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東北の山旅 2004.08.07-14

東北の山旅 三日目

「早池峰山」標高1917m 日本版エーデルワイスが自慢の岩礁岩塊が連続する花の名山。

2004.08.09(月)
コース
河原坊〜早池峰山頂〜小田越えルート下山〜早池峰ダム「道の駅・はやちね」〜R396北上川に沿う道を盛岡まで〜盛岡市街〜秋田街道雫石バイパス〜雫石〜小岩井農場〜柳沢村落〜岩手山馬返し

05: 00起床。晴天。炊事場にて洗顔・食事。支度を整えて出発した。コメガモリ沢を辿り始めた。幾度かの渡渉と露岩帯を抜け登っていった。道筋に三角板の黄色い指標が見えた。盛りを過ぎ朽ちかけたハヤチネウスユキソウが岩の間で風に揺れていた。ガスが流れて視界を遮るが三角指標板が随所にある ので間違えようがない。やがて千丈ヶ岩を始めとした巨大な岩が現れ始めた。尾瀬と同じ蛇紋岩質の山だという。ほぼ三時間の登りで山頂に達した。血の小水を流しながら絶対登るんやと覚悟していた割に意外 とあっけないものだった。賢治も幾たびもこの山に登って岩石採集を行っている。幼い頃、周囲の人々に石っこ少年と呼ばれた賢治だった。石を砕く金槌を腰にして山、川を徘徊していたという。宮澤記念館に並べられていた岩塊は賢治が集め標本していたものだ。石に興味を示し集めることは私もやった。ポケット一杯に石を詰め机に並べにんまりしたものだ。石を集めたひたむきな少年時代があったことを幸せに思う。
植村直己は日本人としてヒマラヤ初登頂を果たした人だ。誰もがヒマラヤ山頂に立ちたいと思いやってきた。夢叶わない仲間たちの為に石を持ち帰るべく重い高価なカメラ機材(NHK所有)を棄ててまで石を拾い集めたという逸話がある。そういえば1996年に友と登った富士山頂の赤褐色の石をお土産に持ち帰ったが、あれはどこに行ってしまったんだろう

山頂は一帯の地域信仰を担うだけあって賑やかなものだった。視界一望だった。西の方向にたおやかに連なる東北の峰々が続いていた。眼前に早池峰山と高さを競うように薬師岳が在った。ランチを済ませ定番の珈琲を飲みたんわりした。ああ、ついに登ったなあ、東北の山に初めて登ったうれしさがじんわりこみあげてきた。にぎやかなパーティの笑い声が聴こえてきた。一人の山もいいが仲間と共に登る楽しい山もいいなあ、素直にそう思った。下山ルートは小田越えを取った。蛇紋岩がそこかしこに点在していた。鎖場の下りに出た。鉄製の階段が二本、かなり高度感 があったので慎重に下った。竜ヶ馬場からは別れを惜しむように山頂を幾度も振り仰いだ。青空と緑と岩のコントラストが鮮やかに目に沁みた。
雑木林を抜け小田越え登山口に下山した。ここから河原坊までアスファルト道を散歩気分でゆっくり歩いた。薬師岳と早池峰に挟まれた隘路は風の通り道になっている。ほどなく基点の河原坊に着いた。あっけなく早池峰登山が終って放心した。写真を数枚撮ってテント撤収にかかった。今一度、早池峰山を仰いで別れを告げた。早池峰ダム「道の駅・はやちね」で休憩した。下山報告を家に入れた。烈しい小雨がパラついたがすぐに上がった。往路の折壁峠を迂回し北上川沿いに盛岡を目指した。農道に合流し北上川沿いに北上した。 盛岡市街と渋民への分岐に出たが渋民村に向かうことなく盛岡に向けてハンドルを切った。岩手山が視界に入ってきた。啄木記念館を訪れ啄木碑の下に佇み岩手山を仰いだ昔日の感傷に浸ってどうなるのだろう。もう終ってしまったこと、過去に遡ることは今となっては意味のないこと、きっぱりそう思った。

盛岡市街の広い幹線道路でガソリンの補給をした。雫石に向かう道の情報を集めた。指示されたとおりの隘路を走り、市街を流れる北上川を渡って秋田街道雫石バイパスを目指した。のびやかに広がる田園風景が視野に入ってきた。道の形にかすかに記憶があった。道に沿うようにレストランの色鮮やかな建物が立ち並んでいた。どこの地域も似たような色、画一的な景観になってしまった。指標に従い雫石交差点を右に折れ小岩井農場に入った。放牧された牛の群れが草を食んでいた。岩手山麓に広がる牧歌的な景色を初めて見た。山麓を走りやがて網張温泉に入った。登山口がある岩手山ロープウエイの時刻表を確認した。時間的に見て一日での往復は難しいことが判った。このルートではなく馬返しルートで登ることを決めた。山麓にある眺望のいい公営温泉で三日ぶりに汗を流した。髭を剃り着替えをしサッパリした。柳沢を経て山麓の馬返し登山口に向かった。車が二、三台停まっているだけだった。岩手山直下にある砂利敷地の一画に車を停め魚の缶詰とラーメンの夕食を取った。眼前に明日登る岩手山が夕陽を浴び赤く染まっていた。宮沢賢治が初めて岩手山に登ったのは、ここ柳沢馬返しからだった。短い生涯において30回ほど登ったとある。岩手山は賢治にとって「青春の山」であった。昔も今も山は変わることなく在る。賢治が登り啄木が仰ぎみた岩手山に明日はいよいよ登る。

旅三日目は車中泊とした。蒸し暑い夜だった。なかなか寝付かれないので涼を求めて滝沢分岐にあるローソンまで往復した。そこでゴミ袋を分けて貰った。柳沢民家の自販機傍に車を停め寝つかれないまま朝を迎えた。



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