロするのだ。その華々しい音楽はかわいらしい少女が歌っているのだが意味が理解できない。「どんと来い、どんと来い、どんと入る」というふうに聞こえる。「灯油を入れるお客さん、さあさあよってらっしゃい。ポリ缶にどんどん入れるよ〜」と私には聞こえるのだ。あまりにも出来過ぎてはいないか。笑。 木蓮が脱兎のように階段を駆け下り「どんと入れて」貰って「ふーふー」言いながら4階まで担ぎ上げてきた。私は布団の中で、そのただならぬ気配を察知していたのだが蝸牛のようにうずくまっているだけの、ただただ「無能の人」であった。
木蓮、必死の探索により華々しい音楽の正体が判明した。抱腹絶倒した。
野口雨情作詞 中山晋平作曲/昭和5年「キユーピー・ピーちゃん」であった。(そんな歌があったのか!)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~h-qp/kewpie%20studie.html


2003年1月8日 散歩の距離
親爺さん夫婦が揃って来訪。「引越祝い」を頂戴し恐縮した。散歩の距離に娘が住いしてくれた嬉しさが滲み出るのだろう。木蓮の親孝行の一つの形といえるだろう。親孝行ばかりか子不孝まで重ねたに私はただただ羨ましいばかり。親孝行を口にする資格がそもそもない。う〜む。

昨年9月に顔を出したきりの某山岳会の例会に出席した。山行報告会、登山計画の発表と熱気溢れる2時間だった。 この10日より10名のメンバーが八ヶ岳を目指す。「登山計画書」に基づいて詳細な装備の検討が行われ参考になることが多かった。老若男女が揃っており27才の女子から62才の男子までとバラエティに富む。波長が合うかどうかは不明だが基本を学ばせていただくスタンスで頑張ってみよう。「アイゼンの装着、調整は自分でできるようにして下さい」との厳しい指示も飛んでいた。いやごもっともなことで。


2003年1月7日 落城
知人の会社が40億の負債を抱えて6日に倒産した。田園調布に住いし親からの遺産で事業を始め順風漫歩の人生を送っていた人達だった。早晩、かって利用したこともある軽井沢の豪華別荘も、鎌倉の瀟洒な家屋も銀行に差し押さえられてしまう。一族郎党を巻き込んだ修羅場はこれからが本番となるだろう。暮れの倒産を避けたのは従業員へのせめてもの気配りであったようだ。正月早々、心痛む報に接した。平家物語「祇園精舎の鐘の声〜所業無情の響きあり〜盛者必衰ことわりを現す」の一節が頭を過った。

2003/01/07(火)
複写機、プリンター製造
ヒューマンプラン株式会社
破産宣告受ける
負債40億円
「東京」 ヒューマンプラン(株)(資本金9800万円、大田区雪谷大塚町1-29、代表大崎佐一氏、従業員96人)は、1月6日に東京地裁へ自己破産を申請し、同日破産宣告を受けた。
 破産管財人は土岐敦司弁護士(千代田区神田司町2-10-8、電話03-5298-8833)。
 当社は、1951年(昭和26年)1月に(有)旗ケ岡製作所の商号で設立、77年12月に株式会社化し、92年2月に現商号へ変更した。長年にわたり大手メーカーの下請けとして複写機を主力としたOA機器の生産、開発に注力していた。プリンターの本体及び周辺機器を製造するほか、コンピュータやその他機械の製造・組立なども手がけ、98年8月期には年売上高約98億8700万円を計上していた。
 2001年度下半期以降は、大口得意先が生産拠点を中国へシフトする方針を打ち出したことから、受注が大幅に落ち込み、2002年同期の年売上高は約40億1200万円(前期比45.6%減)にとどまっていた。今期以降も受注減少に歯止めがかからず、金融負担が財務面を圧迫。人員整理や工場閉鎖などで合理化を図っていたものの業況回復には至らなかった。
 また、グループ会社の(株)ハタガオカ(資本金1000万円、同所、代表椎名和男氏)、(株)総研(資本金2000万円、大田区雪谷大塚町3-11、登記面=大田区雪谷大塚町1-29、代表大崎佐一氏)、(株)旗ヶ岡ユニゾン(資本金2000万円、登記面=大田区雪谷大塚町1-29、代表久保田好助氏)の3社も、同日東京地裁へ自己破産を申請、同日破産宣告を受けている。
 負債はヒューマンプラン(株)が約40億円、(株)総研が約2億円、(株)旗ヶ岡ユニゾンが約7000万円となっている((株)ハタガオカは未詳)。


