妙高連峰、のんびり幕営登山 

黄色のザック オレンジのザック 妙高連峰に幕営登山に行ってきました。
ひさしぶりの山でしたので、くたばりました。

【日 付】 2001年08月13日(月)〜16日(木)おおむね晴れ
【場 所】 火打山、妙高山(地図
【行 程】
(08/13) 妙高高原駅…(バス)…笹ガ峰キャンプ場
(08/14) 笹ガ峰キャンプ場…(3時間15分)…高谷池キャンプ場
(08/15) 高谷池…(1時間30分)…火打山…(1時間)…高谷池
 高谷池撤収…(1時間)…黒沢池ヒュッテ
(08/16) 黒沢池…(2時間15分)…妙高山…(3時間)…燕温泉


8/12(日) 出発前夜
今年の夏休みは「山」ということになっていた。自動車修理車検、他諸々で出費が嵩んだせいだ。天候不順な日々が続き、せっかく立てた計画はお流れかと気を揉んだのだが、どうやら回復の兆しが見られたので友人と計って決行ということになった。

妙高の地図 一旦、解いたザックを詰め直し、火打山と妙高山地図の読み込み作業に入った。 ひさびさの天幕山行に期待が高まる。

ザック、乾燥重量16Kgに耐えられるだろうか。6月にぎっくり腰で仰臥生活を1週間ほど送った身には、ちと堪える重さだ。せめて丹沢の山を三つほど歩き込む余裕が欲しかった。水と食料は友人に頼むしかないだろうなあ。

この友人と山に向かうのは、かれこれ6年ぶりのことになる。西から東へといろんな旅を共にした仲なのだが、不思議と山に向かう機会は少なかった。百戦錬磨の友人の足手纏いになるのは気が進まなかったこともある。いうまでもなく、私のペースが遅いのである。(笑)
明日は9時前に家を出ることにする。遠足前夜の興奮。いつものことながら、なかなか寝つけない。

 ◆  ◆  ◆

08/13(月) 初日は笹が峰キャンプ場へ
 08:55 自宅を出発
黄色のザック 「じゃ行ってくる」と自宅を出たのが08:55。バス停まで5分の距離でザックの重さを量る。まあ何とかなるのではないかと安心した。大きなザックを背負った姿が周囲の視線を引いているようだ。蕨駅で妙高高原駅までの切符を求める。指定は満席だった。大宮駅から新幹線自由席に並んだ。旅客満載だったので、通路に腰を据え、文庫本片手に時間を潰した。ちなみに椎名 誠著「ハーケンと夏みかん」何度読んでも面白い。軽井沢でどっと人が降りたので席を確保。長野駅までは楽ちんだ。気が大きくなって珈琲(300円)なんぞを頼んでしまった。あっという間に長野駅到着した。長野駅からは上越行臨時列車に乗り換える。こちらはガラガラだった。

 12:15 妙高高原駅に到着
電車は長野市街を経て、次第に郊外の田園に向かって走って行く。盛夏を象徴するように広がる緑の絨毯。里山の風景も懐かしい。信越線の各駅は実にのどかだ。牟礼駅を過ぎた頃から、大きな瘤がふたつ並んだようにそそり立つ妙高山の雄姿を求めるも、あいにく雲に隠れて姿を見せない。妙高高原駅到着12:15。予定では、あと10分で上越から友人が到着するはずだ。携帯電話にアクセスするも不在案内が出る。愚直にも電源を切っているらしい。(実は、後で、電話機を忘れてきたことが判明)
ザックを下ろし、キオスクのおばさんに「スーパー」の所在を確認した。食料調達が課題だった。歩いて5分の場所にあるという。そうこうするうちに電車が滑り込み、しばらくして友人が現れた。「やあやあ、、」と言葉少ない挨拶を交わした。

