川乗山ウォーキング 滝
    【日 付】 2002年03月02日(土) 晴
    【場 所】 奥多摩
 



0500起床。0520家を出て東浦和駅まで20分を歩く。途中のコンビニで朝食のパンと牛 乳を仕入れる。0557発で西国分寺まで。そこから立川、奥多摩と接続し0823分奥多摩 に到着した。奥多摩駅0830のバスで川乗橋登山口まで。料金250円なり。同乗の登山者は8名ほど だった。いずれも中高年登山者。この時期に、この山域に来る人たちは、いずれも脚 に覚えのある人たちばかりだ。同じ電車に乗り合わせ同じバスに乗り、どうやら目的 地も同じ。黙々とそれぞれの山登りの旅を始めた。どうやら単独の人が多いようだ。 私にとっても久々の山だ。

渓流沿いの舗装道を、まず細倉橋まで歩く。沢音を聴くのも実に久しぶりだ。 雨上がりの冷気が山肌を多い、樹木がしっとりと濡れていた。一時期の寒さは峠を越 していて水温む春の気配が漂っていた。硬い登山靴にアスファルトの道はなじまない。 林道工事のトラックが数台、体をすり抜けて行った。しばらく行くと慰霊碑があった。 奥多摩山塊に冒険に赴き、遭難死した子息への鎮魂文が刻まれていた。子どもに先立 たれた親の無念をしばし想い胸が塞がった。

歩きにくさも手伝い、細倉橋に到着する頃にはじっとりと汗をかいていた。先着の2名が休息を取っていた。それとなく目線で挨拶を交わし、ザックを下ろして一本取った。おにぎりと煎餅菓子を食べてエネルギー補給を行う。先着の2名は先を急ぐように百尋の滝を目指して出発していった。

食事を終えてタバコを一本やっていると、3人連れのおば様たちがやってきた。 ザックの中から魔法のように食べ物を取り出し、私と同じように補給を始めた。(バナナが美味しそうだった)カメラを取りだして記念撮影。私に、シャッターを押して貰いたいそぶりを見せたが、どうやら無愛想な登山者と見られたらしく声はかからなかった。「撮ってあげましょうか」と声を出すのは簡単だったのだが、何も私の方から申し出ることではないような気がしたのだ。 単独行は饒舌を好まない。ただ黙々と自然と対話しながらの山を楽しみたいのだ。

ようやく腰をあげて百尋の滝を目指した。川を右に見て、粗末な今にも壊れてしまいそうな木道を慎重に歩いた。単独であるからこそ、より慎重でなくてはならない。全ての責任はひとりで負うのだから「安全」には格段の配慮をしなくてはならないはず。食糧にせよツエルトにせよ、ザックが多少重くなるのも当然のことだろう。

渓流を覗き見すると大きな瀞に水が流れ込んでいた。いかにも魚がいそうな場所のように思えた。 樹木はまだ冬枯れの景色の中にあった。雨に濡れた病葉は踏んでも音を起てなかった。いくつかの小滝を眺めながら苔むした橋を渡ると石灰岩採掘の為に無残に掘られた垂直の岩肌が視界に入った。僅かな木漏れ日を浴びて白亜色に輝いていた。川乗山の由来は石灰石の豊富な川から海苔が採れるところからきたと文献にある。「川苔山」「川乗山」の二つの地名が紛らわしい。地図によっても表記が違っている。

「百尋の滝」は明らかに名前負けで「中滝」くらいの大きさ。氷雪の滝をイメージしていたのだが、そうではなかった。一本立てて、写真を一枚。登山口のおば様登山隊が追いついてきた。例の魔法のザックから食べ物を出して食べ始めた。こまかに食事を取る作法は実に正しい。シャリバテにならないうちにエネルギー補給を行うのが山屋の掟なのだ。おば様登山隊はかなり山を歩き込んでいる人たちのように見受けられた。(負けそう!)

ここから頂上を巻くように急登が始まる。梯子を登り、山肌に張り付くように隘路を抜けて高度を稼いで行った。真っ白に化粧した北面の山が見えてきた。雑木林の足元に雪が広がっていた。下り始め直後から雪混じりの道になってきた。幾分凍っている気配だった。とうとう避けようのない粗目状の雪道となった。先達のトレースがあったのでラッセルする苦労はなかったものの、蛸壺のような踏み跡を外さないように歩くのは難儀だった。アイゼンを取り出すまでもないし、ストックを使うまでもない。要するに楽がしたいのだ。

渓流沿いの標識のある場所で小休止。シャリバテになっていた。立ちながら残りの硬い焼おにぎりを食べ、水をごくごくと飲んだ。 耳を澄ませて周囲の音を探ったが、鳥の声、風の音ひとつ聴こえなかった。この静かさが「ひとりの山」なのだ。この味わいこそが山の醍醐味。地図を眺めて現在位置を確認。1/25000の等高線を精密に読んで行くと、今居る場所が川原の中州みたいな場所であることが判った。これから頂上までは谷間を詰めて行く苦しいアルバイトになる。タバコを一服つけていると、がやがやと人の気配。さきほどのおば様登山隊が別動体の登山者を伴ってストックを両手に猛然と現れ「お先に〜」といって風のように姿を消して行った。(負けた〜!)

