山ダイアリー |
2003年6月 |
● | 2003年6月30日 | フランス料理 |
木蓮がパソコン指南をすることになったKさんから「ランチ」へのお誘いがあった。 最初はお断りしたのだが三顧の礼を尽くされたのでは是非もない。普段着の姿で出か けることとなった。案内された場所は津田沼駅郊外にある「COMO」という店だった。 自慢ではないが木蓮とフランス料理を食べたという記憶は数えるほどしかない。(多 分2度あったかどうか)「藁しべ長者」ではないけれど、わずかの指南をしただけの 御礼としては破格ではないかと恐縮したことだった。帰路、Kさん宅で4時間に及ぶ 「パソコン指南」で埋め合わせ。どうやら知識と技術が一致してきている気配なので 一安心。海綿が水を吸うように知識が増していくことだろう。木蓮が会いたがってい た「レナちゃん」ようやく姿を見せてくれた。長い間、寝室に閉じ込められていたせ いもあるのだろう、全身に人恋しい素振りを滲ませて、ドタドタと体を摺り寄せてく る。毛の生え変わる時期が重なって「相当に臭い」のだが、それもまた生きている証 といえるだろう。脂粉漂わせる新宿の怖いお姉ちゃんは臭いだけでなく危険でもあ る。近寄るべからず、触るべからずである。 「暖かくて柔らかくて、うわ目使いで私を見つめる仕草が、かわいくてかわいくて全 身撫ぜまわしちゃった」と嬉しそうに木蓮が語っていた。「レナちゃん」はお腹を出 して「もうなんでもしてくれ〜」全てを許すと、甚だ悩ましい姿態を示してくれるの だった。どうやらご主人がいたく可愛がっているようなのだが、それも無理からぬこ とではあるまいか。ところでレナちゃんは雄か雌か、、、。 |
● | 2003年6月29日 | パンの耳 |
散歩がてら北習志野商店街にあるパン屋で「パン耳」を買った。我が家の昼食の定番品である。わずか30円の支払いで一ヶ月分の量が確保できる。パン耳をトースターで焼き、野菜、チーズ、バターなどを挟んで食べる。適度な歯ごたえがあって絶品。時間がずれると「売り切れゴメン」となってしまうほどの人気商品。店番のおばさんがうらめしそうに視線を投げかける。「お客さん!たまには、正式なサンドイッチを買って欲しいなあ」と。その気持ち、痛いほど判るなあ。「おばちゃん、そのうち買うからね」とつぶやきながらも、まだ一度も買ったことがない。 |
● | 2003年6月28日 | 地図とコンパス |
この一週間は「地図とコンパス」の事例研究に没頭した。地図とコンパスを自在に操ることができれば格段に危機管理能力が向上することは判っていた。地図だけでは、コンパスだけでは用を為さないことを腹の底から納得できた。今月初めの「雲取山」で感じていた疑問がようやく氷解した。集団の中にいたこともあるだろう。地図を眺めながらの山行などできる状況ではなかった。現在地はどこで、どこから何処に向かって歩いているのか、それがさっぱり理解できなかった恨みが残っていた。高度、傾斜、等高線の意味、コンパスが磁北を指し示す意味、磁北線を地図に書き込む意味、それぞれの意味が明瞭に理解できた。わずか数ミリの等高線を精緻に読んで休息を取った場所までも特定することができた。何故、ここに水場があり、何故、ここに小屋があるのか、小さなピークから尾根が始まること、その尾根の上でコンパスを操作する必然性についても理解を深めることができた。更に二読三読し、垢のつくほどに精読して「実験」すること。こればかりは机上訓練と言う訳にはいかない。事例研究に倣い、現地に赴いてシミュレーションしてみるのもいい。昭文社「登山地図」の精度では歯が立たないことは明か。標識に従って歩くだけの登山ならば、それでもいいだろう。山野を自由に駆けめぐる最強の武器、それが1/25000図とコンパスである。コンパスと地図なし山に向かうなど暴挙の沙汰というべきだろう。 |
