山ダイアリー
2003年10月 

2003年10月31日 あぶく銭
仕事を始めて漸く一月が終わった。木蓮共々、消耗著しい10月だった。
仕事の岐路、フラフラとパチンコ屋に寄ったところ2時間で何と64000円も勝ってしまった。半分は木蓮に進呈した。あぶく銭は使い切るに限るということで明日は買い物に向かうこととなった。


2003年10月30日 設計図
明日の設計図を描くことなしに一日は終わらない。手帳を眺めてあれこれと思案を重ねてしまう。
一日に為したこと、明日為さねばならないこと、それはクリエイティブな事なのかどうか。


2003年10月29日 一日
危機感をもって仕事をすることが大事。中期長期の展望無しにむやみに動いてはならない。段取り八割というではないか。


2003年10月28日 棚卸作業
雨の一日。お客さんに「雨オトコなんですね〜」と笑われてしまった。目出度く二件目の契約に成功した。
段々、思い出してきた。商品開発コンセプトを語ること、時代を、商品を自在に語りきることが仕事の要諦。当然の事だが沈黙もまた大いなる武器になりうる。〆きりを終えて新しい月が始まった。目標を着実に達成する為のプログラムを考察する一日だった。仕事を始めた若い頃、部長から手帳を見せなさいと言われたことがある。同期全員、恐る恐る手帳を差し出した。全員の手帳を検閲し終えた部長の一言は今もって忘れられない。「君たちの手帳は実に貧しい。明日はおろか一週間先の予定も刻まれてはいないのはどういう訳だ、、」「仕事は創造するものであって与えられるものではないと私は思うが君たちの意見はどうだ、、」と止めの一撃。案件が、予定が少ないのは仕事をしていない証拠なのだと。以来、手帳の重要性に目覚め先の予定に思案を巡らす日々を重ねた。


2003年10月27日 木蓮始動す
起業家としての一歩を踏み出した私の収入は前職と比べるべくもない。愛の暮らしができないと判断した木蓮は10月初旬から派遣会社に登録し、インターネット経由でこれはと思う案件に片っ端から応募していた。私に続いて木蓮も職探しに奔走したのである。甲斐性のない旦那を持つと女房は苦労をするものだ。三つほど紹介された仕事、帯に短し襷に長しで意に適う場所がなかなか見つからなかったのだが、某財団法人にお世話になることになった。
今日が初出社。颯爽と黒のスーツに身を固めドアを押し開いた木蓮であった。


2003年10月26日 就職祝い
オヤジさんが遂に携帯を買った。掛け初め儀式担当は私の役目。さっそく架電したところ、最初に出たのは「お母さん」であった。どのボタンを押したらいいものかとウロウロしたことだろう。笑。オヤジさんにとってはMacintoshに続いてのPCである。木蓮の就職祝い、義父母をご招待し「函館市場」にて豪華な夕食に及んだ。件の携帯は胸ポケットに整然と収まっていた。


2003年10月25日 高鈴山にて
会長さんのご指導により茨城県日立市郊外にある高鈴山にて岩登りの基本を学ぶ。なるほどと頷くことが多かった。木蓮が握ったおにぎり、そのほとんどをペロリという健啖ぶりに舌を巻いた。木蓮に報告し爆笑したことだった。山に向かうきっかけを作ってもらってありがたいと思った。


2003年10月24日 分析作業
〆切りを前にスタッフの動きが慌しい。数字を追う現場の空気を久しぶりに吸う。ヒマラヤ山頂へ、ようやく歩みだしたばかり。周囲がどうであれ焦るこたあねえよ。定量化された仕事を淡々とやるだけで結果は出るものさ。淡々とやる、これが一番難しいんだけどさ。


