樹の実 樹の実 樹の実  師走の丹沢、表尾根縦走 

【日 付】 2001年12月30日 晴れ
【場 所】 丹沢 表尾根


師走の町中を山へ向かう
12月30日、05:00、木蓮に起こされる。熱い珈琲を半分残し、すばやく身支度を整えて外に出た。3分欠けの橙色の月が漆黒の闇にぽっかり浮かんで「いってらっしゃい」と、しゃれたお見送りをしてくれた。蕨駅〜新宿〜秦野駅まで、2時間電車に揺られた。秦野駅前ヤビツ峠行きのバス停前に30人ほどの列。やはり同じように今年最後の山に向かう人、山小屋泊まりで新年を迎える人も中にはいただろう。

残念ながら私は日帰組。冬至を越えたとはいえ、やはり日暮れはまだまだ早い。1630までに下山を完了しないと夜道をヘッドライトで歩かなくてはならない。いくつものピークを越えて塔ノ岳に至り、そこから尾根伝いに下山するという縦走コースを選んだ。休息なしで6時間半かかる長丁場。この2ヶ月、それなりの基礎トレーニングを積んできた自信があった。雪を被った富士山の姿を仰ぎたかった。

ヤビツ峠から三の塔へ
馴染みのヤビツ峠(標高761m)には08:50に到着した。思ったほどに寒くなかった。トイレを済ませ、靴の紐を締め直して富士見小屋まで歩き始めた。まずは足慣らしの20分。ワックスをたっぷり塗った皮靴に黄色い靴紐がよく似合う。この日の為に、新しく下ろしたのだ。 母と娘のコンビが先を行く。かろやかな足取りだ。バス車中で一緒になった、ごつい山男風のコンビも後から追随してきた。それぞれの山を楽しめばいい。

登山口から一気に「三の塔」(標高1205m)を目指して歩き始める。表尾根随一の急登だ。霜柱が土の間からにょっきり顔を出しキラキラと光を放っていた。上に行くに従って泥濘地帯と化していて歩きにくい。靴はたちまち泥だらけとなった。二の塔10:25着。ぴったりコースタイム通り。そこでパンを食べて10分ほど休憩。三の塔頂上の小屋が視界に入ってきた。富士の裾野がかすかに見え始めた。頂上付近は雲に覆われていた。

富士山の雄姿
三の塔到着11:00。ビュービューと風が冷たい。カメラを取り出して富士山を一枚。きらきらと輝く相模湾の海原、丹沢、箱根の山々までもが視界に入る。休む間もなく鳥尾山を目指す。幾重にも重なるピークの果てに塔の岳小屋が見える。ここから縦走本番だ。下り始めのガレ場に地蔵がある。いつみても赤い頭巾が色褪せていないのは、頭巾を作る人がいるからだろう。どこの誰が丹精しているのだろうか。鳥尾山荘前に美味しい珈琲の看板メニュー。誘惑を振り切って先を急いだ。

薄い積雪が道の至るところにあり凍結が心配された。一度だけ尻セードを使って慎重に降りた。岩場の鎖は新調されていて何の心配もなかった。行者ガ岳では夫婦組が岩場に隠れ、風を避けながら食事をとっていた。目線で挨拶し先を急いだ。書策小屋ベンチで、ようやく食事を取った。さすがにシャリバテになっていた。木蓮特製のおにぎりを食べ、水をごくごくと飲んだ。ベンチ同席の若い人と短い言葉を交わす。
 「小屋泊ですか」
 「いや日帰りなんです」
 「じゃ私と一緒だ」
 「あまり早く帰ってくるなと女房に言われているんです」
 「ははあ大掃除の邪魔ということで」
 「頂上まであと少しですね」
 「じゃ先に頂上に向かいます」

頂上からの展望は最高!
頂上到着13:30。カメラでアリバイの写真を撮る。相模湾を一望する。江の島が、式根島が、はるか彼方に伊豆半島までもが視界に入る。富士山頂上には相変わらず雲がかかり、裾野だけを見せてくれていた。尊仏山荘に向かい、珈琲を注文する。窓から見えた寒暖計、マイナス1度を指していた。14:00、大倉を目指して下山の途に着く。もう一度、富士山に向かい合掌。階段を快調なリズムで下り始めるも、こりゃ膝に来るなと感じた。花立小屋に飛び込んで「おしるこ」を一杯注文する。持参した水1リットルの寄付を申し出ると喜んで受け取ってくれた。山にあって水はなにより貴重な資源なのだ。まだ水筒には半分ほど残っていた。

短パン、ランニングシャツ姿の威勢のいいお姉ちゃんが登ってきた。この寒さの中を!である。歳の頃は20代後半、引き締まった肢体が実に健康的だった。ザックから取り出したのはビール一箱、洗剤の類であるのに驚いた。
 娘「今日下山して、明日また来るから泊めてくれる?」
 おばさん「ああいいよ」
 娘「何か欲しいものはある」
 おばさんの旦那「生ビールがいい」
聞くともなしに聞こえてくる会話が実に楽しかった。

下山に要した時間は2時間あまり。里山近くの「大倉高原山の家」で最後の休息。
ここまでくればもう安心。バス停まで30分もあるけばいい。

文責: 青島原人


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