山ダイアリー
2003年4月 

2002年4月30日 雨の匂い
明け方から強風となる。膨らみ始めた薔薇の枝が折れたと消沈する木蓮であった。薔薇の鉢植えを室内に移動させ右往左往していた。午後、ようやく雨が止んだのを見計らって散歩に出た。雨の匂いが町に立ちこめていた。今日で4月も終わり、明日からは緑萌える初夏の5月だ。


2002年4月29日 みどりの日
早朝0500に起床した木蓮は、なかば眠りながら「おむすび」を握ったと言うことだ。その仕草がなんとも言えず可愛らしいので思わず笑ってしまった。 0700北習志野駅ホームにて待ち合わせ。津田沼からの始発で新宿に向かう。京王線で高尾山口に0944到着。予想通り、銀座並の混雑ぶり。お寿司の弁当を揃えて、ゆっくり歩き始めた。義父は関東に住んでいながら根っからの車人間であった為に、義母もまた山登りなどしたことがないということだった。 登山道の入り口に「東海自然歩道」の石碑が建てられていた。ここを基点に11都道府県、全長1100Kmに及ぶ道が整備されている。1号路を山頂目指して、ゆっくりゆっくり登り始めた。すでにスミレの季節は終わり、うす紫の「シャガ」が咲き乱れていた。「息を吐いて、歩幅は肩幅よりも小さく」と指示しながら最後尾を歩いた。路傍の草花の名前を教える役は「木蓮博士」。初夏の装いに染まる高尾山を愛でながら歩いた。1200、標高599mの三角点に触れた。夥しい人の群れを掻き分け、大きなモミジの木の下に素早くブルーシートを広げる場所を確保した。持参の「おむすび」は大評判で義母から「絶賛」されていた。8個のおむすびはあっという間になくなった。お菓子と夏みかん、野点には緑茶と珈琲。モミジの花がハラハラ落下して器に入ってきた。それもまた風情というものだろう。ケーブルカーを使って楽々下山をした。


2002年4月28日 木蓮、その気になる
転勤、引っ越し、退職、引っ越し騒動で明け暮れた昨年、加速したガーデニングのお世話などで山から遠ざかっていた木蓮が、ようやく重い腰をあげて山に行くと言い始めた。「おお!」と私は嬉しく思ったのだが、いきなりは難しいのではないかと危惧した。お気に入りの六ツ石から水根沢はまだまだ緑一色には早い。それなら予てから両親を連れていきたいと言っていた高尾山はどうだろうと提案したところ「そうしよう、そうしよう」と言うことになった。 時刻表を調べてたちどころに計画書を作り送信する手回しの良さ。明日は早朝に起きて「おむすび」を作るのだという。


2002年4月27日 「歩こう会」
「歩く会」に飛び入り参加。門前仲町〜永代橋〜東京駅〜パレスホテル〜皇居外苑〜二重橋〜桜田門〜警視庁〜財務省〜首相官邸〜TBS放送〜氷川神社〜浜松町〜三田〜泉岳寺〜品川神社まで、おおよそ18kmを歩いた。参加者は、いずれも高齢の爺さま婆さまであったが、その健脚ぶりに舌を巻いた。私とタメを張って頑張ったのは関東大震災を経験したという80歳の爺さまであった。記念撮影を、こちらからお願いした次第。恐るべし「歩こう会」、聞けば月の半分の行事に参加しているという。歩くことが、歩き続けることが、健康の、若さの秘密であると納得した一日であった。


2002年4月26日 星と嵐MLを再開。
培った友誼を懐かしんで投稿してくれる人たちの思いを大事にしなくてはならない。新しいコンセプトを創設して再びMLを立ち上げた。カテゴリーは「コミュニケーション」に設置した。「natureへの畏敬と憧れ・人間讃歌」を主題においた。敢えて門戸を開き、認可制度を採用するのを止めた。いち早く、ちーすけさんから加入申し込みに接した。実にありがたいことである。敢えて招待状は送らないスタンスでいくとしよう。

monoを再構築し、原稿を認めた。かれこれ1年経過しているのだが諸般の事情で充実させることができなかった。あまりにも多忙すぎたのだ。木蓮も自分の部屋の充実に余念がない。花、花と毎日跳ねている。この数年の苦労を慰労しているのだろう。


2002年4月25日 九段下
久しぶりに九段下に出向く。新しい担当者に挨拶をして、こちら側のスタンスを正確に伝えた。街に出て働く人の姿に触れることが大事なのだ。とはいえ、風向きは依然として厳しい。


