【冬山登山訓練 富士山編】

自宅〜津田沼〜東京〜大月〜富士吉田〜中の茶屋〜馬返し〜佐藤小屋

2003/02/07(金)1日目
0600目覚ましが鳴る前に起床。支度の衣服を素早く着用し熱い珈琲と煙草で覚醒を促した。 都心へのラッシュを少しでも避けたいと思い一本早い電車で駅に向かうことにした。馴染 んでいない真新しい登山靴に足を入れ、緩まないように紐を強く結んだ。ズシリ重たいザ ックを右膝に乗せて一気に背負った。0640鉄のドアを開け放ち一歩一歩階段を降り始めた。 「とうとうこの日が来た。富士山6合目標高2300mの雪と氷の世界が私を待っている」踏 み出した以上もう引き返すことはできないと覚悟を決めた。

津田沼からJRに乗換。始発であったので東京駅までの通勤ラッシュを避けることができた。 0836東京発JR中央線(快速)で大月に向かう。定刻1021大月駅に着いた。富士急行線乗 換口で合宿メンバー数人と講師に合流。1108発までにはまだ時間があった。構内茶店で珈 琲を飲みながら時間を潰し車内で食べる弁当(カレーライス)を手配した。 快晴の空の下、秩父の山々を眺めながら富士吉田駅まで期待と不安を語り合った。

K講師が徐にザックを広げ装備点検を済ませてからスパッツを着け始めた。様子を注視し ていた生徒一同も同じようにスパッツを取り出した。「どんな具合になっているのか、どち らが右か左か」冬用の初めて付けるスパッツをまじまじと眺める始末。予備の勉強が不足 していることを図らずも露呈してしまった。

1150富士吉田到着。駅改札出口に全員集結して点呼を受けた。小屋に荷揚げする食材の配 給(うどん、野菜、卵など)が唐突に渡された。「ボッカの役目をせよ」とのご指示。否応 もなく既に訓練は始まっている!自分の食べる分は自分で荷揚げということらしい。全員 苦笑しながら、各のザックに納めたことだ。ただでさえ重たいザックが更に重たくなって しまった。スパッツ装備、トイレを済ませてからタクシーに分乗した。「中の茶屋」から雪 道をスリップしながら登山口「馬返し」に30分で到着した。

講師の挨拶。柔軟体操。班別に別れて5合目佐藤小屋を目指した。砂利状に変化した 雪の登山道は歩きにくくペースが一定に保てなかった。たちまち息があがった。自分のペ ースを保てない登りは辛いものがある。ましてやこの一月山に足を運んでもいない。他の メンバーはこの日に備えて丹沢他一つ二つを歩いてきたらしい。嫌な予感がした。

ワンピッチ(1時間)で1合目小屋に到達した。ここまでは予定通りに歩を刻んだのだが 既にペースは遅れ勝ち。長袖シャツ、下着まで汗でびっしょり。テルモスのコーヒーとタ バコで一息ついた。温度計が2℃とメンバーの一人が告げた。付き添いの講師から「手袋 着用」の指示が出た。体が冷えない内に再び歩き始めた。既に廃屋となった幾つかの小屋 を過ぎ2合目に至る。佐藤小屋までおおよそ1時間との声が上がる。雪は次第に深く硬く なり始めていた。歩行リズムがいつもと違うので息が喘いでばかりいた。山の景色を堪能 する余裕などどこにもなかった。(そんな余裕ある訳ない!)
ようやく目指す佐藤小屋が視野に入って来た。斜度を増す登りにさしかかった。転びこそ しなかったものの雪に足を取られて幾度もスリップした。富士山頂から吹き降ろす強風が 雪を伴って体をすり抜けて行く。標高2300mの高さが否応なく実感できた。