2003年10月23日 〆切日
実質的な仕事の〆切日。流石にstaffたちの動線は慌しい。明日の為の仕事、布石をキチンと定量行って来た。いささかなりとも逡巡しない事、まず量ありきというのが私の今のスタンスだろう。質を問うのはまだまだ先の話だ。とはいえ仕事の進め方は充分勘考すべきである。様々な道具が有効に機能しているとはいいがたい。無駄なメモばかりが羅列されているような、必要な事が書き込まれていないと感じることがある。イメージだけは快適に走っているのだがギアチェンジに伴うクラッチ操作が覚束ない(これって初心者マーク?)。ひとつひとつを慎重に確認しながら進めることがミスを防ぐ最大の手段。ようやく一月が経過した。要求されていた基準も達成した。まずは幸先のいい出だしであった。明日も「今日の仕事と明日の仕事」を定量やるだけだ。

夢、誰かが忍び寄る気配で目が覚めた。私の布団を剥いでモゾモゾと騒がしい音を響かせる。怪訝そうに見やると「息子」が私の布団に包って寝ようとしていた。「仕事ちゃんとやってるのか」「うん、やってる」「何時に起きてるんだ」「6時45分、ぎりぎりまで寝てる」「そうか、、」二言三言の短い会話。夢から覚めた。肩の痛みに耐えかねてPCの前。煙草と熱い珈琲で痛みを誤魔化す。息子の夢、久しぶりに見たなあ。


2003年10月22日 初契約!
成功。奇しくも仕事を始めて、初めて訪問した家だった。地下水脈を掘り当てる作業が始まった。
ようやく山に向かう余裕ができそうだ。長かった〜というのが率直な感想だなあ。会長さんから山へのお誘いがある。25日、久しぶりに山に行ける。なんだか嬉しいね〜。


2003年10月21日 三種の神器
中古パソコン届いた。木蓮が昨日からファイルメーカーのレイアウトをやってくれている。さっそく組み込んで明日から活用。神経が疲れているらしく歯軋りがひどい。その音で目覚めてしまう。まあ無理もないことだけど。まだ仕事のリズムができていない、これもまた無理もないことだけど。笑。職場の人間模様、それなりにあるようだが「孤島」の私に、その波紋は及ばない。


2003年10月20日 下駄を履くまで
今日と明日の仕事量を淡々とやればいい。さすれば思い煩うこと何もない。踏み込みは素早く、逡巡しないこと。


2003年10月19日 習慣
疾風怒濤のように時間が過ぎていく。日曜日、午後9時を過ぎると仕事の事を考え寝付けなくなる悪しき習慣が戻ってきた。週に一度のシェーバーの掃除もその習慣の一つ。午後3時からトレーニングに出た。
NHK特集「最期のひばり」を観る。錦繍の季節を彩るために最期まで私も頑張ろうと思った。


2003年10月18日 文房具としてのPC
仕事専用の中古PC「DynaBookPAS-254JJ/333Mhz/64MB/4.3GB/WIN98/99年製造」を@31000円、DBソフト「ファイルメーカー」@4500円で落札。リース配布される業務用のPC(online)はセキリュティの問題で機能に制限がある。それなりに考え抜かれたデータベースが構築されて素晴らしい機能を持つが、個人用のPC(offline)があれば更に密度の高い仕事をすることができると常々考えていた。「今日の仕事と明日の仕事」を並列して進める為に優れた文具(PC)が必要だと木蓮も理解を示してくれていた。

文書作成は「ワード」仕事全体、行程を長期・短期に俯瞰する「エクセル」、顧客への営業活動をテキストベースで記録するために「ファイルメーカー」が使えれば甚だ至便ではないかと。一日以降の仕事で蓄えられた記録はA4用紙、5枚に及ぶ。メモが習慣化している私だからこその事だろう。データの自宅と会社往来は画像を扱わなければFD一枚に収まる。となれば償却した中古PCで充分である。会社における机の位置を象徴する意味で「コトー」と命名することにした。孤立無援、誰の指図も受けないという起業家精神の象徴でもある。それにしても自他共に認めるMacintosh党の私が、自宅と会社でWindowsを使うことになるとはね〜。いずれお金を儲けたらG5のMacでバリバリやろうじゃないの。

鞄、自転車についで高価な文房具を仕度して貰った。せっせこ仕事しなくちゃね。笑。仕事始めの初期投資額、木蓮の計算によれば100000円を超えたとのこと。「働け!」ですか、はいはい判りましたよ。