2002年4月24日 登山学校打ち合わせ
谷川岳へ向けての打ち合わせが津田沼であった。2班のリーダー、食糧、会計、記録係を決めた。食糧計画について詳細なペーパーが配布された。実に細やかに書き込まれている。女性ならではという以上に、場数を踏んでいるという印象を受けた。年齢60歳とは到底思えぬ進取の気風に溢れている。山は人を元気にしてくれるということだ。雨の為、トレーニング休み。


2002年4月23日 トレーニング再開
そろそろいいだろうと判断しトレーニングを再開した。ストレートに走る時間を伸ばすことがポイント。痛みが和らぐにつれて山に向かう気持ちが増してくる。


2002年4月22日 若葉繁れる
ようやく痛みが緩んできた。花冷えの午後、木蓮と図書館詣に出向いた。「山」原著ローラス・ミルン、訳者村内必典という面白い本を見つけてきた。 1:地球と高地 2:山の一生 3:火山 4:植物・風・氷 5:山の動物 6:高山の住人 7:山の魅惑。


2002年4月21日 静養
筋肉の炎症により動作がぎこちない。累計26Kmを歩き通した余韻を味わう。地図を眺めてコースを何度も反芻した。せめて後30分早ければと愚痴言う一日だった。やるだけの事はやったという満足感に満たされて幸せを感じた。


2002年4月20日 外秩父七峰縦走ハイキング
0300起床。義父の車で津田沼に送って貰う。0427始発にて秋葉原〜池袋〜東武東上線で0646小川町到着。受付を済ませ即座に歩き始めた。天候なんとか持つ気配。和紙センターでレインウエアに着替える。定峰峠にてタイムオーバーとなり強制下山。せめてあと30分早ければ次のステップに移れたものを。和紙センター、昼食時間を取ったことがかえすがえすも残念。歩き方のリズムは掴んだ。来年再度チャレンジ。駅階段、自宅の階段が上がれなかった。


2002年4月19日 前夜
明日に備えて2000就寝する。


2002年4月18日 サラリーマン川柳
心拍数120以下、継続して60分走ることができれば何とかなるのではないか。今日はそういう走りをしてきた。限りなくスローペースなのだがストレートで40分以上走ることができた。

今日の新聞に面白いことが載っていた。以下引用。
【タバコより体に悪い妻のグチ 人気サラリーマン川柳発表】
「タバコより 体に悪い 妻のグチ」(−小心亭主−)−。
第一生命保険は18日、「100選」(2月発表)の人気投票結果を発表、妻の不平を聞かされ肩身の狭い夫の心情を詠んだ句が1位となった。

6位は「いやし系 うちにいるのは いあつ系」(ますお)、
9位に「本物の ビール買ったら 妻 激怒」(発泡美人)、
10位は「『オーイお茶』次の言葉は『入ったぞ』」(調味料)
と、上位10句のうち4つが、妻に頭が上がらない夫を描いた作品だった。

2位は「やめてやる 3億当たれば 言ってやる!」(小心者)、
3位も「ついに来た 俺も週休 7日制」(山川 草木)
と、リストラにあえぐサラリーマンの姿を映す作品。父親の“悲哀”を笑う句が共感を呼んだのか、 4位も「髪型は 息子ベッカム 父ジダン」(P・K)
だった。(共同通信)


2002年4月17日 例会参加
4/1付けで所属した山岳会例会に出席した。夫婦で見学会参加があった。鹿島槍ヶ岳で遭難死した人たちの報告があった。以前に所属していた人とのことで現地での葬儀にも顔を出したそうだ。表層雪崩に端を発して400m流されてしまったとの事。現地で直ちに荼毘に付したのは形止めぬ惨状であった理由による。「遺品をみなさんで分けてください」との父君の言葉があり、使用していたカラビナ類が配布された。擦り傷だらけのカラビナの主は、もうこの世にはいないのだなと思うと複雑な気持ちになった。「北大入学以来、長男とは顔を合わせていないので以降の生活がよく判らないのです。息子の生き様はどうだったのか、ご存じの方がいらっしゃいましたらメールをお寄せ下さい」との言葉であった。


2002年4月16日 職安詣
月に一度の職安詣。外秩父七峰縦走ハイキングの地図を精読する。42.195km、昨年のリベンジを果たさなくては。共に出るTさんから「やる気十分」のメールが届いた。やっぱ半端な距離じゃないぞ。


2002年4月15日 桜絨毯
しっとりと降る雨。図書館往来。桜の花びらで覆われた公園を散歩。


2002年4月14日 装備メンテナンス
テント、シュラフ、シュラフカバー、その他こまごまとしたものを天日干し。登山学校の報告書もあげなくちゃいけないし、あれも書かなくちゃいけなしいし。


2002年4月13日 高宕山ハイキング
0600起床。ただちに指揮を執り朝食の支度に取りかかる。0800から0930まで「地形図」の講義。コンパスを使う実技が実に面白かった。


