晴天!初めての谷川岳 

お日さま はじめて谷川岳に登りました。お天気にも恵まれ、ますます山にはまりそうなこの秋です。 今回が二度目の山になりました。

【日 付】 1997年9月20日(土)晴れのち時々曇り
【場 所】 谷川岳
【行 程】 西黒尾根登山口…谷川岳山頂…天神峠…天神平
7:20      12:58-14:30 16:20 16:30

9/19(金)
 22:00 自宅出発
自宅を車で出発。電車を検討するも、朝立ちではどうしても土合駅着が8:30を過ぎてしまうので、 やむなく車で行くことにした。練馬インターから関越高速をひた走る。道は思いのほか空いていた。 眠気覚ましの熱いコーヒーがとてもおいしい。高崎、前橋を経て伊香保温泉の街明かり迫ってくる。 右手には赤城山が優美な稜線を描いて聳え立っているはずだが、闇に隠れて見えてこない。

私が生まれて初めて登った山は「赤城山」。 わずか一時間半で黒檜山の山頂に立った。ついこの間のことだ。 相棒の先導とは言え、運動音痴の私にも山登りができるとは驚きだった。そうして今日は「谷川岳」だという。 新聞、ニュースであの有名な「魔の山」と恐れられている「谷川岳」に私が登れるのだろうかと、とても不安だった。 「それは岩登りのこと」一般登山道であれば問題ないと相棒は言うのだ。
水上ICで降り、道路沿いのセブンイレブンに立ち寄る。食糧補給は、ここ以外にはないということだ。 [開いててよかったね]店内にこれでもか!と積まれたおにぎりが明日の登山者の数を思わせる。 その「山」から明日の朝食と昼食の分のおにぎりを仕入れた。好物のポテチも忘れない。

 ◆  ◆  ◆

9/20(土)
 1:00 土合駅前の広場に到着
土合駅に到着した。暗い山道、ヘッドライトの明かりが頼もしい。 車の後部座席を畳んで寝床を作る。銀マットを敷いてみたものの窮屈極まりない。 土合駅のトイレに立ち寄る。
列車組の登山者だろうか、待ち合い室のコンクリート地べたに新聞とかマットを敷きシュラフにくるまって眠っていた。 ここではそうして眠ることが自然なのだと相棒が言う。 昭和30年代から40年代にかけて東京から多くの登山者が谷川を目指した。 安い交通費で2000m級の山を列ねる谷川岳は、格好の登山基地だったというのだ。 今は無人化した駅構内のあちこちに、当時の模様を偲ばせる雰囲気があった。 「そうか、そういうことがあったのか」と古の岳人たちの群像を思い浮かべて気持ちがとても高まってきた。

通りを挟んだ向かいにテント設営組のランタンの灯りがほのかに見える。あそこにも山を登る人たちがいる。 「山って、そんなにいいんだ」 私は、まだ一度しか登ったことはないけれど、確かに気持ち良かった。下山した後の温泉も素敵だったし、 赤城山名物「桑風庵の蕎麦」は絶品。 翌日は足の痛みで転げ回ったけれど、とても新鮮だった。
「ぶるぶるっ、」9月ともなれば気温もかなり低くなる。ましてやここは谷川連峰の麓だもの、寒いはずだ。 見上げたら月が冴え冴えと輝いていた。眠らなくては、、。 寝酒を「ぐびぐび」と飲んでやっと就寝。時計を見ると2:00を指していた。

 5:30 車の中で起床
予想通り天気はいいようだ。
眠れないと思っていたが、しっかり寝ていたようだ。 素早く寝床を片づけて、谷川岳ロープウエイ駅駐車場へ移動する。 どこからともなく駐車料金徴収のおじさんが現れて「500円おくれ!」と手を出してきた。 500円は高いなあと思いつつも払わないと警察沙汰になるかも、、と思い支払った。 朝ご飯タイム。湯を沸かしてインスタント味噌汁とおにぎりで目を覚ます。 車の中で身支度を整え、谷川岳ケーブル駅階段を登った。ケーブルは下山時に使う予定。 今回は尾根筋を登るのだという。連れていかれる身は、はなはだ不安。 備え付けの簡単な登山計画書を箱に入れ西黒尾根登山口への道をしばし歩く。

 7:20 西黒尾根登山口へと入る
ようやく登山口に到着し、小休止して靴の紐を締め直す。
おおよそ5時間の行程だという。大丈夫かしらと再び不安になる。 のっけからの急登だ。黙々と登る。昨日の雨で緑が生き生きとして見える。 鉄塔の手前で休息。サーモスのコーヒーを飲み、甘納豆を食べた。

 10:28 樹林帯を抜ける
すばらしい展望が右に広がる。心地よい風が爽やかだ。
登山靴 新しい靴と重いザックのために、どんどん人に追い抜かれる。 どうぞ遠慮なく抜いていってくださいとばかり立ち止まるので、相棒のリズムも乱れがち。
クサリ場のあたりでツアーらしい女性中心の団体ツアー軍団と一緒になった。 ははあ、これがいわゆる中年登山隊という人達か。 ツアーのしんがりを勤めるおにいさんは、女性達のザックをひとりで3つも背負っていた。 自分の荷物は自分で持つのがルールではないかしら。仕事とは言え、御苦労さま。 「あんなことあり?」と相棒に目線を送ると、苦笑いしていた。

