ミツバツツジ咲く檜洞丸  ミツバツツジ

【日 付】 2000年06月04日(日) 晴
【場 所】 西丹沢 檜洞丸


山が呼んでいる
午前3時起床。「山の神」はまだ夢の中。目覚ましの不粋な音が響かないようにスイッチをoffにする。御丁寧に二つも準備してあるのでした。ぎりぎりまで寝かせておいてやろう。どうせ車の中でも眠ってばかりいるのだが。 熱い珈琲と煙草一本で覚醒する10分間。昨夜は午後10時に布団に入った。午後たっぷりと午睡をとっていた。頭すっきり、爽快な目覚めだった。台所に立ち水を沸かす準備をする傍ら歯を磨き洗面を済ませる。4時近くとなった。新聞配達のバイクの音が聞こえ始める。東の空がうっすらと光を増してきた。お湯が沸いた時刻に「山の神」を起こす。おっかなびっくり御機嫌を損なわないように、、はい、それはもう気を使うこと甚だしいのでありまして。なにせ寝起きの不機嫌は私もご同様。

緑のザック お正月、八海山スキー以来というもの山野とはまったく疎遠になってしまっていた。互いの仕事が多忙を極め、ここ数カ月というものはもっぱら机上登山ばかりで、欲求不満が高じてもいたのだった。週末ごとの天気も今ひとつで気分が乗らなかったこともあった。ところが6/4は、、関東地方稀に見る晴天との予報が出たのでした。何条たまるべけんや、、行くべし!と準備を始めたのが昨日の午後3時のことだった。手馴れた動作で山支度を整えた。非常食はとっくに期限が切れていた。乾燥重量7キロの装備。まさかとは思うが簡易テントも持参することにした。これはまさかの時の基本対処で、直接私達が使わなくとも人を助ける場合に遭遇することもあるかも知れぬという判断による。日帰り登山には明らかに過剰装備ではあるなあ。

出発前夜の緊急会議
「ところで何処に行くの」と率直かつ真摯な問いかけに私は沈黙する他なかった。「山に決まっているだろうが、、それと温泉だよ」「それは判っているけど、場所よ、場所!」「ははあ、、何処に行くかって、、そりゃおまえなあ」と悶絶する私。

机上登山ばかりやっていて、イメージはそれこそ雲霞のように涌いてはいたのだが、実際行くとなると判断に困った。地図を広げ緊急会議。それぞれの意見を出し合うことになった。物事ひとつ決めるにも、かように会議を召集しなくてはならぬ我が家の傾向は、明らかに男女平等の先端を走ってはいまいか。私の独断で物事は決められない、、なぜなら、、そこはそれ「山の神」は偉大であると同時に交通費の決済をも司るえらーい立場にいらっしゃる訳で、私個人の小遣いではどうにもこうにもならんものですから(内心忸怩たるものを感じるこの頃)

激論の末、目的地を決定した。ツツジ満開の檜洞丸。つい先日下りの鎖場から人が転落死したと報道のあった場所。私達にとっても昨年秋に入り口まで入って引き返した曰くのある山だった。難易度数は上級者対象とあり、登山口から頂上までの標高差はおおよそ1100mほどのモノ。ほぼ半年間山に遊ばなかった酬いを、われわれは厭というほど味わうことになったのだが。

山はすでに初夏の匂い
04:00出発!東名まで40分で到着。さすがに早朝の環状七号線は空いていた。途中のコンビニでおにぎりと朝食のパンと牛乳を仕込む。東名高速で大井松田までひた走る。山の神は既に夢の中。短い時間でも熟睡できる才能はすばらしい。6時頃西丹沢自然教室に到着。既に駐車場は満杯。やむなく道路のはしっこ、白線ぎりぎりのところに停車する。大勢の人で溢れていた。かくも大勢の人が山を求めて集まってくる、、中高年登山隆盛の趨勢は止まるところを知らないようだ。いつも疑問に思うことだが、どうやらザックが軽すぎるのではないかしら、、と。彼等もしくは彼女等のザックの中身を検分してみたいもの。カッパなんてのは入っていないように感じるのだが、、。本当のところどうなっているのだろうか。中にはポシェットの類いの人もいるのだ。

06:40、支度を整えていざ行かん!登山口まで軽い足慣らし運転。なにせ御無沙汰の山遊び。なまった体が心配だった。珍しく準備体操を念入りにやったことだった。いきなりのガレ場から山腹をトレースして登山が始まる。見覚えのある登山道。昨年の秋、落ち葉拾いにゆっくり歩いた道があざやかな緑の衣装をまとっていた。既に初夏の匂いが立ち込めていた。

