山ダイアリー
2003年5月 

2003年5月31日 台風襲来
大作高村 薫著「マークスの山」を読み始める。

5月の総括
ほぼ毎週のように山に登っていたから充実した毎日を送っていた。日記の書き込みが滞ってしまった事を反省しなくてはいけない。概略だけでも記録しておこうと思う。


2003年5月29日-30日 薬円台公園トレーニング散策
「宮崎県の山登り」葦書房を発注。石井光造「静かな山」その他一冊をバーゲン価格にて発注する。 ●山行記録の整理作業を始める。昨年9月以来、何も整理できていないことに愕然とするも資料は十分にあるので何とかなると判断する。


2003年5月27日 土産
義父母にお土産を持参する。


2003年5月26日 無念
天気の回復見込めず、朝一番で帰還する。


2003年5月25日
雨。退却。


2003年5月24日 韓国岳〜高千穂河原
霧島連峰を縦走する。ロッジに投宿。露天温泉。雨と風と。小石が顔面にふきつける風の強さを初めて経験する。●【山行記録】


2003年5月23日 宮崎へ移動
飛行機 宮崎市内散策 青葉町〜江平町〜橘通り商店街〜大淀川〜花殿町 哲三家投宿


2003年5月21日-22日 支度
宮崎へ出向く支度に追われる。


2003年5月20日 内科・眼科検診
三割負担となった事を実感する。投薬代を含めて10000円ほど要した。


2003年5月17日-18日 登山学校「谷川岳」
登山学校「谷川岳」訓練 記録係りを担当する。車中講義 雪崩の構造 雪の温度 ザイルワーク 確保の技術 ツエルトの活用(設営と撤収 ザイルの活用方法) 雪面の歩き方 登り方 ●【山行記録】


2003年5月16日 研究
奥多摩の地図を広げ、あれこれと研究を重ねる。バス路線図などを詳細に転記する。


2003年5月13日 職安詣
職安詣の一日。


2003年5月10日-11日 奥多摩
三頭山・都民の森・山のふるさと村キャンプ場 BC 日原鍾乳洞見学●【山行記録】


2003年5月7日 北習志野公園
寒冷前線が南下、午後から次第に天候が怪しくなる気配。風の中、ランニング姿でトレーニングに出た。薬園台公園のグラウンド、もうもうと砂塵が待っていた。ほぼ1月ぶりに北習志野公園に足を踏み入れた。あれほど冬枯れていた樹木が緑の衣に染まり、鬱蒼とした森の風情を漂わせていた。草草が生い茂り歩く人の踏み跡だけがくっきり残されていた。

木蓮秘蔵の薔薇もくっきりと咲いた。手塩にかけて育てた喜びを満喫しているようだ。 大勢の客が訪れるバラ園のバラなどお呼びではない、このバラは私だけの為に咲いたと、そう思わせる咲き方をしてくれたのだから可愛いさもひとしおなのだろう。おかげで奥多摩に共に遊ぶプランが頓挫したのだが、まあいいだろうさ。


2003年5月6日 病院詣
医療費が3割負担になって初めての病院詣。内科、眼科両方で投薬代を含めて@10000円もかかったのには驚いたなあ。うかうか病院にも通えないという実感。午後からトレーニングに出て汗を流した。

iTUNESとMD、MDラベル作りも一段落した。コンジョー発揮して世界の音楽映画全集をほぼ網羅した。「悲しみは星影と共に」の哀切なメロディーには魂が共振する感動を覚える。是非観てみたい映画だ。「ひまわり」ドクトル・ジバゴの「ララのテーマ」もいい。イタリア映画が観たくなった。


2003年5月5日 バラが咲いた
一輪のバラが咲いた。まだいっぱい蕾が、そこかしこに。木蓮の欣喜雀躍ぶりは圧巻。ベランダ往来、数え切れない。新田時代に種から植えて育てていたクリスマスツリーの樹が里子に出されることになった。小さな鉢で育てていたのだが、しっかりと根を下ろし鉛筆2本大の幹となっては最早ベランダでは育て切れない。知人の植木屋さんが植えて育ててくれることになった。しっかり大地に根を下ろせば大きく育つだろう。また会いにいけばいい。