「まず昼飯でも食べようか」駅前の食堂に向かい始めた時、背後から「○○さんじゃない」と声をかけられた。 驚いて振り返ると、女性の2人連れが旅行バッグを抱えて立っていた。 古い友人のHさんであった。「まさかこんな処で再会するとは、、凄い確率やなあ」と挨拶を交わした。近況について矢継ぎ早の質問が飛んでくる。アメリカ留学中の娘のメールアドレスを教えてくれ、というので、互いの携帯を並べて登録作業を行った。
 Hさん「どこに行くの」
 私「火打山と妙高に登ろうと思って」
 Hさん「相変わらず好きなんやねえ。
     私は友だちと黒姫高原のホテルに泊るんよ」
バスの迎えが来るという彼女達と駅前で別れ、私と友人は駅前の食堂に入った。
親子丼と卵丼を、それぞれに頼んで打ち合わせに入った。友人が冷いお茶と水をめざとく見つけ、ちゃっかりペットボトルに確保した。 食料調達を近くのスーパーで済ませ、バス発車時刻まで食堂で時間を潰した。タクシー利用という手もあったが、今日は急ぐ旅ではない。

緑のテント 青のテント 緑のテント

 16:00 笹が峰キャンプ場
今日の宿「笹が峰キャンプ場」に着いたのは16:00だった。オートキャンプ場仕様の広場には、既にさまざまなテントが翻り、家族の談笑が森に響き渡っていた。受け付けを済ませて、さっそく我々もテント設営に入る。新調したmont-bellテントのデビューだ。おもむろにシートを敷き、テントを広げ、スリーブを通して立ち上げた。鮮やかな黄色のフライを被せて完了。5分もかからない身軽さが山岳テントの身上だろう。隣ではお父さんが一人で巨大なタープと格闘していた。御苦労さんと声をかけてあげたかった。家族の為に頑張っている姿は尊いものだ。

友人が持参したシートはピクニック用の簡単なもの。さすが自衛隊でサバイバル訓練を受けてきた人間は違うなあと感心した。私のそれは薄い銀マットと空気マット。合わせて500gはあるだろう。これでも重いと彼は言うのだ。

さて食事となった。まずコッヘルでご飯を炊く。おかずは、レトルトカレーの中に玉ねぎとジャガイモを入れて煮込むだけの簡単なモノ。デザートにはリンゴを半分ずつ。
ランタン 食後、同じく新調した世界最小というランタンにホヤを取り付ける作業にかかった。一度目は見事に失敗したが、二度目はうまくいった。ランタンの灯りの下で、珈琲タイムとなった。こうして話すのは何年ぶりのことだろうか。

 19:00 早々に床に着く
ファミリーキャンパーたちの笑いさざめく声が森に響き渡る中、早々に床に着く。彼はファミリーキャンプの経験が(おそらく)ない。キャンパーたちの騒ぐ心理が理解できない。子供の心理に至っては尚更のことだろう。夜10時近くになっても寝ようとしない隣のテントの子供に向かって「いいかげんに寝なさい!そこの子供たち!」と叫んでしまった。しかも2度である。一瞬の沈黙の後、小さな声にトーンが下がる。うーん、そりゃ酷だぜ。ここはオートキャンプ場だし、お邪魔なのは、むしろ俺たちの方なんだがなあ。世事に疎い仙人みたいなところがあるからなあ、、これ以降、彼のことを仙人と呼ぶことにしようと思った。

 ◆  ◆  ◆

08/14(火) 2日目は高谷池ヒュッテまで登る
周囲のざわめきで自然に目が覚めた。バーナーで水を湧かし、レーズンパンと珈琲で朝食をとった後、撤収作業を始める。もし雨が降っていたらテントの中で全てのパッキングを完了し、レインウエアを纏っての作業となる。つくづくと快晴はありがたい。シートを外に出してザックの部品をひとつひとつ並べていった。周囲のキャンパーたちもぞろぞろと起き始め、あちこちで朝食の湯気が立ち始めた。夜露に濡れたフライに滴がたっぷり付いていた。大きなテントは許容量も大だが、片付け諸々も大変だなあと思った。仙人と荷物を分担し、いよいよ高谷池キャンプ場に向けて出発。行程3時間半とあったが、まあ1.5倍換算で間違いないだろう。黒沢支流が唯一の水場になっている。水筒の水は僅かにした。少しでも荷物を軽くする工夫だ。たとえ100gでも、積もればあっという間に1kgになってしまうと仙人が指示を出す。なるほどごもっともなことだ。