ゴーラ沢出合いでしばしの休憩
水筒 40分ほどでゴーラ沢出合いに到着する。
ここで山の神がまず音をあげた。どうやらリズムが私とは30分のズレがあり、彼女のそれは最初の30分に「帰りたい帰りたい病気」が顕現するらしいのだ。私の場合は最初の30分くらいは体を山に慣れさせる作業であり、ひさしぶりの土の感触を確かめる嬉しい時間なのだ。最初の疲労を感じるのは、おおよそ1時間ほど歩ききつい傾斜を歩き始めた頃になる。これを境に私の「帰りたい」が顕現化する。この時、かみさんは「もう戻れない」境界にあることになる。しばらく互いの動きを観察し「音」をあげるタイミングを計ることになる。先に泣き言を言ったほうが負け。意地っ張りの彼女が音をあげる姿は滅多にみたことがない。私が音をあげると安心するらしいのだ。私をエスケープゴートに使うとはなんということか。

ゴーラ沢でしばしの休息をとる。ここで水の補給とガイドには記載されているのだが、沢の水のことをさしているのだろうか。日ごとに緑色を重ねていく若葉にカメラを向けている人たちがいる。私もカメラを持参してはいたのだが、感性の欠如というか生来の貧乏くささでシャッターを切る気がしない。ましてや三脚を立てる作業をしている人を見ると思わず敬礼したくなってしまう。今回の登山では女性がひとりいた。しかも妙齢の人であった。機械はどうやら35ミリではなく大きなもののようだったが。プロか?

おもむろに地図を広げ稜線の高さと密度を眼鏡を外して読む。目も悪くなってしまったようだ。市販の地図は概略は判るのだが25000図の精緻さには及ばない。どうやら私の読図も様になってきたようだ。地図は実に面白い。

急登がはじまり、大勢の人に追い抜かれる
川に架かる小橋をおっかなびっくり渡り、コンクリートで固められた階段を登り始める。いきなり鎖場登場。先行きの難所を彷佛とさせる図。急登の始まりだ。次第に高度があがっていくことを実感する。大勢の人に抜かれてしまう。私たちの歩の遅いのは今に始まったことではないのだが、それにしてもよく抜かれる。ことさらに私は遅い。生来の短足が災いしているのだろう。

元気なかみさんを先行させて自分のペースで歩くこと40分ほど。富士を眺める展望台に到着する。木立のフレームの中に富士山の全貌がすっかり納められている。「あ、富士山」としばしポカンと眺め入ってしまった。頂上に雪を冠った秀麗な富士、左側に宝永山の瘤が盛り上がっている。カメラを構えて記念写真パチリ。写真は記録だい。芸術は腕に覚えのある人が追求すればいい。いやこれは、いうまでもなくくやしまぎれの意地っ張り。

「シャッターを押して下さい」との依頼に応える。流行りのデジタルカメラ。押すだけ、、押した、、スイッチの感触が面妖だ。ちっとも押した感じがしないのだが。ただちに見ることができる便利さに舌を巻く。これからはデジタルカメラの時代になるのだろう。銀塩写真は、、それでも不滅なのだと思っているのだが、、。あれは電池がすぐになくなるはずだ、、などなど。

ミツバツツジが目に優しい
再び急登。息を切らせて喘ぎながら歩を刻む。アルミ水筒はもう半分方なくなっている。予備はザックの奥に転がっている。白髪の爺様と妙齢の奥様と抜きつ抜かれ前後する内に言葉を交わすようになる。赤ら顔の爺様、いかにも苦しそう。私の方を見て笑いを浮かべ「もう歳だあ」と嬉しそうに何度も言う。まだまだ余裕があるのだ。本当にバテた時は言葉もないものだ。合宿スタイルの学生の一群が大きなザックを背負って軽々と追いこして行く。あぜんと見送る私たちだった。

バイケイソウ 「テシロの頭」分岐。地図を広げて尾根の方向を確認する。現在地は、、行くべき方向は、、腕の磁石で確認した。標識は出ていて迷いようがないのだが、これも基礎訓練。しばらく歩くと尾瀬湿原を思わせるゆるやかな木道に出た。ここから桧洞山(1600m)頂上までは高度差100m前後。もう少しだ。登山口から1000mの高度を刻んだ。いやなかなかきつい登りだった。深い赤色のミツバツツジ、緑のバイケイソウの群生が目に優しい。そうこうするうちに、ようやく頂上に着く。一杯の人で溢れていた。

頂上でお弁当を広げる
お弁当を広げる。おにぎりとラーメンだけのシンプルさ。一個だけ持参した甘夏を仲良くむしゃむしゃ食べた。もう一個もってくればよかった。疲れた体に甘夏の酸味がたまらない。冷えたビールがあれば言うことないのだが、、「あればあればの愚痴」は切りが無い。お決まりの定番は珈琲。煙草がうまい。肺癌になるのは間違いのないところ。