2002年4月12日 登山学校開校
0500起床し、登山学校開校式参加の為に再び房総に向かった。総勢18名の生徒を取り囲む千葉県山岳連盟各山岳会派遣のスタッフ18名。狭い会場は熱気に溢れていた。配布された名簿を一瞥する。予想した通り40代〜60代までの年代が多い。驚いた事に大半(2/3)が女性であった。「運動生理学」「装備品」についての講義が1600まで。ロッジに移動し班別(4人〜5人単位)に別れ夕食の支度に取りかかった。2班に編制された私が「じゃんけんぽん」でリーダーの役目を仰せつかった。料理から明日のハイキングまで俄リーダーとして振る舞うことになった。総勢36名近くが自炊場に集結し配膳された道具と食材を使って一斉に食事の支度に及んだ。戦争状態というべきだろう。


2002年4月11日 脱兎のごとく
零時を回っても寝付けなかった。里心が猛然と芽生え、ついに撤収を決意した。撤収を20分で終え、ただちに家に向かった。0200家に到着。木蓮が寝ぼけ眼でドアを開け「もう帰ってきたの!」と呆れ顔だった。「いやとても寒くて寝ていられなくて」と言葉少なに言い訳をした。やっぱりちょっと情けなかった。あは。 後輩Nから届いた挨拶状。

「拝啓、新緑の候、ますますご清栄のことと存じます。
さて私事、3月31日をもって○○○○会社を退職いたしました。在社6年、短い間でしたが、あたたかいお励まし、ご指導をいただきましたことを厚くお礼申し上げます。
退社後は、故郷にて資格取得に向け勉学に専念する予定です。険しい道のりであることは十分承知のうえ、精一杯努力し必ずや目標を達成する決意です。今後とも、いっそうのご指導ご鞭撻をお願いいたします。略儀ながら書中にてご挨拶申し上げます。平成15年4月」
Nは最難関と言われる司法試験を目指して新しい生活に入った。男子三日会わざれば刮目すべし!という。心から声援を送りたいものだ。


2002年4月10日 デイキャンプ
10日午後9時家を出て房総に向かった。京葉高速、館山道を経て木更津南ICで下車。里山風景を眺めながら清和県民の森に1200到着。さっそくテントを張って寛いだ。施設利用は私一人の貸し切り状態。暖かな陽だまり、静かな雑木林は春の匂いに溢れ、鶯の鳴き声が木霊していた。木蓮特性のおにぎりを食べ、野点の珈琲を楽しんだ。テントにゴロリ横たわり自然に溶け込みながら微睡む一時を過ごした。葉の擦れ合う音、風のささやき、梢の吐息までもが聞こえてくる。管理人が時々様子を見に自動車でやってくる他に人の気配なし。やがて陽が落ち黄昏の時刻となった。骨董品optimus00を取り出し十分な余熱の後に点火。心地良い燃焼音が響き渡っていった。


2002年4月9日 友誼とは
昨日の花散らしの風で路上が鮮やかな桜絨毯になっていた。午後から車の請け出しに蕨まで出向く。4回目の車検で153000円。固定資産税納付書、不動産取得税通知書、自動車税納付書と税金でお金が飛んで行く。何かとお金が、まるで羽根があるかのように飛んで行くではないか。「お足」とは言い得て妙というべきか。

変転有為というけれど、いわゆるマルチ講まがいの商法に乗せられた友人の挙動に胸が痛む。決して「具体的な事」は言わないという指示が出ているらしく、肝心の点は「曖昧」にしたまま「会場に連れて来るように」あの手この手の奇策を捻り出しているらしい。その会場では「数百万のお金が舞い、成功者のサクセスストリー」が語られる異様な仕組みになっている。(当然の事ながら全て茶番なのだが)「素晴らしい人に会いました。あなたも是非会ってみませんか」どうもここらあたりの表現からして胡散臭い。情誼に乗せられて行こうものなら、ただちにその段階で培った友誼はご破算になりかねない。利が絡めば人間関係は崩壊するのが定理。やむなく足を運んだ知人の話しでは100万円もする高価な浄水器が主人公らしい。わずかの期間で「数十万の報酬を得ることが可能」という触れ込みだが、そんなうまい話しは眉唾で聞くべきだ。第一、額に汗して黙々と働いている人たちに申し訳ないではないか。足を運んだ件の知人は額に汗を流して頑張る仕事を選んだ。相当追いつめられているらしく思い当たる人間すべてにアクセスしている気配だ。(会員集めに苦労している)「お久しぶり、お変わりないですか」の電話から始まる攻勢に耳を貸してはいけない。ほのぼのとした友誼が灰燼に帰すことになる。当事者が目を覚ました時は「にっちもさっちもいかない」という事態が多いのだが、くれぐれも耳を貸さない事が友誼の証なのだと心得ておけばいい。早く目を覚ましてくれればいいのだが。浜の真砂は尽きるとも、この手の商法はまことしやかに蔓延するから始末に悪い。