● | 2003年6月27日 | 光ファイバー |
遂に、光ファイバーが隣の家にやってきた!(ちょっと羨ましい!)早晩、光ファイバーの時代が来るのだろう。それにしても隣のおじさん、何してるんだろう。なんだか怪しいぞ。ベランダは崩壊してるし洗濯物は干してないし。笑。 地図読みが次第に複雑となってきた。尾根と谷と沢の関係を読みとる作業に没頭した。なるほどと頷くことが多い。 内科データを電話で確認する。概ね良好との結果であった。更に努力を継続すること。 山岳会よりメール入る。4月以降の新入部員を対象にしたオリエンテーション開催の案内。人を育てる体制が機能しているのかどうかがポイントだろう。 |
● | 2003年6月26日 | この国の未来 |
内科往来。眼科は休みであった。三割負担となって医療費が高くなったと感じる。国民の4割近くが病院に行く回数が減ったと回答しているのも頷けることだ。国民一人あたりの負債が「赤ん坊」まで含めて525万円とのデータは空恐ろしいかぎり。いかなる人間も時代を超えることはできないのだが、暮らしにくい、生き難い時代になったものだ。年金問題も、いずれ深くメスをいれることになるだろう。 「登山の運動生理学」東京新聞出版局版@2000円を発注する。 |
● | 2003年6月25日 | 学ぶことの愉悦 |
地図に関する書籍を精読している。わずか数ミリの等高線に隠された情報に目を凝らし全体を読み解くという作業は実に面白い。地図は現実ではなく架空の世界なのだ。一次元を二次元、三次元に変換する卓越した力を備えることができたら、どんなにか楽しいことだろう。実学も通じて「山学」のあらゆる領域に達する基礎を充実させること。これができれば自由自在に山をイメージできる。そう、やがて世界が廻りだすという訳だ。 |
● | 2003年6月24日 | マルコメ君 |
散髪に行った。「短くやって」と注文した。件の若いあんちゃんがバリカンを首にあて最初の一剃りを深々と入れてくれた。瞑目して待つことしばし。何と、そこには「マルコメ君」がいた。傍で見ていた木蓮の笑うこと笑うこと。傍若無人に笑うので、しばしムッとした。それにしても短くやってくれたなあ。背広を着てサングラスでもすれば立派な「ヤクザ」さんである。 |
● | 2003年6月23日 | 細々とした日常生活など |
ほぼ40日ぶりに車の清掃を行った。本社人事より回答あり。来月1日午後四時支社に赴くことを約する。仙人生活ともおさらばかも。 |
● | 2003年6月22日 | その日暮らし |
一日寝て過ごした。 |
● | 2003年6月21日 | 久しぶりの外食 |
明け方の2時に就寝する。T一家、それぞれの予定が既に組まれていて私の出る幕はなかった。梅雨の晴れ間、久しぶりのピーカン日和。溜まった洗濯物、布団といわず何から何まで洗って忙しく立ち振る舞う木蓮を横目に、ただ惰眠を貪る一日を過ごした。夕方から久しぶりに「お好み焼き」を食べに出る。野菜たっぷり、いささか食べ過ぎた。炭酸のレモンハイが臓腑に沁みた。 |
● | 2003年6月20日 | 大騒動の顛末は |
0620 霧島縦走を果たした従兄弟とその子供たちが上京。自他共に認める内弁慶の木蓮にしてみれば大騒動なのである。部屋の掃除から寝具から献立からとやるとことは山ほどある。うっかり何かを言おうものなら逆燐に触れてエライ目に会う。そうっとしておくにかぎる。件の一家到着は深夜の23時半。駅改札口に1時間ほど待機した。よりによって羽田から一番遠いルートで我が家にやってきた。どうやら北習志野駅で検索すると何がなんでも東葉高速線に乗り入れるようにプログラムが組んであるらしい。鉄道会社の陰謀というべきだろう。 |