人心地ついた私も、ようやく重い腰をあげて頂上を目指し始めた。雪は深い。スリップを繰り返すロスを重ねながら確実に高度を稼いでいった。単独の下山の人とすれ違う。「あと1時間もかからないでしょう、頂上まではこの雪ですからお気をつけて」と優しいことば。 「ありがとうございます」と返事を返し、ザックから手袋を取り出した。冷気で手が冷たくなっていたのだ。40分も歩いたろうか、ボロボロの小さな無人小屋のある分岐に到着した。きゃあきゃあと話声がした。どうやらさきほどのおば様登山隊の声だ。右に折れて緩やかな稜線を辿れば川乗山頂上に至る。最後の登りを惜しむように、雪と泥の泥濘状になっている道を一歩一歩刻むように歩いた。頂上までの道が見えると少し寂しい。もうこのアルバイトも終わるのか、、。

山頂到着1250。 備え付けのテーブルにザックを下ろし、カメラを取り出してアリバイ写真を一枚。 「写真撮ってあげましょうか」と優しい声。
「はい、お願いします」と私。
「シャッター押すだけでいいですから」(中古品:PENTAXMZ3)
「パチリ」
「じゃ私もお願いします」
「いきますよ〜」
ようやくたどり着いた山頂では、それまでの緊張が緩んでリラックスするのだろうか、皆が仲間みたいな関係になってしまう不思議。単独の緊張もあっという間に弛んでしまうから、あら不思議。袖擦りあうも多少の縁というところ。

珈琲を飲みながら地図を眺め下山ルートを探っていると、四方から人が寄ってきて「どうする、こうする」と話の花が咲いた。さきほどのおば様登山隊のリーダーが「この道は面白くない〜」などといい始めた。どうやらこの山域には精通していらっしゃるようだ。経験者の意見は常に尊重されて然るべきである。ましてそれが妙齢のご婦人の意見であるなら尚更に。(笑) 本仁田山から奥多摩駅に向かう道は斜度がきついということで敬遠され、もっとも楽な道を選んで行こうということに衆目の意見が一致したことだった。それぞれの山行計画の何という杜撰なことであることよ!そういう私も同じ穴の狢(むじな)というべきだろう。

傑作だったのは単独行の二人連れ。道の途中で自然と合流したらしいのだが、片方の人が異常に人懐っこく話し好きであったらしく、登りの途中のべつまくなし喋り続けるのには閉口したと笑いながら語っていた。さきほどのおば様登山隊のその口で、まるで機関銃のように口に泡を飛ばして話す。で、合同下山隊のメンバーに件の人たちが入ったことはいうまでもない。かくして急遽編成の下山隊は「仲良く」「にぎやかしく」下山を開始したのであった。単独行のおしゃべりおじ様も勿論同道。(笑)

私も「おしゃべり」は苦手な方である。しばらく様子を窺っていたのだが、ある地点で、勇躍先頭を歩くように切り替え、さっさと追い抜かせていただいた。喧騒の下山は避けたかった。できればゆっくりと韻を踏む歩きがしたいではないか。道は一本、迷いようがないのだ。1分30秒で水場に至るとの標識が出た。分岐の標識が出る度に1/25000図で現在地を掴みながら下山した。1240を左に巻きながら853までダイレクトに降下した。 木々の表皮が真っ白に剥げている光景に出会った。どうやら鹿が食べ物を求めて木々の表皮を齧った後らしい。新芽も綺麗に食べられていた。鹿も生きていく為に必死なのだろう。

そこからは緩やかな道筋となり大根ノ山ノ神に到達した。下山道がここで収斂し、ひとつにまとまる地点になっている。ここから目指す鳩ノ巣駅までは30分。耳を澄ませば里山の生活の音がそこかしこから聞こえてくる。分岐では神社への道を辿った。急降下して行くと神社の境内に出た。駅までのまっすぐな道を辿って1547無事到着した。駅下のコンビニで食糧と飲み物を調達し、1609分の電車に乗る。箱根ロマンスカーと見まがうばかりの豪華車両だった。ああいう電車も青梅線にはあるのかと、ちょっと驚いた。

文責: 青島原人


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