山ダイアリー
2003年3月 

2003年3月31日 津田沼にて
ここ習志野で暮らすようになって早くも1年過ぎた。実に慌ただしい日々ではなかったか。厳しい冬にようやく別れを告げ、若葉生い茂る爆発の4月が明日から始まる。これから、まだこれからだぞ、青島君!あは。
HR総研S氏から離任挨拶の電話があった。年度末をもって新しい環境に臨む仲間の胸中やいかに。私も身体のデータ(HbA1C7.0以下)が整わないとエントリーできない。この半年、必ずしも納得できるデータではなかった。原因は様々にあるのだが当面「運動療法」と「食事療法」以外に術がない。油脂類、卵を極力避けて野菜中心の食生活を摂ること。(既に実行済みなのだが)食べていけないものは何もないのだが摂りすぎが良くないという原則に従う事。明らかに煙草は身体に良くないので一日3本以内に押さえるようにしようと思う。30年間身体に染み付いたニコチンを抜くのは容易ではない。百害あって一利なしと判ってはいるのだがなあ〜。
気温18度、汗ばむ一日を津田沼で過ごした。私は山岳関連の新書版3冊、CD。木蓮はガーデニング関連の書籍と春の帽子をゲット。二人揃って茶店「ドトールコーヒー」に入るのも久しぶりのこと。


2003年3月30日 冬山登山教室閉講
修了証書

青島原人殿

あなたは神奈川県山岳連盟の主催する冬山登山教室(中級)を受講され基礎家庭を修了されました。
今後の登山活動に、その成果を発揮されることを期待します。

平成15年3月30日
神奈川県山岳連盟  会長 山本 芳夫


2003年3月29日 図書館往来
花冷えの一日だった。図書館で面白い本「自然探索ノート」を見つけてきた。啓蒙とは蒙を啓くの意。なぜコバルトブルーの可憐な花は「オオイヌノフグリ」と名付けられたか。その訳は「かくかくしかじか」と述べてある。こういう視点で山を眺めるのが「山学」ということだろう。地誌、歴史、人文、植物、動物に及ぶ認識の展開がなければただただ空しいではないか。小泉武栄著「日本の山はなぜ美しい」「山の自然学」「登山の始まり」田口二郎著「東西登山史考」を精読しつつある。


2003年3月28日 桜、、、。
桜の芽がゴムまりのように膨らんできた。もうすぐ、、もうすぐでプッツンと咲くぞ。入れ替わるように、春に先駆けて咲いていた白モクレン、こぶしが散ってゆく。自然界も忙しいことだなあ。
散歩の帰り道、サンドイッチ屋店頭に、なかなか遭遇できない貴重な「パンの耳」がふたつ並んでいた。合計@60円でゲットした。その一つを木蓮の実家に届けたら驚いていた。「パンの耳」はじっくり焼いてバター、ジャムをつけて食べると実に美味い。但し、くれぐれも食べ過ぎは身体に悪い!笑。


2003年3月27日 内科往来
13日採取したデータ結果。総コレストロール値が高い。血糖値は正常。ヘモグロビン値A1Cは7.6と目標値に遙かに及ばない。しかも前回1月より悪くなっている。一言で言えば「食べ過ぎ」との指摘であった。う〜む、確かにその傾向はあったかもしれん。油断だな。常備薬として「風邪薬 胃腸薬 痛み止め 抗生物質」を処方して貰う。


2003年3月26日 WALKING
久しぶりに20000歩歩いた。


2003年3月25日 Cheuni
「トーキョー」、東京、とうきょう、トウキョウ、Tokyo.TOKYOではなくて「トーキョー」気負わず、気取らず、飾らず、多少無機質で乾いた響きと、文字の印象が”今”を感じさせる。トーキョーは地方人と異邦人が雑多に集まった街で、チエウニもそこに住むひとり。そこで生きている一人の女性として、誰にも共通する日々の感傷や、せつなさ、恋愛、憧憬などの想いを、シンプルな感性で描いた作品群が、チエウニの「歌の世界」になったと思います。彼女の歌声から普遍的な気持ちを感じていただけたなら嬉しい限りです。(プロデューサー 松下章一)
一度聴いて心に残っていた歌手だったのでレンタルしてきた。お座敷用にド演歌「五木ひろし」のCDも併せてレンタルしてきたら、木蓮が「五木ね〜」と冷ややかな視線を投げかけるのであった。むむっ。


