夏の奥多摩 /
   御前山〜栃寄〜境橋
木々

【日 付】 2002年07月27日(土) 晴
【場 所】 奥多摩
【ルート】 小河内ダム〜惣岳山〜御前山〜栃寄〜境橋


14日に引き続いて奥多摩に遊んだ。奥多摩湖畔から眺める御前山が今日のフィールドだ。
奥多摩駅0840到着、バスの時間を確認すると0920発になっている。山に向かうには遅い時間だが仕方がない。早朝6時頃から登ろうとするなら、幕営前夜泊か車での移動を選択しなくてはならない。奥多摩、丹沢を四季を通じて登ることを年頭の目標に掲げた私の今後の課題として念頭に入れておこう。

小河内ダム到着0940、下車して直ちに登山口に向かった。ダム堤防を辿って歩き始めた。夏の盛りの奥多摩はサウナ登山になるけれど、汗を絞る山もいいものだ。空は快晴。今日も暑くなる予感がする。前方に三人組の登山者たち、その他には誰もいない。デジタルカメラをあちこちに向けながらのんびりとダム対岸の登山口辿りついた。
綺麗なトイレ施設がある。休日ともなれば大勢のファミリーが訪れるのだろう。 惣岳山まで、おおよそ2時間20分、休憩を入れて3時間と計算した。741mピークを経てサス沢山940mに至り、惣岳山までたっぷり汗を絞る事になるだろう。

ダム 大ブナ尾根、いよいよ登り始めた。
急坂出現、たちまち息が乱れ汗をかき始める。滝のような汗がたちまち噴出した。前回の失敗に懲りて、予めシャツを脱ぐ。帰りの電車の冷房対策だ。最初のピーク741mまで一気の急登。等高線の密度が濃い。水筒の水がたちまちなくなる。三人組が、同じようにそこで休息していた。

滑らかな鞍部をしばらく歩くと、再び登り道となる。サス沢山940mまで標高差200mを稼がなくてはならない。汗が滴り落ちてメガネに落ち、その部分だけが凸レンズのようになって視界が歪んだ。着ているTシャツもびしょびしょ。ようやくサス沢山に達っした。 小河内ダム一望。遠くにつらなる山々は雲取山を始めとした奥多摩の山々。その向うに重畳と聳え立つ大菩薩、秩父山系。関東に住んでいる以上、素通りする訳にはいかないだろう。全ての山を歩いてやろうと改めて思った。何も百名山だけが山ではない。

タオルを絞った。水がどっと出た。凄い量だ。地図を広げて等高線を読み、現在の位置を確認する。稜線を吹きぬける風が肌に涼しい。両手にストック、胸に無線機を携えた登山者が一瞥の挨拶をして颯爽と過ぎて行った。煙草を一本くゆらせ、水をごくごくと飲んで再び歩き始めた。ここからは比較的なだらかな稜線歩きがしばらく続く。緩やかな登り道となったが汗は依然として噴出して来る。わずか3時間余の登りで水筒一本の水を飲むというのも記憶にない。ようやく惣岳山山頂に至る。誰もいなかった。そろそろ血糖値下がる時刻。パンを二つ食べた。食べては飲み、飲んでは食べた。小河内峠からの道を合わせ、御前山まで15分の距離。もう少しだ。

1320ようやく御前山山頂に達する。先行の三人組と挨拶を交わす。登頂した同士として認知されたということになるのだろうか。バーナーを焚いて、ゆったり過ごしていた。 視界効かず。4月〜5月はカタクリの花が咲き乱れるという場所とガイドにある。 夏の奥多摩はサウナ登山だが、汗を拭き拭きの山もまたいいものだ。一つの山を春夏秋冬登るスタイルにこだわりたいと思う。 昼食。おにぎり二個、水500mlを一気に飲み干す。

地図 爺様現る。健脚なり。境橋から栃寄経路で上がってきたという。避難小屋から来て路に迷った様子。お願いして写真を撮って貰った。 三人組が出発の支度を始めた。避難小屋を経て往路をそのまま引き返すという。どうやら車で奥多摩に来た様子。爺様も早々に姿を消し山頂に私一人が残された。立派な案内板が設置されていた。誰もいない山頂というのも静かでいいものだ。