● | 2003年6月19日 | 周章狼狽の日々 |
夕刻から台風の余波で風が強くなってきた。今夜半から明け方にかけて温帯低気圧が日本を通過する気配。ベランダの鉢たちを心配そうに気遣う木蓮、大事な薔薇を部屋に匿う木蓮であった。薔薇たちは、私の次に大事だという。次というところが可愛いではないか。なはは。 |
● | 2003年6月18日 | 例会 |
山岳会例会に出席する。未納の会費(入会金と併せて4000円)同じく山岳保険の一部金(遭難対策基金費含む1300円)を納める。山行報告と来月の企画についての発表を聞いた各々方法は違っていても、いずれ劣らぬ山好きの集団であることが否応なしに伝わってくる。登山学校で基礎を学んでいる身としては、ただただ寡黙に様子を見学させていだくというスタンスでいい。この7月、Kさんは単独で常念岳の頂を目指すと言う。どうやら秘めた志があるようなのだ。重装備で雲取山の山頂に立つことができたのだから大丈夫。飯豊連峰へのお誘いがあった。さてどうしたものか。 |
● | 2003年6月17日 | 石榴の花 |
石榴の花が吹き零れて咲いている。紅一点という言葉の由来は、この石榴の花から来ているとのこと(木蓮博士によれば)わがベランダの石榴は2年目になっても花を咲かせない。やはり盆栽ではダメなのか。せめて花一輪咲いてくれてもいいのに。図書館で本を借り出した。読書三昧の日々を過ごしている。 |
● | 2003年6月16日 | よーそろ |
いつまでも仙人生活という訳にもいかない。そろそろ再就職活動を本格的に始める時期となった。古巣の本社に電話を入れて今後の具体的な対応を依頼した。小雨ではあったが黙々と今日一日の努力を尽くしてきた。この調子で頑張ろうぜ。 |
● | 2003年6月15日 | 犬はカワイイ |
遅くまで起きていると当然のことながらお腹が空く。身体に悪いと判っていても空腹に耐え切れずに口に入れてしまう。昨夜は「アンパン」を食べてしまい、とうとう木蓮のお怒りに触れてしまった。生活のリズムが諸悪の根源なのだと、、いやごもっともと頷く私であった。山仲間のKさんがパソコンの調子が悪いとSOSがあった。饅頭と煎餅を食べて不貞寝寸前であったとのこと。笑。同じ山岳会、登山学校の所属であれば見捨てて置くわけにもいかないだろう。木蓮の出動を仰いで夕方の7時まで対処させていただいた。利発な娘さん、茫洋とした息子さん(あの年代はそんなものだろう)、ゴールデンレトリバー「れな」という名前の大きな図体の可愛いわんちゃん(いやいやをする仕草がかわいい)、5日間押入れに隠していたというハムスター君。ご主人は春から単身赴任で不在とのこと。お礼に珈琲などを頂戴した。ひとなつっこいレナちゃんがお気に入りの木蓮であった。生活リズムを整える為に早めに布団に入った。遅くとも12時には寝なくてはいけません。 |
● | 2003年6月14日 | 今日一日の努力 |
明け方まで眠れなかったせいでほぼ一日寝て過ごした。木蓮に急かされて3時から町に買出しに出た。4時から6時まで定量のトレーニング。三日目の壁はとりあえず越えた。 |
● | 2003年6月13日 | 夏山への誘い |
洗濯物が乾かない梅雨。図書館に出向いたら「山と渓谷7月号」が早くも並んでい た。北アルプスと南アルプスの特集が組まれていた。盛夏、今年も梅雨明け10日を 目指して多くの登山者が押しかけることになる。仕事をしている時、7月に山に向か うことなどできなかった。7月の登山計画を立案しなくては。今年も南アルプスで過 ごすことにしよう。北岳、鳳凰三山縦走、仙丈ケ岳縦走を基本に組み立てることにす る。 |