水筒 汗を滝のように流しながら登山道を行く。眼鏡つたいに汗がポトポトと滴る。ドクドクと心拍が聴こえる。明らかに基礎体力が衰えている。仙人は、少しだけ汗をかいているようだ。私は何度かの休みの度に水を飲むのだが、彼は少ししか飲まない。痩身であること、普段の食生活の有り様もあるだろうか。私は普段でも水を摂取するほうだから、まるで節操がない。

 10:15 黒沢水場
ようやくのことで黒沢水場に着いた。清流で顔を洗い、冷たい水で咽を潤し、ペットボトルの水を詰め替える。仙人は靴下を脱いで足を甲羅干し。少しの休憩でも、こうして靴下を脱ぎ、靴下と靴を乾かすことが大事なのだと言う。「ははあ、そんなものか」と納得する。乾燥あんずと柿ピーで腹を満たし、出発することにした。ザックが重いので仙人のそれと交換して貰うことにした。無理をしてねんざでもされたら困るという仙人の判断だ。10:30、再び出発。

 12:30 富士見平
「十二曲がり」が最大の壁になると思っていた。日射しが両腕と首に降り注ぐ。いい天気になった。 次第に高度を稼いで行く。相変わらず汗はしとどに流れる。彼は平然として歩を刻む。やはりザックが重いようで、手ごろな杖を見つけてバランスを取りながら歩いている。「十二曲がり」を過ぎたあたりから傾斜が緩やかになった。ようやく富士見平に到着した。

左手前方に火打山の稜線が見え始めた。今日の宿、高谷地キャンプ場まであと少しの距離だ。おおよそ1時間も歩けばヒュッテに着く。大休止を取ることにした。急ぐ旅ではないのだ。
登山靴 仙人はここでも靴下を脱ぎ、乾かし始めた。私の綿シャツは既にビショビショになっていた。袖を絞ってみたら滴がポタリと滲み出た。「登山用のシャツがいい」とこれも仙人に注意された。水と行動食の補給を充分に行った。水はもう半分飲んでしまった。大量に流れる汗の分、補給しておかなければ熱中症になってしまう。それと共に塩分も消失しているはずだから柿ピーをボリボリと食べる。

途中何度も休息を取りながら「山に在る」愉しみを味わいながら登った。次の一歩をどこに置くかを考える作業がほとんどなのだが、全てというのではなく、仕事のことであったり、家族のことを反芻し、それらのひとつひとつをエネルギーに置き換えて一歩を刻むことが多いようだ。辛かった時代のことなどがいろいろと思い出されてしまう。 四国金比羅参りを経験した訳ではないが、あれも一つの登山と喩えることができるのではないか。いろんな念(思い)を込めて八十八もの寺を繋いで廻り歩く人達がいるのだ。背負っているものは、このザックよりも重いのだろう。 この一歩の重み、苦しくとも歩を刻んでいけば頂上に到達するという目的が明確にあるからこそ、中高年は(とは限らないだろうが)山を目指す。それまでに生きてきた個人の歴史に思いを至すのも無理からぬ事というものだろう。むろん楽しい会話をしながら夢中で登る山は無茶楽しい。路傍に咲き乱れる花の名前を言い当てるのも楽しい。

 14:00 高谷池ヒュッテ
高谷池ヒュッテに到着する。火打山が湿原の庭の向こうに二つ山を従えて、くっきりと浮かんでいた。まるで日本庭園を眺めているような完璧さだ。明日はあの山に登るのだ。小屋で受付を済ませ一人400円の料金を支払う。色とりどりのテントが15張ほど並んでいた。さっそくテント設営作業にかかった。豊富に流れる水は煮沸しないと飲めないとの注意書きがあった。湿原の水を直接引いていた。腹の丈夫な人は飲んでもよさそうだ。