2003年10月17日 腕に覚えあり
起業家として前進する日々を過ごしていると自負していい。「今日の仕事、明日の仕事」のふたつを同時に処理しなくてはならない立場である。わずか数日で結果に繋がる感触を得たことは大いに評価していいだろう。ママチャリ大いに活躍する。笑。

木蓮もほぼ三年ぶりに外の世界に出ることになりそう。電車に乗って都内まで打って出る由だ。過去に取得した資格がモノを言ったかどうかは不明だが勤め先は某財団法人関連とのこと。


2003年10月16日 自家用車
仕事専用のママチャリ買った。重たい鞄から解放される。自分用の自転車を買うなど数十年ぶりのこと。なんだかうれしい気分。仕事を始めるために投下した資本、木蓮の計算によれば累計で70000円ほど。起業家としての道を進む為の環境が更に整う。木蓮に「がんばって良い成績あげて!」と督励されちまった。Dr.コトー(孤島)に倣って今日から私も自転車族となる。


2003年10月15日 できる営業の鞄は重たい
スタッフより昼食のお誘い。仕事を一件済ませて参加。決して自分の時間を人に売らないことと教えて来た。一日一回以上、現場に立つことでモチベーションを維持できるのだとも。毎日、実践している。鞄が重たければ重いほど意欲が昂進するようだ。人に会う仕事だけに道具は決して安いものを使ってはならないとも。


2003年10月14日 BOXER
昨日に続いての雨模様、歯科往来の為に船橋に出向く。三連休の後ということもあるのだろうが道がむちゃ混んで閉口した。

山を想えば人恋し人を想えば山恋し、、なるほどそうだ。25日だけは山に向かおう。後は仕事ということでプランを組むことにしよう。たった一日の山を大事にしよう。仕事の切れ味、なかなかのものと自画自賛。踏み込む事、拘ることが結果に繋がる、これ成功への方程式である。「まず考えろ!お前は何がしたいのか、何ができるのかを。アルピニズムとは何よりもまず自覚の問題である」と。山も、仕事も同一線上のスタンスで捉えることができるということだ。リングに上がったBOXERのような緊張感を持って仕事を遂行することだ。今は、混乱の坩堝であっても悲観することはいささかもない。ちなみに、会社時代、私が教えて来たことは「メモ魔」であることだった。起業家を志した今、私はメモ魔と化している。一日の業務の最後に記す期待値ではない、ありのままの膨大なメモの山(PCで時系列に為したことをA4紙にただ記しているだけのものだが)が時期は特定できないものの、そう遠くない日に必ず地下水脈を掘り当てるはずだ。

ネットを検索していたら心に沁みる言葉に出会った。備忘の為に書き記しておく。

自分を耕す仕事をせよ「佐々木毅が語る仕事」挫折は微分化しよう「キレてはいけない」

 ひとつの組織に自分を丸投げして依存していれば、一生安穏という定説。これは逆に言うとそこから外れたら一生不幸であるというイメージになるでしょう。しかし今や、どの組織も完璧(かんぺき)なままではあり得ない。職を解かれたり、就職が思うにまかせなかったりした時、やはり深く傷つくものですが、それは自分の人生での決定的な挫折だなどと考えることはありません。

 今までは非常に硬い形で、挫折が制度化されているという思い込みがあったと思います。太い木の幹が途中でポキッと折れてしまうような感覚。ひとつの大きな挫折でその後の人生が真暗闇になってしまうという理解。でも人生はそんなに単純なものではありません。我々は一人ひとりがさまざまなところでポロポロと挫折するという、細かく微分化されたプロセスに入ってきたのです。それは集団現象から個人現象になってきたとも言える。あなたの人生に起きる出来事を挫折と呼ぶかどうかまで、あなたが決めることです。しかし、もし失敗と思ってもキレないこと。そこからまた次の可能性へつなげていく生命力を、人は必ず備えているからです。