● | 2003年6月12日 | RUNNING開始 |
雲取山の痛みも薄れてきた。今日からトレーニングをランニング一本に切り替えた。 身体が重く感じたが次第に慣れてきた。綿シャツが汗でびっしょりになった。血糖値 が下がってエネルギーが切れた。ポケットにしのばせている飴一個で糖分を、公園の 水道で喉の渇きを癒した。顔をじゃぶじゃぶ洗った。とても気持ちのいい汗を流し た。WALKINGでは、これほどの汗は流れない。今日から三ヶ月は、よほどの雨でない かぎり走り抜くことになる。努力は必ず結果となって出てくる。昨夜から煙草も意識 して減らすようにした。 |
● | 2003年6月11日 | 職安詣 |
恒例の職安詣。月に一度の出稼ぎ日。失業給付の残りを数え、9月以降の支度に取り 掛かる算段を、それとなく。ストレッチの効用もあって、わずか二日で痛みのピーク を過ぎた。今日一日の努力という言葉を呪文のように唱えながら歩いている自分がい る。ここ2ヶ月ほどは根性入れてデータを良くしていかないといけない。どうやら、 雨が降ろうが矢が降ろうが「夜のジョギング」を復活させなくてはいけない気配だな あ。病の大敵は「食糧過多」と「運動不足」にある。夕方だけの運動量では、やはり 足りない気がする。 本来であれば「朝、昼、夜」の運動負荷が必要だろう。ヘモグロビン数値との戦い だ。気が重いけど再就職の関門は何としても突破しなくてはならない。本格的に生活 の減量作戦をやりましょう!期間は3ヶ月とする。煙草も、食事も(間食なんてとん でもないこと)、生活リズムも、運動も、全てを洗い直してリセットしなくちゃいけ ない。幸い、先月までのデータはさほど悪くない。僅か三ポイントのデータを上げる 戦いで済む。生活習慣も仕事を踏まえて軌道修正しなくてはいけない。 |
● | 2003年6月10日 | 晴天の霹靂 |
関東一円、入梅。娘来て曰く「結婚します!」。即座に「男は俺のところには連れて くるな!」と厳命した。過去、親としての振舞いに瑕疵(かし)があった。今更、親 父面などできるものではないだろうさ。晴れがましい表舞台に立つ気持ち、いささか もない。子供に対して一言半句言いえない立場も寂しいものだが全ては自ら蒔いた種 である。とっくに覚悟は決めている。ただただ、子供たちに申し訳ないと手を合わせ るのみ。晴れ舞台に立つのは母さんだけでいい。全ての果報は母さんだけでいい。子 供たち、そこんところを間違えるんじゃねえぞ。 |
● | 2003年6月9日 | 筋肉痛また楽しからずや |
依頼していた「宮崎県の山歩き」がコンビニに届いていた。現像依頼の写真も出来て いた。哲三氏から「霧島の四季」という写真集が届いた。しばらくは山から離れさま ざまな資料の整理と原稿作成に専念しようと思う。それが終わらない限り山行は続い ているのだから。机上登山を楽しみ、省察することも立派な山登りなのだから。7月 登山学校のカリキュラムは「救急法」講習と決定している。泊りがけで「普通救命講 習・実技」を徹底して練習するとのこと。今までの課題のひとつひとつをしっかり復 習しておこう。 丹念に施したストレッチの効用で、いつもの筋肉痛とは違う味わいがある。 |
● | 2003年6月8日 | 雲取山山頂 |
快晴、標高2017mの山頂に立つ。鴨沢への下りは味わい深いものだった。右親指 の下が痛かった。歩き方が微妙に偏っているのだろう。休憩の度に靴下を脱いで親指 で指圧し解した。詳細は山行記録にあげることとする。昨日、今日の動きは既に山行 記録メモにあげておいた。 |
● | 2003年6月7日 | 登山学校 |