谷川岳の山頂が視野に入ってきた。雪渓の残る山肌の景色が素晴らしい。 ガイドブックによく出ている図だ。 実物は写真とは比べようもなく美しい。来てよかったなあ。 最後の急登。後ろから追い抜かれるばかりか、下りの人ともすれ違うようになった。 どうやら私の足は亀よりも遅いようだ。はあはあと息を切らしながら黙々と歩く。 疲れてきて景色を眺める余裕もなくなってきた。鎖のある岩場とか木の根っこを頼りによじ登る。 山登りもけっこう大変だなあ。相棒が後ろから私の様子を眺めて「ああせい、こうせい!」と指示を出す。

 12:58 谷川岳の頂上をきわめる
山岳部らしい若者達で賑わっていた。写真を撮る。 やや雲は出てきたと言うものの、視界360度の展望は素晴らしい。 万太郎山への稜線の美しさはどうだろう。 あいにくと雲が湧いてきたけど2000mの高さから眺める視界は素晴らしい。 地図を広げて山岳展望。磁石の使い方を教わる。なにやら難しいそう。 「新潟県境にある平標山に繋がる稜線を縦走したい」と相棒がぽつんと言った。

風が強くなってきたのでパーカーを着込む。風を避けられる場所に陣取り食事タイム。 ガスバーナーで湯を沸かしてチキンラーメンを作る。おにぎりををガツガツ食べる。お腹ぺこぺこ。 山頂で温かいものを食べるのは格別。重いバーナーとクッカーを担いで来た甲斐があるというもの。 食後の果物は梨。何を食べても美味しい。サーモスのコーヒーを補充する。 やはり0.45リットルでは往復はもたない。山頂で無線交信をしている人がいた。 何を話しているのだろう。

 14:30 山頂を出発、ひたすら下山
14:00を過ぎると山頂から人がすーっと居なくなった。 なんてことだろう。下りは天神峠へ出て、ロープウェイを利用する予定なのに、いささかゆっくりしすぎた。 最終ロープウエイは5時前後。間に合わなくなったら困るとばかり、焦って下山を開始した。 山頂の「肩の小屋」を見物する。立派な小屋だった。若い登山者が荷を解いて休んでいた。 トイレの設備が並んでいた。し尿処理が大変みたいだ。

黙々と歩き通して、ようやく熊穴沢避難小屋に到着した時は、 膝ががくがく笑っていた。 「ここまで来れば大丈夫だよ」と相棒が言うのでほっとした。大勢の人が休んでいた。 木道に出る。もう少しだ。歩幅が合わずに歩きにくい。ようやくロープウェイが見えてきた。 もうすぐそこだ。間に合った!と思った瞬間、いままでの緊張が一気に弛んで危うく転けそうになった。 「最後まで気を抜くな!」と後ろから相棒の叱声が飛んできた。おお、、こわいなあ。

 16:20 天神峠到着
ロープウェイに乗り込む。ふーっ、ひと安心。10分ほどで天神平に到着した。 西黒尾根の稜線が視界に入る。 「あの尾根筋を登ったんだよ、頑張ったね」と相棒が言う。 本当に登ったんだろうかと、改めて思うと嬉しさみたいなものが込み上げてきて、 苦しかったことなんかきれいさっぱり忘れていた。 膝はガクガク言ってるし、大量の汗もかいて気持ちが悪い。足も重たかった。
ロープウエイ駅でザックを下ろして休息。煙草を喫い、サーモスのコーヒーを飲んだ。 アイスクリームがおいしそうだったので一つ注文し、相棒と半分づつ食べた。 疲労した体は甘味を欲しがるようだ。

 16:30 下山完了
下山完了。手を叩きあって無事を祝う。 車に戻って荷を解いて、登山靴から「草履サンダル」に履き替える。実に開放的な気分になった。 「うわ、、気持ちいい」 水上温泉でもらい湯をして汗を流した。身体の疲れがお湯に溶けてゆくようだ。「気持ちいい」を連発する。 髪も洗ってさっぱり気分。相棒は既に上がっていて、冷たいウーロン茶を気持ちよさそうに飲んでいた。 新しい登山靴に慣れないせいか足首が痛かった。 靴紐の絞め方が悪いのか、歩き方が悪いのか、おそらくその両方だろう。そうして靴が馴染んでいくらしい。 湯につけたので指がふやけていた。

 22:00 自宅に到着
食事は高速PAで食べた。渋滞ではあったけれど勤めて安全運転に徹して無事家にたどり着いた。 足の痛みはあるものの、この「けだるさ」はまた「満足感」でもあるのだと思った。 相棒はザックを解いて「部品」を元に戻す作業に取りかかり始めた。そしてコーヒーをおいしそうに飲みながら、 早くも地図を広げて「次はどこへいこうか」と言いはじめた。やれやれ、、。

文責: 木蓮


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