2003年3月24日 「惑星と田園」
歩きのついでにレンタルショップに寄り「惑星」とワルター「田園」を一泊二日で借りて来た。G4「iMac」を所有する親爺さん家でCDを焼くことにする。 浅田次郎著「霞町物語」を読む。短編集、今更ながらの文才に唸ってしまった。快刀乱麻とは、この作家の為にある言葉ではないか。


2003年3月23日 春の足跡が
Good Luck!!最終回、予想通りの展開だった。柴咲コウは目線の強さがいい。ますますこれからいい女になるだろう。木村拓哉、情感のある演技見せて貰った。堤真一、なかなか渋いじゃないか。「武蔵」の「又やん」とはエライ違いだけど精悍な役柄がピタリ嵌っていた。黒木さま、あんたはんはほんまにええ女やと思います。長介さん、おれもあんたのような親爺になりたかった。


2003年3月22日 トレーニング再開
肌寒い一日。谷川岳以来のトレーニングをようやく再開する。交響曲第6番 ヘ長調作品68「田園」を聴きながら公園を歩いた。伸びやかな自然讃歌と豊かに歌う管弦楽の響きを堪能した。ながらくワルターの音に馴らされていたのだがハンス・シュミットの指揮も素晴らしい。いろんな音を聴きたくなった。
ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮・ウイーンフィルハーモニー管弦楽団 1967年4月録音


2003年3月21日 彼岸
木蓮と公園散歩に出る。団地内には「ヒュウガミズキ」「ヒイラギナンテン」「椿」「沈丁花」。公園では「ホトケノザ」「梅」「オオイヌノフグリ」が日溜まりに小さな花を咲かせていた。団地、公園に咲く季節の花々をカメラに収め、それをHPに上げるという遠大な計画らしい。(まあ好きにやって下さいませ)桜の芽も少し顔を出していた。明後日あたりから最低温度が劇的に上がるらしく、それにつれて桜も一気に芽吹き始める、、のだろうか(ホントかいな、そうかいな)


2003年3月20日 新宿・角筈にて
狙い済ました一発のミサイルが未明の首都を襲った。橙色の閃光が走り大地を揺るがす轟音が轟いた。戦端が遂に開かれた。旗幟を鮮明にする国と、そうでない国と、それぞれの苦渋を包含しながら20日という日を迎えた。毀誉褒貶の声が世界中に満ちようと米国の意志は揺るがない。フセイン一族はともかく、無辜の民が巻き込まれる悲惨が再び繰り返される事に胸が痛む。せめてもの鎮魂に、哀切なメロディを奏でるブラームス・ヴァイオリン協奏曲を何度も聴いた。

年度末、昔の仲間が一同に揃い半年ぶりに飲み会。退職する者3名、既に退職した者2名、残る者3名、合計8名で楽しい時間を過ごした。後輩のNは司法試験を目指す理由で退職を選んだ。それぞれが選び出した前途の幸いを祝して「乾杯!」をした。新宿・角筈は人、人の海だった。津田沼から新京成に乗ろうとしたが既に最終を過ぎていた。TAX乗車口に並ぶ夥しい人々。巷は明日から三連休。

外秩父七峰縦走ハイキング(42.195km)参加証が届いた。昨年は「雨、泥濘の田原坂」だった。捲土重来を期してTさんと再びチャレンジ!天候さえ良ければ今年は完歩できるだろう。但し、雨が降らなければの話し。雨が降ったらたちまち泥濘の山道となって転び回る羽目になる。レインウエア、ヘッドランプ必携。