 つらい出来事を糧にしてどんどんすばらしい成長を遂げる人など例外ですが、多くの人は打ちひしがれ、苦しみ、でも少しずつ出来る事を探し出していきます。

 私が大学を卒業したのは昭和40年です。前年は、東京オリンピックで高度成長期、就職は引く手あまたでした。大きな企業へ入りバラ色の未来が続くような高揚感がだれにもありましたが、ずっとバラ色の道を歩き続けた人はいませんでした。企業の栄華は人の寿命よりも短い。私たちはそれに気づき、細かな挫折の連鎖を紡ぎながらも自分らしい働き方を手探りすることになるのです。

「粗雑で空虚なエリート意識を捨てる」

 学校、あるいは企業の名に寄りかかろうとする、またその名に群れてエリートの名を手に入れたように思う風潮を空虚だと思ってきました。そこにも硬い形で制度化されている思い込みがある。企業の中で形作られるグループも、さまざまな硬直を招くものだろうと思います。集団現象から個人現象へと移りゆく時代には、一人ひとりが何を考え、どう努力するかが問われます。

 受験という例外的に狭い競争を経て大学合格を果たした新入生に、私は「立身出世と結びついた粗雑なエリート意識は、百害あって一利なしである」と説きます。そこに属しさえすれば、あとはすべて世間の評価でうまくいくなどということはあり得ない。ただ、生涯にわたって、個人の切磋琢磨(せっさたくま)がどれだけ大切であり、すべての基盤であるかを教えることはできます。それぞれの持ち場で、できる限りの誠意を尽くすこと、慢心を遠ざけることを伝えます。

 エリートなどと勘違いした人間ほど挫折に翻弄される。自分自身の生き方や仕事の質、その本質的な部分をしっかりと自分で捕まえておかなくてはなりません。自分以外の何か、たとえば学校や企業、大きな組織などに過度に依存する気持ちがあると、個人は空虚になる。そこに陥らない日々を歩いて欲しいと思います。(談)

ささき・たけし●1942年秋田県生まれ。65年東京大学法学部卒業。東京大学教授を経て2001年4月より第27代東京大学総長に就任。専攻は政治学、政治思想史。主な著書に『プラトンと政治』(東京大学出版会)、『現代アメリカの自画像』(NHKブックス)、『マキャヴェッリと君主論』(講談社)他がある。


2003年10月13日 体育の日
紅葉の穂高、カールの底を這う冷たい風、明け方に見舞われた霰と雪の涸沢を想い出す。体育の日を記念してジョギングを開始した。トレーニングを怠っているせいで身体の切れが悪い。五十肩の痛みが勃発した頃とトレーニングを止めた時期、就職活動の時期とがシンクロしているようだ。継続する事の難しさ、ひしひしと感じている。万歩計のカウントを始めて今日で465日経過、休日も含めた平均歩数は8000歩、エアロ歩数は4000歩を割ってしまっている。継続することがいかに難しいか、、である。それにしても山から遠ざかる日々を過ごしているなあ。すっかりモチベーションが下がってしまったと認めざるを得ない。早く山に戻りたい、その為にも早く足場を固めなくてはいけないね。

来週一週間の仕事のプランを組む。何がしたいのか、まずそれから始まる。

理想というのは大いなる魂に宿るものだが野心というのはちっぽけな魂に取付くもの。(白い巨塔より)


2003年10月12日
休日であって休日ではないという不安な感覚、こうして休んでいる場合ではないという漠とした不安はサラリーマン時代のそれとは明らかに異なる。私は、なんとしても成功への方程式を解かねばならない。紆余曲折するのも今の内としたいものだ。昨日までの鞄騒動も、全ては不安の裏返しと捉えることができるのではないか。環境を整えることで仕事へのモチベーションを維持しようとする危機管理・心理の動きなのだろう。
魏国・曹操「我が戦いは至弱から始まり至強に至る」を座右の銘にして一日一日の努力を重ねよう。不安を不安として、弱さを弱さとして認めることから始めればいいのだ。瞑目することなく、ただありのままを諦観する行を継続すればいい。

