【冬山登山訓練 富士山編】

佐藤小屋付近にて終日訓練

2003/02/08(土)2日目 快晴
0600周囲のざわめきで目が覚めた。快晴。0630朝食メニューは我々が揚げた「う どん」だった。「0800小屋前に全ての装備をつけて集合」と講師の指示が出た。装備と は冬装備、ザイル確保の為のシュリンゲ、ヘルメット、アイゼン装着という事だ。いち早 く食事を終えた者からテルモスにお湯を入れ慌しく支度に取り掛かって行く。その様子を 横目で眺めながらタバコ、コーヒーを飲む。7時頃から玄関の土間には我々以外の登山者 も含めた動線で混雑し始めた。今朝方着いたメンバーは「休息なしの登山」だったらしく 「よっぽどリタイアしようかと思いました」と愚痴をこぼしていた。山岳連の「リーダー 研修会」と「検定」が開催されるとの事で続々と佐藤小屋に登山者が集結して来た。芋の 子を洗うような混雑を縫って「靴を履く、紐を締める。その上にスパッツを装着し小屋の 外でアイゼンをつける」一連の動作を素早く完了させなくてはならない。ただでさえ着膨 れているから一つ一つの動作が緩慢で遅れ気味になる。ようやくの事でスパッツを装着し 小屋の外に出た。

雪煙が激しく舞い厳しい寒さにたちまち指が悴んで来た。手袋をしたままではアイゼンバ ンドの微妙な調整ができない。調整済のアイゼンと靴の位置がカチリと決まらない。バン ドを小さな穴に通し緩み止めに折り返す作業がうまく運ばない。「ベルト締めはかなりきつ くやらないと緩んで危険だ」と講師からの指示が飛んでいた。まごまごしていたらメンバ ーの一人が心配そうに様子を見に来た。バンドを通す際に手が滑って左のアイゼンに激し く触れた。瞬間強い痛みが走り、たちまち血が滲んできた。左手甲に小さな穴が空いてい た。鮮血が飛んで凍った雪面を赤く染めた。手当てをしている暇はない。ようやくアイゼ ンを装着して点呼の列に並ぶことができた。実に40分近くを要したことになる。メンバ ーのおばさんが小さなバンドエイドをそっと渡してくれた。痛みは寒さで麻痺して感じな かったものの止血は必要だった。

「ええ、本日は滅多にないコンディションで、これほどの凍結は過去に類がありません。 2日ほど前に雨が降り、それが凍結(クラスト)して甚だ危険な状態にあります。この凍 結は3000m厳冬の穂高山稜に匹敵します。こういう機会はそうはありません。皆さんは実 に得がたい経験をすることになります。このまま6合目を目指せば半数以上が滑落して死 んでしまうでしょう。したがって本日は班別に別れ小屋付近の稜線を使って滑落停止、ア イゼン歩行の訓練を午後3時まで行う事にします。昼食は各自持参の物で対応の事。くれ ぐれも事故のないようにお願いします。」

見上げる稜線の彼方に富士の山頂があるはず。快晴の空の下、昨夜眺めた富士吉田市街の 向こうに八ヶ岳、南アルプスがくっきりと秀麗な威容を見せてくれた。
柔軟体操の後、講師の後について移動開始となった。12本アイゼンが確実に雪面を捉え て歩き易い。昨日、あれだけ苦労した坂も難なく登ることができそうだ。靴だけで登る技 術を教えたと講師が言っていたが、なるほどそれも大事な事だと納得していた。

肩幅2本のトレースを意識して刻む事。アイゼンでスパッツを引っ掛けるとたちまち転倒 して危険だから意識して脚を運ぶようにとのアドバイスがあった。
ピッケルの使い方、風の避け方、打ち込み方、滑落した時のピッケルの打ち方、向かう方 向に対するアイゼンの使い方、ピッケルによる足場の作り方、雪を切る方法、斜め移動、 反転、更に反転、登り、下り、アイゼン先端を使った登り、下りにおける体重移動の仕方 など一連の動作を繰り返し繰り返し練習した。アイゼン同士が触れてあっという間に滑落 してしまう場面、負荷に耐え切れず(しかも空身で)頭から滑落してしまう場面、斜度が 鋭いほどアイゼンの方向に留意しなくてはならない事、膝をやわらかくして内側に入れる ことで摩擦係数を高める技術を学んだ。いずれも身体で学ぶ事柄だった。
下側から講師が目を光らせ、アイゼンの腹が見えているメンバーに激を飛ばして叱り付け て来る。斜面にあってアイゼンをフラットに置くことがいかに難しいかを身体で覚えさせ られた。10回以上滑落したから、これが富士山頂近くであれば、さしずめ10回は死ん だことになる計算だ。

ようやく昼食タイムとなった。テルモスの湯を飲み、歌舞伎揚げ煎餅とチョコレートをボ リボリ食べた。持参したチーズパンは冷たくなってボロボロになっていた。冬山における 行動食はどうあるべきか。講師の一人は羊羹をモリモリ食べていた。コンデンスミルクを 湯に溶かして飲んでいる講師もあった。道理でザックがコンパクトにまとまっている訳だ。

午後からは滑落停止の訓練に入った。背中から滑落した場合における身体の反転、ピッケ ルの打ち込みによる停止を練習したが、これが予想以上に難しい。凍結した斜面に、そも そもピッケルが刺さらない。1mmか2mmくらいしか刺さらない状態だった。初速度に おいていち早く身体を反転してピッケルを打ち込む動作ができなくてはならない。理屈で はなく身体に覚え込ませなくてはいけない。ザックを背負った状態で思ったように身体を 反転させて打ち込めるものかどうか。ましてや頭から落ちる場合もある。その時の動作は どうするか。経験上判ったことは人間の腕の力は予想以上に弱いということ。加速度がつ く前に神速の速さでピッケルを雪面に突き立てることを繰り返し繰り返し練習した。反転 する際に腕、肘、膝を凍結した雪面に激しくぶつけ痛い痛いと連発した。靴の紐の締め方 が緩いと危険であることも学んだ。相当しっかり締めないと足が遊んでグリップが効かな くなる。