171-0021東京都豊島区西池袋1-15-2東武鉄道株式会社 東上業務部営業課
外秩父七峰縦走ハイキング大会事務局 03-3985-4179
 エントリ-No.5459 開催日 4月20日(日)雨天決行


2003年3月19日 職安と例会
午前中は職安詣。午後は山岳会例会に出席し正式に山岳会加入(4/1付)を決めてきた。併せて山岳保険に加入申し込みを行い@5000円を支払った。


2003年3月18日 風雲急を告げて
ブッシュ大統領演説を注意深く聴いた。最後通告をした以上、あらゆる手段を使って戦いに臨む。25万人の部隊を自在に動かすプラン策定、武器弾薬、食糧調達等と、実に緻密な作戦を十重二十重に巡らせて対応する危機管理能力は卓越している。唯一の誤算は「錦の御旗」を立てることができなかった事に尽きる。小泉首相が「米国支持」を表明したのは当然のことだ。あれ以外に日本の選択肢のあろうはずがない。戦争か平和かを訪ねられたら誰だって「平和」と答える。利なくして戦争を仕掛ける事はない。米国の利は「テロの脅威」を払拭するという一点だけ。「48時間以内に亡命をせよ!さもなくばこちらの都合で戦端を開く」と是非もない。領土、ニューヨークの摩天楼をテロによって侵略された国家の怒りは凄まじいばかりだ。イラクは本気でアメリカを怒らせた。そうこうしながら神経を尖らせ戦々恐々しながら推移を見守り、ミサイル試射のタイミングを計る姑息な国がある事に留意しなくてならない。弾道弾を迎撃破壊する能力を持たない国家は、ただただアメリカに縋るだけだ。

従姉妹の娘の高校合格を知らせるメールが届いた。学校に行けない、行かないと心配していた両親、叔母の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。その子供なりの成長リズムがあるのだから急いてはいけないとアドバイスしていた。何より一番苦しかったのは当人だろう。これを契機にして「自信」を持ってくれればいいさ。お祝いは図書券がいいだろう。



2003年3月17日 登山記録
11時近く覚醒する。昨日は珍しく鼾をかいて寝ていたそうだ。充実した冬山を経験でき満足して熟睡した。 木蓮の実家で谷川岳記録のメモを整理。記憶を時系列に並べていく作業が丹念にできれば、後は一気呵成。前回と違って写真を撮影する余裕もあったから組み立てがしやすい。記録を書き上げるまで山行は続いている。


2003年3月16日 谷川岳山頂
快晴の空の下、アイゼンを軋ませて山頂に向かう。肩の小屋、その半分が雪に埋もれていた。指標は風雪により「エビの尻尾」と化していた。夏ならばニッコーキスゲが群生している付近も積雪でたおやかなカーブを描く丘になっていた。山頂からの景色、春霞の薄いベールに包まれてはいたが四隣の山々、連なる上越山群が視界に明瞭だった。ナイフリッジの万太郎尾根は素人の手に負える稜線ではない。進むことも戻ることもできない雪庇ばかりが延々と続いている。あの角度では滑落停止のピッケルも効かないだろうと講師が語っていた。
何故、赤い布を巻いた竹棒を持参するのか、ようやくその意味を理解できた。「快晴」というのも「訓練」という次元から眺めてみると決して良いことばかりではないだろう。「もっと悪い条件下でも良かったのではないか」講師の言葉は納得できた。


2003年3月15日 雪山生活技術
斜面にて穴堀作業に汗を流すこと、雪山における具体的な生活技術が今回のテーマ。いかに短時間で穴を掘り、水を作り、食べ、寝るかという生活技術の極意を学んだ。狭い空間における身の処し方はどうあるべきかを精緻に学ぶことができた。詳細は登山記録に書き込むことにする。