登山学校のMさんよりメール。早く山に戻って来てくださいとの要請。今日からお嬢さんと八ヶ岳とは羨ましいことだ。


2003年10月11日 上野アメ横にて
数日、ネットを徘徊し、使用するサイズをベースに絞り込んだ候補は「吉田ブランド」PORTERANGLE512-7222とLUGGAGELABELNEWLINER960-8875の二種類だった。高くても30000円を越えることはない。件の品は丸の内ビル直営店にはなく上野駅界隈にあることが電話確認の結果、判明した。二人して電電で御徒町に向かうこととなる。MOTOYAMA(0338313884)にて実地検分の結果、候補外の「LUGGAGELABELZONE953-9212」価格26500円に決定した。申し分ないキャパシティと質感に満足した。かくして鞄騒動もようやく終息した。めでたし、めでたし、木蓮さん、ありがとう。


2003年10月10日 暖気運転終了
ようやく仕事のリズムに慣れてきた。錆を落とし感覚を元に戻す作業の一週間だった。どうやら「判ってきた」ようだ。とはいえ、まだまだ、、だけど。一週間の総括をプリントする。仕事に使う書類の流れを思い出してきた。動きに無駄がなくなってきている。ようやく十日、これから締め切りに向かって意識が回転を始めるはずだ。明日の土曜日、とりあえずクライアントとの約束はない。他のスタッフは土日も動く気配。ちょっと焦るがジタバタしても仕方ない。じっくりと資料を読む作業を進めること。地を這う努力の覚悟を定めよ。

仕事量が増えるにつれ鞄のキャパシティがますます気にかかる。「LUGGAGELABELNEWLINER」使い心地はいいのだが、容量の不足が致命的。ひとつの鞄ですべてを格納することができ、しかも相当に頑丈でなくてはならない。それに合致する鞄が残念ながら手許にはない。 ここ数日というもの鞄のことが念頭を去らない。ネット、オークションで検索してみるが、こればかりは現物を見ないと判断できないのだ。


2003年10月9日 プロジェクト
今日から浦和時代に戴いた「吉田カバン」「LUGGAGELABELNEWLINER」を試しに使い始める。シンプルで使いやすい。 仕事の完成には、おおよそ10年ほどかかる計画。黙々と情報収集を行うことが、この一年の課題になるだろう。まず三ヶ月、地を這う動力を重ねてみよう。その為には「具体的な活動計画」が必須だ。「何から手をつけたらいいのか」と迷う時間はない。仕事を創る能力が求められている。 毎日、行動計画を立てることに腐心している。業務のひとつひとつを克明にメモしながら「優先順位」を抜書きしているところ。現場の勘を取り戻すには「現場」に出なくてはならない。「一日一回、必ず現場に立つ」「今日の仕事と明日の仕事を併行しながらやる」等の言葉を徐々に思い出してきた。それは、かって私が部下にえらそうに指導してきた言葉でもあるのだ。笑。


2003年10月8日 現場100回
入社以来、初めて現場に足を向けた。踊る捜査線の青島刑事の言葉を借りれば「仕事は会議室で起っているんじゃない、現場で起っているんだ」ということだろう。現場の感覚を取り戻す一日だった。(少しは戻ったかな)コーチを肩にかけて万歩計歩数16000歩を刻んだ。五十肩のせいで資料を頻繁に出すたびに二つの鍵ホックを開ける作業がしんどい。

ネットで鞄の検索作業を始める。木蓮、「お金が出ていくのではないか」と戦々兢々というところ。


2003年10月7日 鞄のこと
昼食を木蓮と一緒にする。職場が歩いて7分の至近距離にあるから、こういう芸当もできる。

昨日から仕事用の鞄の模索が続いている。数年前、NEWYORKに行った折に買ったという木蓮提供のコーチは素晴らしい鞄なのだが、総皮製なので乱暴に扱うには気がひける。自転車の荷台に載せて搬送すれば傷だらけになってしまう。大きな契約を仕掛ける時の勝負鞄として大事に使わせていただこう。地方周り(どさ廻りとも言うが)に必要な、FILOFAXと携帯電話二台、財布、小銭入れ、煙草一式、ライター、印鑑、名刺入れ、鍵、地図、資料ファイルなどを一括で格納するにはスペースが狭すぎる。