最後はアイゼンを外して斜面を登る訓練を行った。アイゼンが刺さらない斜面をピッケル 活用で登り下っていく。ひとつひとつの足場をピッケルで「切って」進んで行くというも のだった。腕を上下させて氷を削るという気の遠くなる作業を反芻しなくてはならない。 ピッケルはそもそも何の為にあるのか。バランスと雪を削る為にあるのだと理解した。 「なるほど冬山は半端ではない」否応なし自覚させられた。

午後2時半、ようやく本日のカリキュラム終了となった。再びアイゼン装着の指示が出る。 雪の状況を瞬時に判断してアイゼン、輪かんなどの装着が素早くできるようにする訓練と 教えられた。全員疲労の色を浮かべて小屋に戻った事は言うまでもない。

小屋に戻り、ようやく冬装備を解いた。濡れた手袋、スパッツ、靴下をストーブ上の鴨居 に吊るしメンテナンスを行った。明日はいよいよ「輪かん」「輪かんとアイゼン」「ラッセ ル」を学習すると講師の指示があった。どうやら天候悪化の兆しがあり今夜は雪模様にな るとの事だった。

一段落し、ストーブの周りで昨日に引き続いての酒宴となった。メンバー誰もが練習の苦 しさと冬山の厳しさを語って尽きなかった。「場数と経験を積むことが大事なことです」と 講師が語った。大工の兄さんは「お正月を富士山頂で過ごしたい」と素朴に考えていたけ ど、とうてい不可能という事が判りました」と素直に感想を述べていた。山頂に至る斜度 は今日の比ではないと誰もが同じ感じたことだった。あの緊張感を維持する集中、精神力 は並大抵のことではない。

そうこうする内に神奈川県山岳連の「検定」にエントリーする人たちが続々と山から降り て来た。夕方から「個人別に検定作業」が始まる予定になっていた。組織のリーダーとし て活躍する為の試験のようだ。中には30歳前後の若い女性の姿もあった。講師陣はいず れも検定をする立場らしくその作業に追われていた。
「冬山に登りたいと新人が言って来た。その場合、どういうアドバイスが適当か述べよ」
「支度する道具はどのようなものが適当か、述べよ」
「雪が激しく降ってきた。その場合における対処策を述べよ」
検定作業は一人ではなく数人の講師によって行われ実技も含めて査定される仕組みになっ ている。実技、知識の総合点で基準を確保しないと及第にならない。少なからぬ山の経験 を積んだ人たちが、より熱く深く山と関わる為に望んでしていることには違いない。この 中からヒマラヤを目指す人たちが出てくるのだろう。現代にあってもアルピニズムの精神 が脈々と躍動している事に驚きと感動を覚えた。

夕食の時刻となった。今夜のメニューは豪華な八宝菜だった。40人分の飯と八宝菜の入 った鍋に群がり、浅ましくかつ慎ましく平らげていった。

佐藤小屋はおおよそ100年の歴史を持つ老舗であると聞いた。四代目の小屋主人はアル パインガイドも務める屈強の壮年だった。命綱の水、薪、食材は全て荷揚げという過酷な 労働に耐えなくてはいけない。むろん様々な人たちの協力もあるのだろうがサラリーマン 的小乗世界では歯が立たない仕事に映る。冬場に営業している小屋は佐藤小屋だけだから 富士を目指す登山者にとって、これほど有難い小屋はない。訪れる人は旧知の仲のように 振る舞い釜を囲んで屈託のない会話を重ねるのだ。白いお茶を飲んで上機嫌になっている 我々に厚切りのハムなどを出してくれた。料金なんて水臭いことは言わない「どんぶり勘 定式」のようだ。但し、ビールだけはしっかり500円確保していた。
それでは済まないという気持ちから食材を寄付して去る人も大勢居るようだ。私も小屋を 去る時、持参したものの結局手を付けることのなかったインスタントラーメン2個、餅、 柿ピーナツ一袋を炊事場に黙って置いて来た。

検定を受ける人たちの問答の声が部屋のあちこちで響いていた。昨夜とは打って変わり芝 居小屋のように騒がしい。我々も釜ストーブに陣取り山談義の花を咲かせた。
20:00ミーティングということで広間に集合し、明日の予定の確認と3月に開催される「谷 川岳」の最終確認を行った。新潟県水上駅1150分集合。駅ビバークを経験し翌日朝一 番で土合・天神尾根までタクシー・ケーブルを使って行く事。そこから輪かんを履いて熊 沢避難小屋までラッセルによる徒歩訓練を行う事。力を合わせて雪洞を作る事。それぞれ の担当荷物を忘れないようにとの指示が出た。谷川岳では雪山における「生活技術」を学 び、天候次第で山頂を目指すと言うものだった。幾たびか登った谷川岳の山頂に立つこと ができれば非常に嬉しいのだが。

明日の天気予報はこの春一番の暖かさになると告げていた。2100トイレの為に戸外に 出ると激しい雪が舞い富士吉田市街の明かり微かにも見えなかった。暖かな紅茶とタバコ で神経を和ませ大人しく寝室に向かった。大勢の登山者が出入りしたおかげで寝室の空気 が攪拌され昨日よりは幾分暖かく感じられた。昼間の緊張が解けてたちまち深い眠りに入 った。

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