オレンジのテント 緑のテント オレンジのテント

当然のことだが、ここはオートキャンプ場ではないから大きなテントは見当たらない。仙人が「叱責」に及ぶ場面もないだろう。 お茶を入れて飲みながら食事の献立を考える。材料はネギ、玉ネギ、ジャガイモ、ピーマン、ソーセージ。フリーズ食品をベースに構成。あいにく油も調味料も塩、胡椒などは持参していなかった。もっと知恵を出して考えればよかったと反省した。食材ひとつを取ってみても、仙人と意見が違った。彼は、ここでも「食べない飲まない」というストイックな姿勢を貫くのだ。そもそも彼はバーナーすら持っていない。長い事、山をやっているはずなのに不思議なことだと思った。そもそも自炊するような山をやってこなかったということなのだろう。それもひとつのスタンスには違いないが、食べる愉しみにこだわる側面があっていいのではないかと思った。

 17:00 夕食
有り合せの材料で、実に味気ない夕食を取った。デザートのリンゴが僅かに色を添えてくれた。 そうこうするうちに、とっぷりと黄昏が迫り、冷え込みが厳しくなってきた。そういえば、ここは標高2000m近い山麓なのだ。 東の空に湧き立つ入道雲が西日を浴びて茜色に輝いていた。明日も快晴!

携帯電話が使えると判ったので、留守番の木蓮にメールを入れた。便利な時代になったものだ。 珈琲を立てて飲もうという段になって事件が起きた。カップの取っ手が完全に固定されていなかったので、仙人が珈琲をズボンにこぼしてしまったのだ。悲鳴をあげて仰け反ったので「何じゃ何じゃ」と驚いて見ると、ズボンがずぶ濡れになっていた。ここでも彼の判断は素早かった。私のズボンを借りて洗いに行くというのだ。テントに押し込まれてズボンを脱いで彼に渡した。私はパンツ一枚でテントの中で待機。下半身をシュラフに置いて待つしかなかった。テント天井に細引きを通して洗ったズボンを干したものの、外に出て歓談するという訳にもいかなくなった。19:00、まだ眠るには早かったのでイヤホンラジオで下界の様子を探ってみた。

小泉首相が8月13日に靖国に参拝したことの反応を知らせていた。教科書問題といい靖国参拝といい、何かと騒がしい。内政干渉もいい加減にしろよ!といささか癇に触る騒ぎ方をするではないか。あと50年、100年経過しても、この問題は収束することはないだろうなあ。「新しい歴史を作る会」は、勇敢にも荒波に帆を立てた。新しい視点で、手品のように歴史を立体的に我々に示してくれたと思う。付和雷同的な日本人の特質では、残念ながら正面から対峙することができないだろう。外交下手もまた折り紙付きだ。

 ◆  ◆  ◆

08/15(水) 3日目、いよいよ火打山に登る
朝食はレーズンパンと珈琲で素早く済ませる。テントをデポし、アタックザックだけの身軽な装備で、朝露に濡れた登山道を歩き始めた。 火打山へ向かう稜線が朝日を浴びて輝き出した。天気は快晴。四隣に広がる視界が期待できそうだ。 「天狗の庭」の湿原にワタスゲが可憐に咲き、美しい火打山の姿が池糖の水面に倒影していた。 高谷池ヒュッテの方向に視線を落とすと、赤、黄、緑のテントが見えた。その背に帽子を被ったように「妙高山」が黒いシルエットになって聳えていた。次第に高度をあげて行く。

