初夏の尾瀬、のんびりテント泊 
_____PROLOGUE ニッコウキスゲ ニッコウキスゲ ニッコウキスゲ
雄々しく荒々しい頂きの燧ケ岳と、たおやかで美しい稜線を見せる至仏山が尾瀬には在る。その狭間に広がる広大な尾瀬湿原の美しさを何と表現したらいいのだろう。

尾瀬…それはあたかも美しいものの代名詞。
蒼い空に湧き立ち、去来する雲。ひっそりと在る沼、そよぐ風に揺れる湿原を埋め尽くす純白の水芭蕉、あるいは山吹色の絨毯を敷き詰めたように咲き乱れるニッコウキスゲ。「わたすげ」が風に揺れ、風の軌跡を示してくれている。 深い山懐に抱かれて眠りたい と心から願った。漆黒の闇に点るランタンの灯火の下で、ひそやかな喜び溢れる会話、静寂の森の声に耳を傾ける時間、そうして、これ以上はないと言う満足の寝息を私達は願ったのだった。

部屋の片隅にひっそりと置かれた二つのザックが、まだかまだかと、出番を待っていた。敢えて登山靴ではなく軽いズックを選び、かろうじて二人眠れる小さなテントを選んだ。7月20日〜22日にかけての尾瀬の旅は、おおよそ次のようなものだった。
ニッコウキスゲ ニッコウキスゲ ニッコウキスゲ ニッコウキスゲ / H.esculenta 朝開いて夜には萎む一日花___

【日 付】2001年07月20日(金)〜22日(日)晴れ
【場 所】尾瀬


07/20(金) 自宅を出発
20日午後9時に自宅を出、外環〜大泉を経て関越高速に乗る。沼田ICまで、おおよそ1時間半。そこから尾瀬の入り口、戸倉温泉まで、やはり1時間半ほどで到着するはずだ。赤城高原ICで休憩を取る。大勢の人で賑わっていた。
戸倉パーキングに入ったのは0:00、夜と朝の境目だ。予想とおり多くの車が駐車していた。外に出て空を仰ぎ深呼吸をひとつ。点る水銀灯の灯りで瞬いているはずの星が見えなかった。テルモスの珈琲を飲み、煙草を一本くゆらせてから仮眠に入った。明け方の寒さに備えてシュラフに包まり、私達はたちまち深い眠りにおちたようだ。

 ◆  ◆  ◆

07/21(土) 鳩待峠から山の鼻テント場へ
21日、7時に目が覚めた。快晴の空だった。既に多くの人が支度を整え、乗り合いタクシーで鳩待峠に向かいつつあった。 パンと温い珈琲での朝食を済ませ、ゆっくり支度を始めていると、乗り合いタクシーのおじさんが寄って来て「急がないとタクシーがいなくなるよ」と脅かしてくれるのだ。「えっ」と驚き、慌てて乗り場に向かったことだった。

鳥 尾瀬ケ原への入り口、鳩待峠は人で溢れていた。夏休み最初の日曜日である。混雑は覚悟していた。山小屋の雑魚寝を避けてテントを持ってきたのは正解だった。大勢の行列登山客に混じって木道を下ること、おおよそ1時間。原生の尾瀬最大のブナ林が私達を迎えてくれた。オオルリの声が森を通り抜けていく。既に盛りを終えたミズバショウの葉が巨大化して木道の両脇に茂っていた。まるで西瓜の皮を押し広げたような巨大な葉が幾重にも並んでいて、葉っぱのお化けのような感じがした。

ようやく山の鼻到着。いくつかのテントの花が咲いていた。使い古したひとりもんテントに熱いカップルテント、枯れた熟年夫婦もんテントに学生軍団テントの花盛り。木道の脇、狭い空間の木の下に隙間を見つけて早速設営にかかった。目の前には木造のビジターセンターがあった。準備してきたフランスパンをかじって、ようやく朝食を取る。ガソリンストーブの調子がいまいち悪く、水がなかなか沸騰しないので困った。予備にガスシステムを持参してくるべきだった。

ゆっくりと初夏の尾瀬の散策を楽しむ
静寂の声を聴く夜までにはたっぷりと時間がある。スケッチブックとカメラを持って、さっそく湿原の散歩に出かけることにした。
木道に出ると緑なす至仏山(標高2228m)の頂きが視野に入ってきた。それほど高い山でもないのに、この山の森林限界は相当に低いところにある。生成してから1億5000万年ほど経過している。氷河期を経験した古い山なのだ。高山植物の宝庫とされている所以だ。
ニッコウキスゲ その至仏山と相対峙する燧ケ岳に挟まれた尾瀬湿原はニッコウキスゲの盛りを迎えていた。とんぼが透明な羽を翻して目の前を過ぎていった。木道の脇に設置されたベンチに腰を下ろし、広がる湿原の風景に眺めて過ごした。大勢のハイカーがひっきりなしに往来する。交わされる言葉は、東北弁あり、関西弁ありで随分とにぎやかなだ。尾瀬は、そういうところなのだろう。