2002年4月8日 旅支度
第5期登山学校に入学するメンバーは17名。一同が12日「清和県民の森」に集結する。房総半島へ向かう5泊6日の旅支度を「衣食住」の順番に整えた。ランタンの「ほや」、バーナーの清掃と燃料充填など、キャンプ道具の点検を仔細に行った。6日分の食材は全て99円ショップで合計2000円ほどで済ませた。タマネギなどの野菜類は現地調達でいいだろう。おっと書物も忘れないように、電池充電、シェーバー充電、その他諸々も念入りに。


2002年4月7日 お花見
木蓮の両親を誘って公園花見。自家製の混ぜご飯でランチ。野点は豆珈琲をドリップ。話題は木蓮の花談義であった。「ママコノシリヌグイ」という雑草の由来には笑ってしまった。棘がいっぱいある雑草で、それを使って「継子のお尻を始末する」というひどい命名。「オオイヌノフグリ」もそうだが植物の名前の付け方は奇想天外だなあ。花に関して木蓮の知識は更に深みを増して圧倒的である。露店に並ぶ花の名前をすらすらと口ずさむ姿は(無意識に)そらオソロシイ。もっとも私にしてもカレンダーの写真を眺めて「これは何山だな、、標高は、かくかくしかじか」と言う手合いだから同じ穴のムジナというべきだろう。花に関して博覧強記と化すのも時間の問題だろう。「人はパンのみにて生きるにあらず」そういうことだ。
汗をかく暖かさが戻ってきたことを感じる。走る距離が段々伸びている。一連の筋トレ〜ストレッチ終了するまでおおよそ1時間ほど。入浴とコップ一杯の牛乳がうまい。


2002年4月6日 花散らしの風
花に嵐とはいうけれど、それにしても強い風が吹き荒れた。習志野公園、今が盛りの花を愛でる花見の人で溢れていた。


2002年4月5日 花冷え
VW4回目の車検。蕨からTさんがわざわざ車を取りにきた。こういう時代だからこそ一台一台を大事にしなくてはというスタンスなのだろう。 修理部門、その中でも板金部門の利益(対前年70%)が減っているのだという。ぶつけられた場合は当然保険で直すのだが自らぶつけた箇所については放置したままだという。生活防衛の正しい庶民感覚である。今はそういう時代なのだ。そういう私も先日車にいたずらをされた。鋭い釘みたいな線状痕が走っている。付近に停めてあった車すべてがやられていた。修理するのに約40000円かかるというので放置することを決めた経緯がある。ピカピカに磨いて満足した時代を経て、あくまでトランスポーターとしての機能でいい、そう思える年代に到達したということだろう。
花冷えの雨降り続く。外に走りに行けぬので室内でたっぷり汗を流す。


2002年4月4日 房総半島
登山学校、初日12日は「清和県民の森」で開講される。せっかくだから「千葉県の山」にご挨拶させていただきましょう。清和県民の森キャンプ場をベース基地にし5日間ほどかけて名だたる山を皆登ってしまおうという贅沢な企画。花嫁街道とかいうおしゃれなハイキングコースもあるようだし普段の運動不足を補うにはちょうどいいだろう。愛車VWにどっさり荷物を放り込んで(本などもいっぱい持って)極楽トンボ旅に出かけるココロなのだ。


2002年4月3日 桜の木の下で
今日の走り、最初の数百メートル「ぜいぜいはあはあ」状態。後半持ち直し。どう考えても運動不足なんだよなあ。仕事をしている時はそれなりに脳も身体も使っているベースがあった。仕事を離れたら圧倒的に運動量が不足。午後3時から2時間程度歩いただけではダメなのだ。一見、運動しているように思えるのだが自己満足に過ぎないことに漸く気が付いた。少しでもいい、トレーニングを継続させることが大事。極端に言えば朝も昼も夜もトレーニングをしないといけないのだ。愕然!


2002年4月2日 春の味
一日中冷たい雨。木蓮の実家から夕食のお誘い。田圃に生えていた「セリ」の天麩羅が食卓に並んだ。口に含むと「春の味」がした。


2002年4月1日 新しいプログラム
原点に戻って夕食後のランニングに始まる一連のプログラムを実行した。「継続こそ力なり」「努力は報われる」この言葉に殉じなくてはならない。 本日をもって正式に山岳会所属となった。千葉県山岳連盟「登山学校」開講が目前に迫っている。



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