鋸山〜大岳山〜御岳を目指すつもりだったが、時間切れが予想できたので栃寄集落経由で境橋を目指すことにした。地図を広げて帰路の道筋を何度も確認する。現在は何処か、そこから何処に向かうのか、その方向は間違いないかを確認する事が大事だ。いつか道に迷って迷走する羽目にならないとも限らない。たとえ標識があっても、基本に従い確認する作業を怠ってはならない。単独行であるがゆえに必要以上に慎重にならざるを得ない。

避難小屋が出てきた。立派な建物であった。さきほどの三人組が靴を脱いで横になって寛いでいた。「ははあ、避難小屋といっても立派なモノだなあ、縦走の時に使えるぞ」と思った。まだ避難小屋があるというだけで山の計画に広がりができる。秋になったら泊込みで利用してみたい。 小屋の傍らに水が流れていた。但し、煮沸しないと飲めないと立て札が添えられていた。山にあっては貴重な水である。こういう施設を作ってくれている山はありがたい。

やさしい下り路が続いていた。まだ陽射し高い。道々が明るいので気持ちが明るくなる。 鬱蒼としげる杉木立は陽を遮って不安になる。 道は途中からアスファルト舗装に変わった。路面抵抗強くはなはだ歩きにくい。 靴のゴムが減るのが気になる。斜度がある下りなので斜め横切り作戦で歩いた。 道がくねくねと蛇のように蛇行している。渓流直下の道が、本来の登山道なのだが御前山を極めたお気楽気分だったので、敢えて難路を避けた。もう汗をかくのは「嫌」だった。
神社境内の沢で洗顔し身体を拭いた。ポケットの入れておいた地図が汗で濡れて折り目が破損寸前になっていた。同じく歩数計のビスも汗で濡れていた。放置すれば錆びてしまう危険がある。地図と歩数計をベンチに並べて乾燥させたことだ。

ゆり 里山風景の中をのんびり歩いた。栃寄村落にようやく入る。人と車の数目に付く 一軒の「そば屋」があった。どうやら遠方から食べに来る気配だ。 「どれどれ」と暖簾をくぐった。店の主人と思しき人が「御前山からですか、大変でしたね」と気さくに声をかけてくれた。

名物の「もり蕎麦」を頼んだ。料理家の「なんのなにがし」他の寄せ書きが飾られていた。麦茶をがばがば飲んだ。愛嬌のいい若奥さんが元気に動いていた。自家製の「こんにゃくと大根とわさびの付け出し」が出された。 わさびは天然モノを自分で下ろす仕組み。焼餅まで出る。心にくい演出と言うべきだろう。なるほど、これなら繁盛するだろう。蕎麦は地粉をふんだんに使った美味しいものだった。

人心地ついたので、そろそろ腰をあげた。 境橋まで、おおよそ40分あまりを景色を堪能しながらのんびり歩いた、里山風景、懐かしい田舎の匂いがした。陸橋が見え、奥多摩の山々が迫ってきた。見上げる山は相当に高い。 ようやく境橋に出た。ここから六ツ石山への登道があることを地図で確認する。いつか登らねばならないルートとして認識した。 境橋からバス停まではトンネルを徒歩で通過した。 バス停到着。時間を見ようと案内板を見る。1623分。ふと気配を感じて後ろを見たらバス停まった。待ち時間、わずか2秒。ラッキー! 奥多摩駅まで一走り。駅に駆け込んで時間を見る。1653分発ホリーデー快速新宿駅行きが2番線から出るとアナウンスがあったので、それに乗ることにした。

ボトル茶を買い込んで乗車。出発間際、大勢の熟年婆様登山隊が現れて、たちまち姦しくなる。いつもながら元気な人たちだと感心するばかり。 電車動き始めた。冷房対策に綿シャツを着、お茶を飲んでほっと一息。「ああ、終わった」例によって地図の読み込み作業を行ってルートを辿って記憶を鮮明にする。等高線のひとつひとつまで目を皿のようにして眺め倒す。そうすることで記憶を定着させる。手帳を十分に使いこなせない私は、山行記録を書く際に、これが役立つのだ。


文責: 青島原人


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