高水三山逍遥、日だまり散歩 
靴
2年振りに高水三山逍遥散歩に出かけました。
以下はそのその時の顛末記録です。


【日 付】 1999年11月21日(日) 快晴
【地 図】 地形図2.5万 武蔵御岳、および日地出版 奥多摩大菩薩
【装 備】 レインウエア、SIGG JET、ラーメン、おにぎり


奥多摩行きの電車は満杯
仕事が忙しくなかなか山行ができない日々が続いて鬱々していた。今回はここのところ気になっていた磁石と地図を肌身離さない登山とすることにした。6時に起床。駅に向かう道すがらのコンビニで食糧を仕入れ、新宿に向かう電車の中でパンと牛乳の朝食。まあ行儀の悪いことかぎりない。

新宿始発7時43分のホリデー快速。奥多摩行きの車両は既に満杯。中高年族のハイカーでごったがえしていた。五日市行きの車両はガラガラ。ここに陣取る。昨日のニュースで奥多摩が紅葉の盛りと伝えていたせいもあるのだろう。やはり奥多摩に人気が集中しているみたいだ。

中高年パワー恐るべし
オレンジのザック それにしても徒党を組む中高年のおばちゃんたちの闊達な元気振りは迫力ものだ。カモシカマークのザックがズラリと仲良く並んでいる様が微笑ましい。そういえば身につけている衣装も色こそ違え同じような傾向にある。もう少し個性を発揮できるスタイルにならないものだろうかとお節介。(そういう自分はどうなのだと天の声。)

反対側の席一列に陣取り逞しく朝食弁当を広げていた。まあ、人のことは言えない。そういう私も立派な中年おっさん族のひとり。傍らには番茶も枯れ尾花の愛妻が「どこまでも付いていくでえ」と夫唱婦随。余命幾許もない私に山で死なれた日にはオマンマ食い上げになると恐れているからだろう。高水三山といえどもレッキとした山である。その危険性ゼロという訳ではない。
で、、私が不幸にして鬼籍に入るようなことがあると、、会社から御涙金の金子は多少は出るであろう。(業務外だから期待してはいけないよ)生命保険金も出るだろう。捜索費用はそれでまかなってくれ(おそらく即決支払いを請求されるだろうなあ)などと埒も無いことばかり書き込んでいたら日が暮れるというもの。秋の日暮れはつるべ落としというではないか。先を急ごう。

拝島で奥多摩と五日市方面に分岐する。ここから奥多摩方面に乗り換える。終戦当時の闇市列車を思わせる混雑ぶり。ザックを棚にあげる余裕もない。足下に置いて御岳駅まで無念無想の40分を過ごすことになる。電車は蛇行しながら高度を緩やかにあげてゆく。ゆれる窓から眺める里山の秋の風景が懐かしい。

里山の秋と柚子
御岳駅停車。大勢の人がここで降りた。目指すは御岳、それとも棒ノ折れ?ここで上りに乗り換え。ふたつ戻って軍畑駅に下車する。トイレを済ませ駅前のお店を斜めに素見し、軽いザックを背負って、いざ心も軽く散歩気分の二人旅。
見上げる視界に朝の光を受けて輝く欅の巨木。風もないのに落葉する木々の葉。路傍に堆積した落葉の佇まいに深まる秋を感じた。里山とくれば、たなびく煙、、紺碧の空に映える柿の色。さらさらと音を響てて流れる沢の水。そこかしこに晩秋の佇まいが溢れていた。

柚子 陽の当たる坂道をえっちらおっちらと上り詰めると「柚子」を三個100円の案内。三個もいらぬので1個だけ分けて貰った。ようやく登山口に着く。小休止。地図を広げて方位を確認する。磁北線を書き込んでいないので失敗。やはり基本は守らなくてはならない。こういう些細なことが命取りにならぬとも限らない。登山路に沿って平溝川が流れている。地図の上では右岸からも小さな沢が流れ込んでいるようだ。

地図を読みながらの登り
稜線の食い込みを確認しつつ歩いたが、現在地の確認という作業はこれでなかなかに難しいものがある。等高線を読む込む範囲の誤差20メートル位は判るようになりたい。尾根と谷、等高線の刻む感覚を歩く時間との関係の中でもっと正確に把握したい。やはり場数を踏まねば身に付かぬものなのだろうか。地図も読めないでは山を語る資格なし、、、内心忸怩たるものを感じる今日この頃。