2003年3月14日 谷川岳冬山訓練 0314〜16
入山
水上駅:最終電車2350集合 改札口付近にてビバーク訓練
第二日

0630 朝食、各自で用意
0700 出発 水上駅から谷川岳ロープウエイ駅までタクシー分乗。
0830 到着 天神平 点呼、装備等点検
0900 登山開始 ラッセル訓練しながら天神尾根を目指す。
1100 昼食(各自で用意)天神尾根、熊穴沢小屋付近で昼食
1130 雪洞構築(3H)
1400 雪洞構築終了 各班毎に休息、夕食準備
1600 夕食(各班で用意)
1900 就寝
第三日

0400 起床
0500 朝食(各自で用意、昨夜の残りで対応)
0600 出発 登山開始、各班毎に谷川岳山頂を目指す。
0830 山頂到着予定
1030 雪洞地点へ帰着、休息、昼食
1130 下山開始
1400 ロープウエイ駅解散



2003年3月13日 内科往来
採血と薬。データ勝負だから問診は1分とかからない。私の病気はあくまで自己管理で完結する。食事と運動ふたつを淡々とやるだけ。
明日から山に向かう罪滅ぼし、京成バラ園に木蓮を連れて行った。明日14日は巷ではホワイトデー。そういえば2月14日にチョコレートを確かに貰った。かくして元気のいいバラ苗(@2800円)が狭いベランダに並ぶことになった。


2003年3月12日 谷川岳
谷川岳冬山訓練が14日から始まる。午後から重い腰をあげて支度に取りかかった。持参するリストに基づいてモノを畳の上に並べ、リストに赤丸をしながら確認作業を丹念にやった。共同装備で持参するモノは「しゃもじ、おたま、バーナー、ガス玉1個、ツエルト」の5品だけ。4人でじゃんけんで決めた。標識の竹竿、ザイル、炊事道具(大型コッヘル一式)、スコップを個人持参となると相当な重さと嵩になる。交通経路を調べたら水上駅まで3時間半で到着することが判った。食料は朝2昼1・それと行動食2日分だけ。水は現地の雪を溶かして作るからテルモス分だけあればいい。少量の酒、つまみも持参するのが仁義というものだろう。午後2時から就寝時刻の7時まで延々6時間を雪洞で過ごす訳だから素面で過ごすのはちょっとしんどいだろう。


2003年3月11日 iTUNES
義父のマック、初期不良の為にドック入り。9日午後に指定業者が集荷に来た。1週間はかかると思われたのだが本日午後1時に戻ってきた。さっそく専任講師に電話が入り「使える状態にしてくれ!」との要請が出た。心臓部のロジックボード交換、スピーカー交換、システム入れ替えとなって戻ってきたので手も足も出ないらしい。どうやら義父はマックに相当ご執心のようで、ことさらに「iTUNES」がお気に入りの様子だ。これが素晴らしいソフトで、その気になれば一日中モーツアルト漬ということが可能になる優れもの。私に代わって木蓮が鋭意研究中だから、その成果を実感できる日も近いだろう。義父の血を引いた木蓮の「こだわり」の凄いところは必ず結果を出すということに尽きる。軟弱な私の遠く及ぶところではない。もし私が木蓮と同じ資質であったなら、多分夥しい血の雨が降っているだろう。決してそうはならないところに天の配置の妙があるというもの。
定番のソフトプログラムをインストールし、私が使ってる「GOOD LUCK」の壁紙を提供したところエラク気に入ってくれた。目論見通り「パソコン暮らし」に邁進しているようで、まずは祝着至極。講師料は義母心つくしの「夕食」。早春野菜の味噌合えを惣菜にお替わり2杯。年金暮らしの家庭に負担をかけては心が痛むので、好物の餅をひとふくろ持参する殊勝な心がけの青島であった。(もっともその半分位は私が食べる為あるようなものなのだが。笑。)
税務署より封書。不動産取得税の徴収を知らせる内容だった。築30年を経た建造物であっても土地占有面積が広いせいで課税評価額が予想以上に高いので驚いた。税務官は仮借なく税を取り立てるのが職責、財務省は新税を創設するのが職責、国会議員(にかぎらず議員と名の付く人間)は私利私欲、名誉、権勢に走るのが職責とでも言うのだろうか。
イラクをめぐって世情騒然としているのだが、戦後50年を経ても尚、日本は生活、文化、あらゆる面で米国の占領下にあることを国民の多くが知るや知らずやである。覇権主義的米国手法に世界がノーを突きつけるのは当然の事だ。国家利益の名の下に各の利害が交差して収拾がつかなくなっている。イラク騒動の隙間を狙って北朝鮮が漁夫の利を得ようと策動する。日本政府は「慎重に周囲の状況を見極めて対応しなくては」と寝ぼけた事を言っている。この期に及んでもまだ権勢を誇示しようと動く元首相経験者その他大勢は何なのだろう。