2003年1月6日 神保町にて
九段下から神保町まで歩いた。「さかいや」にて単三電池、ハロゲンが使える新ヘッドランプ、予備球、緊急脱出用に首からぶら下げておく軽い小型ナイフ、アイゼンゴムカバーを求める。「岳人」を詳細に読んで急遽対応を決めた。雪崩にあってテントに閉じ込められた際にナイフで切り裂いて脱出できるよう首にぶら下げて行動する事。ハロゲン電球、単三電池が使えれば予備電源を他と共有できる事。 そういえば山岳教室の講師が丹沢から下山してきた折に小さなナイフを首から下げていた。ヘッドランプについてもひとしきり講釈していたことを思い出した。いつでもどこでも「使える道具」でなくてはいけないということだ。更に勉強を重ねて詳細なリストを作成しなくてはいけない。留氏に倣ってアマチュア無線の初級免許も取らなくていけないだろう。冬山に向かう以上は二重三重の安全策を講じて置く必要がある。 木蓮が心配して曰く「どの位の冬山をしようと思っているの」「厳冬の剣岳に向かう根性も度胸もないから安心していい」と答えておいた。笑。

いよいよ明日からADSL12Mが開通する。滞っているHP各部門を充実させなくてはいけませんなあ。ひとつひとつやるしかないのです。


2003年1月5日 図書館
図書館と食料品買い出し。岳人1月号赤鉛筆片手に精読。NHK特集「徳川家康」を1300〜1800まで観る。1815〜1915トレーニング。昨日と同じコースを走った。徐々に負荷をあげて行くこと。しばらく辛抱だね。食卓カレンダーに赤丸塗り塗り作戦を開始。

NHK大河ドラマ「武蔵」をビデオで観る。「利家とまつ」は途中から観る気力をなくしてしまったが「武蔵」は一年間楽しめそう。精悍な市川新之介と対照的な堤 真一の生きざまが面白い。強くてかっこいい男より弱くて情けない男に魅力を感じてしまうのは歳を重ねたせいだろうか。笑。
明日は月に一度の九段下詣。月に一度、緊張する場面に自らを置くことでテンションを維持する約束になっている。「亭主元気で留守がいい」木蓮は「生命の洗濯」ができるらしくニコニコしている。いつも顔突き合わせているとストレスが溜まるのだろうなあ。笑。買い忘れた12本アイゼンカバー、新ヘッドランプを神保町で見て来よう。


2003年1月4日 始動
NHK特集「秀吉」を観た。いきいきと躍動する人間群像を観るのはいいものだ。中世に幕を引いた織田信長、秀吉、家康につらなる歴史は実に面白い。「中世の歴史」を昨年暮れから読み進め始めている。時代の狭間に泡沫のように生まれ消えて行った庶民の声なき声を聴く為に、己が為してきた事象を反芻する為に、目的とするところは多々あるのだが畢竟「人間」を読むことに他ならないと言えよう。山もまた「存在の証」を求める旅ということになる。今年は念願の冬山の基礎を築く年になる。雑誌「山と渓谷」2年分を遡り、今年からは「岳人」をテキストにして学んで行く。「行と学」ふたつの歩を揃えてチャレンジして行こうと思う。

夕方からトレーニングに出た。苦しくとも此の「行」は生涯淡々と続けていかねばならない。丹沢に遊んだせいで暮れから元旦にかけて筋肉痛で転げ廻っていた。その効用で思った以上に走ることができたようだ。これから古色庵を基地にして様々なコースを開拓していこう。気負うことなく淡々と継続するトレーニングが大事なのだから。

テレビを観ながら1月の山行計画などを立てた。8日は山岳会例会に参加。11日〜12日山岳スポーツセンター合宿。13日から14日は丹沢で新しい冬靴とその他の道具の慣らし登山。大倉尾根を延々と登って来ようと思う。どうやらザックは20kgくらいになりそうだ。2月の夜間歩行と富士山滑落停止訓練に備えて身体をしっかり作っておくこと。靴を脚に馴染ませる為に1月下旬に雲取山への登山を果たしておこう。明日から山道具の点検を開始しよう。


