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東北の山旅 2004.08.07-14

東北の山旅 五日目

八幡平逍遥 標高1613m
森と湖沼群といで湯の湯巡り高原徘徊

2004.08.11(水)快晴
コース
松川温泉〜八幡平樹海ライン〜藤巻温泉〜八幡平〜見返り峠〜八幡平アスピーテライン〜蒸ヶ湯温泉〜後生掛温泉〜地熱発電所〜R341(合流)〜田沢湖高原〜乳頭温泉・鶴の湯〜田沢町生保内〜R46(秋田街道)〜盛岡市街〜R282〜西根交差点〜松川自然保養林

静かな朝を迎えた。0800遅めの食事を摂り松川温泉を抜けて一路、八幡平に向かった。八幡平樹海ライン、かってその道を辿ったはずだがとうに記憶は薄れていた。八幡平を巡る新しい思い出を刻めばいいことだ。 八幡平山頂の駐車場で管理人に500円を支払った。観光名所はどこもせちがらい。トイレ、環境保全施設の維持管理にお金がかかることは承知している。源太森まで下るルートも想定したが取りやめた。いつもの軟弱プランで行くことにした。朝の出発が今少し早ければチャレンジしたものを。まったくなってこったと苦笑した。急ぐ旅ではないのだけれど五日目となると、そろそろ里心?

八幡平から眺める岩手山は牛頭のように先端が盛り上がり甚だ奇妙な形に見えた。岩手市街から仰ぐ山と八幡平からの視野の違いが面白いと思った。ゆるやかに広がる山麓は豊かな原生林に覆われていた。八幡平の湿原をゆったり逍遥した。山頂指標で写真を撮って貰った。山頂と言ってもピンと来ない。沼地を目指しゆっくりと歩を進める。湿原広がる中に大きな沼がある。その辺に赤い屋根をした八幡平避難小屋(陵雲荘)があったので、暫し休んだ。立派な木造で冬に供えたストーブがひっそりと在った。冬ともなれば大勢の岳人たちを暖めるのだろう。木肌の匂いを満喫し沼地と湿原の木道を逍遥した。ワタスゲが風に揺れていた。とど松の森林を抜け駐車場に戻ってきた。汗一滴もかかない登山は初めてのことだ。まったくなんてこったと笑ってしまった。山は、やはり下から登ってなんぼだなあ。

八幡平は秋田県への分水嶺となっ ている。秋田県側にハンドルを切った。しばらく走ると蒸ヶ湯温泉の指標が出てきた。至る処で温泉が噴き出すこの地には有名な湯治場があちこち点在している。狭い隘路を抜けて走って行くと褐色に染まった大きな館があった。ひと風呂浴びようと車を停めて中を覗いたが誰もいなかった。たちまちモチベーションが下がった。ランプの点る宿のある乳頭温泉がいいと思っていた。木蓮から独身時代に友達と泊まったことがあり印象深かった処だと聞いていた。後生掛温泉の看板が現れた。更に走ると地面から白煙が噴出する光景に出会った。地熱発電所のようだった。車を停めて数枚写真を撮った。源泉が大地を割って噴出する音を聞いた。R341線へ合流する道に出る。左折して田沢湖畔を目指した。人工湖を通過し30分 ほど走ると田沢湖高原・乳頭温泉の指標が出てきた。乳頭温泉ランプの宿「鶴の湯」はここから奥山に入り込んだ処にある。この道は花の名山と謳われる秋田駒ケ岳登山の入り口でもある。狭い山道を砂塵を舞上げながら下っていくと鶴の湯温泉の門柱が見えてきた。駐車場は各地方から来た車で溢れていた。 門を潜った。泊まり客専用の旧い木造家屋が向かい合うに並んで建っていた。湯上がりの艶っぽい女性が髪をあげ牛乳を飲みながら煙草を吸っていた。湯当りしたような顔でふにゃらと放心しているジジ様がいた。大きな声でしゃべくる元気なおばさんたちがいた。