2003年3月10日 ランニング開始!
本日よりランニングを取り入れたトレーニングに移行。ほぼ40日という時間をひたすらWALKINGだけに費やし、激しい筋肉トレーニングも控えてきた。まず団地一周を始めの一歩とした。時間にすればわずか10分ほどだがWALKINGの成果を実感できるレベルであった。月 水 金はランニング、 火 木は歩き主体にして構成する。筋肉トレは基本のメニューを踏襲することとする。

「星と嵐」メーリングリストを閉鎖。


2003年3月9日 陽が落ちるまで
1600から1800まで公園を歩いて14000歩。西の空が茜色に染まる頃にようやく家路に着いた。
帰路、100円shopならぬ99円shopに立ち寄りカロリー表を眺めながら食材を買い込んだ。最近になって漸く「カロリーの持つ意味」が理解できてきた。油を使った料理(菓子類も含めて)のカロリーの多さに驚く。糖分、脂質、炭水化物、たんぱく質をいかにバランス良く摂取するかが重要なのだと今更ながらに知った次第。食事に関しては「野菜を中心にした昔ながら」が一番いいのだと納得した。食べていけないものは何ひとつないのだが「量」がいけないのだ。バター、糖分、卵がふんだんに練り込められているケーキ1個は400カロリーあると言う。そのカロリーを消費する為に延々4時間歩き続けなくてはならない。ケーキ1個、4時間という方程式を頭と身体に刷り込むまでに随分と時間がかかったなあ。私の場合、まずカロリー計算ありきなのだ。ああ、焼き肉腹いっぱい食べたいな〜。笑。(ここ1年半ほど焼き肉をお腹いっぱい食べた覚えがない。)どうやら自ら台所に立ち料理に携わる技術を身につけておかなくてはならないようだ。せっかくだからアウトドア用の調理器具を活用して料理の達人になってやるか!


2003年3月8日 四国遍路
桜の咲く頃に八十八カ所遍路の旅に出たい。生活道具いっさいを背負って歩き旅に出たい。



2003年3月7日 私利私欲の政治家
またしても国会議員逮捕のニュース。かって金権政治を批判して当選した議員というだけに笑止千万の珍事というべきだろう。ただただ呆れた。氷山の一角、多かれ少なかれ拗ねに傷を持つ政治家ばかりではないのか。政治不信を叫ぶ声がただただ空しい。「清廉潔白」を口にする輩ほど実は危ういという定理に従い、検察はびしびし「補導」するべきだ。永田町は相も変わらず魑魅魍魎の巣窟。かくして無党派は増える一方。
「医師会が反対しているから健康保険料3割負担を凍結せよ」などと選挙目当ての策動に狂奔する姿など見たくはない。亀井代議士に至っては「50兆円の国債発行」により未曾有の危機を乗り越えようとノー天気なことをほざく。国家予算に匹敵する補正予算のつけは誰が負うというのか。
少なくとも小泉首相は四面楚歌という状況下で「何とかしよう」としていると認める。支持率などに右顧左眄しないで頑張って貰いたいものだ。幕末から明治にかけて国事に東奔西走した志士たちの多くは天寿を全うすることなく死んでいった。私利私欲の妄想、心の汚濁、一片たりともありはしなかった。
長州の吉田松陰が死に臨んで詠んだ歌は次のようなものだった。「親思うこころに勝る親心 今日の訪れ何と聞くらむ」