道の両脇に野いちごの葉を見つけた。
野いちご まだ熟していない実をひとつ口に含む。酸っぱかったので種を吐き出した。葉陰の奥を更に覗き込むと大きな実が隠れていた。口に含むとさきほどのよりは甘い。「うん、これはいける」とばかり、ばくばく食べた。山にあっては貴重な果物、ビタミン源だ。 この時期になっても雪渓が谷筋に残っていた。上越は名に背負う豪雪地帯である。雪渓があったとしても不思議ではない。冷たい風が谷筋から這い登ってくる。天然の涼風、流れる汗がすーっと引いていく。この感覚が気持ちいいんだよね。

最後の稜線が見えてきた。早朝登山の下山組とすれ違うようになってきた。「ご来光が見えた」と口々に嬉しそうに話している。
 「おはようございます。もう少しですよ、頑張って下さいね」  「ありがとうございます」 「もう少しは、まだまだの意」この言葉に何度騙されてきたことだろう。思わず苦笑してしまった。 ようやく頂上に達した。

 08:00 火打山登頂
8月15日午前08:00だった。10人前後の人が山頂にあった。
まず目に飛び込んできたのは上越唯一の活火山「焼岳」の勇姿。火口から勢いよく煙が噴き出している。空気を震わせて伝わってくる音は凄いものだ。現在、焼岳の登山道は周囲2キロが立ち入り禁止区域になっている。その向こう側に「雨飾山」が三角形を三つ重ねたように見ることができた。一目で日本海と判る水平線も眺めることができた。北アルプスと思しき山並がうっすらと見えかくれする。既に雲が湧いて流れていた。もう少し登頂が早ければ四隣遮るものない視界を得られたことだろう。贅沢は言うまい。ここに来れたことを素直に喜べばいい。

仙人は小型無線機を出して「こちらCQCQ、、」などとアクセスを始めた。聞いていると佐渡島、中頸城郡あたりから反応があったようだ。ハムの世界のことは門外漢なのでよく判らない。

バーナー バーナーを出して湯を沸かした。「モンカフェ」で乾杯だ。
私も、携帯から木蓮にメールを1本打った。「我、ようやく頂上に立てり。視界良好。万歳!」ほどなく「おめでとう!」の返信が来た。 太陽が容赦なく、ジリジリと皮膚を焼いていく。仙人が私の顔を見て「随分、焼けてるねえ」と言う。彼は日焼け止めクリームを頻繁に顔と言わず首と言わず塗り捲っているが、私は頓着なし。帽子は必携ということは知っているし、持参してきてもいるのだが被ったことがない。頭が蒸れる感覚が肌に合わない。暑さには強い体質らしい。数年前、都内のボロアパートで3年ほどエアコン無しの生活を送ったくらいだ。

頂上で視界展望を楽しむこと1時間半余り、ようやく下山の途に着いた。
「天狗の庭」にさしかかる。木道の脇に降り立ち、熱心にスケッチをしている人がいた。
 「何をしているんですか」
と仙人が人なつっこく聞くと、
 「火山灰の地層を調べているんですよ」
と実直そうな研究者の人。そう言われて見渡すと、崩れかけた山肌にいくつもの地層が歴然と判別できた。わずか10センチの厚みだが、それが形成されるまで、おおよそ1000年の時間が流れている由だ。地球時間の長さに比べて人の生命の短さが改めて感じられる。気の遠くなるほどの時間をかけ、いずれこの湿原も草草に埋まり、土を重ねて姿を変えていくことだろう。木道の脇に無造作に転がっている岩石も、噴火の名残りだという。

 12:00 高谷池ヒュッテに戻り昼食
高谷池ヒュッテに戻り、昼食を取る。朝露にしとどに濡れていたテントは、カラカラに乾いていた。インスタントラーメンとフリーズ食品がメニュー。野菜類が余ったので小屋に寄付をする。お茶タイムを終えて、おもむろにテントの撤収にかかった。今日は、峠を越えて妙高山直下の黒沢池ヒュッテキャンプ場まで行く計画だ。おおよそ1時間も歩けば着く。

