北岳は「夏の忘れ物」 

木々 木々

【日 付】 1999年8月12日(木)〜8月13日(金)曇り、雨
【場 所】 南アルプス、北岳


8/12(木) 北岳への玄関口、広河原に到着
12日、甲府駅12時10分発、満員の臨時バスに揺られ揺られて2時間近く、時代がかった暗い隘路のトンネルを何本もくぐり、ようやく広河原に到着した。いよいよ南アルプスの懐深く分け入ってきた。

ここに来る迄の時間もまた楽しいものだった。会社員である以上、潤沢な時間がある日常ではないし、また経済的にも余裕がある訳でもなかった。ないはないなりに知恵を働かせ、途中のプロセスすら楽しみに変換する姿勢は、ある意味で見上げたものではなかったか、、、と自画自賛してもいいかなあ。
基礎訓練も地図読みも、それにまつわる様々な文献漁りも、深夜に及ぶ読書も、すべて意味深いものだった。そういう小さな事実の積み重ねが私達を更に豊かにしてくれた。アウトドアを語るほどの経験もないし見識もない私たちだったが、幸せな時間を共有できたことに感謝したい。

どうやら天候は崩れつつあるようだ。快晴の視界は臨めそうにもない。空を仰いで慨嘆するばかり。吊り橋が視界に入る。その向こうの川辺に赤や黄、青、緑のテントの彩り。あそこが我々の今宵の宿だ。

バスに同乗していた女性が目の前を歩いてゆく。
黄色のザック  「ザック重そうですね、何キロくらいあるんですか」と木蓮が尋ねる。
 「20キロくらいはあります」
 「今から北岳にいくんです!」
 「えー今からだと着くのは20時頃になるでしょう」
 「縦走して聖岳まで行きたいもので、どうしても今日中に登りたいんです」
 「はあ、、、それは凄い!」

舌を巻いた。歳の頃は27才前後、言葉の端々に山岳人としての「自覚」が横溢している。ザックのパッキン一分の隙もなかった。とてもとても我々の及ぶところではない。きっとどこかの山岳部所属だなあ。それにくらべて我々の計画の何と軟弱なことよと、互いの顔を見合わせ悄然と肩をすくめる一幕。「おれも10年若ければなあ」と後姿を羨ましそうに見送ったことだった。

オレンジのテント 緑のテント オレンジのテント

のんびりとテントを設営
小屋入り口で400円の所場代を支払い、河原を見下ろす高台に幕営の支度を始める。午後2時半。これから山に登るという訳ではないから、のんびりしたもの。学生と思しき一団が家財道具一式を広げてくたばっていた。どうやら下山してきた模様でリラックスしている。女の子も混ざりトランプなどに楽しく興じている者もいる。ああいう青春時代を私は過ごしてこなかったなあ。

私達と同じようにテント設営に励む人もいる。皆、私達のより大きそうだ。私達のテントは軽さに於いて比肩するものなく狭さにおいてもまた然りという代物だ。このテントのデビューは97年、晩秋の尾瀬だった。雨の中で設営し満足にフライも張れずに寒さに震えながら朝を迎えた。生まれて初めてのテント泊が尾瀬であったことが、その後私達のアウトドアスタイルを決定した。小屋も捨てがたい魅力があることは承知していたが、敢えて自然を存分に味わう「テント」にこだわるスタイルを選択したのだった。

幾度かの幕営を経験した。98年秋、北アルプス涸沢のゴロタ石で遂に底が破れてしまい、修理した跡が歴然と残っている。耐久性の問題ではなくテンションのかけすぎが原因だった。そもそも1人用を二人で使うという設定に無理がある。シュラフを並べて寝るのが精一杯で寝返りをうつこともかなわないのだ。負荷もかかろうというものだ。そろそろ次のテントを買ってもいいかなあ、、そんなことが脳裏を掠めた。大蔵省攻略の作戦を立案しなくては、、、まずは計画ありきというところ。