NHK-FMから録音
フランス・ブリュッヘン指揮/18世紀オーケストラ演奏会
「交響曲 第9番 ニ短調 作品125“合唱つき”」
ベートーベン作曲
(ソプラノ)レベッカ・ナッシュ
(アルト)ウィルケ・テ・ブルメルストルーテ
(テノール)ティモシー・ロビンソン
(バス)ニール・デイヴィス
(合唱)グルベンキアン合唱団
(管弦楽)18世紀オーケストラ
(指揮)フランス・ブリュッヘン


2003年3月6日 啓蟄
午後から薬園台公園経由で散歩。葉を落とした木々が緑の衣装をまとうまであと僅か。手を伸ばし足を伸ばし「俺を呼んだか〜」と欠伸をしながら起き出す虫が、あちらこちらに。


2003年3月5日 ブラームス
バイオリン協奏曲二長調を清聴。NHK FM「田園」を録音し損なった。残念!


2003年3月4日 宿命
今まで避けていた宮本 輝 畢生の大作「流転の海」「地の星」「血脈の火」「天の夜曲」を腰を据えて読み始める。テーマは「父と子」とあるが、基軸に書き込まれているのは明滅光芒織りなし、時代の狭間に泡沫のように翻弄されていく人間の悲しい宿命に他ならない。人間を描く作者の眼差し、目を凝らして読まないと本質を見逃してしまう。


2003年3月3日 雨の九段下
午後から久しぶりに九段下に向かう。担当・千田氏とミーティングを行い、とりあえず「様子見」ということでエントリーを決めてきた。面接となるとスーツを着なくてはいけないし靴も履かなくてはならない。正直いささか億劫なことだ。まだまだ就職する気持ちはないのだが、わざわざ電話をいただいた気持ちに応えなくては悪いし「面接」という状況に身を置くことも「失業人」としての自覚の覚醒に繋がるだろう。
神保町古書界隈を冷やかすつもりが生憎の雨だったのでトンボ帰りしてきた。ここ数日というもの激しい風と雨が交互に来て天候不順、それに倣って生活のリズムも乱れがち。夜中に覚醒して昼頃まで寝たりしている。テーマ、目標がないからこういうことになってしまうのだろう。やっぱり、こりゃまずいや。


2003年3月2日 春一番!
低気圧通過による疾風吹き荒れた一日。「武蔵」「007」「GOOD LUCK」とテレビ三本立て。宮本 輝「人間の幸福」を読了。


2003年3月1日 春の雨
「午後から雨が降ってくる!」と木蓮に尻叩かれて午前中からMD WALKMANをお供にWALKINGに出た。なんでもかんでも聴いている。雑学ならぬ雑音という訳だ。モーツアルトから演歌まで何でもござれ。演歌なら川中美幸がお気に入り。抒情的な歌を歌わせたら右に出るものいないのではないか。ラジオで流れていたラテンの音楽についてNHKに問い合わせたが未だに返事が来ない。
確定申告を国税庁ネットで作成したが稼働したばかりで印刷がお話にならないくらいダメ。延々2時間の無駄、諦めて手書きにすることにした。還付金とらぬ狸の皮算用。びったし車検代に相当するようだ。う〜む。
秩父七峰縦走ハイキングの申し込み処理を行う。受付てくれるかいささか不安。(申し込みのタイミングが微妙だ)

昨日、再就職支援会社から電話あり、エントリーしてみたらどうでしょうと誘い水。好球必打のスタンスでいいのだがまったく違う分野と言うのもなあ。こういう時代だから腕一本で稼げ自己実現が可能な仕事をすべきだろう。人生を下りた訳ではないのだから、その気になればかなりの事ができるはず。Activeな発想でなければ面白くない。くたびれたオジサンにはなったら子供たちの失笑を買うだろうし。まだまだいかせていただきます。笑。



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