「小屋に至る最後の急坂を直登する」との指示が出た。講師の模範演技を見よう見真似す るのだが、もう少しというところで失敗し滑落してしまう。後方に付いていたメンバーも 巻き込まれて一緒に落ちて来る有様。悲劇と喜劇は紙一重、表裏一体というけれど眼前に 広がる光景がまさにそれだった。いい大人が逆さまにずり落ちてくる図は文句なしに笑え た。しかも余人まで巻き込んで落下してくるから始末に悪い。そういう私も幾度も落下し た。

講師の指示でピッケルを取り出した。「こういう時に初めてピッケルを使うのか」と一同得 心の表情を浮かべた事だ。ピッケルはザックに括り付けになっていた。 講師に倣い、ピッケルを雪面に思い切り突き刺し、重たい登山靴の先端を力一杯蹴り込む。 雪面が凍っているから思ったようには食い込んでくれない。一歩一歩足場を確保しながら 慎重に登る動作を繰り返していくのだが頂上付近でバランスを崩して「あ〜っ」と叫びな がら落下して来る。元の木阿弥とはこの事だ。全員初めてのことなので動作が覚束ない。 重たいザックとピッケルワーク、足に馴染んでいない登山靴では無理もないこと。訓練が 終わる頃には平気で歩けるようになるとの講師の言葉だが俄かには信じられない。

ようやく小屋に辿り着いた。今にも壊れそうな(事実何度か外れたりした)木製の戸をス ライドさせて小屋に入った。土製の釜戸の上に大きな鉄釜が設えてあり、先に到着した同 期のメンバーが釜戸を囲んで早くも一杯やっていた。鴨居に濡れた手袋、帽子、靴下など を吊り下げて干してあった。2間ほどの土間で靴を脱ぎ、指示された場所にピッケル、ア イゼン、靴を並べて寝室にザックを運んだ。似たような道具が並んでいるので間違え易い。 「道具にネームシールを貼って来るように」との指示が出ていた理由が納得できた。

佐藤小屋の布団は凍っているからシュラフカバーを持参するようにと、さんざん脅かされ ていた。山のように幾重にも重ねられた布団はやはり冷たいものだった。敷布団を三重に し上布団も同じく三重に組みなおし、その中にシュラフカバーを潜り込ませた。後方の棚 に明日使用する道具を判り易いように並べて置いた。

土間の釜ストーブには大きな薪がくべられて勢いよく燃えていた。鉄釜にはグラグラと滾 る湯が溢れていた。「お湯は使い放題」と聞かされていた理由はこれかと納得した。ひしゃ くから薬缶に湯を移しアルミの水筒に入れて湯たんぽとして使うのだと教えられた。「湯た んぽ」何と懐かしい響きだろうと思った。
備え付けのコーヒーを貰いタバコを一本吸って人心地をつけた。
それぞれの話に花が咲き夕食の時間となった。ボッカした「うどん」ではなく「カレーラ イス」との事だった。ご飯釜、カレー鍋、皿が並び、女性男性を問わず盛り付けを手伝っ て並べていく。昼間もカレーを食べた私は「1杯」食べるのが精一杯だった。

食事の後は広間のストーブを囲んでミーティング兼酒宴となった。「白いお茶」をごくりと 飲み干す。あまりのうまさにお代わりを申し出た。「ボッカのお礼に」と小屋から一升酒が 振舞われた。その他にも「茶色いお茶、焼酎」などが差し入れと称して畳に広げられた。 消灯は規定では8時半ということだが今夜は大勢来てくれたので格別に9時半までという 小屋主のお言葉が出た。

講師を座の中心に据えて山談義の花が咲いた。
「山は逃げない」と言われるけれど「中高年にとっては逃げるというべきだろう」「今の山 の中心を支えているのは中高年だ、その中高年たちが冬山、雪山に行きたいと言う以上黙 って見ている訳にはいかないじゃないか」「だからこうして冬山教室などを開催して技術の 習得を計っているのだ」「我々講師のザックは軽いし小さいよ」「みんなはいろんな不要な モノを持って来るからザックが重いんだ」
生徒一同、講師の言うことに真摯に耳を傾けたことは言うまでもない。