珈琲で一服、木蓮はスケッチをはじめた
テント設営完了。炊事用具を並べて水を沸かし始めた。まず珈琲が飲みたかった。木蓮はスケッチ帖を出して一心不乱に何やら描き始めた。声をかけるのは野暮というもの。こういう時はそっとしておくにかぎる。その場を離れて河原に散歩に出る。流木で焚き火をしていた。白い煙があがっているところをみると生燃えか?深い緑の森に蝉の声が四隣に響き渡る。南アルプス山麓とはいえ、やはり夏の盛りにはちがいない。

スケッチ 「どれどれ、、、描けたかな」と訳知り顔のチャボ博士が忍び寄る。(いうまでもなく私のことを指す。既に一枚の水彩画が仕上がっていた。河原に並ぶテントと背景の山が軽いタッチで描かれていた。
「なるほど、、こういうふうにこの人は見ているのか、、、。」
パステル鉛筆と思っていた画材は、実は水に溶かして使う水彩具であることを知って驚いた。モノを見る目に自信のない私にはスケッチができるということだけでも憧れがある。そういう素養のない自分が、ちょっと情けない。「見たまま、感じたままを描けばいいのよ」と木蓮は言うが。生来の近眼に乱視も加わり、あまつさえ最近は老眼模様。はっきり言って「見えていない」ようだ。

17時となった。あちこちで夕餉の支度が始まった。私達もちょっと早いが、夕食を摂ることにする。甲府駅であらかじめ仕入れておいた和幸謹製「ヒレカツ弁当」。750円は安い。明日からの山行に備えての栄養補給もある。普段の質素な食生活が、この時ばかりは豪華に変身する図は愉快だ。それに「カツ」は縁起もいい。やるぞ〜。満足して箸を置き、しだいに濃くなる宵闇の中でワインの栓をあけた。山の稜線がオレンジ色に暮なずんで、まるで影絵のように浮かびあがる。草の匂いとワインの芳香。ポツポツと点るランタンの灯。この抒情的な時間が欲しくてキャンプをしているようなもの。焚き火があり、魚があればもはや言うことなしなんだが。

夜半の激しい雨
水をたっぷり含んだ地層から沸き立つような暖かな湿気を感じる。ひょっとして雨が降るかも、、そういう予感がしたのでザック類をすべてテントの中に格納して、早々に眠ることにした。歯磨きとトイレを終えてシュラフに潜り込む。狭い。寝返りひとつ打つ空間がない。ザックが邪魔なのだ。絶対、大きなテントを買うぞ!19時、周囲のテントがまだ騒がしい。無理もない。心地よいワインの酔いの助けでいつしか眠りに就いていた。

バリバリとフライを叩く雨音と寝苦しさで目が覚める。汗をかいていた。時間は1時を少し廻っていた。
 「雨だ、、、」
ごそごそ動き回っていたら木蓮も寝苦しかったらしく目を覚ましてしまった。
 「雨なの、、、」
狭いテントでは煙草を吸うこともできない。フライから首を出して煙草を喫う。流石にあたりは寝静まっていた。
 「雨かあ、、、明日は合羽だなあ」
 「このテント、やっぱり狭いよなあ」
 「今度、新しいテントを買おうか、、、」
 「、、、、、」

 ◆  ◆  ◆

8/13(金) 曇天の下、北岳を目指して
再び目が覚めたのは5時だった。夜半に降った雨はすっかり上がっていたものの湿った重たい空気が立ち篭めていた。バーナーで水を沸かし、まずは珈琲を飲む。パンとチーズの朝食を摂る。ザックのパッキンを終えて撤収にかかる。雨を含んだテントは、もはやひとつの袋には納まらない。最初の頃は、この撤収が随分とへたくそで時間ばかりかかって要領を得なかった。

