夏の奥多摩 /
   鷹巣山〜倉戸山
mori

【日 付】 2002年07月14日(日) 晴
【場 所】 奥多摩
【ルート】 日原〜稲村岩尾根〜鷹巣山1736.6m〜框ノ木尾根〜倉戸山1169.3m〜倉戸口〜奥多摩湖

【交 通】

習志野 05:06 … 北習志野 05:06【東葉高速鉄道 普通@140円】
北習志野 05:12 … 西船橋 05:22【営団東西線 普通@420円】
西船橋 05:24 … 中野 06:14【JR総武線 普通@300円】
中野 06:27 … 三鷹 … 立川 07:00 … 奥多摩08:23【JR中央線@890円】
奥多摩駅 … 日原【臨時バス@450円】

奥多摩湖駅 … 奥多摩駅【バス@340円】
奥多摩駅 … 立川 … 津田沼【JR中央線 特別快速@1530円】
津田沼 … 習志野【新京成@140円】


2月川乗山以来の奥多摩。日原から鷹巣山を目指すルートを選んだ。習志野から奥多摩は遠い。奥多摩に限らず何処の山に向かうにせよ千葉県は不利な環境にある。せいぜい時刻表を読み込んでロスのない計画を立てなくてはならないと改めて思ったことだ。とはいえ、自動車を利用しても都内移動であれば大差はない。その点、確実に時間が読める電車はありがたい。

商店 0906奥多摩駅からの臨時バスで日原に向かった。川乗橋バス停で川乗山を目指す人が大勢降りた。川乗山までの道を鮮やかに思い起こした。平日であれば日原鍾乳洞まで入るバスも休日は東日原が終点となっている。団体の一群と4〜5人の人がここで降りた。

眼前に聳える稲村岩をカメラに収め登山口目指して歩き始めた。あの岩を巻いて尾根筋を辿るのが今日のメインルート。標高差1200m難度は☆4つで経験者向きとなっている。昔ながらの佇まいを見せる日原の村落、商店の毒々しい看板がなぜか懐かしい。カメラを向けて記憶に納めた。デジタルはフィルム枚数を気にしなくていい。古びた家屋が点在していた。苔むした屋根にびっしりと草が生い茂っていた。ここにはまだ古い暮らしが残っているのだろう。

団体の一群は「森林館」に姿を消して一挙に静かになった。私の他に3人ばかりの登山者が同じルートを目指すようだ。登山口を示す標識の前で写真を一枚撮って貰った。「熊棲息につき注意」の看板が立てかけてある。念の為、熊鈴は持参しているものの今まで一度も使ったことがない。いざという時の笛はザックにくくりつけてある。

川 草木が鬱蒼としげる山道に踏み込む。「ここぞ」と思う場所でカメラを向け、まずはのんびり登山の幕開けだ。大量の水が川を流れていた。少し濁っているようだ。小さな滝が元気よく飛沫をあげていた。そこだけ涼しい風が起きていた。川の渡渉を幾度か繰り返し、ルートを確認しながら行ったのだが、とうとうルートを見失った。

川の右手の岩場に赤いマークがあった。左側は川であったので、てっきりこれを攀じるものと思いこんだ。斜度70度はある岩の壁を登り始めた。右に左に木の根を頼りに10mも登っただろうか、先へ進むことができなくなった。頭上の岩がオーバーハングしている。進退極まった。冷静に考えれば普通のルートにあって、このような難所であるはずがない。久しぶりの山で勘が鈍っていたのだろう。さてどうしたものかと思案に暮れて下を見ると登山者が2名とぼとぼと対岸を歩いていた。初めて状況を察知した。

「しまった!」と思った。「これはやばい!」落下の危機を感じ、冷や汗を流した。木登りでもそうだが、登ることは何とかできる。難しいのは降りることだ。慎重に三点確保で足場を探し出し、登ったルートをそのまま辿って下に下りた。改めて岩場を見て「なんでこんな岩を登ろうとしたのだろう」怖くなった。