2003年5月4日 前兆
明日にでもバラが咲きそうだと木蓮の動きが忙しい。「ここ数日が「ヤマ」なの、悪いけど貴方一人で奥多摩に行ってください」。まさしくバラ色に染まる日々が始まろうとしている。こういう時は、そうっとしておくにかぎる、そうではないか諸兄諸氏。


2003年5月3日 悲しみは星影と共に
戦前戦後の映画音楽をiTUNESとMDに格納する作業を進めている。「悲しみは星影と共に」痛切な哀愁を帯びるメロディがずきんと心に沁みた。webで調べて映画の概観を把握する。主人公の女性は「ドクトルジバゴ」に出演した、健気可憐なあの女性であったことを知る。何とチャップリンの娘なのだと言う。第二次世界大戦、ゲシュタボに捕まり収容所に向かう列車の中で交わされる盲目の弟との会話が曲の冒頭に出てくる。それは死に向かう事を約束された列車だった。死が日常だったあの当時にも夢を抱いて生きていた人たちがいた。ささやかな夢が戦争によってはかなく潰えてしまう人々の悲しみを姉弟に象徴させて描いている。1966年封切り。その頃、私は人生の入り口にようやく入りかけていた。 

以下、WEB参考記録を備忘の為に抜粋

【この映画を見たのは確か14.15歳の頃、字幕も満足に読めなかった頃のこと。なのになぜか涙が流れて止まらなかったことを今でも覚えている。戦争の悲惨さとかむごさが映像の中にあったわけではない。ただラストシーンでの姉が弟についてしまった「嘘」に涙したのだ。第二次世界大戦中、17歳の姉と目の不自由な押さない弟が、この戦乱の中に巻き込まれていく。姉は恋人と弟とのハザマにうごめき、結局、恋人を助ける為に、弟と共に収容所行きの列車に乗ることになる。このとき。姉は弟に「旅に出る」と嘘をつき列車に乗った。

板を打ち付けられて外が見えない列車の中に押し込められた人たちの、押し黙った情景が物悲しい。そんな状況の中で、外が見えないのにうその景色を弟に聞かせる姉。空虚を見つめながら、弟に話し掛ける姉の姿と、何も知らずに姉の話を嬉しそうに聞く弟。この映画を深く印象付けるのは、姉と弟の会話が続くラストシーンの10分間である。何故なら、あれから35年を過ぎても尚、あのラストシーンを思い出す私がいるから。そして挿入曲とともにこの映画は終わってしまう。しばらくの間、立ち上がることが出来ない。それから35年間ラストシーンだけが私の脳裏へ残ってしまった、、。


2003年5月2日 留守番
「新しくできた六本木ビル、話の種に見に行かないか」と誘いがあった。好奇心旺盛な親爺さんである。29日高尾山に出かけたばかりであったし、珠には親子三人水入らずもいいだろうと遠慮した。親爺さんからWalkingの時に着るTシャツをお土産に戴いた。かえって気を使わせてしまったようだ。木蓮から出掛けに「お小遣い!」とお札を二枚渡されたのだが、そのまま返した。悪いと思ったのか一枚戻ってきた。笑。夕方の散歩の時にレンタルショップに行ってCD三枚借りてきた。前から聴きたかった映画音楽物を2枚、娯楽物1枚(綾小路公麿とかいう今をときめく時代の寵児なのだが意外と笑わせてくれる)。GW特別価格で安かったのだ。聴いてみたら「サウンドトラック盤」ではなかった。どうやら期待はずれ、、。


2003年5月1日 風薫る5月
某掲示板を隅から隅まで探索して遊ぶこと数日に及んだ。いつの時代でも「落書き」は庶民のガス抜きとして機能するようだ。現代版「万葉集」の趣、むろん詠み人知らずだからこそこそ光を放つといえる。魑魅魍魎の類、真摯な言葉、悩み、嘆き等、渦を巻いて流れて行く夥しい想念を見るのも意味があった。ただただ看過するか、踏み込んで調べようと動くか、それはまた私自身の生のエネルギー量の問題でもあるのだが。

新しいカレンダーをめくった。水芭蕉咲く瑞々しい尾瀬湿原、雪解けの至仏山が青空にたんわりと腰を降ろしていた。今から1億5000万年前、古生代の蛇紋岩で構成された至仏山は高山植物の宝庫になっている。燧ヶ岳2356mを仰ぎ見ながら初夏の花をめぐる旅に木蓮と出かけたいものだ。



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