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東北の山旅 2004.08.07-14

東北の山旅 二日目

2004.08.08(日)快晴
コース
0800北上PA〜北上江釣子IC〜国道R4号〜花巻市〜朝日大橋(R283 釜石街道)〜胡四王山(宮沢賢治記念館)〜石鳥屋紫波町〜R396(遠野街道)〜折壁峠経由〜早池峰ダム「道の駅・はやちね」〜岳〜河原坊幕営

ぐっすりと熟睡した。眩しい朝の光が靄を吹き払いつつあった。洗顔と食事を済ませ出発した。江釣子ICで国道に出た。案内標識「江釣子」の読みに首を傾げた。どうしても読めない。 地名読みははなはだやっかいだ。「えづりこ」と読むことが後に判明した。R4号を北上し花巻市街に入った。広がる田園地帯と懐かしい「ボンカレー大塚薬品」の旧い看板が視界に入った。ガソリン補給に立ち寄ったGSで冷たい珈琲を貰って飲んだ。「宮沢賢治記念館」についてスタッフに尋ねるも左程詳しく知ってる様子ではなかった。宮沢賢治も地元では、その程度の認知度なんだろう。燈台下暗しということか。 いい温泉は?と尋ねると「夏油温泉」を案内してくれた。地図で調べたが向かう方向が逆なのであっさり諦めた。朝日大橋を渡り釜石街道へハンドルを切った。緑色に染まる田園風景を愛でながら快調に走った。やがて椀を伏せたような形の胡四王山が見えた。この道をまっすぐ行けば柳田邦男「遠野物語」世界が待っている。宮沢賢治記念館の案内指標に従ってハンドルを左に切った。小さな丘だった。雑木林を抜けた処に瀟洒でおしゃれな白い建物「宮沢賢治記念館」があった。予てから、地学・岩石・化学・天文の知識なしに出てこない豊かな言葉を駆使する宮沢賢治の詩集に刮目していた。煌く感性と該博な知識に裏打ちされた詩集「春と修羅」「銀河鉄道の夜」世界に圧倒されていた。その機縁があったからこその訪問だった。後に二年に渉り賢治世界を跋渉することになるとは、この時、夢にも思わぬことだった。

整然と構成された「記念館」の佇まいに心魅かれた。写真、楽器、遺品、岩石標本、研究ノート、自然スケッチなどが整然と展示されていた。「賢治世界」の構成はとても緻密で好感が持てた。賢治に関することをあまさず網羅してるという印象を持った。宮沢賢治を大切にしている人たちがここに居ると感じた。既に読み知っていた化学・岩石の言葉たちをちりばめた詩篇、その原点を探る思いで見入った。なるほどこの石の、この輝きを賢治は詩の世界に使ったのか、硫酸銅色を賢治はあのように詩に刻んだのかと一つ一つ腑に落ちた。詩人「宮沢賢治」を知る入口に佇んだ三時間だった。記念館の裏手に「下ノ畑ニ居マ ス」の黒板が掲げられていた。そのまま雑木林を下りて行けば畑を耕す節くれだった荒い掌を持つ寡黙な賢治がいるような実に不思議な空間の佇まいだった。 灼熱の太陽が真上にあった。レストラン「山猫軒」の内部を覗いてみた。賢治ワールドの商品群が整然と並んでいた。「たくましく商売やってるよなあ」とひとりご ちた。入り口のベンチに腰を下ろし自販機のジュースで喉を潤した。三時間に及ぶ賢治との対話は心地よい疲労と満足を与えてくれたようだ。懐かしい人に会えた気持ちで何だかとても放心してしまった。

1200となった。いつまでも此処に留まる訳にはいかない、先を急がねばならない身だった。釜石街道に戻り朝日大橋からR4に合流し紫波町の農道を走った。ローソンのある交差点を右折し折壁峠へ車を向けた。農道の細い峠道を抜け、やがて早池峰ダム「道の駅・はやちね」に辿り着いた。清潔な広い店舗に名産ワインが並んでいた。ここでトイレ、家への連絡を済ませ早池峰山麓の河原坊を目指した。岳、早池峰神社、鬱蒼と茂る雑木林の狭い山道を通り抜け幕営地「河原坊」に1400頃に到着した。山小屋を兼ねる木造造りの自然保護センターがあった。前方に眺め仰いだ早池峰山は、たおやかでどっしりした相撲取りの大きなお腹を横にしたような形をしていた。妖しい黒雲が湧き起こり早池峰山を覆い隠すようにガスがかかり始めた。たちまち雨の匂いに包まれた。先ず自然保護センターに出向き山の情報収集を行った。早池峰山を目指す人で溢れていた。センターに設置された押しボタン式の立体地図で早池峰を巡る山容全域を光のラインで眺めることができた。

突然、聞き取りにくい無線機の声が館内に木霊した。暫くしてヘリが飛来し、ややあって救急車がサイレンを鳴らしながら登場した。聞けば小田越えルート下山中のファミリー登山者の一人が足を挫き行動不能となった由。やむなく携帯電話で救助要請を出したのだと言う。備え付けの双眼鏡でその様子を眺めた。山麓の裾をヘリが左右にホバリングしながら周回していた。ほどなく救助成功とのアナウンスが流れ緊張が緩んだ。見守る人々の歓声がそこかしこで挙がった。ヘリが出動するほどの山には思えなかったが要請されれば動かざるを得ないのだろう。それが仕事の人もいるのだ

幕営地の指定は駐車場奥のコンクリート敷地だった。既に二組のテントが並んでいた。登山を終えた人が脚を伸ばし寛いでいる様子が窺えた。ここで「STELLARIDGEU」型をデビューさせた。缶詰とカレーの夕食を摂り珈琲を飲んでいると再びゴロゴロ雷鳴轟き始めた。たちまち烈しい夕立となった。テントに篭り地図を眺めながらやり過ごした。夏の夕立を久しぶりで経験した。雨が止んだので外に出てみると雨水がテントの下に溜まっていた。ペグを打っているわけではなかったので乾いた場所に移動させた。炊事場の隅で小便をした。黒い鮮血がコンクリートに流れた。一ヶ月ほど前、突然褐色の小水が出て驚いた。腎臓もしくは膀胱に溜まっ ていた小石が破砕され極々になり小さな欠片となって出たらしい。幸いなことに痛みの自覚はまったくなかった。人によっては脂汗が滲むほどの痛みを覚えることもあると聞く。石の破片は硬く結晶のように鋭利に尖っていて動く度に細胞壁を傷つけるのだと言う。ここまで来て中止はない。なるようにしかならない、明日は何がなんでも登るのだと覚悟を決めていた。
夜となった。携帯不通なので保護センターの電話で「明日は早池峰山に登るよ」と伝えた。沢音の響きを子守歌にたちまち寝入った。

補 記:旅を終えた2004年夏から2006年後半まで宮沢賢治を知る旅に熱中した。図書館での書の跋渉に始まり、ついには古本屋の検索に及んだ。賢治を巡る 夥しい書籍が溢れていた。そうして幾冊かの書籍を揃えた。「東北」をテーマに設定しテーマ、それに類する書も図書館で調べた。東北の縄文の昔に遡る歴史と現 代までの時間の地図を私なりに理解した。津軽を描いた太宰のこと。遠く樺太まで妹の幻を求めて彷徨った賢治の痛ましい精神のありよう。啄木の流浪とその時代のこと。木地師たちが山野を駆け巡った時代のこと。そうして今2009年は山形鶴岡出身の藤沢周平全集と取り組んだ。。東北を巡る機縁の旅はまだ続い てるのだろう。


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