TOP > Hill Walk> 東北の山旅-6 

東北の山旅 2004.08.07-14

東北の山旅 六日目

岩手から秋田への移動日

2004.08.12(木)うす曇り
コース
松川自然保養林〜秋田街道〜田沢湖生保内〜角館〜大曲〜本荘〜「道の駅・象潟」〜鉾立登山口

旅後半に突入、本日は移動日とした。岩手県から秋田県へ車をひたすら走らせる。西に縦断し日本海に出る。南下し鳥海山登山口「象潟」に至る。
キャ ンプの撤収を終え直ちに出発した。R282で好摩駅の標識を見る。「啄木日記」に幾度か出てきた駅名。上京と北海道流離の始発に啄木一家が乗り降りをした駅。近くにある渋民には岩手山を望むように建つ大きな石碑も新居跡も当時のままに保存されているのだろう。感傷に浸るまでもない、寄るまでもないと素通りした。右方向に焼け走り溶岩流丘陵が在る。群馬の鬼押し出し景観と同じと判断し素通りした。「道の駅にしね」でキャンプゴミを廃棄し自販機の珈琲を飲んだ。盛岡市街から秋田街道へハンドルを切り盛岡市街を流れる北上川を越え雫石バイパスに入った。岩手山、小岩井農場を右に眺め秋田街道を走った。初日、昨日と併せ秋田街道往還を三度したことになる。「道の駅・あねっこ」が見えてきた。ここで地元名産品を少しばかり揃えた。田沢湖畔に佇む人魚姫に再会することなく生保内(おぼない)を左折し角館に向かう道に入った。

「角館」に至る。漆喰調の黒板塀が並び続いていた。玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい。まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所と宣伝文にある。その文言のままの佇まいであった。平日のこととて人通りは閑散としていた。武家屋敷を過ぎたところにあるGSでガソリン補給をした。スタッフに大曲への道を尋ね、踏み切 りを横断しR105線に合流した。道沿いの大きなホームセンターで予備ガス缶を一個求めた。大曲市内を通過し本荘に向けて車を走らせた。横手に向かう道も幾度か通っているはずだが既に朧げな記憶の彼方だった。伸びやかな田園地帯を過ぎるといよいよ本荘に入る。往時、生活用品の買い出しに幾度も訪れていた町だ。町並みも建物もすっかり新しくなり様変わりしてい た。昔の記憶のままに本荘大橋があった。ここで新潟から青森を縦貫するR7線と合流する。右折すれば秋田に至る。大橋の袂を左折し酒田方面に向かっ た。酒田に向かう道は拡張され整備されていた。金沢-秋田への往還で立ち寄ったレストランを一瞥し通過した。どうやら廃業しているようだった。日本海から吹き付けるシベリア強風で歪に曲がった松林群はそのまま在り、西目町、仁賀保の地名も、立ち並ぶ小さな工場の屋根、道の曲がり起伏までも正確に覚えていた。ハンドルを握り走った道の記憶は時を経ても確かなようだ。今となっては「ただ通過する」だけの道となっていた。

ようやく象潟に到着し、道の駅「象潟ねむの丘」に車を止めた。ここは全国「道の駅」ベスト3に選ばれているほど施設が整っている処だ。
「奥の細道」を著した松尾芭蕉は、この地まで脚を伸ばした。最北の地として象潟を訪れたのは1689年8月1日、いまから300年以上も前のことだ。岩礁を洗う日本海を眺めながら「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ。西施は楊貴妃、虞美人と並んで中国を代表する美女。悲劇のヒロイン、佳人薄命の語源になった女性。生前一度でいいからお目にかかりたかった。笑。金沢往還で幾度も通過した象潟は歴史よりも鳥海山登山口がある町としてなじみ深い。いつの日にか登ってみたい山として意識の底にあった。ことさらに鶴岡、酒田から眺める鳥海山は絶景だ。海から山頂に至る長い稜線の美しさは比類がない。初冬、雪を冠った鳥海山の気品に至っては言葉もない。作家藤沢周平は朝な夕なに鳥海山を眺め過ごした。「蝉しぐれ」を始めとした数々の名作に月山と並んで登場する山だ。藤沢周平も不治の病に侵され故郷を離れ暮らした人だった。望郷の思いを海坂藩に仮託し、心のひだに沁みるいい作品を書いた人。藤沢周平死後、鶴岡の有志たちの呼びかけで「藤沢周平記念館」が建ったことを知った。いつか木蓮と訪れてみたい。ともあれ、私が登山を始めた端緒に「鳥海山」があったことは確かだ。今回の山旅の眼目に鳥海山を挙げたのは私にすれば当然のことだった。明日はいよいよ長年の課題にアタックすることができる。

大勢の人と車溢れる「象潟ねむの丘」には温泉が併設されていた。透明な茶色で塩味のする源泉だった。日本海を臨む大浴場で垢を流し伸びたままの髭を剃った。十数年ぶりに懐かしい日本海の落日を飽かず眺めた。食堂で豪華な「親子丼とうどん」を摂り、はなはだ満足した。人にぎわう土産店を素見した。建物右端に畳敷きの広い休息所があった。ドライバーが仮眠できるスペースだった。これ幸いと横になってみたが人の往来と灯りが眩しすぎ眠れるものではなかった。キャンプ地はないかと店の人に尋ねた。生憎、象潟付近では 山麓に一箇所あるだけだという。今夜は登山口鉾立で車中泊と決め出発した。

2100鉾立駐車場に着いた。ヘッドランプを灯し野点の珈琲を楽しみながら眼下に瞬く日本海沿岸の街灯りを眺めた。沖のイカ釣り船の不知火が波間に揺らぎながら微かに見えた。神経が冴えなかなか寝付かれなかった。旅に出て五日目の夜ともなれば多少の疲労も堆積している。まして今日のルートは、否応なしにかっての記憶と向き合うものであった。(その時は判らなかったが、こうして記録を付けていると鳥海山登山は過去へのケジメであったと思える。)どうやら明日も快晴のようだ。初日から天候に恵まれた旅を続けている。シートを倒しシュラフを抱いて眠りについた。

付 記:この旅が契機となり、2004-2006年は宮沢賢治研究。浅田次郎「壬生義士伝」を再読。2009年に藤沢周平全集全27巻を読了した。これも一つの旅のかたち。


inserted by FC2 system