地図を広げる。ここからは尾根道を辿りながら、急な坂を下ったり登ったり、膝の笑いを誘うコースが待っているのだな。登りより下りのルートが長いのだな。鎖場も4箇所設置されている。つい先日、この鎖場から落下して死亡事故も発生している危険なとこだ。

下りの坂はおよび腰
靴のヒモを締めなおす。北西の犬越路を目指して下山開始。爽やかな風が吹き渡る尾根路。富士山も一緒についてきた。そろそろ霞富士になってきた。下りの坂はおよび腰。妻は下山が苦手。一歩一歩ハンコを押すような歩き方をするので時間がかかってしまう。登りとは逆に私が待つことが多くなる。あまりに遅いので、これまた後から来たひとたちに抜かされることになる。登りも遅い、下りも遅いということは、、、、。

例の爺様にもあっさりと抜かれてしまった。じいちゃん元気ですねえと声を掛けたところ「下りは得意なんじゃあ」と優しいまなざし。奥様はとみると、すっかり疲弊した様子。それでも夫に遅れまいと必死の附随ぶり。ああ、そんなに急がなくてもいのに。
最初の鎖場に出る。順番待ちの盛況ぶり?率先垂範の見本を示して安全を確保する。樹木を縫うように下って登っての繰り返しを何度かやり、鎖場も無事に通過し、予想した通り膝が笑い始めた頃に500m下の犬越路小屋に到着した。ここで一本たてる。

一旦下り、それから登るという行程は実に苦しいものがあった。1523m熊笹の峰、1288mのふたつのピークを経てきたのだが、ひさしぶりに登る山ではなかった。ガイドに上級者対象とある所以だ。登り一回、下り一回がシンプルでいい。身の程知らずの山を選んだ私を妻がなじることなじること。

ようやく先が見えてきた
ここまで来れば先は見える。1時間も歩けば河原に出る。そこから30分で登山口に辿り着くはずだ。二人合わせて3.5リットル準備してきた水も底をつきつつある。インスタント珈琲の粉を水に溶いて即席アイス。生温くて実にまずいものだった。まあないよりはましか、案外いけるじゃないのと苦しい言い訳。下の方で沢に再び出会えば顔も洗えるし口もゆすげる。漉くって綺麗な水ならのどを潤すこともできるから頑張ろうと励ます。

今までは尾根道だったが、ここから直下型下山となる。膝が笑うと笑っては居られない角度だ。油断すれば怪我をする。気を引き締めてハンコ下山を開始する。50分ほど歩くと沢に出るはずだ。

黙々と下山。いつでもどこでも元気のいいかあちゃん登山隊が談笑しながら降りてくるのには閉口。いったいにあの年代のかあちゃんたちの元気の良さはどこからくるのだろう。頂上でスーパーの卵の値段の話をしたりするし、旦那のことも話題に上るようだ。さすがに愛人のことなど話す人種はいないようだが。生活感溢れる日常会話は常人のそれとは違うようだ。つくづく恐れ入る。

山の匂いが染込んでいる清流
そうこうする内に沢の音が聞こえ始めた。もうすぐ沢だから、そこで休憩しよう。ピーク996から流れているはずの沢は涸れていた。期待していたのだが、ここではなかった。しばらく歩くと待望の沢があった。山の匂いが染込んでいる清流。顔を洗い口を濯ぎ、冷たい水を少し飲んだ。来し方の山頂の峰を思い、十分に満足した。

魚 ここからは川原を歩くことになる。あのゴツゴツした岩を下ることはもうない。ゆったりしたお散歩気分の歩きとなる。鉄製の堰が水と石を止めている。下流には小さな魚止めの滝などもあった。滝壷には、当然魚がいるはずだ。目を凝らして壷を見るが見える訳がない。河原を歩 いていたら先行していた婦人の登山者が声を上げている。魚が見えるというのだ。どれどれ、、いたいた、、15センチ位の魚が悠然と泳いでいる。イワナか山女だろう。塩を降って焼いて食べたい。骨酒もいいなあなど下世話なことばかり考えた。

カタツムリ登山は無事終了
ほどなくコンクリートの路面に出、そこから丹沢教室までは30分ほどの距離。キャンプ場などの施設を眺めながらゆったりした気分で歩いた。脚が棒のように堅く、くるぶしに時折痛みが走る。明らかに負荷の掛け過ぎだ。ようやく駐車場に着く。朝まだき6時半に到着した時には既に満杯状態だったのに、わずかに数台を残すのみ。誰もいなくなっていた。かくしてカタツムリ登山は無事終了。中川温泉のホテルで1000円を支払い湯舟に体を浮かべた。下山の途中に岩にぶつけた箇所から血が滲んでいた。その瘡蓋はまだ脚に残っている。

文責: 青島原人


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