いきなり冬山を目指した訳ではない。それぞれが自分の登山を試みて来た連中ばかりだ。 夏山縦走とは違い冬山ともなれば技術が伴う。しかも単独ではとうてい不可能と悟っても いる。50歳を過ぎて尚、「冬山への憧れ止み難し」という気持ちで参加している。山を目 指す理由、動機は各々違うだろうが「学びたい」その一点にいささかの曇りもない連中ば かりであった。最高齢者は63歳、その年齢にあって冬山を目指す姿勢は見事という他な い。しかも小屋一番乗りという恐るべき健脚ぶりを披露してくれた。

我々とは別便で、仕事の都合上明け方に小屋に到着する四人のメンバーがいる。小屋到着 は早くても午前4時頃になるという。夜を徹して登ってくる難儀を思ったが、それも冬山 の経験の一つだと講師が言った。「前日からこうして小屋に泊まって酒盛りをする余裕があ るだけ、まだ甘いとも。」一同「ごもっとも」と首をうな垂れた事だった。

寝室に向かう時刻になった。戸外にあるトイレに長靴を履いて向かった。凍てつく風が頬 を撫でて行く。雪に覆われたトイレは妙に暖かかった。紙は別の箱に捨てる先進の洋式ス タイルであったので驚いた。富士山におけるトイレ問題の深刻さは新聞等で知っていた。 富士吉田市街の明かりが暗闇の彼方に帯状に明滅しているのを一瞥し小屋に戻った。寝室 に至る廊下の窓枠が激しく凍結し白く縁取られていた。同室の職業が大工という兄さんは 早々と寝息を立てていた。今回のメンバーの中で最後尾を努めた兄さんは、その大柄な身 体から期待一番を担っていたのだが何と一番先にバテテしまい、あまつさえザックまで担 いで貰ったということで山談義の席でも大いに失笑を買っていた。飾り気のない大らかな 人柄で何となく憎めない個性を持っていた。彼はシュラフカバーではなく羽毛シュラフ持 参だった。なるほど重い訳だ。

「象足」を履いて布団に潜ると足元が暖かい。目を瞑ってみたが神経が冴えてなかなか寝 付けないままに1時間経過した。水分を摂りすぎたらしく再び尿意を覚えてきた。しばら くは我慢していたのだが、このままではますます神経が冴えると思いトイレに向かうこと にした。寒くはあるけれど湿ってはいない。外套を着ないままに戸外に出てトイレを済ま せた。振り仰いだ空に冴え渡る月の白さ、富士吉田市街の明かりと良いコントラストを見 せてくれた。

明かりを落とした釜ストーブの傍でK講師が夜を徹して歩いて来るメンバーの為に夜鍋を していた。K講師の年齢は50歳代後半だが大倉山岳スポーツセンターに備え付けられた クライミングボードを軽々と登り切る体力の持ち主である。立場もあるのだろうが夜を突 いて登って来る仲間を待つという責任感溢れる姿勢に感服してしまった。無類のタバコ好 きでポケットから手品のように幾種類もの100円ライターを出しタバコをやっている姿 が印象的だった。

小屋備え付けのコーヒーをマグカップに入れ釜から湯を注いで囲炉裏に陣取った。早く食 事を済ませていささか小腹も空いていた。小さな羊羹が転がっていたので失敬して食べた。 しばらく山談義をしてお付き合い。タバコ一本くゆらせ「おやすみなさい」と寝室に戻っ た。夜具が身体に重たく寝返りも自在にできないほど窮屈だった。シュラフカバーに潜り 込んで息をしていたら次第に暖かくなってきた。シュラフ持参の兄さんは上布団を蹴飛ば して行儀が悪い。シュラフに布団三枚ではいかにも暑いというものだ。 いつ知らず深い眠りに入っていた。

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