カメラ ザック梱包を終え、ヒュッテの標識の前で記念写真を一枚。
眼前には今朝登ってきた火打山がたおやかな稜線を見せていた。快適な峠道をひとりゆっくりと歩いて行った。仙人は写真を撮りながら歩いているから遅れがち。草いきれの漂う細い道を楽しみながら歩くのは気持ちがいいものだ。
雲行きがあやしくなって、雨が降ってきた。通り雨だからすぐに止むと判断。下りの階段が現れて展望が一気に広がる。右手には黒沢池、左手に黒沢池ヒュッテの青い屋根。14:00に到着する。茂みの隙間を縫うようにテントが点在していた。虫がいっぱいいそうな、ジメジメした場所がいただけない。

 14:00 黒沢池ヒュッテに到着
明日は5時間半ほどの行程。しかも早朝の出発となるから、ヒュッテに泊ることにした。素泊まり1泊4500円は高いと思った。高谷池ヒュッテは3000円だった。同じ山域なのに値段が違うのは解せないなあと思いつつ手続きを済ませた。ベッド番号を指定されて二階にあがってみる。外周から中心に向かって床を延べるようになっている。八角形の屋根の柱がニョキニョキと中心に向かっているので、柱の前の番号の人は、当然のことながら柱が邪魔をして床を敷けない。はなはだ窮屈な作りになっている。

別の登山者が「空いているスペースなら利用していいの」と質問したところ「ダメ」という不愛想な返事である。どうして山小屋のスタッフは、こうも融通が利かないのが多いのだろう。世間一般では通用しない応対が平然とまかり通ることに疑問を感じてしまう。私は、どうも小屋とは相性が悪いようだ。もちろん常識を逸脱した客もいるから、一方的なことは言えないだろうが。山小屋は旅館ではないことは百も承知しているが、それにしても!である。
仙人が私にささやく。
 「黙って広いところを使えばいいんだよ、いちいち聞いてもダメというに決まっている」
 「就寝の時に点検には来ないのか」
 「来ない、来ない」
そういうものかと納得して、広い場所を確保したことだった。

夕食の準備に外に出た。大勢の自炊組がベンチで夕餉の支度に取りかかっていた。 立派なシェパード犬が2頭、ヒュッテの入り口でとぐろを巻いていた。山岳犬の訓練を施しているとの事。実に聡明な貌をしていると思った。

 夕食は定番のカレーライス
ここの水も煮沸しないと使えないようになっている。 仙人の担当は米炊きだ。 料理は初日と同じ野菜カレーと決まった。水加減を少なくして味を濃くすることにした。初日は水加減を間違えて薄いカレーライスとなってしまった教訓を活かす。ジャガイモを湯がいて器に盛り、玉ねぎとハムを一緒に煮込んで「はい、できあがり」。乾燥卵スープが美味しかった。副食はリンゴだけ。これで持参した米はすべて消化した。明日の朝はパンと珈琲だ。食事に関しては反省することが多かった。深く肝に銘じて次回の参考にしたいと痛切に思った。

飯盒 鍋 飯盒

高校生の一群が現れて、にわかに賑やかになった。大きなテントを二つ並べて設営。大勢の仲間がいるせいもあるだろうが、実に元気がいい。ガスバーナーを5つほど並べて「飯」を炊き始めた。
私たちのところに来て「お米炊いたことありますか」と屈託のない質問をしてきた。「あるよ」「どうやって炊くんですかあ」「ガスをつけて吹きこぼれてきたら、弱めにするんだよ」「はあーい」と素直な返事が返ってきた。リーダーと思しきアンチゃんが、テキパキと仕切っている姿が実に爽やかだった。彼等のメニューも定番のカレーライスであった。

19:00、まだ眠るには早い時刻。階下の談話室で缶ビールを飲み始めた。同宿の夫婦が降りてきて会話に加わってきた。聞けば長野県伊那市に住まいしているとのことだ。おやじさんは、貴重な自作の酒を我々に振る舞ってくれた。キャップ一杯の酒であったが、度数がむちゃ強くてお手上げだった。 ほろ酔い加減になったところで布団に潜り込む。あっという間に眠りに着いた。仙人の言う通り「見回りには来なかった」泊まり客は少なくガラガラであった。