埼玉〜山梨〜東京三県にまたがる秩父・奥多摩縦走の旅に出る。三峰口から延々6時 間の登りに耐えて雲取山山荘で野営する。大勢の仲間と登る山も、またいいものだ。 詳細は山行記録に書き込むこととする。メモはすべてデジタルカメラに収める対応で 臨んだ。 |
● | 2003年6月6日 | 行方不明の帽子 |
雲取山への支度を開始。軽量化を口やかましく指導されている。メンバーから送信さ れてきた装備表には部品ひとつひとつの重さが書き込まれてあった。体重計と家庭用 の軽量器を活用して試してみる。意外と重かったのがシュラフカバーの480g。ガ ス缶ひとつの重さに匹敵するのに驚いた。手で持った目安の重さが判らなくなる。勘 は当てにならないものだ。先日の群馬県親子遭難事件を踏まえて緊急用の青バッグを 精緻に点検して濡れ対策を施した。滅多に使われてはならないモノだが、いざという 時に役立つ部品ばかり。重さは750gほどある。(中身はまだまだ検討の余地があ る)いつでもどこでもツエルトと共にザックの底に忍ばせて置くことに価値がある。 霧島縦走で使っていた愛用の帽子が見当たらない。木蓮も動員して探したが見つから なかった。宮崎に電話をして探して貰ったところ「あった!」との嬉しい返事。霧島 の激しい風とガスと寒さの中で「手袋と帽子」のありがたさを知った。手袋は綿はダ メ、帽子は風で吹き飛ばされないバンドが必携ということを学んだ。手袋と帽子ひと つの暖かさを教えて貰った。 |
● | 2003年6月5日 | 窓枠工事 |
木蓮の内科検診、窓の網戸工事、長野県諏訪郡に依頼していた薔薇の苗、同じく依頼 していた薔薇の原書配送などの問題が一気に解決して晴々とした一日であったよう だ。鬱々と心配を重ねるのは身体に良くない。 雲取山に向けての支度を明日から開始する。 |
● | 2003年6月4日 | MONO原稿 |
monoの原稿をあげた。まだまだいろんなモノが登場する予定になっている。 雨の中、 薬円台公園まで散歩。意識してPOWER WALKINGを心がけている。大股、早足で蹴り込 むことで筋肉に負荷をかけている。ほぼ1時間歩いて8000歩がやっと。 |
● | 2003年6月3日 | 今日一日の努力 |
引退した寺尾関の言葉である。今日一日の努力を尽くしていたから相撲を取ることが できたと。さっそく励みの言葉に戴いた。明日ではなく今日一日がんばるというポジ ティブな発想が実に判り易い。薬円台公園に再び通い始めて三日が経った。最初は二 周半、その次は三周半、今日は五周することができた。万歩計が8000歩あたりで 停滞していたのだが、ようやく10000歩を超えるようになった。むろんサボって いたのではないし基礎体力も十分に養われているはず。万歩計の数字に拘泥して、本 末転倒という事が、ままあったことを反省してる。最近は忘れても、さほど気にする ようなことはなくなった。 日記も月を改めたので再び書くことにした。5月の総括は5月に追加で書き込んだ。 一言で言えば充実した月であった。たゆみなく継続することは凡人にはなかなか難し いことだ。 |
● | 2003年6月2日 | ズック |
一年半履いたズックの踵がダメになっていた。新品の靴下が直ぐにダメになる原因が踵の剥離にあったことが判明した。午後からイトーヨーカドーに出かけてあれこれ物色した結果、同じ品物があったので、それにした。夕食、早速走り初めをする。走るのは久しぶりだったので息があがってしまった。後半、持ち直したが肺活量を維持するのはなかなか大変なことだなあ。週3日は走るように癖をつけておかねば直ぐに衰えてしまうようだ。 |
● | 2003年6月1日 | マークスの山 |
高村 薫著「マークスの山」を二日がかりで読了。雨の晴れ間を縫って薬円台公園までトレーニング散歩。 |