家屋の傍に流れる小川の底は結晶の堆積で白く濁っていた。茅の奥には混浴の露天風呂が隠れるように在った。ランプを掲げた古い木造の館に入った。窓から中を覗くと酒枡のような浴槽が四つ見えた。数人が浴槽の縁に腰を下ろしていた。浴槽の縁は白く変色しおびただしい湯気に晒された四方の板壁は歳月を深く刻んでいた。そういえば漫画家つげ義春は好んで湯治場を描いた人だ。モノトーンを背景に密やかな人の声が聞こえるような古い茅葺きの家屋とか露地の暗さを精緻に陰鬱に描いた。明るいにぎやかな処に自分の居場所はないと作品で静かに吐露している。貧しく暗い時代に発症した赤面症がもたらした自意識はいつでもどこでも内に向かってひそひそと語りかける。人里離れ、ひっそり暮らしたいと切望するつげ義春は「世間から逃避する」を事を求め各地を旅した。その時代を書いた著書「貧困旅日記」が新潮社文庫から出版されている。版を重ねているようだ。つげ義春は東北各地の温泉場を歩き幾つもの作品を発表した。ことさらにひなびた湯治場を訪れたのは人が少なくて安心できたからだという。安心できる空間を求める心理の底に「胎内指向」があるのではないかと私は思っている。交通不便な時代に、八幡平山麓の蒸ノ湯、後生掛、ここ乳頭温泉も訪れている。今でも、つげ義春作品に触れ「暗さの資質」に共感する人が後を絶たないそうだ。心のどこかに小さな瑕疵を持つ若い人が「つげ世界」に誘われるように東北の湯治場を訪れるのだという。さしずめ私もその一人かも知れない。笑。

着替場は板棚にかごを並べてあるだけでの素っ気無いものだった。升の中にもう一つ升があるような窮屈な浴槽だった。滑らないように慎重に歩き一番奥にある浴槽に腰をかけた。貧相な体型をした老人が四、五人とぐろを巻いていた。浴槽の角にある長い竹筒から流れ出る源泉の傍に身を沈め暫し目を瞑った。熱かった。源泉の臭いたちこめる奇妙な空間は異質なものだ。誰も声を出したりしない。一様にタオルを頭に乗せ押し黙り瞑目している。首から上だけはまるで生き仏だ。(ありがたいことだ)過去の記憶と現在が混ざり合流し万華鏡のように揺らぎながら記憶の肖像たちがチカチカと明滅する。湯治場の重力に満たされ停止した思考は、やがて静かにためらいながら動き始める。源泉が竹筒から浴槽に流れ込む音だけが静かに灯り取りの天井で木霊していた。この浴槽に身を浸し瞑目すればしばし自分だけ沈黙の世界に逍遥することができる。人生に疲弊した人が、三月半年ここで湯治すれば完全世捨て人になれるかも。ことさらにランプが灯る夜を選び一人静かに浴槽に身を浸せばまさしく「つげ的」世界そのものだなあと頭にタオルを乗せた私はついつい苦笑した。続いて混浴の露天風呂に向かった。茅に囲まれた露天風呂には多くの人がいた。若い女性がバスタオルで身体を包み彼氏と楽しそうに談笑していた。露天は陽射し溢れるごくごく普通の明るい温泉だった。なんだかほっとした。やっぱり世捨て人にはなれそうもないなあ。湯上がりに牛乳を一本、腰に手を当てぐびぐびと一気に飲み干した。人が溢れていないときのランプが灯る刻限のひなびた乳頭温泉、おすすめです。温泉に入るのは必ずランプの灯る刻限でなくてはいけません。ひとりで入っていると温泉お化けが出て話相手をしてくれるそうです。笑。

田沢湖〜生保内〜R46(秋田街道)〜R4を経て(盛岡市街を経由)昨日と同じように西根町交差点を左折し松川自然保養林に向かった。岩手山山麓を周回したことになる。野菜を求め西根町の小売店に立ち寄る。キュウリはないかなあと尋ねたところ「ここらはみな農家ややからどこの家にもあるから置いてない」と至極ごもっともな返事で返す言葉がなかった。トマトとリンゴを一個づつ求め夕食の惣菜とした。昨日と同じように慎ましい夕食を摂りキャンプ場源泉に入り直した。身体に温泉の結晶が付着し臭いを放っていた。 温泉三昧の贅沢な一日だった。明日は秋田県に移動する日。旅五日目の夜は静かに暮れてゆく。



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