川筋を何度か往来して渡渉点を探った。靴を濡らす覚悟で「義経の八艘飛び」に倣って無事対岸に渡ることができた。そうこうする内に一人の登山者が追いついて来た。目線で挨拶を交わしたところ「靴を濡らしてしまいました」と屈託がない。靴下を交換する為に川岸に寄るところで泥濘に脚を取られて、今度は泥に嵌ってしまった。可哀想に。 この事が縁となり、結局、この日はこの人と行動を共にすることになった。

標識 つづら折の急坂を越えたところで小休止。水筒を取り出してガバガバ飲む。森林の中、湿度は高いし風もないというサウナ登山の様相。もう汗びっしょり。着ていたシャツが汗を含んで重たくなっていた。

稲村岩尾根の稜線に入った。なだらかな稜線なのだが、ひたすらの登りはなまった身体にはきつかった。汗が滝のように流れてメガネにぽたぽた落ちた。さすがに標高差1200m、☆4つのレベル。トレーニングしていなかったら音を上げていただろう。大丈夫、足はちゃんと言うことを聞いてくれている。一歩一歩足を上げていけば、いつかは頂上に着くと確信が持てた。1時間歩いて10分休憩のリズムを守りながら歩を刻んだ。地図を広げ「よし、半分来たぞ、あと半分とちょっとで頂上だ」と自分を励ました。

同行者が先行して私の到着を待っていてくれている。彼は長身で私は短躯だから、そもそも一歩のストライドが違う。リズムを壊すのは恐縮だから「私にお構いなくお先にどうぞ」と言うのだが、つれづれの会話を重ねていくうちに、互いに九州出身であることが判り、親しみを覚え袖擦り会うも多少の縁ということになった。単身赴任でいつも一人で山に遊んでいるとのこと。奥多摩の山はほとんどを歩いていると言うことだった。せいぜい5回から6回の私の及ぶところではない。 ようやくのことで「ヒルメシノタワ」に到着。ここで休息を取って最後の登りに備えた。

余談だが、携えている歩数計の数字がちっとも上がらない。あくまでWalkingの歩数計であって登山用ではない。十分な負荷をかけていても10分以上連続しないとカウントしてくれない仕組み。10分連続して(しかも1秒に一回という条件)歩ける道ではなかった。自宅に戻ってデータを読んだところ、肝心の午前中の登りがまるでカウントされていない。つくづく歩数計はあてにならぬと思った。そんな都合の良い数歩計はないと、苦笑した。

三角点 ようやく頂上に着いた。1330、ほぼコースタイム通りであったので満足した。雲があちこちから湧いて視界良好とはいかなかったが、鷹巣山から派生する浅間尾根とカヤノキ尾根の稜線が眼下に見えた。御前山を始めとした奥多摩の山々なども一望に見渡すことができた。期待の富士は雲に隠れて姿を見せてはくれなかった。地図を広げて、のんびり山座同定する時間はなかった。頂は6人ばかりの人。トカゲを決め込んで眠っている人もいた、気持ち良さそうだった。さっそく弁当を広げて昼食をとった。コンビニ弁当は好物の鮭と赤飯のおにぎり二つ。

浦和を去る時の記念に戴いたSnow peak製ガスバーナーを初めて使用する。小さいけれど強力な火力であったので驚いた。登頂記念のアリバイ写真、三角点の形と文字が歴史を感じさせてくれた。濡れて汗で重くなった綿シャツを乾かす為に標識に立てかけた。

1410下山開始。水根山、六ツ石山経由で奥多摩駅までを選んでいたのだが、「框ノ木尾根」を下山ルートとした。谷筋の水根沢もいい道なのだが台風の影響で荒れていることが予想された。地図で読んだ通りのなだらかな防火帯下り道が延々と続いていた。長時間の下りは膝には応える。登山靴ではなく慣らし感覚でジョギングズックを履いていた。足首が安定しないので捩れが起きそうになった。やはり強度が不足している。斜めの下りで滑りやすい土は難儀する。底の固い頑丈な登山靴はこういう下りにこそ真価を発揮する。