家人はスケッチ帳などを広げ、黙々と描き始めた。私はカメラを構えて、ワタスゲ、金光花(キンコウカ)などの花を撮影する。露出はカメラ任せ。なにせ平均値で現像する安い値段で処理するから、露出の上下は意味をなさない。本当に写真をやるなら高価な「ポジフィルム」を使わねばならないところだ。写真は見たままを写すというのは真っ赤な嘘だと思う。重い三脚を持ち歩かないカメラマンは、その時点で既に失格だ。私の名機GITZO 「G1276」は家の隅で泣いている。同じく年代物のPENTAXもお蔵入りの運命か。どういう訳か、カメラが多いのだ。

池塘に可憐に咲く「ひつじ草」は、羊の刻(午後2時前後)になると花開くのでこの名がある。わずかな池塘を囲むように人が群がっていた。ヒツジグサ手のひらを半分ほどの大きさにした白蓮のような清楚な花弁が浮かんでいた。受粉すると池の底に螺旋状に下降して結果する生態の不可思議さに驚いた。どの花をとってみても、それぞれに生き残るための工夫を凝らしている。言うまでもなく花が咲くのは受粉を促し、子孫を残す行為に他ならない。蝶やハチ、その他諸々の虫たちの協力を得る為に、凝らされた仕掛けの精緻さには舌を巻く。花を見る、あるいは鑑賞するという素養が自分にないことを認めなくてはならないようだ。

カメラで撮る花、スケッチする花
湿原をぐるり廻って歩いていると、スケッチに興じる家族の一団に出会った。お父さん自ら木道に座り込み、熱心に写生に没頭している。その家族も同じように写生に余念がない。描いているのは今を盛りのニッコウキスゲであったり、名もしらぬ草であったりしている。ここだけとても濃縮した時間が流れているようだった。安易にカメラを向けてシャッターを切る行為よりも、はるかに花の命に迫っているように思われる。これもまた素養の違いなのだと忸怩とする場面であった。写真で撮影する花、画帳に自分の描線で描かれた花、どちらにより生命が通っているだろうか。答えは明白だ。妻の描いたスケッチは、時間を経ても輝きを放っている。

再び木道のベンチに回遊してきた。お茶を立てて飲むことにした。メイン道路は相変わらず人の往来が激しい。 至仏山からの下山者が木道に列をなして歩いてくる。彼等が同じようにベンチに陣取ったので、随分と姦しいことになった。まるで池袋サンシャインビル通りのにぎわいを思わせるようだ。

テント テント テント

昼食を取る為にテントに戻ってきた。さまざまなテントが狭い山の鼻を埋め尽くしていた。昼食時ということもあって炊事場に人が溢れていた。いつも思うのだが、高校生の一団のきびきびとした行動には感心してしまう。それぞれの分担役割が登山計画の段階で決められているのだろう。素早く支度を整えて、素早く食べ、素早く撤収するというリズムを身体で理解するという塩梅になっている。そこへいくと我々は、まるで訓練されていない二等兵のようなもの、時間の使い方がまるで下手と言わざるを得ない。基本ができているか、いないかの意味は大きいのだ。

食事はキャンプの楽しみのひとつ
一組の老夫婦キャンパーが、ザックの中から様々な野菜を取り出し(予め切ってあったりする)、調理をしていた。そうとう手慣れた様子だったので、これまた妙に感心してしまった。まるで夫婦の歴史を思わせるよう使い込んだ貫禄もののテント、色褪せて風雪に耐えたという顔をしていた。かなわないなあと思った。
ひとりもんテントの主は椅子に座り、悠然とインスタントラーメンをすすっていた。侘びしい生活の匂いがちょっとした。私も一人なら、多分インスタントラーメンの口だろうと思った。

食事を済ませてから、図鑑片手に再び湿原散歩に出かけて贅沢な時間を過ごした。度々尾瀬には来ているのだが、これほどのんびりとした時間を持つ事はなかったように思う。

尾瀬ビジターセンターを覗いてみる。夕方からスライドショーがあるという。小屋の前でアンケートに答えた人に絵葉書一葉をくれるというので、さっそく並んだことだった。テーブルを出して若いお姉さんたちが道行く人に笑顔を振りまいていた。土産物を見に行っていた木蓮が帰ってきて、山小屋の人と間違えられたと笑いながら言う。山になじんだ格好をしていたからか、観光客とは明らかに違う雰囲気を漂わせていたか、それは判らない。あまりにのんびりと過ごしていたもので自ずと顔に出てしまっていたのだろう。いつの場合でもおおよそお土産物には関心を示さない私たちではあるのだが。

