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東北の山旅 2004.08.07-14

東北の山旅 四日目

岩手山標高2038m
南部片富士と呼称される日本最長山脈の最高峰。

2004.08.10(火)快晴
コース
馬返し登山口〜柳沢〜滝沢分岐R48合流〜R282(陸羽街道)〜西根交差点左折から岩手山麓を北上〜松川自然保養林キャンプ場(幕営地)

浅い眠りのままに朝を迎えた。馬返しキャンプ場で食事を済ませ冷水をグランテトラに満たし出発した。山麓の樹木のトンネルを潜るようにゆっくりと歩き始める。ほどなく0.5合目指標。樹木の間から岩手山頂が顔を覗かせた。かなりの高度差があるように感じた。やがて一合目の指標。岩と土の混ざった露岩帯が現れ次第に勾配がきつくなってきた。これまでの道は軽いストレッチみたいなもの。ここから本格的な山道を辿ることになる。やがて2.5合目の旧道新道の分岐標識となる。岩の多い旧道に向かった。「蜂が出るので要注意」の真新しい案内板があった。蜂ばかりはごかんべん、即刻退散し新道に切り替えた。次第に勾配が強くなる。樹林帯を抜ける三合目四合目から次第に視界が広がってきた。眼下に小岩井牧場と岩手市街を俯瞰し朝靄に霞む早池峰山を一望した。「昨日はあの山に登ったんだよなあ」とひとりごちた。やがて六合目。黙々と息を継ぎながら標高を稼いでいった。ドーンドーンと無粋な自衛隊演習射撃の響きがこの高さまで届いていた。ひと踏ん張りで七合目。大きな石と祠がひとつ。見上げる岩手山頂が青い空に大きく緩やかな孤を描くようにどっしりと在った。

岩手山は岩手県の象徴として在る山だ。岩手県民の母なる山といって言い。豊かな乳房がたんわり穏やかにいつもそこに在る。どっしりした安定感はまさしく大地に立つ母のようだ。やがて八合目。木造の立派な八合目避難小屋が建っていた。湧水「御成清水」で喉を潤し不動平の草原を歩くこと数分で山頂へ至る分岐道に至った。右を行っても左を行っても山頂に到達する。右の道を選んだ。一歩前に進めば半歩下がる砂利状のはなはだ歩きにくい道だった。噴火して間もない山だけに植物が育っていない。岩手山にはコマクサが咲くと知っていた。この高さと緯度、荒涼とした砂礫環境ならありうることだ。ズルズルと滑りながらも前には進むもの。約3時間半、途中休憩なしのストレートウォークの末に山頂に至った。

お鉢状の山頂周囲には年号を刻んだ古い石仏が火口を囲むように幾つも並んでいた。岩手山が信仰の山であったことの証。宮沢賢治が仲間たちと松明を点しながら幾度も登り、親友保坂嘉内と二人で登った山。「俺たちこれからも一緒に歩んでいこう」と誓いを立て夜明けの光に包まれた山。保坂の言動が巻き起こした波紋により放校処分となる。思いもしなかった辛い別離が訪れる。賢治は、かけがえのない友を喪失した悲しみの慟哭を詩集「春と修羅」に其れとわからぬように忍ばせた。代表作「銀河鉄道の夜」は去っていった友への哀惜と別離の悲しみが美しい象徴的な言葉で描かれている。原稿は幾度も推敲され書き直されたが、ついに完成することはなかった。啄木が「ふるさとの山に向かいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ山。一気に読みふけり朝を迎えた「壬生義士伝」に登場する山。まさしく故郷の山として相応しい質量と力感溢れる山だ。その頂きに私も立ち「言ふことなし」だった。30年数年前、渋民の石碑から望んだ山に、登山の形で訪れたことへの感慨が胸を満たした。人の暮らしは変わらないように見えながら秒刻みに堆積し変化してゆく。自然も人も家族の肖像も四季の移ろいの中でそれとわからぬように静かに変化を遂げてゆく。

八合目避難小屋でインスタントラーメンを購いランチとした。水場の備え付けのカップで湧水をゴクゴクと500ccほど飲み干した。そのまま往路を戻った。姫神山、斜め後方に早池峰山の姿があった。途中で小さなデジタルカメラを拾った。ベルトに固定していたカメラが移動の拍子に落下したのだろう。ケース、本体に名前が書いてなかった。これでは連絡のしようがない。ファイルを調べてみると山頂での今日付けのファミリー記念写真があった。山頂到達時刻からするとそれほど時間が経過しているわけではない。ひょっとしたら追いつくかもしれないと思った。

1500、道草を食みながらゆっくり名残を惜しむように馬返し登山口に無事下山した。私の車を除いて一台も停まっていなかった。靴を脱ぎサンダルに履き替えた。草地に腰を下し珈琲を淹れるべくストーブを点火した。突然、車のドアがユラユラ揺れた。地震のようだった。しばらくして携帯電話が鳴った。TVで東北地方に震度4クラスの地震があったけど「まあちゃん、大丈夫?」と義父のやさしい声がした。すっかり恐縮してしまった。

珈琲と煙草でたんわりし今日の宿営地へ向け出発した。滝沢分岐から陸羽街道に合流した。溶岩流の名所を一瞥し西根交差点を左折した。ここから岩手山麓を左側に見て走る。牛の背のように長いごつごつした稜線が続いていた。日本最長山脈の由来が頷けた。幕営地「松川自然保養林キャンプ場」は源泉の湧湯掛け流しで評判のいいキャンプ地だった。値段もリーズナブルなものだった。春から晩秋までオープンし冬は雪のために完全閉鎖するそうだ。バイクツーリング族が音を響かせ続々と集合しにぎやかだ。色とりどりのテントが並んでいた。受付を済ませ板敷サイトにテントを張り珈琲を淹れた。デザートに支度したトマトとリンゴをビニール袋に包み冷水に浸した。夕餉の支度が始まった。あちこちでBBQの煙が上がり歓声が聞こえ始めた。虫除けの蚊取り線香を焚き桟敷の上で慎ましやかな夕食を摂った。タオルを首に巻きお楽しみの掛け流し源泉に向かった。管理小屋すぐ傍の古びた木造建物が温泉場だった。五人も入れば満杯の狭い石作りだった。硫黄の匂いが充満し小さな湯治場の趣があった。熱くて気持ちがよかった。設備と森に囲まれた質素な佇まいが気にいった。明日も連泊することを決め受付で手続きを済ませた。ちょっと話をしたが気持ちのいいおばさんだった。

早池峰山、岩手山と登頂を果たし充実感に満たされていた。ランタンを灯し珈琲とデザートでたんわり過ごした。旅四日目の夜は森に包まれた八幡平麓の静かなキャンプ場で穏やかに過ごすことができた。ここを基地にしてあちこち廻るのもいい。明日の地図を眺めやすらかに眠りについた。

付 記:岩手山の勇姿は「青島原人の手帖」表紙に登場させています。


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