 ◆  ◆  ◆

08/16(木) 4日目、妙高山の頂上に立ち、下山
04:30に周囲のざわめきで目が覚めた。既に出発支度を整えている人たちがいた。仙人を起こし、炊事道具を抱えて外に出た。雲ひとつない快晴の空模様。ベンチが露で濡れていた。学生軍団が慌ただしく食事の支度を整えている。 さっそく湯を沸かし、素早くパンと珈琲の朝食を立ったまま摂る。朝焼けの光が山肌を照らし始めた。朝露対策、レインウエア装備で出発する人たちがいた。心が急く。今日は、今までで一番の長丁場になるはずだ。休憩時間を含むと8時間〜9時間は歩くことになる。ちょっと寝過ごしたと思った。

 05:30 黒沢池ヒュッテを後にする
雲が湧き立たない内に頂上に辿りつきたい。まず大倉乗越を越えなくてはならない。 こんどは重いザックを私が担ごうと申し出たのだが、仙人は私を庇って自分が担ぐという。足でも捻挫されたら困るという判断もあるのだろう。仙人が先に歩き始め、私は自分のペースで後を追った。

木 ほどなく大倉乗越のピークに到着した。眼前に妙高山が圧倒的な高さで迫り、背後には火打山のたおやかな山容が見えた。最後のリンゴを食べて水を飲んだ。ここから一旦下ってからが今日の勝負。登り1時間半の急登が待っている。湿原が点在していた。冷たい風が流れる森の木立で休んでいると下山組とすれ違った。彼等は「ご来光」を拝んだといって喜んでいた。まだ暗い内から登った口だ。

頂上まで1時間ほど、という標識に辿り着いた。ひたすらの登りが待っていた。高度を稼ぐにつれ、大倉乗越に隠れていた火打山が姿を現し始めた。仙人は圧倒的な早さで先を行く。私は息をあげながら追随するのだが、一向に姿が見えない。こうなれば牛歩ならぬ「なめくじの歩み」。苦しいアルバイトもいつかは終わると思うと少し寂しい。一歩を刻む時間が愛しくなる。仙人が私を待って休んでくれていた。自分だってザックが重いだろうに。なかなかいいところがあるではないか。高度をあげるにつれて北アルプスが姿を見せ始めた。あちこちで歓声の声が挙る。 ようやくの事で頂上に辿り着く。09:00だった。コースタイム2時間10分を50分オーバーしていた。

 09:00 妙高山頂上
視界を遮る雲は僅かだった。北アルプスの山並が近くに迫っていた。火打山がくっきりと緑の衣装で正装していた。文句なしの光景だ。雲は眼下にあって生成流転を繰り返していた。雲の切れ間に野尻湖の湖面が陽を浴びて、かすかに反射しているのが見えた。日本海の彼方には佐渡島の全景が見えた。今まで幾たびか信越線の電車に乗り、その度ごとに見上げたことのある妙高山の頂上に立っていた。これ以上は望むべくもない。携帯からメールを打ったことは言うまでもない。

珈琲を立て始めた。
仙人曰く「頂上で飲む珈琲はうまいよね」 食に無頓着な彼が珍しく珈琲が飲みたいというので笑ってしまった。飲まず食わずスタイル変化の兆しであればいいのだが。 コッヘル チタンコッヘルを今回の登山記念に仙人に献上した。ぜひバーナーを買って、使ってほしいものだ。

頂上に滞在すること1時間余り。充分に堪能したので下山にかかった。 おおよそ3時間の下りの行程を経て「燕温泉」に辿り着いた。宿で600円のお風呂を貰ってさっぱりした。関山駅で彼と別れ、自宅に着いたのは21:00近くであった。

文責: 青島原人


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