飯盒 鍋 飯盒

黄昏迫る時刻となり、あちこちで夕餉の支度が始まった。私達もテントの前に陣を張って鍋に湯を沸かし始め、質素な食事の準備にかかった。レトルトカレーとパックご飯の簡単なモノ、それに卵スープ。せめてご飯くらいは炊けるようにしなくては情けないことだ。(これは次回山行でみよう見よう見真似で実践できた)。

薄暮のうちに調理器具を洗い、歯磨き洗顔を済ませるのがコツ。ランタンに火を灯した。その後で食後の珈琲タイムを楽しむのが我が家の習わしとなっている。ビジターセンターから拡声器でアナウンス。「スライドショーを「7時00から開催しますので、御参加くださあ〜い」 村の集いならぬ山の集いという訳だ。参加しなくては意味がない。

自然の摂理の複雑さと豊穣な世界
部屋は既に人で溢れていた。人ごみを分けて前段の席に座って開催を待つ。凛々しい学生さんの司会でスライドショーの幕が開いた。尾瀬の一年と題した植物誌が主題になっていた。尾瀬湿原に咲く花々たちの紹介があった。花が咲くのは受粉を促すため。蝶とかハチとか、その他もろもろの虫たちの協力を得るために、花がどれだけ涙ぐましい努力を重ねているかの説明があった。自然の摂理の複雑さと豊穣な世界を学んだ。目からウロコという思いをした。花々を眺める視点に広がりができたように思う。

あざみ 虫達の受粉を期待できない植物は、その季節になると自らを解体して風に運ばせる。路傍に咲く「あざみ」、その姿、形に意味があるというのだ。ある種の虫を避けるために「刺」の環があるのだと言う。一対の凸凹の組み合わせによる受粉しか受け付けない形というものがあるのだとも言う。「ははあ、そんなものなのか」と驚いたことだった。ニッコウキスゲの花弁の擬態もまた見事なものだった。本来の花弁は3枚なのだが、受粉を促す色彩を多くするために2枚の「がく」が花弁と同じ色彩をまとって昆虫の訪れを喚起しているというのだ。人間世界も例外ではないなあ。あそこにも、どこにでもいるフェロモン軍団。そういう私もフェロモンにはからきし弱い性質であるのだが(笑)そういえば、ここ数年ネオンの巷に遊んでいないなあ。

静かな(?)山の夜が更けてゆく
午後8時、閉会してテントに戻った。既に漆黒の闇が森を覆っていた。テントを通してほのかに揺れるランタンの灯。虫達の襲来もなく、静かな夜が期待できそうだ。再びお湯を沸かして珈琲を飲み煙草を一本吸う間の語らいをする。それから懐中電灯を頼りにトイレに向かった。ザックをビニール袋に覆い外に出す。こうしなければ眠るスペースがない。シュラフに入り眠りにつこうと目を閉じた。狭いテントだから身体を少し動かすだけで衣擦れの音が響いて寝付かれない。

緑のテント どのくらいの時間がたったのだろうか、隣のテントから、いやあちこちのテントから「ウンガゴ〜、ウンガゴ〜」と、この世ならぬいびきが聞こえてきた。時に耳を疑いたくなるような(ええ、口にするのもはばかられるような)生理的な音までも(みなさんよく御存じの、硫化水素を含むフェロモンならぬヘロモンが)。まるでモーツアルト「レクイエム」ではないかと笑ってしまったことだ。夜半になって激しい雨と雷。この季節にはよくあることだ。テントを叩く雨音を子守唄にして、ぐっすり熟睡したことだった。

 ◆  ◆  ◆

07/22(日) 朝の風景
22日6時に目覚める。昨夜の雨に洗われた森の緑の匂いが山の鼻にたちこめていた。清清しい朝を迎えた。 ガソリンバーナーがついに作動不能となった。家に戻ってからメンテナンスをしなくてはならない。諦めて、水とパンの簡単な朝食を終え、テントの撤収にかかった。目覚めてから撤収完了まで2時間ほどかかった。工夫次第ではまだまだ短縮できる。風、雨、嵐の状況下では、もっと迅速に撤収しなければならないと思った。

ザック梱包を終えてから、湿原散歩に出かけた。朝靄が湿原一面を覆っていた。至仏山頂上に柔らかな光が射していた。いいものを見せて貰った。満足して帰路についた。
最高温度26度最低温度12度という別天地。
下界は夏の盛りを迎えていた。

文責: 青島原人


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