小橋を渡ってから徐々に勾配がきつくなってゆく。563付近まで高度差約200mを一気に駆け登る。ひさしぶりの山、、息も切れるのもいたしかたない。山の冷気に身を置いているせいか不思議と汗は出なかった。勾配が弛んだあたりで地図を見る。高水山の尾根筋に乗ったことを確認する。磁石は正確に常福院を指し示していた。煩雑に地図を見、磁石で方位を確認する作業を疎かにしなければ、ホワイトアウトの事態にも慌てずに対処できるだろう。危険を予知し、回避する技術を身につけなければ、いつまでたっても初心者の域を出ることができないという痛切な反省の思いがある。それは日常の生活にも役立つ技術のはずだ。

樹の実 緩やかな尾根を僅かに辿る。末枯れて朽ち落ちた病葉が路を塞ぐように積もっていた。さくさくと葉音を響かせて、ようやく常福院境内に至る。人が溢れていた。竹のベンチに二人分の隙間を見つけて座り込む。
 「ふぇーやっときたよ」
 「まあまあね、そんなにきつくはなかったわ」
 「うん、まあこんなものだ」
祈る人、飲む人、食べる人、写真を撮る人の動きが慌ただしい。そういえばここでソフトクリームを食べた記憶がある。境内右手の家屋で水を分けて貰った。水は下から汲み上げてくるのだという。ありがたいことだ。

日だまり登山の時間はゆっくり流れていく
11:10、高水山759m山頂、雲ひとつない空を眺めながらお弁当を広げる。お約束のラーメンとおにぎり。日だまり登山の時間はゆっくり流れていく。逆光に映える紅葉をマクロレンズで切り取った。朽ちた病葉の色も棄てがたい。スケッチブックに留めたい光溢れる色が広がっていた。私達のすぐ側に聾唖者の一群がシートを広げる。身ぶり手ぶりで談笑を始めた。とても楽しそうだ。胸が熱くなってしまったのはどういう訳だろう。陽が翳ってきたので発つことにした。目指すは岩茸石山793.3m三角点が設置されている。

地図を広げて往路をトレースする。僅かな登りと下りを繰り返す指呼の距離。鮮やかな紅葉のトンネルの中を写真を撮りながら歩いて行った。岩茸石山山頂に到着。地図を広げて山座同定に興じる。磁石が北を指すことの意味を改めて感じた。この基準がなければ迷路を彷徨った挙げ句の果てに野垂れ死ぬばかりだ。何処までも北に歩けば、白熊さん、こんにちはということになる。それもいいなあ、、、。棒ノ折山969mへ至る路を見つけた。冬枯れ登山にちょうどいいコースだ。その気になれば道はどこにでもつながっている。

下山後の楽しみ
バーナー 723ピークを経て惣岳山に至る。頂上直下の急登60mも一気に駆け登る。神社があり広場があった。大勢のハイカーが仲良く休息を取っていた。ここから先は稜線を下るばかり。楽しかったひだまり縦走もようやく終わりに近付いた。1時間も歩けば御岳駅に着くはずだ。お茶タイム。バーナーに点火して珈琲を立てる。

地図を広げて先読みを行う。ふんふん、高度を徐々にさげながら2回ほど軽い登りがあるんだな、、。鉄塔マーク:が三箇所あって、そこには鉄塔が立っているんだな、、ふんふん、、。里が近付くにつれて杉の植林が日射しを遮るようになり、昼なお暗い鬱蒼たる風情となってきた。流石に、ここまでは地図には書き込まれていない。後で地図を眺めてメモを書き込む楽しみがある。自分だけの地図が完成する図式だ。最後の登りを過ぎると町の騒音が聞えてきた。逍遥の旅もかくして無事に終わった。

 ◆  ◆  ◆

往路に勝る混雑ぶりで新宿まで座ることができなかった。山登りより、老骨にはそちらの疲れが応えた。やれやれ。翌日の脚の痛み、、思った程にはなかった。地図をなぞって縦走の道をなぞってみたが、何処を歩いていたのかの印象が完全ではない。まだまだ修行が足りないなあ。仕事が一段落する週末には、再び山にでかけよう。行く秋を惜しまねばならない。

文責: 青島原人


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