そこへ行くと山岳部に属するあんちゃん、ねえちゃんたちの行動は迅速神業で唖然とすることが多かった。ねえちゃんたちは髪を梳かし、化粧までする念のいれよう。朝3時に起床して御飯を炊き、食べたかと思うと風のように撤収を開始し、ほどなく姿が見えなくなるという有り様。神出鬼没、まるで風林火山の旗印みたいなものだった。訓練すれば、あそこまでやれる見本を見せて貰った。人の振り見て我が振り直せ式で、すべて現地学習でテント作法を学んできたようなもの。

6時出発となる。最後の点検を終えて小屋脇の登山道に入る。群雲の隙間から時折陽が射している。大地から立ち上る猛烈な湿気との戦いが待っていた。歩き始めて、ほどなく汗が大量に噴き出し始めた。道の至るところが水で溢れて川のようになっている。大樺沢のゆるやかな傾斜道が続いている。荷物の負荷はそれほどでもない。問題は二俣以降のバットレスだろう。この分なら大丈夫との確信を得た。ガスで視界が利かない。今にも落ちて来そうな雨雲に覆われている。

怪我と悪天候で無念の撤退
水筒 それでも北岳への道を歩いている嬉しさがじわじわとこみあげてくる。ここまで来るまでの時間を反芻しながら一歩一歩高度を稼いでいった。途中何度かの休みを取りながら、ようやく二俣雪渓近くまで、漕ぎ着くことができた。ここで思わぬことが起きた。木蓮がガレ場の石に足を滑らせて転倒した。その際に軸足を挫いて立つことができなくなってしまった。痺れてしまい感覚がなくなっているようだ。ザックを下し大休憩となる。

痛みが増してくるようだ。我慢強い性格なので「痛い」とは一言も言わないのだが、見ている私は、明らかに「動揺」してしまった。小1時間様子を見ていたのだが、事態はますます悪く推移しているように思えた。捻挫だけであることが、まだしも救い。腫れは急激ではないから骨折はしていない。雨が今にも降り出しそうな気配。これ以上の前進は無理と判断して、「撤退」を決断した。

消炎剤を吹き掛け、2重のテーピングの処置をほどこし、木蓮のザックの半分以上を私に移動した。ステッキを伸して2本を木蓮に持たせた。2本あれば足の負担を軽減できる。普段は使わない道具なのだが、いざという時は役に立つ。珈琲を立てて気付けとして飲ませる一方、食事もたっぷり摂らせることにした。血糖値が下がった状態での下山は更に危険を招聘しかねない。気力を震い立たせて下山開始となった。気丈な木蓮は「痛い」とは言わない。黙々と歩く。登りの時間の1.5倍の時間をかけて下山完了した時は「ほっ」と気が抜けた。ようやく木蓮の顔に笑いが戻ってきた。
 「よかったね」
 「ごめんね」
ここまで来れば大丈夫だ。
 「北岳、キタダケになってしまったね」
 「いや違うよ、おれたちは立派に北岳に登って来たさ」
 「いや、北岳、ミテキタダケかなあ」

北岳は「夏の忘れ物」
甲府駅に向かう空は暗い雨雲に覆われていた。激しい雨の襲来。甲府駅発、臨時の特急で帰宅する。かくして南アルプスの旅は、宿題を残してブジ終了した。夏の忘れ物ということになる。落とし主は私達。取に行くまで預かっていてくれるという。

関東一円、熱帯低気圧の影響下にあり南アルプスも激しい雨に見舞われているようだった。お風呂に入って、ビールを飲み、枕を並べて爆睡したことはいうまでもない。テレビのニュースで玄倉川遭難のことを知ったのは14日午後のことだった。あまりにも痛ましい事故で、暗澹としてしまい、記録をかき込むことが憚られる雰囲気だった。

捻挫はすっかり平癒して、今では「江戸の仇を長崎で取ろうよ」と慫慂される日々。さて次は、どこへ行こうか、、、新しくも楽しい悩みが始まった。

文責: 青島原人


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