1時間ほど連続で下ったあたりでとうとう膝が笑うようになってきた。框ノ木山頂1485mで休息。落葉松の林が山頂に整然と並んでいる。秋の季節はさぞかし綺麗なことだろう。登り下りの小ピークを3箇所越えて倉戸山1169mに達する。休息していると「何かいますね」とMさんが言った。笹薮の方でガサガサと動物の気配がした。そういえば上の方で動物の鳴き声らしきものが聞こえていた。鹿だろうと判断し、注意を喚起するためにザックにつけてある笛を「ピーッ」と鳴らした。人間の気配を察知したのだろう、音がしなくなった。

広びろとした倉戸山山頂から左折して倉戸口バス停を目指す。一気に下り落ちる感覚の下山道が始まった。道が斜めになって一気に下るというのはかなり危ない。道が乾いているからいいようなものを雨でも降ろうものなら、まさしく泥濘田原坂になってしまう。道を斜めに横切る細かなジグザグ歩行で切りぬけた。道沿いにわずかな涌き水がちょろちょろと出ていた。片手ですくって飲んでみた。冷たくてうまい。何杯も飲んで喉の渇きを癒した。この水場は地図にも載っていない。奥多摩湖が林間の間に見え隠れし始めた。温泉神社境内にようやく到着する。お土産用の水を求めて詮を捻ったがまったく出なかった。

1630倉戸口下山。陽はまだ山の上にあった。休息時間を含んでだからかなりのハイペースで下ってきたことになる。明日からの脚の痛さが思いやられた。

奥多摩湖 バス停で時刻を見たところ1時間先であったので奥多摩湖まで歩くことにした。30分、アスファルト上を車に追いたてられるように歩いた。時間があれば「昔道」を歩きながら奥多摩駅に向かうのもいい。残念ながら黄昏迫る5時、明日は仕事でもあると諦めた。

奥多摩湖の対岸に御前山がくっきりと見えていた。湖畔から3時間もあれば山頂に立つ。湯久保尾根もしくは鋸山から大岳山経由で御岳縦走もいいだろう。トレーニング縦走として挑戦してみてもいい。おっと、その前に課題の雲取山を片付けなくてはならない。夏の終わり、日原林道経由で雲取山を会社の同僚と登る計画になっている。

バス停に若い山岳部猛者連が並んだ。むくつけき男たちに混じって可憐な女性もいた。っそれぞれに下山後のメンテナンスに余念がない。靴下を交換する者、サンダルに履きかえる者、塩の吹いた汗臭いTシャツを交換するなどの心遣いをする。なるほどなあと感心したことだ。かくいう私も登り始めの稲村岩あたりで綿シャツを汗で濡らしてしまい、着るものがなかった。衣服の着脱をこまめに行っておけばと悔やんだ。

その乙女たちが来週の山行について語っていた。金曜日の夜行バスで酒田に行って、翌日「鳥海山」に行くというのだ。幕営を許可してくれないかもしれないし、そうなれば山小屋泊まりで云々。夜行バスで酒田に向かい、翌日から鳥海山に登るという発想は若さあればこそのことだ。うらやましくて涎が出た。

そうこうする内に「臨時バス」が止まった。慌ててザックを担いで乗りこんだ。登山者たちで立錐の余地もないほど混んでいた。 1803発の青梅行き電車、始発だから楽々座れた。Mさんと一緒に写真を撮りアドレスに送ることなどを約束した。互いに単独同士だから「機会があったらご一緒しましょう」と約束して立川で別れた。一電車遅れ「津田沼」までの特別快速に乗った。50000図と25000図を広げ、今日歩いた道、等高線のひとメモリまでを克明に反芻してすごしまったく退屈しなかった。サウナ登山ではあったけれど、夏の山は多かれ少なかれ汗を絞るものだ。私にとっては久しぶりの山はこうして幕を閉じた。
津田沼で晩飯のラーメンと餃子を食べ、21時半自宅に着いた。


追記
翌日、予想した通り脚の痛みが始まった。何と言う心地よさだろう。
デジタルの写真を転送し記録を書き上げる作業の何と言う充実だろう。
せめて月に2度の山行は継続したいものだ。せめてあと二つの山に遊んで夏休みを迎えたい。
ちなみに昨日の歩数は30000歩を越えていた。(参考程度のデータ)

文責: 青島原人


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