2003年1月3日 寝正月
青山の骨董屋で買った昭和初期の小さな柱時計がボーンボーンと零時の時刻を告げる。SIMON&GARFUNKEL「明日に架ける橋」を小さな音量流し始めた。古色庵で迎えた初めてのお正月も終わった。紅白から始まって12時間ドラマ、恒例の箱根駅伝、NHK特集「織田信長」、ウンチャンナンチャンのダンス、十津川警部サスペンス劇場とテレビ付け享楽の日々だった。なめくじ達磨のように炬燵で自堕落に過ごした。そろそろエンジンを始動させなくてはいけないでしょ!ズバリ。笑。寝正月も今日まで。明日から襟を正してトレーニングと読書の再開だ。良い正月を過ごさせて貰ったと感謝しよう。まず朝に勝つことから始めよう。



2003年1月2日 年賀の挨拶
0800起床、簡単な朝食を摂って直ちに土浦に向かう。幾度となく「遊びに来い」と慫慂されていた叔父に漸く年賀の挨拶ができるまでに状況が回復したということだろう。叔父は専用の座椅子にふんぞり返って相変わらず元気だった。なかなか顔を出さない甥の為に好物の甘エビを振る舞ってくれた。唐突に、おふくろの墓を宮崎の本家に異動させてはどうかと打診された。「子供のいない」私たちが世を去った後、誰がおふくろの墓守りをしてくれるのかを心配しているようだ。叔母の意向ということだが諸般の事情を含んでの発言でもあるのだろう。「叔母とおふくろ、叔父とおふくろ」は兄妹仲が殊の外良かった。残された余生を測るにつれ兄妹として辛い時代を共に過ごした時間に思いを馳せ居ても立ってもいられない心境なのだろう。仲の良さを知っているだけに心情として判る部分が多い。流石に即断は出来なかったなあ。後顧に憂いを残さないように、先々の事も勘考し、じっくりと思案しなくてはならない問題だろう。



2003年1月1日 交響曲第九番合唱付
0900起床。朝風呂で沐浴した後、年賀の辛口の屠蘇(八海山)を飲み干した。たちまち酔っぱらって布団の中で1200まで寝正月。「小原正助さん」を地で行ってしまった。笑。午後から木蓮の実家に年賀に出向き1500帰宅してから恒例の「第九」を聴きながら一年の計を練った。 一日一日の積み重ねを大事にして「余生Active Plan」を実行に移さなくてはいけない。walkingをベースしたトレーニングの継続により健康管理に留意し後半の再就職活動へ向けて万全の体制を取る。併行して冬山、登山の基礎学習を果たす。過去6年の生活で寸断された友誼を回復する動きを加速させる事。

以下の項目を2003年の計画として設定する。
テーマは「心身の健康管理」

[1]『Walking』
------------------------------------------------
●2002年に引き続きWalkingを基にした年間プログラムを強い意思をもって実行する。

[2]『Family』
------------------------------------------------
●3月末までに小さな仏壇を揃えて遺影を安置する。
●友誼を回復する活動を丁寧に行うこととする。
●必要とされること全てに対応する。

[3]『Reading』
------------------------------------------------
●古今の山岳書、同人誌、雑誌「山と渓谷」「岳人」を精読する。
●浅田次郎、宮本 輝、三浦綾子、太宰 治その他
●歴史に関する書物を読む

[4]『Works』
------------------------------------------------
●再就職活動を促進し8月末までに再就職を果たす。

[5]『imac』
------------------------------------------------
●HP及びMLの充実に務める。

[6]『Mountain』
------------------------------------------------
●四季(春夏秋冬)を通じて奥多摩・丹沢に遊ぶ。
●北・南アルプス縦走。
●冬山へ挑戦する。
●山岳会に所属する。

[7]『outdoor』
------------------------------------------------
●北海道並びに九州キャンプの企画を検討する。
●四季を通じた遊びを企画検討する。



Copyright(c) 2001-2003, 青島原人&木蓮 All Rights Reserved
inserted by FC2 system