2003年10月6日      
スタッフから昼食へのお誘い。わずか500円で美味しいお寿司を食べた。仲間として認知されてきているという証だろうか。端末操作、地図、まだ操作に慣れていない。一年のブランク、記憶が繋がらないもどかしさを感じる。仕事用の鞄だが、やはり小さなバックという訳にはいかないようだ。必要な書類だけを持参するというスタンスでいいのだが、書類以外の道具の格納が問題だ。鞄をふたつ、場合によってはみっつも持つのはかなわない。ひとつですべてをカバーする鞄が必要だ。

新しい携帯電話に音楽をダウンロードする作業。チャコの海岸物語、銀の龍の背に乗ってなどをダウンし、それぞれの機能に音を割り当てる作業を行った。


2003年10月5日 休日
昨日に続いてヨーカドーにて、仕事用の軽い靴、室内サンダル、押すだけ判子を準備する。これで仕事の基本道具は全て揃った。夕方、久しぶりに薬円台公園まで軽くジョギングをする。体の動きをシャープにする為に運動は欠かせないファクターなのだ。強制的に肩を動かすジョギングと鉄アレイ負荷の逆療法だが、少しは効果が期待できるのではないか。痛みの質が微妙に変化してきているように思える。ここ二ヶ月、就職騒動の渦中でトレーニングする余裕もなくしていた。山に向かうこともなくなって味気ないことだった。

仕事再開、いよいよ来週後半から本格的になる。結果を出すための「具体的な動き」を加速させなくてはいけない。集中力を高めなくてはならない。仕事を楽しむ境地にならないとストレスが蓄積されてしんどいだけ。仕事を楽しむには、それなりの動きがなくてはならない。具体的に動く仕掛けのイメージと準備はほぼ完了している。まず量をこなそうと思う。


2003年10月4日 カメラ付携帯
津田沼にジャスコが新規オープンして新京成津田沼駅は人の往来でごったがえしていた。津田沼にてPC用のマウスと名刺印刷の紙を求める。仕事専用に使うPHSを購入。ついでに携帯も機種変更(流行のカメラ付型落ち品)を行って通信道具を一新した。仕事の道具、環境、着々と揃いつつある。一年という時間をかけて準備した環境を守らなくてはならない。

学校主催「沢登り」に向かう予定だったが「五十肩」の経過が思わしくなく先月に続いての不参加となった。仕事の事に神経が行って余裕をなくしていた事も重なる。鉄アレイによる負荷運動、少しは効果があるのかなあ〜。夜中、明け方に痛みが増すのはかなわないや。


2003年10月3日 三日目
スタッフから昼食のお誘いがあった。午後にはお茶のお誘いと続いて、なんとなく場に溶け込みつつある。仕事に向かう前の諸準備で一日過ごし夕方6時過ぎに会社を離れる。黄昏迫る商店街、買い物の往来で賑やかだった。夕暮れて自宅に向かうなど久しぶりの事。わずかな金額の給与袋を一年ぶりに木蓮に渡した。今月末からは銀行送金となるから初めてで最後の現金手渡し。


2003年10月2日 二日目
自宅から専用の珈琲とカップを会社に持参した。上高地で購ったカップには河童の絵が描かれてある。戦場での憩いというべきか。山を想う気持ちを忘れないこと。ようやく業務PCが配布された。接続が悪くスムーズにオンラインにならないので困った。PC操作に慣れる作業を午後3時まで続ける。新しいプログラムの使い方がいまいち不明。契約データが手許にないから仕事にならない。午後、早々に自宅に戻って仮眠を取った。緊張ストレスが溜まっているのだろう。こういう時は寝るにかぎる。


2003年10月1日 ドクター孤島
初出社。朝礼に参加しスタッフへの挨拶を一通り済ませる。付与された机とロッカーの鍵を貰う。ドクターコトー(孤島)待遇でポツンと一人だけ隔離されていた。組織内諸般の事情で、そうせざるを得なかった立場を慮る。利を求め集まっている集団を運営する難しさが窺える。私が同じ立場でも同じことをしただろう。一人だけという気楽さは確かにある。誰も私に指示をしない、私に指示をするのは私だけである。いよいよ始まった、ここに来るまでの一年という長い時間を想った。





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